夏休み初日、私は自宅を飛び出していた。夏の日常とでも言いたげに太陽は今日も輝いており、容赦なく外にいる人たちを焼いていた。その影響でコンクリートは冬の時とは比べ物にならない温度差を発揮し、その二面性で蜃気楼を発生させていた。言わずもがな今日は真夏日。猛暑日ではないことだけが救いというべきか否か。そんな日に外を出歩けば貧弱な人間、例えば私の幼馴染などはたちまちのうちに溶けてしまうだろう。夏は怖いぜ。
ま、私は今外にはいないんですけどね、初見さん。じゃあどこにいるのかというと、今私は友人の家にお邪魔している。
その部屋はロフトで少し殺風景な印象を受けるもののある程度整理されている。そして、部屋の一角に台本や小道具的なものが纏めて置かれていて、この部屋の持ち主の性格が見えてくるようだ。私は今その部屋の中央にあるジョイントマットの上に置かれたテーブルの上で勉強をしている。
ペンを走らせる音とエアコンの駆動音がよく聞こえる。私は英語の長文読解を解いていた。なかなか手強かったが、何とか解き終えて採点に移る。その前に友人のノートを覗き見る。んー。なかなか良きペースで進んでいるが、ノートを見ると一か所間違えているところがあったため指摘する。
「問7計算ミスだよ。未来のスターさん。」
「ぐぅう……間違いを指摘するときだけスターと呼ぶのは性格が悪くないか。」
「はいはい。分かり切っていたことでしょうに。手を動かせよ~。」
「ぐっ!うおおおお!」
そうやって気迫の声を上げて受験勉強に励むのは「天馬 司」将来の夢であるスターを真剣に目指している奴で、友人としても優しく気配りもできて顔も良い強スペック野郎だ。
ただ、如何せん勉学が不得意な男であるため、こうして私は夏休みのほとんどを使い司の家で勉強会を開いている。まあ、勉強会というには、負担量がだいぶ違う気もするけど。基本的には私が司を教える形をとっている。もっとも、私にも苦手な科目はあるのでそこらへんは司に教えてもらうのだが。
普通に考えるとほとんど他人のために夏休みの50%程を使うなど大分奇特な行動であろう。私もそれは理解している。だが、私にとっても良い勉強になるし、それを差し置いたとしても私にとって司は友達であり、恩人であるため、なるべく力になってやりたいのだ。
ふと司が上を向いたかと思えば、神託を受けた狂信者のように大袈裟な身振り手振りを加えこう言った。
「そうか!!わかったぞ!!感謝するハル!!!!」
「それはよかった。」
(うるさ。鼓膜無くなるわ。)
ただ、それを前提にしても声がデカすぎて1日3回位は帰りたくなるのだが。ちなみに私がこんなことをしているのはほかにも理由がある。というかもう一つの方がメインだ。
前提として、私こと音騒と、司は中学三年生である。私は中高一貫なので、多くの人はそのまま高校に進学する。むろん、私もその大勢の中の一人だ。だから、有り体に言ってしまえば勉強をする意義は薄いと言えば薄い。
しかし、司は違う。今年度、第一志望である神山高校に向かって努力しないといけない立場である。だが、こちらの天馬司、前述した勉学がやや苦手ということ以外にも欠点を背負っている。
それは、ショーマニアであるということだ。ショーバカと言い換えてもいいかもしれない。とにかく少しでも時間があればショーにまつわる何かをしていることが多いような男である。実際私も駅前でショーがやっているから、と言われ首根っこを掴まれて連行されたことも多い。
逆に、去年の夏休みなどは「ショーをするぞ!」などと言って、これまた首根っこを掴まれ近所の公園まで連行され稽古をさせられたのち、ショーに参加させられたこともある。
また、こいつ暇さえあれば台本を書くか、自身の妹のことを考えているほどである。彼の妹君である「天馬 咲希」さんにもお願いされたのだ。「お兄ちゃんの勉強を見てあげて!」と。
とどのつまり、私は監視役である。いや、少しは教師役も求められているのだが、メインはそっちである。妹君どころか司の両親からも言われた。「どうか、見守っておいてほしい」と。
