輪廻の檻 ―異世界で再会した幼馴染は、俺を知らない敵だった― 作:あすらりえる
こつんこつんと、硬質な靴音が通路に響く。その音の主であるゼイロンは、立ち止まった先にある鏡花の部屋の扉を叩いてから入室する。中には鏡花とノイゼットがいた。
ゼイロンが姿を見せても、鏡花はすぐには顔を上げなかった。椅子に深く座り、組んだ指の上へ視線を落としたまま、静かな思考の底に沈んでいる。
その傍らでは、ノイゼットだけが手持ち無沙汰に紅いドレスの裾を弄んでいた。
「鏡花様、ご報告いたします。白銀騎士団の動きを確認してまいりました」
ゼイロンの報告を受けて、鏡花は顔を上げた。先日会ったイディウスの余裕ある態度の意味が僅かに気になり、市井の様子をゼイロンに調査させていた。
それはイディウスが黒曜騎士団とは別の強力な駒を手に入れたことを意味するのではないか。急激に動きが鈍くなっている白銀騎士団の様子から、鏡花は『
「白銀騎士団は『雷針』の指揮の元、リグリアの為に動いていました。しかし、彼が宰相殿の傀儡になどなり得るものでしょうか? あの魔法は対象の魔力量に依存し、実力差が大きい相手にそもそも効くはずがないかと」
ゼイロンの疑問に、鏡花は淡々と告げた。
「『雷針』の実力なら、傀儡になるなど本来あり得ん。だが、事実としてそうなったのであれば、疲弊程度ではすまない事情があったのだろうな」
「そういえば、彼の弟が亡くなっているようですね。それが原因では?」
「身内の死、か。偶然にせよ、それで宰相殿は強力な駒を手にした。おそらくは我々がリグリアから去ることを察して、代わりの戦力を求めたのだろう。対策を立てようとした行動自体は評価できるが、その手段が『雷針』を傀儡にするのではな……」
「えぇっと、自分のところの強い人を傀儡にするとか本気ですか? 後々、悪影響しかないと思うんですけど。宰相様って馬鹿なんですね」
二人の話を聞いていたノイゼットは、明け透けな声をだしているものの、イディウスの正気を疑う点では同意見だった。彼女に視線を向けたゼイロンも頷く。
「この国で暮らす者たちには僅かながら同情を覚えます。かような人物が国の中枢にいることにはね」
「それは我々が気にすることではない。ノイゼット、宰相殿の依頼について、調査に進展はあるか?」
自分の力を誇る場面が来たことに、ノイゼットの顔に隠す気のない喜色が浮かんでいる。
「その件ですけど、ルカンの氷像、見つけましたよ」
「もうですか? あなたの力とはいえ、流石に早すぎるのでは?」
驚くゼイロンに、ノイゼットも一転して困惑気味の声を返す。
「あたしももっと時間かかると思ってたけど、あっさり見つかりすぎて拍子抜けしちゃいましたよ。勘違いかと思って、もう一回周囲を確認しても結果は同じでしたぁ」
「どこからルカンの魔力を感じ取った?」
鏡花の問いに、ノイゼットは待ってましたと言わんばかりに輝く笑顔を向けた。魔力を感知する力は、彼女にとって自慢の種だった。
「街中ですよ。アルベールってお医者さんの建物から魔力を感じました。下から感じたんで、地下室でもあるんじゃないですかね」
「名医と呼ばれる男の医院に消えたルカンの氷像があると? ただの医者にあれを入手することなどできるはずがありません」
「だろうな。医院に出入りしているという
「まったく、困りものですね。目的が同じである以上、ご協力いただきたいものですが……」
「あの男に協調性を期待するだけ無駄だ。好きにさせておけ」
ゼイロンの微かなぼやきを鏡花は気にしない。
「はっ。事実がどうあれ、ルカンの氷像が見つかったことは宰相殿にお伝えするのでしょう?」
「ああ、そういう依頼だからな。ノイゼット、宰相殿のところに行くぞ」
「はぁい」
鏡花とノイゼットは、イディウスのもとへ向かう。
事態は静かに、ゆっくりと動き始める。
□■□■□■□
イディウスは自身の執務室の壁に掛けられた絵画を恍惚とした表情で見上げていた。
旅の画匠から購入した一点物の絵画。この執務室を訪れた者は皆、この絵画に目を奪われる。その姿を見る度に、自身の美的感覚は優れているのだと優越感が満ちてくる。
