心中のし損ねが入渠施設に放り込まれたと聞いて、皆はこぞって見に行きました。娯楽の少ない田舎の鎮守府ですので、醜聞、それも不様な心中未遂だというのならば皆が目の色を変えて飛びつこうというものです。
小さな鎮守府のこれまた小さな入渠施設では、入渠を終えたらしき艦娘がうずくまって、艤装の一部でもある制服を濡れたままに座り込んでいます。不思議と一人きりなのは、心中相手の入渠がまだ終わっていないからのようです。駆逐艦娘らしく、小さな身体で震えています。とはいっても、震えている理由は寒さだけではありません。
施設の外からのぞき込む艦娘達の顔が増えるにつれて、震える艦娘の頭はどんどん下がっていきます。それはあたかも罪の重さ、あるいは恥ずかしさに耐えかねたようでもありました。
その艦娘は、独逸からやってきたレーベでした。そして、入渠から出てきていないのはマックスです。
やがて五十の少し前に見える提督が、制服を着崩した姿で悠然と出て来ました。夕食代わりの晩酌の後らしく、赤い顔をピカピカ光らして、レーベの前に置かれた椅子にドッカリと腰をかけると、酔眼朦朧とした身体をグラグラさせながら、ニヤニヤとした顔で言いました。
「自分がなにやったかわかってるのか? お前」
レーベとマックスが初めて出会ったのは、故国から派遣された遠い異国、日本の鎮守府でした。
二人は独逸の違う地方でそれぞれに育ち、そして艦娘となり、日本へやってきたのです。日本へはすでにビスマルクやプリンツオイゲン達も派遣されていたのですが、同じ鎮守府に派遣されたのはこの二人だけでした。
二人は深海棲艦を倒すぞと勇ましい思いで艦娘になったのですが、それでも遠い異国の地は不安でした。だから二人は、互いの存在を知ったときはとても喜びました。
「僕はレーベレヒト・マース。レーベでいいよ」
「私はマックス・シュルツ。どうやら私達、姉妹艦のようね。私が妹になるのかしら」
姉妹艦になったからといって、元々本当の姉妹だったとは限りません。レーベとマックスのように、艦娘になる前は知り合いですらなかったという場合のほうが多いのです。
とはいえ、やはり姉妹艦というのは仲良くなりやすいようで、二人もすぐに本当の人間姉妹のように仲良くなりました。いえ、人間の姉妹は仲の悪い場合も時々あるようですから、これは人間以上と言ってもいいのかも知れません。
二人の派遣された鎮守府は、最前線ではありませんでした。独逸と日本は互いの艦娘を交換派遣していたのですが、日本は世界にも冠たる艦娘大国であり、特に駆逐艦の数がとても多かったのです。ということはつまり、駆逐艦娘であるレーベとマックスにはあまり活躍の機会が回って来ないということです。しかも最前線ではないのですから、余計に出番はありません。
戦艦であるビスマルクや空母であるグラーフ・ツェペリンは、日本の艦娘と共に最前線へと駆り出されています。それにひきかえ、二人は鎮守府で演習や後方勤務を繰り返す日々でした。
退屈な日々なのかと言われると、それは違います。後方支援だって立派な任務です。前線で戦う仲間達のために、輸送や補給を滞りなくこなさねばなりません。二人は日本の艦娘に混ざって一所懸命に軍務を果たしていました。
そんなときです。二人に出撃命令が出ました。二人は意気も盛んに最前線の鎮守府へと向かいました。
戦いは苛烈でした。レーベもマックスも、自分たちの力をフルに発揮して頑張りました。
しかし、深海棲艦は強力でした。
決して、二人だって弱くはないのです。深海棲艦に負けていないのです。ただ、ほんの少し運が悪かったのです。
マックスが深海棲艦の攻撃により大破して後方に送られました。レーベはそれに付き従おうとして止められます。
「馬鹿! 戦列を離れる奴があるか!」