さて、そんな家族から愛されボーイである司くんは今何をやっているかというと……。ペン置いて天仰いでますね。君がやるべき事は点Pの座標算出なのに。これは良くない。
「HEY、司。手が止まってる。まだ、台本のこと考えてるんじゃないだろうね?」
「ッ! そ、そんなわけがない! 俺はただここの文章題で悩んでいただけだ!」
「嘘つけ。君絶対去年の台本のリメイク考えてたでしょ。」
「ギクッ! なんでわかったんだ?」
「自分のノート見てみ。」
司が自分のノートに目を移す。そこには計算式のすぐ下に、去年のショーで使った小道具に少しアレンジを加えたような絵が描かれていた。それを見た司は露骨に焦りだす。
「ち、違うんだ。これは、ただの落書きなんだ。だから、その、咲希に言うのだけはやめてくれ!」
どうやら、妹の前では良き兄でいたいらしい。気持ちはわかる。私も手のかかる妹みたいな奴がいるからな。だが、それとはまた話が別である。
「駄目です。約束は約束、天馬さんに報告させてもらうね。」
「ぐおおおおお!」
テーブルの上で司がだらだらと汗をかきながら、頭を抱える。なかなかに面白い光景である。動画に収めておこう。
「ま、これからの成果次第で見逃してもいいけどさ。」
「ほ、本当か。ならオレはやるぞ!とりあえずこの範囲を終わらせてやる!」
司の瞳にめらめらと燃え盛る炎が宿った。やる気を出してくれて何より。やはり天馬さんの考えた策の威力はすさまじいな。ただ、時計を見るとそこそこ時間が経ってしまっていた。私は軽く手を叩く。
「がんばれ~、と言いたいところだけど勉強始めてからそこそこ時間たってるから10分休憩挟むよ。」
「む、分かった。」
こういう愚直なところは友達として非常に好感が持てる姿勢である。何事も真剣に取り組むのは本当に凄いと思う。ま、今の司はそれが全部ショーと天馬さんに向いてるのだが。
司のお母さんが入れてくれたジュースを飲みながらしばし休憩する。涼しい室内にある冷えたジュースが入った冷えたコップも汗をかいているように感じる。そんなくだらないことを考えていると司が申し訳なさそうに声を掛けてきた。
「すまないな。ハル、俺の勉強に付き合ってくれて。」
「ん、いいよ別に。なんだかんだ言ってやりたくてやってるだけだしね。」
そうなのだ。先述した2つの理由ももちろん真実で、本当の思いなのだが、結局これは私の自己満足でしかない。結局のところ、このショーバカに幸あれと願う気持ちと自分への善行を積んだという気持ちの確保のためだ。だが、人ってきっとそんなもんだと思うし、そうやって生きてもいいと私は知ってる。ならば、私はそう生きる。それだけの話なのだ。そんなことを考えながら取り留めのない雑談をほんの僅かな休憩時間に話す。脊髄反射で話すアップテンポな会話のリズムが夏の暑さに静かに響いた。
ーーーーー
「今日はありがとう!またな!」
「へーい。私が帰っても勉強はしとけよ?」
「無論!承知している!」
「ならいいや。バイバイ。」
そう言って司の家から出る。外に出ると朝来た時より少しだけ涼しい風が頬に当たった。ただいま夕暮れ時。目に当たる夕日が眩しいぜ。子供の頃、沈む夕日を見ていると、青空を染めていってしまう太陽が普段は猫をかぶっているだけのとても恐ろしいナニカに見えて怖かった。しかし、それも小学生までのこと。むしろ、夏休みなんだからこれからが本番と言っても良い。
さて、本日だが、家には誰もいない。うちの両親は割と出張が多い。だからこそ、有難いことに一人っ子である私は割と自由気ままな暮らしをさせてもらってる。
そして、そのまま真っ直ぐ家に帰るのではなくまずスーパーに寄る。店内は冷えていて、半そでじゃ少し肌寒く感じるほどであった。今回の目当ては日持ちする保存食品や今日の晩御飯用の具材だ。晩御飯は何にしよう。今日は…考えんのめんどい!カレーで!玉ねぎ!人参!さんしょにしいたけ…は要らない!じゃがいも!夏野菜も買おう!茄子と南瓜…。南瓜使いきれん!パスで!後は肉を買うぞ肉を買うぞ!肉何にしよう?