とはいえ、ごく一部、この絵画を見ても何の感慨も見せない無機質な女もいる。その当人である『信仰』の鏡花が今日も執務室を訪ねてきていた。持ちつ持たれつの関係といえど、この女がやって来る度に鬱屈とした感情は湧いてくる。良い気分が台無しになってしまう。
『雷針』という強力な傀儡を得た今、さっさとリグリアからいなくなれとさえ考えていた。
それに引き換え、先日も一緒にやって来た紅い派手なドレスを身に纏った配下の少女。こちらは絵画に興味津々だった。
(ふん、やはりこの無機質な女の感覚こそが異常なのだ)
と、内心ほくそ笑んでいたところで鏡花が口を開いた。
「宰相殿、来た目的は察しているだろうが、あなたの依頼を達成した」
鏡花の声は平坦で、まるで騎士からの報告のようだった。
イディウスの顔に、明確な期待が浮かび上がる。流石に早すぎるとは思わないでもなかったが、魔力を追うのに優れているという配下の少女に鏡花が全幅の信頼を置いていることは、依頼したときの様子から明白だった。とにかく気になるのは、ルカンの氷像の場所だ。
「これほど早く結果を得られるとは……本当に素晴らしい。それで一体どこにルカンの氷像が?」
イディウスは椅子から身を乗り出し、前のめりになって鏡花を見据えた。その瞳には、自らの権力を揺るがしかねない氷像の行方に対する関心が剥き出しになっている。
対照的に、鏡花は一歩も動かず、その視線を受け流しながら、絵画に夢中になっている少女に声をかけた。
「ノイゼット」
「はぁい」
ノイゼットは奇抜なドレスの袖を揺らしながら、間延びした、緊張感のない声で応じる。その声は、執務室の雰囲気に全く馴染んでいない。
「アルベールっていうお医者さんの医院から、ルカンの魔力を感知しましたぁ!」
「は?」
どんな不届き者の手に渡っているのかと思っていたルカンの氷像は、彼にとって全く予想だにしていない場所から発見された。イディウスは眉をひそめて主の鏡花を見るが、彼女は無表情なままだ。決して好ましくない女だが嘘は言わない。というより、嘘をつくことに意味を感じない女だと理解していた。
それでも、配下の少女から聞いた内容を疑ってしまう。どこぞの賊が盗んだと言われたほうがすんなり信じられるが、まさか王都の名医の医院にルカンの氷像があるなど考えもしなかった。
イディウスは椅子に背を預け、考えを巡らせながら、指先で机を叩いていた。
アルベールはリグリア王国の建国に携わった関係者の血筋を引く人物だ。そのような男が何故ルカンの氷像を持っている? 疑問は尽きず、イディウスの瞳に警戒の色が宿る。
「アルベール……。王都で名医が何故……? いや、それよりも私に何かしら反旗を翻すことを画策しているのか……」
イディウスの呟きに構うことなく、鏡花は感情の読めない瞳を向けている。彼女にとって、彼の個人的な思惑など取るに足らない問題でしかない。
「それで宰相殿。そのアルベールという医者は始末しますか?」
鏡花は始末という言葉を、何でもないことのように告げるが、イディウスは首を振って否定した。
「いいえ、まずは生け捕りにしたいのですよ。一介の医者がどういう経路でルカンの氷像を手に入れることが出来て、それで何をしようとしているのか。始末するかはそれ次第ですね。鏡花殿、アルベールの捕縛を追加で依頼したい」
イディウスは鏡花に何度も依頼するという屈辱を飲み込み、頭を下げて見せた。鏡花は少し考える素振りを見せたが、ややあって頷いた。
「まだ時間はあるのでいいでしょう。ノイゼット、人手は必要か?」
「うーん。そしたら信徒を何人か連れてお医者さんを捕まえてきますよぅ」
「アルベールという医者は、我々が確保したい海里とも交流があると聞いています。その医者と海里を捕らえたら、その後は宰相殿、あなたの権力の出番となる」
「ええ、忘れていませんとも。それで私の懸念が解消できるなら、幾らでも罪など捏造しましょう」
イディウスは満足げに頷き、自身の権力を守ることを考えて笑みを浮かべた。
鏡花とイディウスの間で話がまとまったところで、ノイゼットが場の空気を読まない問いを口にした。
「あのぉ宰相様、この前来た時から気になってたんですけど、壁に飾られているあの絵画は何ですかぁ?」
イディウスの背後の壁に掛けられた絵画。豪奢な額縁に収まっていて、『
