王子の婚約者である私ですが、ヒロインを全力で支援します 作:幸イテ(旧名:kouta)
「……『獣除け』でスタンピートを起こせるですって?」
聞き返してしまったのも無理はないだろう。ホープ家のアーニャから告げられたスタンピートを起こす方法は、全く想像していなかった切り口であった。
遠い過去、我が国では獣の被害が頻繁にあった。街中では流石にないが、問題は街と街を結ぶ街道だ。作られた街道の中には獣の住処である森の近くもあり、その周辺は危険地帯となっていた。当時はその対策として、危険区域には兵士を配備していたが森は広い。とても全てをカバーしきれなかった。
そこで開発されたのが獣が嫌う匂いが凝縮された『獣除け』である。人の場合、直接かがなければ匂いを感じないのが良い所で、嗅覚に優れる獣だけに効果がある優れものだ。
ヴォルフ、ワイルドボア、角グマ、人に害を与える獣達を軒並み追い払ってくれる。特に角グマは他の二種と違って生息地域こそ限定的だが、圧倒的な体格から繰り出される攻撃は凶悪極まりなく、その固い毛皮を貫くには専用の装備が必要になるほどだ。
『獣除け』はどろっとした液状で日持ちも良く、街道の両脇に等間隔に配備された石柱に塗りつけられている。石柱の上には屋根が設けられており、雨の日に流れ落ちてしまう心配もない。これによって街同士の移動がかなり安全になった。『獣除け』が開発されなかったら、我が国の発展はまだまだ遅れていただろうくらいには、画期的な発明であった。
「獣の住処に『獣除け』を塗りつけて、住処から追い出すって事でしょうか?」
ソアナに扮するソフィアが具体的な方法について意見するが、本人も半信半疑と言った様子であった。一見するとソフィアの案は可能だと思えるかもしれない。だがよくよく考えるとかなり非現実的なのが分かる。
「オルフが危険を冒してまで森に獣除けを塗りに行くとは思えないわ」
「それ以前に森が広すぎる。『獣除け』の量が足りないのはもちろんの事、森をすべて歩き回るなんて到底不可能だ」
私の返しにアベルもとい、アルベルトが続いた。
「ええ、ですがそれは『獣除け』を本来の使い方をした場合ですの」
思わせぶりなアーニャに私は問いかける。
「別の方法がある、と?」
「商人達に聞いた事があるのです。『獣除け』の別の使い方について。商人達は時に隊商を組んで街から街へと移動します。その際途中で野宿する事もしばしばです。街に行っても人数が多すぎて宿が取れない事だってありますからね」
「野営の際は別途『獣除け』を利用するのは私も知っているわ。でもそれは普通の使い方よね?」
野営の際は広い場所が必要のため、それなりに街道から離れる事になる。それでも『獣除け』の効果の範囲内ではあるが、距離が遠い分しっかり薄まってはいる。それ故、安全を高めるために追加で『獣除け』を利用しているのだそうだ。
「ええ、基本的に普通の使い方で問題ないそうですが、問題は食料を沢山積んでいた時ですの。『獣除け』の他にも色んな食べ物の匂いがあって、そちらに負けてしまうのだとか」
「国軍の場合、食料を移送する時は匂いが漏れないように、気密性の高い馬車を利用する、らしいが……」
慌てて『らしい』と付け足すアルベルト、もうアーニャ相手には隠さなくても良い気もするが、常習化してしまうと困るので演じ続ける事とする。確かに他の軍用の馬車は無理でも、食料庫付きの馬車なら一般人でも買う事が出来たはずだ。だが私はあれの抱える問題点を知っている。
「あれは一台の値段が高すぎて、一般の人達には買えませんわ。それに……」
「それに?」
「馬車自体が重すぎて却下との事です」
「そういう事よね」
気密性が高いという事はそれだけ隙間なく詰まっているという事だ。匂いを断絶させるために壁が分厚くなる。その結果重くなるわけで。
重いと何が困るのか、その理由は単純明快だ。移動コストが増える。より具体的に言うと馬車を引く馬の数が増える。個人的に馬はとても可愛くて好きだが、飼育費はかなり高額だ。貴族でも沢山飼うのは躊躇するほどなので、商人にとってはなおさらの事だろう。
「だから商人達は考えたのです。普通の馬車で安全を確保する方法を」
アーニャは指をびしっと立てて、その答えを明らかにした。
「商人の編み出した方法、それはずばり『獣除け』を燻す事です」
「『獣除け』を……」
「……燻す?」
思わず聞き返した私とソフィアであったがすぐにはっとなった。だが一足遅かったらしい。最初に言葉を発したのはアルベルトであった。
「つまり気化させるという事か!」
目からうろことはこの事だ。街道を守るためにはなるべく長く使えるものにしたい、そう望まれて『獣除け』は濃い液体になったわけだが、匂いが最も効果を発するのは気化する時なのは言うまでもない。風上から野営地に向けて撒けばその一帯は安全という訳だ。