鶏が安いな!鶏で!(即断即決)おっと、らっきょうを買い忘れるところだったぜ!お、気づかなかったけどリンゴ安いじゃーん!個人的に買おう。(快刀乱麻)そんなふうに脳内で騒がしくしながら、素早く買い物かごに入れた食材達をセルフレジで会計を済ませ、早歩きでスーパーを出る。
司の家から出た時もそうだったが涼しいところにいたので外の空気が少し生ぬるく感じる。いつの間にか風も止んでいたし、なかなかの頻度で車が出入りするスーパーを後にし、帰路に着く。
ただ、スーパーに寄っていたためあたりはもう暗くなり始めていた。夕日ももうほとんど見えない。その様子に少し焦り、少しだけ更に足を早める。
そして、家の前に立ち私は慣れた様子でチャイムを鳴らした。
<ピンポーン>
聞きなれた電子音が聞こえる。
暫くした後、「入っておいで。」という優しげな声が聞こえてきたので門扉を抜けドアを開け、幼馴染の家に入る。
そう、私は今まで自分の家に向かっていたのではない。この幼馴染の家に向かっていたのだ。理由は後述。
「お邪魔しまーす。洗面所借りたらぱっぱと作り始めますね。」
玄関で声を張り上げる。
「いつもありがとう。お願いするよ。」
そう言ってリビングに繋がる扉を開けて出てきたのは宵崎さん。
私の家のご近所さんだ。家族ぐるみでお世話になっている。特に私が小さい頃などは出張でいない両親の代わりによく面倒を見てもらった。だが、まだ私が幼い時に奥さんと死別してしまったらしく、沢山の苦労をしたらしい。そんな中でもたまに私の様子を見に来てくれためちゃくちゃ良い人だ。特に風邪などを引いた時には親の代わりに近くの病院まで連れて行ってくれた。子供の風邪は割とシャレにならないので命の恩人と言っても過言ではない。
とまあそんな恩人とついでに幼馴染のために親が出張でいないときはご飯を作りに来るのだ。
洗面所で手洗い、うがいをし、キッチンへ向かう。そして、意識を切り替えるために軽く手を叩いて調理を始める。
とりあえず最優先で米を計量し、研いでいく。カレーが出来ているのに米がない。そんな事態になったら2日間くらい立ち直れないので、一番最初に行う。研ぎ終わった米を釜に移し、水を入れる。そして、炊飯ボタンを押す。その時、ふとこの場にいない幼馴染が気になった。
「そういえば、奏はどうしてます?」
「ああ、多分自室でのんびり過ごしてるよ。」
リビングから声が返ってくる。
「やっぱりですか。あそこまでインドア派だと少し心配ですね。」
「ははは、確かにそうだね。」
野菜をトントントンと切りながら件の幼馴染について思考を飛ばす。あっ待って玉ねぎめっちゃ目に染みる。
「宵崎 奏」。心優しきインドア派の少女で私の幼馴染だ。ただ、とんでもないほどのインドア派だ。大事なことだから二回言わせてもらった。これは人伝に聞いた話だが、これまでに三回体育の授業で倒れたらしい。それでも決して病弱なわけではないからつくづく不思議だ、とも思う。あと特筆すべき点は歌がすごい上手いことだと思う。おぼろげな記憶だが、幼稚園のお遊戯会で一人だけやたらと目立っていたことを覚えている。これには宵崎両親も大盛り上がり。将来は歌手か声優か、と噂されていたのを覚えている。
え、私?両親にも苦笑いされるような歌声でしたけど何か? 私の歌声はともかく、最近はDTMにも手を出し始めたらしく、好きな曲のアレンジをして楽しんでいる。まあもっぱら、宵崎さんが作った曲なのだが。そうそう、言い忘れていたが宵崎さんは作曲家だ。やはり血は遺伝するのだろうか。
そんな事を考えている間に野菜と肉の下処理が終わったので順番を考えて、鍋に入れて炒めていく。肉が焼ける良いにおいがする。火が通ったので煮込む工程に移りたいところだが、さきに隠し味の用意をする。