止めたのはレーベの所属していた水雷戦隊の旗艦であり、二人の上官でもある重雷装艦の木曾でした。
「でも、マックスが」
「仲間を思う気持ちはわかるが、勝手な真似は駄目だ。なんのための護衛撤退だ。僚艦に任せておけ」
木曾の言う通りです。レーベにだって、頭ではわかっていることなのです。
「あいつは轟沈したわけじゃない。今は集中しろ。お前まで大破しちゃあ、マックスも悲しむだろう」
「……うん」
「よし、いい子だ。大潮、朝風、旗風、誰か一人……朝風、レーベと組んでくれ。大潮と旗風は二人で組み直せ」
隊列を組み直したレーベは、なんとか気持ちを切り替えました。それでも、マックスを心配していることに変わりはありません。
作戦を終えたレーベは、木曾の許可を取ると自分の損傷も顧みずに入渠施設へと急ぎます。そこには、とても忙しそうな明石さんがいました。
マックスの姿が見えないことに気付いたレーベが尋ねると、高速修復材の使用許可が出たため、もう既に入渠は終わっているとのことです。レーベはお礼を言うと、マックスと共同の自室へと向かいます。後ろから明石さんの呼ぶ声が聞こえたような気がしますが、レーベはそれどころではありません。
自室に戻ると、やはりマックスは其処にいました。
「マックス、もう大丈夫なの」
「落ち着いて、レーベ。自分の補給と修理を先に済ませなさい」
「でも」
「私は大丈夫だから。心配してくれるのは嬉しいけれど、自分のことも大切にして」
そう言われて初めて、レーベは自分の姿に気付きました、戦闘を終えて帰還した姿そのままです。修理どころか、汚れだってとれていません。こんな姿でうろうろしていては、流石に怒られてしまいます。
レーベは急いで、今度は入渠施設に戻ります。
明石さんは冷たい目で睨みつけてきました。
「貴方の勝手で入渠順は決められないの。わかってる?」
レーベは謝りました。自分が悪いということはよくわかっているからです。
「いいわ。僚艦が心配な気持ちは艦娘として当然ですからね。だけど、これっきりにしてくださいよ」
もう一度謝ると素直に明石さんの指示に従い、入渠と補給を済ませます。何人かの艦娘には睨みつけられたような気がしましたが、これはきっと、レーベの身勝手で順序が狂わされてしまった入渠予定の艦娘達なのでしょう。睨みつけられるのも仕方のないことだ、とレーベは思いました。
自室に戻った後、二人は改めて約束します。
お互いに気をつけよう。大破しないように、お互いに心配をかけないようにしようと。
ところが数日後の出撃で、今度はレーベが中破してしまいました。このときもすぐに後方へ送られ、高速修復材の使用許可も出たため、大事には至りませんでした。しかし、今度はマックスが取り乱してしまったのです。
レーベはなんだか嬉しくなってしまいました。
どちらかといえば、マックスは冷静です。それがレーベには時々、冷たすぎるように見えてもいたのです。だけど、自分が中破したことで慌てるマックスを見て、それが大きな間違いだと確信できたのです。
「嬉しいな」
マックスも同じように明石さんに怒られたと知って、レーベはさらに嬉しくなってしまいました。
「私が怒られたのがそんなに嬉しいの?」
「違うよ。マックスが僕のためにそんなに慌ててくれたことが嬉しいんだ」
「……当然じゃない。同じ国の同じ駆逐艦娘なのよ」
「それでもさ。マックスがそんなに取り乱した姿、初めて見たもの」
「人の不様を見るのがそんなに……」
「違うよ!」
ややムッとした表情で答えるマックスを遮るようにレーベは言いました。
「そうじゃないよ。僕は、君が取り乱した様子を見たから嬉しいんじゃない」
そう思っているとしたら酷い勘違いだ。と続けました。もし本当にマックスがそう考えているとしたら、レーベにとってはとても哀しいことなのです。
なぜなら――