「何日も効果を持つ液体とは違って、燻した分はその日で使い切ってしまいますが、そもそも『獣除け』自体さほど高価なものではありません。安価で効果が絶大、これを利用しない手はないでしょう」
聞くだけ便利な新利用法だが、アーニャは一つ付け加える。
「ただこの方法を利用する際、一つだけ注意点があります。森に向けて匂いを送らない事です。森に住む獣達がパニックに起こしてしまう可能性が高いですから」
「風向きには注意しなければならないという事ですね」
ソフィアの回答を聞きながら、私は内心舌打ちをした。それは誰でもない、自分自身に対する苛立ちであった。セイファート家の密偵達は商人の扱うモノには注視していたが、彼らの生活そのものには無頓着であった。だからこんな画期的な方法が生まれていたのに、今の今まで知らないままであった。
これは密偵達が悪いのではない。商人達の実態調査を命じなかった私達が悪い。知ってさえいればもう少し早くこの答えに辿り着けていただろうに。
荒唐無稽であったはずのスタンピート案が一気に現実味を帯びてくる。
「人為的にスタンピートは起こせるのね」
言葉にするとずっしりと心が重くなった。
「一度も試した事はありませんので、確実とは言えませんが……」
意図的にスタンピートを起こそうという酔狂な者はいない。その結果誰かが死ぬかもしれないのだ。検証者が0なのは当たり前の事であった。だから実際どうなるかは分からない。杞憂で終わるのかもしれない。しかし、
「可能性があるだけで十分脅威だ」
そういう事だ。アルベルトの顔に安心の二文字はなかった。
正直な話、まだまだ可能性としては薄い。まずはオルフがこの方法を知っているか分からない事が挙げられる。案として思いついているのであれば、やれるかどうか少なからず調べるだろうから、半々と言ったところだろうか?
しかしながら仮に方法を知っていたとしても、準備自体はそれなりにいる。方法自体は容易くても、スタンピートを起こそうというのなら『獣除け』の数は相当の量がいるし、運ぶためには人だって必要となる。単独犯ではまず無理だ。
でもやろうと思えば出来なくはない。それだけで私達の危機感は上がり続ける。
「皆さん、あれ」
ソフィアが指差すところに視線を向けると、コニーやロクとは別の伝書ガラスが来ていた。カラスにまかれていたのは白のスカーフ、レステア領の調査していた班からであった。
ふと、何か嫌な予感がした。
窓の外で待機しているのを招き入れると、早速アルベルトは文を読み始める。待つ時間が妙に長く感じられた。彼の表情が徐々に険しくなるにつれて、私は自分の予感が当たってしまった事を理解した。
顔をあげたアルベルトは大きく息を吐くと、困ったように呟いた。
「どこから話したものか……」
どうやら悪い話は一つだけではないらしい。
「まず何故教会の方で、オルフがレステア領からいなくなった事に気づかなかったかについてだが、オルフはずっとレステア領にいたとの事だ」
私を含め、皆が皆、困惑に表情を浮かべる。最初から訳が分からなかった。ではフローレル男爵家にいたオルフは一体何者なのか。レステア領に残っていたオルフ、フローレル男爵家に滞在していたオルフ、これを両立させるのは一つしかない。
「オルフは二人いたって事ですか?」
ソフィアの問いにアルベルトは頷いた。
「ああ、彼の偽物がレステア領で暮らしていたらしい」
衝撃的な事実が明らかになり、私達は眼を見開く。
「オルフは追放されてから一年後、自分と同じ背格好の者に家を譲っていたとの事だ」
「入れ替わったという事? 随分と大胆な事をするわね。でも教会では少なくとも半年に一度、逃げ出していないか調査していたのでしょう? いくら見た目が似ていたとしても会話すれば分かりそうなものだけど」
「それについてだが、調査方法は面会じゃなくて遠くからの監視だったそうだ。司教を傷つけたとされているオルフは神官達から酷く嫌われている。直接会わせるのは危険だと教会で判断したらしい」
教会の判断が悉く悪い方に作用している事に私は苛立ちを隠せなかった。色の真実を知らないという前提からして間違っていたのだ。それによる危機感の差がもろに出てしまっていた。
「調査に行っていたのはあまりオルフとは面識がない神官達だそうだ。古くからの知人ならともかく、遠くからでは偽物だと分からなかったのだろう。真実を知る者は高齢者が多く、遠い地であるレステア領まで行くのは厳しかったらしい」
自分達も前司教のカリスマ性に魅せられていていたため、表立って非難は出来ないが、それでももうちょっとどうにかならなかったのかと思ってしまう。
「その偽物はどういう経緯で入れ替わりを受け入れたのですの?」
アーニャの質問はかなり重要だ。入れ替わった者の動機がどうであったのか。オルフの事を知った上でそれを受けたのか。