テーブルいっぱいに積まれた富と食料を主題として、銀の食器、輝く金貨の山、艶やかなぶどうとワイン。どれもが不自然なほどに鮮やかで、怪しい光沢を放っている。テーブルの脚元には、布の下の影に髑髏や、毒々しい緑色の蛇の鱗が隠れるように描かれていた。まるで誰かの犠牲の上に成り立っていることを意図したかのような絵画だった。
イディウスは、ノイゼットの無遠慮さに慣れてきていたが、それでも手に入れた絵画によって自身の美的感覚が認められたようで、またほくそ笑んだ。
「あれは旅の画匠から購入したものですよ。美しいでしょう?」
彼にとって、高価な芸術品を執務室に飾ることは、己の高貴さと支配を周囲に示すこの上ない誇りだった。しかし、絵画に歩み寄り、それをじっと見つめていたノイゼットは、悪びれる様子もなく、ただ感じたことを口にした。
「ん~~。目を引くのは間違いないですけどぉ、宰相様って悪趣味なんですね」
「――――ッ!!」
自身の気に入っている絵に対して投げかけられた言葉に、イディウスの顔に一瞬、険しい怒りが浮かんだ。しかし、彼はすぐにその苛立ちを飲み込んだ。芸術の価値を知らぬ小娘の感想に耳を貸す必要はない、と自分に言い聞かせ、特に何も言うことはしなかった。それでも、内心は怒りで煮えくり返っていた。
(はあああああああああああ!? この、小娘がああああああ!! 主が主なら、その配下も配下だったか! 不快な。審美眼があるなどと一瞬でも考えた私自身が恨めしい)
鏡花はイディウスの怒りに気づいていたが、全く関心を示さない。
「そろそろ行くとしましょう。ノイゼット、準備を始めろ。それでは宰相殿、これにて」
「はぁい、鏡花様ぁ。宰相様、じゃあ結果を待っててくださいねぇ」
鏡花はそう言って、ノイゼットを連れて執務室から出ていった。扉が静かに閉まり、イディウスは椅子に身体を預けて沈み込む。
静まり返った執務室で、イディウスは顔を歪め、背後の絵画を振り返ることもなく拳を強く握りしめた。相手が教団の七元徳である以上、今はその不快感を強引に押し殺すしかなかった。
次第に怒りは消え、その関心はアルベールへと移っていく。
「何とかアルベールを利用できないものか。嬲っている賊などとは違って、利用価値も高そうだ。いや、しかし……」
広い執務室で、イディウスは一人で考えを巡らせ続けていた。その背後には、今は誰に見られていない絵画があった。
□■□■□■□
「鏡花様ぁ。宰相様の部屋のあの悪趣味な絵画をどう思います?」
イディウスの執務室を出たノイゼットは、鏡花に話しかけた。部屋を出るまでは言うことを我慢していたようだった。
その問いに、鏡花は歩みを緩めることなく、ただ一言告げた。
「お前と同じく、悪趣味な絵と思っただけだ」
「うーん。まぁ、そうとしか思えないですもんね」
「権力者、とりわけ宰相殿のような俗物が好む絵には相応しいかもしれんが、あの絵画に何か気になる点があったか?」
「ん~、宰相様って、自分の身を守るために魔道具を色々つけてますよね。近くにいると、魔力をぎんぎん感じるんですよ。それでですね、あの絵画からも小さく魔力を感じたんです。しかも、なんか嫌~な感じのやつを」
それを思い出したのか、嫌そうな表情のノイゼットに鏡花は問う。
「……旅の画匠から買ったと言っていたな。あの絵画自体がもしや魔道具なのか?」
「そうかもしれないですぅ。あの絵画、描いて売るほうも、それを好んで買うほうも、どっちも悪趣味としか思えないですね。……何ていうか、
「それはどんな感覚だ?」
「苦しめてやる、楽には殺さない、絶対に許さない。そんな感じですかね」
ノイゼットの魔力を捉える力が、絵画の奥に潜む意思のようなものを感じ取ったのだと、鏡花は理解した。
「どす黒い悪意、か。言い得て妙だな。それが魔道具の効果ならば気にならんでもないが、我々の目的には関係ない。切り替えて行動を始めろ」
「はぁい」
絵画の出所に多少の興味は覚えたものの、鏡花の意識は既に次の行動へ向いていた。それはノイゼットもまた同様だった。
医者を一人捕らえるのに手間取る理由はない。それが済めば、次は宰相の権力が海里へ向く番だった。教団にとって、そのどちらも星蝕の欠片を奪取するまでの過程にすぎない。
間もなく夜が訪れる。リグリアの名医は、それがどんな夜になるかをまだ知らない。