自分の事をNTRエロゲの竿役だと思っているおじさんVS幼少期から光源氏(動詞)されたが嫌いになるわけないシスター 作:心理的継続性を持つおじさん
書かないと本当に書けなくなりますわね……リハビリがてら続けていきます。
「
「な、なんと?」
人間は自身の思考を深く巡らせるとき、不思議と母語を主体に考える。それは生まれた時より親しんだ言葉であると同時に、自ら、そして他者を区別せしめた最初の言語だからだ。自分自身を確立するということは、他者と区別するということである。その第一歩となる発声、パパ、ママと他者を呼び始めた時、自らが確立される。我思う故に我ありならばこうとも言い換えられるからだ。他者思う故に他者あり、自分を思う事と他者を思う事は本質的には同じであり、自己の確立は自我が芽生えた時に始まるのではない。他者を区別した時より始まる。
小難しいことを言ったが、ようは人間本心で物事を考える時は生まれ育った言語に依るということだ。
キーウィの母語はちょうどラテン語に近い系譜にある為、近い言葉に訳すとこうなる。一度発言した言葉は飲み込めない。それは政治家が不用意な発言をして謝罪する事になったように。人間は後戻りできず、そして愚かだ。一歩違えば奈落に助走をつけて新体操の跳馬をするようなチキンレースすら厭わない。
そう、奈落への跳馬はすでに始まっている……。
先手、キーウィ選手が助走をつけた。今までの親しげな物言いとは打って変わった政治的なニュアンスを多分に含んだ政治パフォーマンスだ。
「貴公はもう少し智者だと思っていた……。その言葉がどのような意味を持つか。至らぬ思考の持ち主ではないとね」
そう、キーウィの人脈に手を付けるということは、帝国の実質的な不死者もとい支配者の縁を欲するという事。帝国においてキーウィと親しくなり、その縁を欲するということは帝国を支配したいという次代の皇帝を望んでいることに他ならない。
おじさんはキーウィの本質を突こうとして帝国の闇を突いてしまった。
皇帝は存在しないとされる。居たとしても形式的だ。それは実際はキーウィという黒幕が国を支配している為に必要とされないからだ。実質的な指導者は他に居るから、本来の指導者の地位はお飾りのものとなる。だが、装飾品に成り下がろうと皇帝は皇帝だ。シスターがそうであるように、世が世なら大体の人を顎に使えるという便利なものである。
おじさんはうっかりラーメンの為に帝国を捨てろと言ってしまったのだ。
だがしかし、おじさんは長年の社会人経験から話しのキモを見抜いていた。この話の間違いに、その言葉のすり替えに……!この話、店舗移転の対価に経営権をよこせというような話ではない。それはあくまであちらの事情だ。こちらは不本意ながらラーメン屋の主人であり、価値はラーメンの腕である。つまりはその技術、ブランドだ。そのブランドの対価はどうするのかという話であり、断じて『テメェ、ウチの経営権よこせとか舐めた事言ってるとドタマカチ割ってチベットあたりの珍味にあるようなサルの脳みそ料理みたくすっぞ』というような話ではない。
おじさんもまた奈落への跳馬へ乗った。助走をつける。
「私が帝国の地位を狙っているワケではない。私はこの領地に全てを捧げる覚悟がある。それはキーウィ殿が持つ人脈を求めるほどの価値がこの領地にあると信じているからだ。」
そう、この話のキモはおじさんが領地を離れてしまうからそれに釣り合う対価を差し出せと言っているのだ。断じて帝国全てを顎で使える地位をよこせとは言っていない。ただ、おじさんがキーウィの元に行くのなら、それくらい差し出してもらわないといけないよということだ。あくまでラーメンの価値を決めるのはそちらであり、こちらが出した対価に乗るかどうかはキーウィの方だ。
この話の主導権はおじさんにある。別におじさんは断ったって構わないのだ。何故ならそれで困るのはキーウィだ。さっきの話は帝国の地位を狙う不届き者という立ち位置にしてこちらの立場を弱くし、意見を通そうとしていたということに他ならない。
もちろん、その話も間違ってはいない。キーウィの人脈を求めるということはそういうことだ。勘違いしても仕方がない。そう、勘違いで済ませられる。もし切り返されたとしても勘違いだったよメンゴメンゴと言ってしまえばそれで終わりになるという高等話術だ。もし、キーウィの話が通るなら『勝手にそう受け取って
おじさんはあくまで自分の価値はキーウィの人脈と同じだよと言ってるだけだ。別に嫌なら断ればいいというスタンスを崩さなければこの勝負、勝つことは出来なくても負けることはない。此処を引いてしまえば押し切られて負けてしまう。それだけは避けなくてはいけない。
おじさんは見抜いていたのだ。先の言葉(前話参照)で『君が皇帝になると言われたら私でも困ってしまうからね』と言っていたことを。これはただのポーズ、あくまで冗句の範疇だと。だが、それを引き合いに出されるとキーウィとしても黙っていられなくなる。
キーウィに、自らの
ひとたび言葉を間違えれば帝国と敵対することになる。いや、もうとっくのとうに敵対していい発言だ。なんなら、今ここで武器を向けられ、拘束され、連れ去られても文句は言えない。だが、そうならないのはおじさんに価値があるからだ。