スーパーの袋からリンゴを取り出し、素早く包丁で皮をむく。軽く1切れ2切れだけ切り分けて、すりおろす。そうしてできたすりおろしりんごを鍋に投入。我が家のカレーの隠し味といえばこれだった。こうすることによって甘くなってさらにコクも出る…らしい。情報のソースはない。
そしてそのまま水を入れて煮込みの工程に入っていく。
カレーの工程の中でこうやって具材をコトコトと煮込み、たまに灰汁をとる。この作業が一番好きだ。静かに集中できるようなゆったりとした雰囲気が私の性格にあっている。こうやっていると眠ってしまいそうなので、少し気を取り直す。こういう時は将来の不安を考えよう。きっと夜も眠れなくなるはず。
『ハルー!!受験に落ちてしまった!!』
『私閃いた。クラゲになれば移動が楽なんじゃないかな?』
『幽霊は存在するのだ!僕が実在するから幽霊もいるのだ!』
うん。考えるのを辞めよう。精神衛生上非常に宜しくない。
本当に司は頑張ってくれよ…。あと約半年。受験本番ではあまり物怖じしないタイプだと信じてるが…。今のうちから神頼みしとくか。あとずんだもんよ、私は幽霊が苦手なんだ。やめてくれ。
カレーを煮込んでる間に、余ったリンゴを切る。二つ買ってきておいたので、一つは私の夜食になる予定だ。ちなみに、私はリンゴをうさぎ型に切れる。だからなんだという話でもあるし、結構な人ができることなのだが。流石にもううさぎさんという歳でもないだろう、中学三年生は。(倒置法)ま、同年代かそれよりも年下のやつが風邪でも引いた時には作るかもだけど。切り終えたリンゴは冷蔵庫にしまい、冷やしておく。
いくつかの野菜の様子を見、ジャガイモに菜箸が難なく通ったのでおそらく煮えていると判断。カレールーを投入していく。すると周囲にカレーの匂いが立ち上る。換気扇を入れているとはいえ、この至近距離だと良く香る。その香りに頬をほころばせていると自然と記憶がよみがえってくる。あれは、小学校六年生のころの夏休みだった気がする。そのころから私は宵崎家でご飯を作るようになっていた。
それ以前から家事手伝い程度のことはしていた。何故、遊び盛りのこの時期に家事を手伝っていたのかというと、私は正直外に出て遊ぶことも、家の中でぼーっとゲームするのもなんだか落ち着かなかった。なんとなく焦燥感に駆られていたのだ。その時に勉強に逃げていたおかげで中学受験に成功したのだが。しかし、勉強以外にも私の心を落ち着かせる行為はあった。それが、家事をすることだったのだ。
そのこともあり、親が家にいないときは宵崎家で長く過ごさせてもらっていた。そこで家事手伝いをすることが私にとっての娯楽に近かったから。多分そのころから、私は人助けが好きで、それを趣味にしていたんだと思う。小学生の頃の趣味が今でも続いていることに少し苦笑する。
そうして、そんな人助けジャンキーな私が初めて作った料理もカレーだった。祖母に教わり、買い物メモとがま口財布を持って、スーパーに行った時の緊張もよく覚えている。そして、このキッチンで踏み台を使い、一つ一つ丁寧に下処理をしていった。宵崎さんに一分ごとくらいに見守られていたことも印象に残っている。そうして、できたカレーを宵崎家で振る舞い、自分の家でも振る舞い、祖父母の家でも振舞った。その時に皆においしいと言って貰えたのがうれしくて、この時から人助けだけだった趣味に料理が加わったのだ。
ちなみに、この話には続きがある。一週間後、私が不在の際に奏が私の真似をしてカレーを作って宵崎さんに振舞った。宵崎さんはむろん喜んだそうだが、自作カレーを食べた幼き日の奏は
「ハルより美味しくできなかった……。」
とひどく落ち込んでいたらしい。その後、その真偽を確かめるため、私も奏のカレーを食べたが私のより全然美味しく感じた。さて、ここで二人ともおいしかったねで終わらないのが小学生。
私は奏のカレーに対抗心を燃やし作り、それを食べた奏は私のカレーに対抗心を燃やしまた作る。という無限ループが始まった。最終的に週5カレーになったときに、宵崎さんや私の両親に軽くたしなめられてこの戦いは終結した。