「僕は、君が僕のことを想ってくれたことが嬉しいんだ」
それは正直な、掛け値のない本音でした。マックスが自分のことを想ってくれた、自分のために取り乱してくれた。それが、レーベにはとても嬉しいことだったのです。
もし、マックスがその時も冷静であったなら……例えそれが艦娘としては正しいことだとしても……レーベは悲しく感じたことでしょう。
例え艦娘としては間違ったことだとしても、レーベはマックスを強く想い、そしてマックスに強く想って欲しかったのです。そして、それが艦娘として間違ったことだとは、レーベにはとても思えないのです。
マックスの顔が真っ赤になっていました。
「そ、そんなの、当たり前だと言っているでしょう。同じ国の同じ駆逐艦娘なのだから」
うん、とニッコリ笑うレーベにマックスはさらに小声で付け加えます。
「私だって、貴方の気持ちは嬉しい」
その日から二人は、今まで以上に仲良く過ごすようになりました。休息時間も休暇の日も、二人の空き時間が重なればいつも一緒にいました。
マックスが夜戦に駆り出された翌日のことです、レーベは朝起きると、眠っているマックスの枕元に近寄りました。夜戦を終えて帰ってきたマックスは、その日は非番です。早起きせずに眠っている権利は当然あります。そしてレーベもその日は、午後の出撃の予定でした。二人とも、午前中は非番なのです。
すやすやと眠っているマックスの寝顔を見下ろすようにして、レーベはベッドの脇に座りました。
眠っているマックスと、それを見つめているレーベ。一人は目を閉じ、一人は目を開いていますが、同じように優しい表情に見えました。
レーベがマックスに近づきます。
逃げてほしい、とレーベは思いました。今すぐ、マックスに目覚めて逃げてほしいと。そうでなければ、自分は何をしてしまうのか。
お願いだ、マックス。目を覚まして。僕から逃げて。
二人の唇が、ゆっくりと近づきました。
マックスの目は閉じたままです。
レーベの開いていた目がさらに大きく開きます。
二人が、さらに近づきました。
マックスの目が開きました。
レーベは止まりません。マックスは、逃げません。
二人はもう止まりませんでした。
初めての接吻は二度目三度目への呼び水に。
気の迷い、過ちだとレーベは思い込もうとしました。その迷いはマックスにも伝わっていました。そしてマックスはそれが欺瞞だと知っていました。だからといって指摘することなどありません、指摘する意味などないのです。
マックスは決めていたのです。気の迷い過ちの類であるとレーベが認めるというのならば、自分はそれを絶対に許さない、と。
「ごめん、マックス」
数度の口吸いを重ねた後、レーベはようやく言葉を紡ぎます。
対してマックスは、冷たく謝罪に応じました。
「謝るということは、後悔しているの? 貴方は」
「ごめん」
二度目の謝罪。レーベの言葉を聞いたマックスは身体が冷えていくのを感じていました。それは体温ではありません。もっともっと身体の奥深く、手の届かない場所の温もりが消えていくのです。
レーベの気の迷いは許さない。では、許さなければどうするのか。
マックスはレーベを強く抱きしめました。
「嫌なら、私を突き放して。そうでないのなら、謝らないで」
レーベがそうであるように、マックスだってレーベのことが大好きなのです。
互いに好きであることを二人は知りました。それはとても嬉しく、喜ばしく、そして素敵なことでした。
その日から、二人の生活は少し変わりました。
一緒に居る時間は今まで通りです。今までは故郷の話をしたり、それぞれに本を読んだりして過ごしていましたが、その中に秘密の行為が入りました。
最初は接吻。そして抱擁。互いの体温を感じあい、温もりと体臭に包まれるのが無上の喜びでした。二人はそれで満足だったのです。