キーウィにとっておじさんの意向に従うことは任意だ。だが、それでも出来得る限り意向に沿いたいと考えるのは当たり前のことである。店舗移転で店主に反発にされ、好きなラーメンを作ってもらえなくなっても困るし、味を変えられても困る。円満に店舗移転して快くラーメンを作ってもらわないといけないのだ。
おじさんは飛んだ。それはもう綺麗に跳んだ。奈落への跳馬が始まったのだ。ラディビロフ、前転とび前方かかえ込み3回宙返り。当時7.0という評価を与えられ、後に禁止技とされた高難易度技で高く跳んだ。美しい跳躍、勢いがなければそのまま中途半端に回転し、頭をカチ割ることになる技は実行したその狂気と偉業は不世出の天才と称えられるだろう。
だがしかし、キーウィもまた長年政治という人間蟲毒を生き抜いてきた毒蟲だ。此処で引き下がるわけにはいかない。すべてはラーメンの為。カロリーを求める人間達の為だ。
人間は時に不合理な選択をすることがある。午後休の方がその日の活動時間は長くなるはずなのに午前休を取ったりするように。
そう、朝起きるのは辛いのだ。今日も一日が始まる。仕事が始まる。憂鬱な日が始まると思ってしまうのは朝=辛い仕事という等式が根付いているからだ。だが、それがひとたび午前休を取るとその等式が取っ払われる。二度寝していいし、ガラガラの電車で椅子に座ってのんびりスマホをいじることだって可能なのだ。ちょっと早めに出て、早めの昼食を取ったって構わない。食後の珈琲だって飲む余裕もある。
たとえ午後休の方が実質的な勤務時間が少なくなるとしてもだ。なにせ残業に巻き込まれることはないし、昼からまた頑張るぞという気持ちがなくなる。朝頑張ったからいいやの気持ちで目一杯休む事が出来ようとだ。
人間は不合理な選択をする。それは決して悪いことではないということだ。長年積み上げてきたキャリアをドブに捨てるような行為さえ、それは人間の自由ということになる。自由には責任が伴う。逆に言えば責任さえ考慮すれば如何様にも出来るということだ。
キーウィは今までのキャリアをドブに捨ててラーメンに縋った。永い、永い生を過ごすというのは大変に辛く、この世に存在するほぼすべての刺激を取り入れてしまったために退屈な日々を過ごす羽目になった。それは一年がまるで一時間よりも短く感じる事であり、時間間隔すら曖昧になるという事。いつの間にか誕生日を過ぎ去る事はザラではなく、なんなら毎日が誕生日な気さえする。誕生日なんて一年に一度しかないから喜ばしいことなのに、毎日がハッピーバースデー等と宣われたら、頭がハッピーにバースデーしてしまう(?)
この世は地獄だという人も居るがキーウィにとってそれは事実だった。人間に寿命があるのは飽きという最大の罪業から逃れる為だったのだと知ったのはもうずいぶんと手遅れになってからだった。生きるというのは最大の苦行であるとはだれも教えてくれなかった。
そう、これこそが神から与えられた罰なのだ。だが、はたから見ると死なないというメリットがデカすぎて成った者にしかその辛さは気づけず、かといってどれだけ辛いかを語ってもただの自慢にしか聞こえないから最悪だった。
もう、うんざりなのだ。そんな時に人生の一時をすべてぶん投げて今後の未来さえ不法投棄するようなカロリーの爆弾に出会ってしまったなら、それはもう運命だ。偶然ではなく必然であり、変えられようのない自然の摂理だろう。
何が言いたいのかというと、もう助走をつけてしまったからには跳ぶしかないということである。
キーウィはその対価に了承した。頷いたのだ。
シライ2、伸身ユルチェンコ(側転しながら後ろ向きに跳ぶ方法)3回半ひねり。こちらもまた禁止技に指定されたものであり、下手をすると地面に両ひざニードロップするような技である。
両者、奈落へのチキンレースを踏み外し、互いに飛んでしまったばっかりに今際の際の技の評価に主軸が置かれるようになってしまった。もう互いに引けなくなってしまったから、これから先は本人たちですらどうにかなるかわからない。
おじさんは領地の為にハッタリで帝国差し出せと言ったら通ってしまったばっかりに、キーウィは自らのラーメンの為に売国奴になった。どちらも、此処までするとは思っていなかったから、キョドりながらもうノリで進むしかなくなる。
吐いた唾は飲み込めない。必死に地面に吐かれた唾を舐めとろうと、拭い去ろうと湿った地面は戻らない。
かくして、原作は崩壊した。
「……良いだろう。君がそういうのであればそうしよう。少しばかり時間をくれないかな。話を付けてくるから。だが、言ってしまったからにはもう戻れない。それを努々忘れてはいけない」
どの口が言う。負け惜しみですらなくただの最低の自業自得だが、おじさんもまた最悪の自業自得だったから両者は対消滅して屍を晒すことになった。
審判すら唖然として何も言えない。なにせ、最悪の政治犯が目の前にいるからだ。観客もまた絶句した。自分たちの国を裏から支配するフィクサーだと理解している帝国の役人達の絶望は計り知れないだろう。おじさん達側の役人でさえ、同情するしかなかった。
この場に居る全員が死んだと思った。これから先、起こってしまう内乱、政治闘争、そして国家間の争いに生き残れる気がしなかったからだ。
だからこそ、そんな時にこそ神は救いの手を差し出すのだろう。
この場に居る人々を神は決して見捨てはしない。もう後に引けなくなってしまった大事故はさらなる大事故で隠蔽するしかないのだ。
すなわち、聖女様の介入である。