自分の事をNTRエロゲの竿役だと思っているおじさんVS幼少期から光源氏(動詞)されたが嫌いになるわけないシスター 作:心理的継続性を持つおじさん
──恋は麻疹のようなもの、
老いてから罹ると始末が悪い──
だれが言ったかその言葉、しかしていまのおじさんにはぴったりの言葉だった。前世も合わせれば何十年も積み上がった恋情は果たして如何ほどのものなのか?どうして、こんなにも駄目なシスターを愛しているのか。それを一先ず知って欲しい。これは、おじさんがとても面倒な麻疹に罹る前のお話であり、おじさんが麻疹に罹るまでのお話である。
前世を思い出す前、まだシスターがやんごとなき身分に据えられていた頃、2人は出会った。おじさんはまだ若く、しかし現実をよく見ていた。この頃のシスターはまだ大人しく、優しく、達観していた。自らの境遇を受け入れる少女を当たり前のものだと見ていたのだ。
シスターはやんごとなき身分と特別な力を持つ。人は生まれに神秘性を見出すことが多分にある。身分と、それから特別な力はあらぬ神秘を見出すには十分な下地だった。人、それを運命と呼び祝福する。自ら望んだわけではないだろうに。頼んだ覚えなどないはずなのに。
生まれながらに祝福された少女はしかし、自らの境遇を理解し達観していた。諦めていたとも言うだろう。窓から眺める鳥に自分を重ねること幾千度、空を流れる雲に涙を合わせること幾万度、少女は何もかもを諦めていたのだ。それは寂しい人生だった。子供に課すにはあまりにも厳しい夜を過ごしていた。
そんな折、おじさん(若)とシスター(幼)が出会う機会があった。年の差が数十と離れているのに紹介された婚約者の一人として。何もこんな大人を候補にしなくてもと内心溜息を吐いたおじさん(若)は、改めてシスターと話をした。他愛のない、互いに興味がないからこそ出来る雑談であった。
『殿下は大人になったらやりたいことはございますか?』
『やりたいこと……ですか。お国を良くしたいですね』
『はははっ、素晴らしく
軽い含みで返すおじさん(若)だが、本当に興味が無かったのだ。やんごとなき身分に取り入るという考えもないことはなかったが、だからといって齢十数も満たない子供を神輿に担ごうとは思えなかった。人としてのかろうじてあった理性が咎めたとも言うだろう。
だからこそ、続くシスター(幼)の言葉はあまりにもあんまりだった。それすら許されない場所ということさえ忘れて、同情した。一人の少女として同情してしまったから……
おじさん(若)の歯車は明確に狂い出した。
『外に、出てみたい』
たったその言葉に突き動かされたのは心の中の幼少期のおじさんだ。ガツンと頭を殴られてめまいがしたように頭を押さえた。幼い自分が叫んでいた。泣いていたのだ。自分も同じような生活をしていた時があったから。同じ経験を急に思い出してしまった。貴族というのは大層大切に育てられる。それは出生率の低さや幼児期の流行病で亡くなることが多かったことに起因する。閉じ込められた屋内で、何を思うのか。外に初めて出た時の感動は一生忘れられない思い出だ。
おじさん(若)は貴族だ。本来閉じ込める側の人間で、外に出そうなどと考えるのは重罪だ。だが、泣いていたのだ。小さい自分が窓の外を見ながら泣いていた。そんな姿がシスター(幼)と重なったから、居ても立ってもいられなくなった。
人はトラウマを抱えた時、過度にそのトラウマを避けたり、止めようとする。それは同じトラウマをしてほしくないという優しさでもあり、自分のトラウマから逃げ出したいという逃避の気持ちが強いからだ。心理学における心的外傷への防衛機制の一つ『取り入れ、同一視』がおじさん(若)に発生していた。この『取り入れ、同一視』は自分に自信がない時等に有名人と自分を同一視することでまるで自分の事のように振舞うものだが、それは救えなかった自分にも同じことが言える。即ち、救えなかった自分とシスター(幼)を同一視してしまった。あの時、救えなかった自分をシスター(幼)を通して救おうとしたのだ。
『なれば、外に出てみますかな?私はこの婚約が破談になっても構いませんからな』
きっとなんてことはないと思っていたその言葉は、幼い自分が切に欲していたものであり、他でもない自分だからこそ言えたものだ。果たして、それはシスター(幼)も同じだった。まだ見たことのない景色に連れて行ってくれる、それを言ってくれた大人が居たという事実に少しだけ報われた気がした。鳥籠から出してくれる人がいたから、鳥籠の外を夢見たことは無駄ではなかったと思えてしまった。