知識としてそれ以上の行為が男女の間にあることは知っていましたが、それとこれとは話が別です。
この鎮守府でも、戦艦や空母、重巡。そして一部の駆逐や軽巡は駐屯している技術者や兵士とそのような関係になっていました。また、艦娘同士のそのような関係もあるという噂も聞こえてきます。そこには木曾の姉妹艦である大井と北上の名もありました。
実は二人は、その噂に内心安堵していたのです。
二人は知っていました。自分たちの関係が不適切と言われる類のものであると。二人は決して自分たちが間違っているとは思っていません。しかし、第三者から見れば間違っていると言われかねない行為だとは気付いていました。
自分たちの直接の上官である木曾は大井と北上と同じ球磨型です。大井と北上の姉妹艦である木曾ならば、二人の関係についても理解してくれるかも知れません。いいえ、理解とまでいかなくてもいいのです。黙認で充分なのです。それだけで、二人には充分なのです。
ですがそれは、二人だけの酷い思い込みでした。二人だけの世界の、とても狭い世界の思い込みだったのです。
世界にいるのは、二人だけではないのですから。
怖くない。戦うことは怖くない、マックスと一緒ならばもう何も怖くない。
恐れない。傷つくことは恐れない、レーベと一緒ならば傷ついたって構わない。
二人が戦闘で活躍するのはある意味当たり前であったかも知れません、勇猛果敢となった二人は戦果をあげていったのです。夜闇の中で波を蹴り、雷撃をもって敵を屠る強靱な水雷戦隊の一員として。
それも長くは続きませんでした。
自分が戦うことも、自分が傷つくことも怖くない。いえ、相手のためなら、貴女を護るためなら死ぬことだって恐れない。だけど。
だけど、貴女が死ぬことは?
視点を変えた思考は、一瞬にして二人を混迷に叩き込みました。
そうです。そうなのです。自分がどうなろうと構わない、気にしない、厭わない。では、愛する者が傷つくことは、消え去ることは、轟沈することは。
なんて忌まわしく、恐ろしく、そして怖く、哀しいことなのでしょうか。
耐えられるわけがない。それほどの悲劇に耐えられるわけがないのです。
勇猛果敢な駆逐艦娘は、一夜にして変わってしまいました。敵を恐れ、闇に怯え、未来を想って泣く怯懦な弱卒へと。
そしてそれは、旗艦である木曾にも伝わっていたのです。
最悪な形で。
「理解はしないが、反対もしない」
二人を呼んだ木曾の言葉は、そのようにして始まりました。
木曾は二人の関係を知っていました。そもそも二人には関係を隠すという意識が欠落していたのですから。
無論、甚だしく喧伝していたというわけではありません。ありませんが、隠そうという意思もまた、ありませんでした。
「お前達の関係をどうこう言うつもりはない」
それでも、です。
それが艦隊の、鎮守府の弱さにつながるというのならば木曾は言わねばなりません。
「弱さにつながるのなら、別れろ。それが嫌なら、お前達の想いを強さに変えろ」
木曾は言います。
男女を問わず、誰かと深い関係となった艦娘はいる。本来なら軍規違反ではあるが、それが弱さにつながらないというのなら見逃そう。それが強さにつながるというのなら表だっては無理であっても裏で支援しよう。
選べ、と。
レーベとマックスにとっては青天の霹靂に近いものがありました。
怯える前の段階に戻れ、さもなくば別れよ。
木曾の言葉はそのように聞こえました。
木曾の言葉には譲歩を匂わせるものがありますが、実情は真逆です。要は、「別れろ」と言っているのです。
想いを強さに変える場面を通り越した今なのです。愛する者を喪う恐怖に怯える今なのです。言葉一つで戻ろうとして戻れるものではないのです。
そして、レーベはそこで間違えてしまったのです。
愛し合っているのは自分たちだけではない、と抗弁しました。それ自体は間違いではありません、実際にそのような二人もいるのです。想いを強さに変える二人もいるのです。