「その者は火災で家を失った者らしい。オルフは自分は引っ越すからこの家を使ってくれと持ちかけたそうだ。だから入れ替わって欲しいと言ったわけじゃない。その者にとっては善意を受け取っただけ。知らずのうちに入れ替わっていたが正しい」
上手い手だと思ってしまった。オルフは自分の正体を明かさずに善意だけで騙した。その者は譲ってもらった以上の情報は持っていないだろうし、オルフはリスクを全く負わずに最大のリターンを得たわけだ。
「……監視の存在を見抜いていたって事ですわね」
「直接話しかけに来ないと分かれば、見た目がそこそこ似てさえいれば、普通に住んでもらうだけで入れ替わりが成り立ってしまいます」
アーニャとソフィアが言う通り、これはオルフが神官達の行動を見抜いて、実行した可能性が高い。
「オルフがレステア領にいた期間はほぼ一年なのは確定したが、聞き込みによると周囲からの評判は良かったらしい」
意外な事実に私は何て言っていいか分からなかった。これまでは如何に最低かばかり聞かされてきたのだ。切り替えるのは難しい。
「少なくとも私にとっては最低でしたが……」
アーニャからはそうなっても仕方がないだろう。ホープ家の苦難を作り出した張本人なのだから。そしてそれは私も同じ。私だってフランの事があるのだ。フランを選ばなかった私にはその資格はないのかもしれないが。
「しかし評判が良いって事は協力者とかも……」
ソフィアの懸念は当たって欲しくない。だが私の勘は告げていた。オルフはレステア領で独自のコミュニティを気づいたのだと。
「……フローレル男爵とオルフを引き合わせたのは、レステア領からのオルフの知人達だったそうだ。困ってそうな男爵を見て、物知りのオルフなら手助け出来るのでは、そう思ったらしい」
「それって……」
フローレル男爵が本物のウェンディが死んでどうしようか、途方に暮れていたって事だろう。レステア領に来ていたのはウェンディが療養しているという設定にするためのだったのだろうか? ずっと隠し通すのは無理だが、少なくとも時間稼ぎにはなったかもしれない。
それにしても何て間が悪いのか。レステア領の人々は善意だったのだろうが、合ってはならない二人を引き合わせてしまうなんて。
「これまでは過去の話だが、今現在進行形で悪い話がある」
アルベルトの表情が一際険しくなる。これこそが本命なのだろう。思わず私はソフィアと顔を見合わせる。ソフィアもアルベルトの抱える深刻さを感じ取ったらしい。私は心の準備をした後、アルベルトへ先を促した。
「ここ最近、レステア領で若者達がいなくなっているらしい」
「何ですって!?」
叫んでしまったのも無理はない。それは考えうる限り最悪な報告だった。
「数としては10人前後と聞いているが、これから調査すればまだ見つかるかもな。オルフが素性を明かしたかもはっきりしていないし、彼らがオルフの元に向かったのかも分からない。だがあえてここは最悪を想定しよう。
この者達がオルフの信望者と仮定した場合……
もはやスタンピート計画は夢物語じゃない」
誰もが息を呑んだ。
オルフのその性格から、一番得るのが難しいと思っていた味方がすでにいる。評判が良い事から薄々察してはいたが、共犯者がいるのだとしたらその危険さは大違いだ。10人程度なんて高をくくってられない。10人もいる、だ。
まずい、と直感的に思った。
悪い情報が立て続けに入ってくる。それはまるで堰を切った貯水池のようであった。一度でも崩壊してしまうと流れは止まらない。そのすべてを流し切るまで。
私には今の流れがここで止まるとは思えなかった。これからもっと悪い何かが起こる。そんな予感が頭から離れない。どうにかしてこの空気を変えなければ、そう考えた直後の事だった。ホープ子爵が血相を変えた様子で部屋に飛び込んできたのだ。
「大変ですぞ! たった今ベルナール領でスタンピートが起きたと」
どこか驕りがあったのだろうか。臆病者であるのなら最後の一歩で踏みとどまると。
私達は一歩、遅かった。
今回もお読みいただきありがとうございました。
事故は起こるさ!
という事でスタンピートは防げませんでした。多分、皆さん予想していたかと思いますが。
ここで一つお知らせです。
本当は今の第三部が最終章のつもりだったのですが、ここに来るまでに思ったよりも文量が積み重なったため、ここで一度区切って、次からの話を第四部に分けようと思います。
こうなったのも、モルガンとアーニャ(ホープ家)が想定以上に頑張ってくれたおかげ(?)です。二人ともありがとう。
と言っても、本筋の展開自体は元のプロット通り進みますのでご安心ください。
次回の更新はいつも通り木曜日を予定していますが、今週は少々私生活が忙しく、間に合わないかもしれません。もし木曜日に更新がなければ【次の月曜日】になるかと思いますので、その時は少しだけお待ちいただければ幸いです。