ちなみに、このお互いがお互いのカレーを超えられなかった事件の真相は味の好みの違いにある。私は辛口が、奏は甘口が、それぞれ好きだったのだが、音騒家が甘口、宵崎家が辛口に対応した隠し味を入れていた、というオチなのである。あの頃は私も若かった…。(三年前)
さて、カレーも完成した。らっきょうも用意した。お米も炊けた。リンゴも切れてる。飲み物もよし。
晩御飯の準備は全て完了した。素早くお皿によそって、あちらに慎重に運ぶ。皿越しにカレーの熱さを感じて、味への期待が高まる。
全てを食卓にセットしたらすでにいる宵崎さんに「先に食べてください。」と伝えて、奏を呼びに行く。
階段を上り奏の部屋の前に立つ。見慣れた扉だ。ドア越しから声をかける。
「奏、ご飯だぞ。」
そこから数秒待つが返事がない。
ノックを三回する。出ない。
ノックを四回する。出ない。
ノックを五回する。出ない。
ノックを六回する。出ない。
ふむ。今回のことでノックはやみくもに増やしても効果が薄いことを思い知った。しかし悩む。許可を取らず、思春期女子の部屋に入ってしまってよいものか。心の天使と悪魔に訊いてみよう。
「早くしないとご飯が冷めちゃうのだ!早く教えてあげないといけないのだ!」
「ふむ。返事をしない宵崎にも非があるのではないか?それに気になるのだろう?他人の部屋!!!!」
天使と悪魔の意見合致。ならいいや、GOGO!
「奏~。開けるぞー。うわぁ…。」
「ん……?何だ、ハルか…。入ってきて一言目がそれなの失礼じゃない……?」
「そりゃあこの部屋の惨状を見たら、そうなるだろ…。てかジャージ多くない?」
「ジャージは万能だからね……。」
私が部屋に入ってきたのに気づき、ヘッドフォンを外した奏はそういった。
失礼なのは認めるが実際汚い。
夏休みもまだ始まったばかりだというのに、奏の部屋はもうすでに汚部屋と言っても差し支えない有様へと変貌していた。ベッドと机回りだけは整頓されていて、多少過ごしやすい部屋ではあるのだろうか。床には衣類が散乱している。しかし、最低限の理性はあったようで、かろうじて制服だけはハンガーにかけられ、難を逃れている。
その部屋で奏はゲーミングチェアのような椅子に体育座りしており、椅子の前に置いてあるパソコンの電源が付いていることから、何らかの作業中なのだということがわかる。
「そんな姿勢で作業しない方が良いよ。体痛めるから。」
「それもそう、だね……。気を付けるよ…。それで、ノックもせずに入ってきてどうしたの?」
「ご飯できたから降りておいでって言いに来たんだよ。あと、ノックはしたよ。ヘッドフォンつけてたから聞こえなかったんじゃない?」
少しだけ目を瞬かせて言った。
「そうなんだ…。分かった。すぐに降りるね…。」
非常に気だるげだが、ほんの少しだけ気分が良くなったのが何となくわかる。奏がゆっくりと部屋の扉から出ていくのを見守り、扉を閉めてから後を追う。
そういえば、奏のパソコンに表示されていた画面はなんだったのだろう。少し考えて、DTMソフトなのではないかと思いいたる。DTM、デスクトップミュージック。実際に楽器を演奏して曲を作るのではなく、専用のソフトに音を打ち込んで楽曲を作ること。ふむ。これなら音楽の授業で意欲だけは認められた私でも作曲ができるのではないか?実のところ私は少し作曲に興味があった。それは80%宵崎さんの影響だが、20%はバーチャルシンガーが歌った曲、ボカロ楽曲を幼いころから聞いていたからだ。彼彼女たちが織り成す歌声、そしてその声に乗せられた想いは私の心を深く揺さぶった。うろ覚えだが、そういったボカロ楽曲はほぼDTMによって作られているらしい。
夏休み、新しいことに手を出すのにはうってつけな期間だ。手を出すのも一興だろう。うん、やってみよう。そんなことを考え、食卓につき手を合わせる。