ですが、それは。
「僕たちだけじゃない。大井さんと北上さんだって」
レーベの言葉が終わる前に、マックスは息を吞みました。数秒遅れて、事態に気付いたレーベ自身もです。
木曾の顔が歪んでいました。怒りに。
「お前達なのか?」
意味不明の言葉でした。
「お前達なのか、姉さん達の関係を邪推して触れ回っていたのは」
知らなかったのです。
大井と北上が、心ない噂によって傷ついているなどと。
仲の良い姉妹である二人が、もっと深い関係であると噂されて傷ついているなどと。
木曾が、球磨が、多摩が、噂について心を痛めているなどと。
二人がもっと周囲に目を向けていれば、閉じこもった二人だけの世界でなく全体に気を配っていれば、互いだけでなく別の親しい艦娘を作っていれば、もしかしたら知っていたかもしれない事象なのです。怒気に目の曇った木曾にとっては知らぬ事が不自然だと感じられ、レーベとマックスが知らぬはずが無いと断言できるほどには。
木曾は声低く続けました。
「お前達なんだな」
既に質問ではなくなっていました。明確な決めつけであり、断言でした。
違う。とレーベは答えます。例え無駄だとしても。違うと答えることしかできません。他に答えはないのですから。
無駄な返答をマックスも続けます。
二人以外の艦娘は賢しかったのです。自分たちが噂の元凶ではないと逃げることができる程度には。誰一人として、元凶がレーベとマックスだと告白したわけではありません。
ただ、木曾に対して面と向かって告げた者は今まで誰もいなかった。それだけのことなのです。それだけで充分なのです。
二人は純粋でした。つまり愚かだったのです。少なくとも、賢しくはなかったのです。
二人の生活は終わったのです。
絶望でした。
屈辱でした。
深海棲艦との戦争の中、同性との色恋沙汰にうつつを抜かした痴れ者。
気持ち悪い。
近づいたら伝染る。
馬鹿。
気狂い。
沢山の言葉が投げかけられます。
あげつらわれ、蔑まれ、軽んじられ、踏みにじられるのです。
戦いに背を向けた卑怯者と言われ、女同士でまぐわう薄気味の悪い者と言われ、挙げ句の果てには、独艦娘にも母国語で罵声を浴びせかけられました。
恥知らず。独逸の恥。非国民。出来損ない。
目を吊り上げて怒鳴るビスマルク、塵芥でも見るような冷たい目のグラーフ、唾を吐きかけるプリンツ、近づこうともしないユー。
何もかもがめまぐるしく変化しました。悪い方へ悪い方へと。
拘束こそされませんでしたが二人は反省房へと入れられ、元の鎮守府へ送り返されることとなりました。
無能の烙印を押され、送り返されるのです。役立たず、いえ、上官の悪しき噂を流した性悪の艦娘として。これから先、まともな待遇など望めるはずもありません。
待っているのは叱責、懲戒懲罰、艦娘としての資格と権利の剥奪。
最後にはただの田舎娘として本国へ送り返されるか、あるいは見知らぬ国の片隅で一生を終えるか。あるいは。
あるいは、人知れず異国の地で生を終えるか。
今は戦争中なのです、いつ誰がどこで命を落としたとしてもなんの不思議もない。いくらでも話の辻褄を合わせることはできるのです。誰一人味方のいない嫌われ者の異国人であるなら尚更。
反省房の中で、二人は自由でした。狭苦しい、暗いじめじめとした腐臭すら漂う密室ですが、二人は必要なだけ自由でした。
二人は抱き合い、慰め合いました。
やがて確実に来るであろう別れに涙し、絶望し、震えました。
もう別れたくないのです。
失いたくないのです。
ならば。
いっそ失うくらいなら。永遠の別れを刻むくらいなら。愛する者の記憶だけをよすがに長い時を生きるくらいなら。
扉が開いた。
施錠されていたはずの扉が開いた。