それからはなんてことのない話である。やんごとなき身分の少女を連れ出そうとした男というレッテルは大きく、少女の必死の嘆願さえなければ今頃おじさんはお/じさんになっていただろう。それでもおじさんに後悔はなかったし、きっとこの先も後悔することはないだろうと言えた。
ただ一つ言えることは。
その幼い顔が花のように開く様に熱浮かされたような気持ちになったということ。
──恋は麻疹のようなもの、
老いてから罹ると始末が悪い──
恋を知るには大人過ぎて、それを切って捨てるにはあまりにも純情過ぎた。大人になって初めて知った恋というのが幼い、親と子くらいの年の差があるなんてどんな悲劇だろうか。内に秘めたる激情を蓋に押し込めるしかなかったおじさんは血迷うことになる。普通の人間では到底考えないだろうもの。かの有名な紫式部が描いた物語の主人公そのままに。
幼い少女を自ら育て、伴侶とする行いである。
代わりとなる女性が見つからないから自分で育ててしまえば良い。そんな半ば狂気とも言える行いは通ってしまった。成功してしまった。おかしいだろう。本来、重罪でしかるべき男とやんごとなき身分の者を鉢合わせる等とあってはならないはずである。
それはおじさんが頑張ったのもあるが、それ以上に麻疹に罹った者がおじさんだけではないということだ。
麻疹は熱に浮かされ、発疹や鼻水、目の充血といった症状があり、最悪の場合死に至る。子供のうちに罹っておけば免疫がつきそれ以降はあまり罹らなくなる。現代で言えば麻疹のワクチンがそれに該当する。予め比較的無害な麻疹を身体に入れて、免疫を付けているのだ。
恋は麻疹のようなもの、一度は罹る病である。だがその症状の重さは人によって千差万別であるし、この世界では未だ医療が発展途上の為に高い致死性を誇る。つまりはこの世界では、一度でも罹ってしまうと死に瀕するような重いものであり、それは恋にも言えるのである。
それは未だ恋とは言えない淡いものかもしれないが、後々膨れ上がり、重い、想い症状を引き起こすだろう。それをこの世界の人々がなんというのかは知らないし、まだ若いのだからという一言で片づけてしまうかもしれない。今も昔もシスターはまだ年若く、人は間違いをする生き物だから。その恋心は過ちの一つで片づけられるかもしれない。前世を知るおじさんならばこういうだろう。
『恋は麻疹のようなもの、若いうちは軽く済む』
前世を思い出してもその激情を抑え込んで接しているおじさんが言うと確かな説得力があるだろう。いや、前世を思い出したからこそこの激情を抑え込まなくてはいけないと思ったのかもしれない。十中八九そうだろうが、それでも膨れ上がる熱を抑え込んでる姿は健気としか言いようがない。
それはさておき、こんな人の想いを無下にするどころか、自分自身を棚上げして自業自得の末だというのに今際の際で踏ん張ってるおじさんに対して、シスターがどんな感情を抱くのか。それは今、おじさんとシスターの関係を見ればわかるだろう。
「不可抗力ッ!不可抗力だからッ!」
「どう見ても故意ではないか!?」
馬車、王城へと向かっている最中の事。魔物達に(シスターの計画で)足止めされてしまったおじさんとシスターは馬車の中で一夜を過ごすことになった。いや、最初はおじさんが降りて臨時のテントの中に納まろうとしたのをシスターが馬車の中へ引きずり込んだのかもしれないが、それは兎も角としておじさんとシスターは一つ屋根の下を共にすることになった。
そんな馬車の中、必死にズボンを引き下げようとするどこぞの小学生男児のごとき行動に出ているのは世に聖女と謳われる清楚なお方である。決して、殿方のズボンを涎を出しながら引き下げよう等というはしたない姿はしていない。しかし、この世にシュレティンガーの猫というある状態とない状態が二つ重なり合っているものを指す言葉がある。それに則るならば、馬車を外から開けるまではシスターは清楚である状態と清楚ではない状態の二つが混在しているのではないか?
つまり扉を開けるまでは不確定清楚状態だから、このような痴態をさらけ出しても問題ないのだ。
「先っちょ!先っちょだけっ!」
「おまっ!どこからそんな言葉覚えてきた!そこに座りなっ…力つよっ…!」
「私は大人だから問題ないのだ──ッ!!」
恋は麻疹のようなもの、重い軽いの違いはあれど罹ってしまえば同じだろう。どちらが始末に悪いかは……意見が分かれるところであるが。
おじさんがおじさん足り得る所以の話であり、シスターがシスターになる所以の話……なんだけど、これ絶対に原作NTRがただの純愛の話になるんよね?まぁ前世思い出さなかったらそのまま我慢できずに途中で手を出そうとして嫌悪感与えるからある意味こっちのほうが良かった迄ある。
次回からまたギャグ回!