「「「いただきます。」」」
この夏休みにやることが決まった瞬間であった。
ーーーーー
「ーーそういう訳でずんだもん。私の曲を歌ってくれない?」
「そういうのはやってないのだ。ソフトウェアをダウンロードして自分でやってくれなのだ。」
私は宵崎家で夕食を食べて、後片付けをしたのちに家に戻った。そして、シャワー浴びて、歯磨きをして、最高速でセカイにやってきた。理由はずんだもんに自分の歌を歌ってくれないかを聞くためだ。まぁすげなく断られてしまったわけだけども。
「えー。じゃあ作曲のアドバイスとかはお願いできる?」
「……それくらいなら、まぁ。やっても良いのだ。」
「わーい。ありがとう。」
少し考えこんだのちにずんだもんはそう答えてくれた。やっぱずんだもんしか勝たんわ。だが、どことなく今日のずんだもんは気だるげな気がする。もしやこれが素なのかもしれない。
計画通り。これがドアインザフェンス?フェイス?マンインザミラー?何だったっけ。まあいいや。世界的シンガーの一人に曲を添削してもらうなんてこんな贅沢なことはないでしょうよ。宵崎さんに頼むのはなんだか気が引けるしね。それに良いことも分かったし。
相変わらず殺風景なセカイだが、その中心には折り畳み式のテーブルと座椅子が二つ、あとずんだもん用の布団が置かれていた。そう、このセカイ、ある程度の大きさまでなら持ち込みが可能であることが判明した。詳しい検証はしていないが、多分勉強机くらいまでの体積なら持ち込めそうな直感がした。
これは今朝、朝起きてお茶を飲みながら
(ずんだもんに朝の挨拶くらいしておくか。)
のノリで「Untitled」を開いたらお茶がセカイに持ち込めたことから判明した現象だ。理論とかは正直全くわからない。想いの力って凄いんだなと呆けることしかできない。
ともかく、ここに物を持ち込めるのならばここを第二の自室として扱うことも出来る。それも公園サイズのだ。実際それに気づいてから速攻で使っていなかった折り畳みテーブルなどを持ち込んだ。こんな風にカスタマイズできるのならいろいろな作業がはかどりそうである。作曲は…ここスマホの表示上では圏外なんだよね。データ保存するときに不具合が生じそうだから向こうでやることにする。ちなみに、何故圏外なのに「Untitled」が流せるのかを聞くと曖昧に微笑まれた。こわい。
「ところで、ずんだもんさんや。」
「なんで急にさん付けなのだ?」
「このセカイ、世界に幽霊っているの?」
ずんだもんは座椅子に体を全力で預けながら答えた。
「あーーー。多分いると思うのだ。」
「いるんだ…。」
私は絶望感にまみれた声でそういう。もう終わりです。最早、座椅子に体を預けるどころか飛び出すほどにぐでんぐでんな姿勢になった私を見ながらずんだもんは続ける。
「だって、そもそもぼくの家族の職業を考えてみてほしいのだ。」
えーと、東北きりたんは学生、ずん子も学生、長姉のイタコは…アッ!!
「イタコ姉さまはイタコをしているのだ。だから幽霊はいるのだ。それにぼくの知り合いにひまりっていう死神とかもいるのだ。」
「そっかぁ。そっかぁ。アジャラカモクレンユウレイモツイデニテケレッツのパー。」
「死神退散の呪文を唱えるのはやめるのだ。悪い奴じゃないのだ。」
ずんだもんが呆れた声色でそう言う。そうはいっても怖いものは怖いのだ。しょうがないのだ。私の心はシクシクと泣いている。そんな私をずんだもんは何やってるんだコイツみたいな目で見てくる。その視線が心に来たので何とか私は座椅子に座りなおして体裁を整えようとする。もう手遅れな気がするが、いったんそれは置いておこう。
その後も私とずんだもんは雑談をしていた。長い時間適当に。眠れない夜を埋めるように。そうやって私の夏休み初日の夜は更けていった。
何故か9000文字になっていた。不思議な世の中。
今回もご拝読ありがとうございました!