~ルイズ~
アルビオンは、私が思っていたよりもずっと張り詰めた空気に包まれていた。
港は活気がなく、人々は家の中に身を潜め、よそ者を警戒しているのが肌で感じ取れる。
「ルイズ、あまり離れないでくれ」
そう言って肩を抱いてくるワルドに、私は少しだけ困ってしまう。
「それで、姫君からはどこへ向かうよう言われているんだい?」
「こちらです」
私がワルドを伴ってやってきたのは、古びた大きな教会だった。
見た目には特別なものは何もないが、姫様の手紙には確かにこの場所が示されている。
今にも崩れ落ちそうな扉を、体ごと押しつけるようにして開けた。
中には、甲冑を着た兵士がざっと二十人ほどいた。
「あ、あの……」
「君たちは何者だ?ここへ何をしに来た」
兵士の一人が前に進み出て、教会の中央で私たちの前に立ちはだかる。
「あの! 私たちはアンリエッタ王女殿下の任務でここへ来た使者です。ウェールズ皇太子にお会いさせてください!」
「君たちがレコンキスタの刺客ではないと証明できるのか」
彼は威圧するように問い詰めてくる。
危険を感じ取ったのか、ワルド様が一歩前に出た。
「すまないが、それ以上近づくなら私は杖を抜くぞ」
その言葉に周囲の兵士たちがざわめき、剣に手をかける。
だが目の前の兵士が手を上げると、皆すぐに動きを止めた。
「今この国は二つに割れている。誰が味方で誰が敵か分からぬ状況だ。
正体の知れないよそ者を簡単にお会いさせるわけにはいかない」
「そんな……」
やっとここまで来たのに。
思わずうなだれた私を、兵士はしばらく見つめていたが、ふと何かに気付いたようだった。
「君、その手にはめているのは……」
それは姫様から預かった指輪だった。
「それを掲げて見せてくれるか」
言われるままに、私は指輪を前に差し出す。
しばらくそれを見ていた兵士は、おもむろに左手の手袋を外し、同じように手を前に出した。
「え?」
次の瞬間、二つの指輪が淡く輝き、白い光が周囲に降り注いだ。
「今のは……?」
「先ほどまでの無礼を許してほしい」
そう言って兜を外した人物の顔を見て、私は思わず声を上げた。
「ウェールズ殿下!」
「その指輪は“水のルビー”と言ってね。私の指輪と対になっているんだ」
そう言って彼は穏やかに微笑んだ。
「君たちが味方であると信じよう」
その言葉に、私はようやく胸をなで下ろす。
「それで、君たちは何をしにここへ来たのかな?」
「私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。姫様の命により、ウェールズ殿下にこれを」
私はそう言って手紙を差し出した。
ウェールズ殿下はその場で封を切り、中身に目を通す。
しばらくしてから、丁寧に折り畳んだ。
「あの小さかったアンリエッタが結婚か……」
そう呟いた彼は、どこか寂しげな笑みを浮かべた。
「手紙を書くのに少し時間をもらってもいいかな?
それまでゆっくりしていてくれ」
近くの兵士に私たちを案内するよう命じると、彼はその場を去っていった。
案内されたのは地下の一室だった。
想像していたよりずっと広く、貴族の私が使っても失礼にならない程度の設備が整っている。
「ここでお待ちください」
「ありがとうございます」
兵士は一礼すると部屋を出ていった。
「あんな教会の地下にこんな部屋があるなんて……」
「おそらく王城に何かあった時のための隠し通路だろう。入る前に、さらに地下へ続く扉が見えたからね」
ワルドはそう言いながら私に近づいてきた。
「ルイズ。昨晩の答えを、ここで聞かせてくれ」
「い、今ですか?」
「ああ。今だ」
あまりに突然で、私は言葉に詰まった。
けれど、ワルド様の瞳は真剣だった。
なぜこんなにも急ぐのかは分からない。
けれど彼は、今すぐ私の返事を必要としているのだと感じた。
戸惑いながらも、答えはもう決まっていた。
「ごめんなさい、ワルド様。やっぱり私、結婚はできません」
「どうして!」
それは、この旅で初めて見る彼のむき出しの感情だった。
「君を守れるのは私だけだ」
そう言って迫ってくる彼に、私は後ずさることしかできない。
「君は私と来るべきだ」
「ごめんなさい。でも私にそんな価値があるとは思えません。ワルド様にはもっとふさわしい方が……」
「いいや! 君以外にいない!」
気が付けば、私は壁際まで追い詰められていた。
あんなに優しかった彼が、まるで別人のようだった。
恐怖しか感じない。
「本当は、こんな手は使いたくなかったんだけどね」
そう言って、彼はゆっくりと手を伸ばしてきた。
「な、何を……」
次の瞬間、その手は私の身体を探るようにまさぐっていた。
「きゃっ! やめてください!」
必死に抵抗するけれど、力の差は歴然だった。
そして彼は、ついにそれを取り上げた。
「それは!」
「これは君の大事なものだったね」
彼の手の中にあるのは、あの宝石。
サヤカから無理やり預かったソウルジェムだった。
「返して!」
「いいや、返さないね。返してほしければ――俺の求婚を受けるんだ」
「そんな……」
彼は杖をソウルジェムへ向ける。
「さあ、返事をもらおう」
そのまま、宝石を強く握り込んだ。
ミシ……。
嫌な音が、確かに聞こえた気がした。
「やめて!」
このままじゃ――
「……わかったわ」
その言葉を聞くと、ワルドは嬉しそうに微笑んだ。
「わかってくれてうれしいよ、ルイズ」
彼が抱き寄せようとした瞬間。
私は全身で彼の腕に体当たりした。
「あっ!」
ソウルジェムが彼の手から離れ、弧を描いて床へ落ちる。
私はすぐにそれを拾い上げ、ポーチに押し込んだ。
しかし――
「俺を騙そうなんて、ルイズ。君は悪い子だね」
ワルドが杖を振った。
次の瞬間、私の体は思うように動かなくなった。
「本当は君の意思でついてきてほしかったんだけどね。
この際、仕方ない」
(やだ……やめて……!)
声を出そうとしても、喉は動かない。
それなのに、私の体は勝手にワルドへ歩み寄り、彼の胸へと身を預けてしまう。
「さあ、ルイズ」
ワルドは静かに微笑んだ。
「結婚式をしよう」
その目は、まったく笑っていなかった。