反省房とは閉じ込めることが前提の部屋、拘禁室と呼ばれてもいいはずの部屋。
最後の情け、あるいは意地の悪い試金石。それとも酷すぎる偶然。反省房から繋がる倉庫には、取り上げられたはずの二人の艤装までもが無造作に置かれていたのです。
「もう、僕は嫌だ」
レーベは想いを告げます。
愛の告白でなく、懺悔でもない、二人の計画。これから迎える悲惨な時間を耐え凌ぐための計画を。
マックスは受け入れます。
夢を叶えるためでなく、未来を語るわけでもない、二人の予定。これから始める永遠の逃避行。
レーベとなら。マックスとなら。
二人なら。
僅かの時間愛し合った物語を永劫と置き換えても構わない。
一緒に行こうと二人は誓いました。
艤装を繋げ、火を入れ、実包を確認します。
実包の存在は、奇妙な優しさを二人に感じさせました。
それが自決と呼ばれるものであろうと。いえ、呼び名などどうでもいいのです。
二人は一緒になれる。いつまでも一緒にいられる。それが全てです。誰に理解されることも無かったとしても、互いが互いを理解していればいい。二人だけで完結する世界こそが全てなのです。他には何も、誰もいらない。艦娘も深海棲艦も戦争も鎮守府も日本も独逸も関係ない。二人だけの閉じた永遠の世界。
残酷なほどに甘美な優しい、完璧な世界。
「一緒だね」
「ええ」
二人は同時に、砲撃を。
「……満足に自決もできねえのか、こいつら」
木曾は大きくため息をつきました。
高速修復材を薄めて満たしたドラム缶が二つ。
簡易入渠に似てはいますが治癒効果はありません、ただの延命、時間稼ぎです。
ですが、元の鎮守府に届くまでは保つでしょう。そこで正式な入渠を行うのです。そこに二人の……レーベとマックスの意思は関係ありません。
運ばれていくドラム缶に付き添うビスマルクへと木曾は声をかけました。
「こっちは気にしちゃいない。あの二人が特別なんだ、あんた達独逸組全体ががどうのこうの言うつもりは無いよ」
「ダンケ。そう言ってもらえると、助かるわ」
「ただ、すまねえが、後任は手っ取り早く頼む」
「ええ、わかってる」
心中のし損ねが入渠施設に放り込まれたと聞いて、皆はこぞって見に行きました。娯楽の少ない田舎の鎮守府ですので、醜聞、それも不様な心中未遂だというのならば皆が目の色を変えて飛びつこうというものです。
小さな鎮守府のこれまた小さな入渠施設では、入渠を終えたらしき艦娘……レーベがうずくまって、艤装の一部でもある制服を濡れたままに座り込んでいます。不思議と一人きりなのは、心中相手……マックスの入渠がまだ終わっていないからのようです。小さな身体で震えています。とはいっても、震えている理由は寒さだけではありません。
施設の外からのぞき込む艦娘達の顔が増えるにつれて、震えるレーベの頭はどんどん下がっていきます。それはあたかも罪の重さ、あるいは恥ずかしさに耐えかねたようでもありました。
やがて五十の少し前に見える提督が、制服を着崩した姿で悠然と出て来ました。夕食代わりの晩酌の後らしく、赤い顔をピカピカ光らして、レーベの前に置かれた椅子にドッカリと腰をかけると、酔眼朦朧とした身体をグラグラさせながら、ニヤニヤとした顔で言いました。
「自分がなにやったかわかってるのか? お前」
レーベは何も言えません。言えるはずもありませんでした。
「ったく、寂しいなら言えばよぉ、男一人くらい工面してやるってのに」
そういうと、提督は大声で下卑た笑いを発します。
「なんで選りに選ってちんちくりん同士で……わかんねぇなぁ、独逸は」
最後の一言で、何人かの艦娘……欧州の一部の海外艦たちが笑い出しました。
レーベは俯いたまま、震えていることしかできませんでした。
だけどそれは、これからの始まりに過ぎないのです。
夢野久作「いなか、の、じけん」「スイートポテトー」が元ネタでした