「彩歌くん、一緒に遊園地に行きませんか?」
「それはまた、急なお誘いだね」
夏の暑さもようやく引いて来た初秋の朝。日課のランニングを終えた彩歌が、ピアノの手入れを始めようとした時に滑り込んで来た着信。すっかり見慣れたその名前を視認し、すぐに応答した矢先に通話先の菜々から真っ先に告げられた第一声が、これであった。
「朝方から急な話ですみません。でも、なるべく早く連絡した方が彩歌くんも予定が立てやすいかと思いまして。それで、如何でしょうか……?」
「ふふっ、菜々らしいね。勿論良いよ」
「やった……! ではっ、日時はどうしましょうか?」
「明日にする?」
「えっ、そんなすぐで大丈夫ですか? 彩歌くんもピアノのレッスン等あるでしょうし……」
「今は先生と家でのレッスンが主だし、直近で大会も無いから都合は付けやすいんだ。まぁ、先生に話したらむしろ行ってこいって背中叩かれそうだけどね」
「あははっ、何だか想像出来ちゃいますね」
「だろう?」
大笑いながら背を叩く詩音の姿を想像し、2人は電話越しに笑みを零す。菜々と2人きりで出掛ける事自体は初めてでは無く、幼少期から何度も繰り返してきた出来事であるのだが、彼等の関係性が変化した今、それはまた別の意味を内包するようになっていた。
「ところで……これはデートのお誘いと受け取っても良いのかな?」
「うぇっ、ひゃ……その、はい、そうです……」
「おや、素直に認めるんだね」
「さ、最初からそのつもりで誘ってましたからっ。直接言われると、照れちゃいますけど」
「そう言われると実感するよ。俺達、両想いになれたんだなって」
「ふふっ、そうですね。ずっと一緒に居たから、あまり特別感は感じませんが……確かに変わったんですよね。私達」
噛み締めるようにそう呟く菜々に、彩歌は電話越しに首肯を返す。長年『幼馴染』としての関係を続けていた2人であったが、少し前に『恋人』として再び縁を結び直していた。長年互いに想い合い、傍に居たいと願い続けてきたからこその当然の帰結ではあったのだが、いざ意識してみると中々気恥しさもあったり、学校内だと菜々の多忙さ故に部活の場以外で会える機会が少なかったりと、恋人らしい事が出来ていないというのが実情であった。
「そういえば、告白してから一度も2人きりで出かけた事が無かったね。何処へ行くにも、同好会の皆と一緒だったし」
「そうですね。勿論、皆さんとお出かけするのは凄く楽しいです。でも偶には……その。誰にも邪魔されない、2人きりの時間というのも大切だとは思いませんか……?」
「2人きりか……うん、その通りだね。俺、菜々とやりたい事がいっぱいあるんだ。明日は少しわがままに付き合わせる事になるけど、それでも良いかい?」
「はいっ。どんと来いですっ!」
弾むような菜々の声に、彩歌は優しく微笑む。少し前まで不安そうな様子だったのに、今はこのハイテンションぶり。まるでパラパラ漫画のように忙しなく感情が移り変わるそんな彼女を、彩歌は愛おしく感じる。
「それでは、また明日!」
「うん。また明日ね」
電子音と共に菜々の声が途切れ、受話器を置いた彩歌は軽く息を吐く。まだ明日とはいえ、今から準備するに越したことはないと考えた彼は、自室のピアノに手を掛けながら、今日の行動スケジュールを脳内で組み直し始めるのてあった。
「服、買いに行こうかな」
~~~
「……困ったね。気合い入れすぎたかな」
携帯に表示された時刻は午前10時。集合予定時刻約30分前。気持ちが逸り過ぎたかと彩歌は顎に手を当て考え始める。今日は大事な日なのだからと起床時間から利用する交通機関の時刻までを早めに設定した結果とはいえ、これだけ早く着いてしまうと流石に少し舞い上がり過ぎていないかと彩歌は自省していた。これでは、まるで待ちきれなくて家を飛び出した小学生のようだと。
「でもまぁ、偶には良いか」
ここまで純粋に何かを待ちわびたのは何時ぶりだろうか。自分に厳重に枷をかけていた故に、たった数年前の出来事が遠く昔のように感じられて。記憶の海から掬いとったそれは、今と同じく菜々との思い出。今日のような日に、2人で近くの公園で待ち合わせて、そして。
「彩歌くーんっ! お待たせしました!!」
元気いっぱいの声で、こうして呼びかけられるのだ。
「やぁ、菜々。俺も今来た所だよ」
「それは奇遇ですね! もしかして、待ちきれなくなって飛び出して来たんですか?」
「まぁ、そんな所かな。自分でもびっくりしてるよ」
「実は私も同じなんですよ。家でじっとしていられなくなって、早めに来ちゃいました!」
「ふふっ、菜々らしいね」
「えへへ……彩歌くん。新しい服似合ってますよ」
「菜々もツーピース、似合ってるよ。いつもより綺麗だ」
「ん、んっ……正面から言われると照れますね……」
「……同感」
彩歌と菜々は互いに性根が純粋かつ善良故に、何かを賞賛する際に一切の躊躇をしない。それはお互いに対しても同様であった。故に互いの言葉がクリティカルヒットした2人は、俯いて紅葉色になった頬を隠す。暫く高鳴っていた鼓動が漸く収まって来た所で、2人は互いの服装を改めて見回す。彩歌はカーキのカーゴパンツに白のパーカーと動きやすくラフなスタイルで決め、菜々はワインレッドのトップスとスカートのツーピーススタイル。ローファーとキャスケットで清楚に纏まったコーデは、普段の活動的な彼女のイメージとは違った、年頃の女性としての雰囲気を醸し出していた。
「初めて着るタイプの服だったので、似合ってるかどうか少し不安でしたが……彩歌くんに喜んで貰えて安心しました!」
「俺こそ、菜々に似合ってるって言ってもらえて安心したよ。今日はだいぶラフな格好で来ちゃったから、心配でさ」
「彩歌くんならどんな服でも似合いますよ! それに今日の彩歌くんのコーデ、何だか私の私服に似てるなって思って、嬉しくなっちゃって……」
「……えっ」
彩歌は全くの無自覚で選んでいたのだが、彼の纏う衣服は、奇しくも形状から袖の丈までが何もかも菜々の私服に酷似していたのである。今になって気づいた彩歌は眉間を押さえ、昨日の服選びの際に詩音がやたらニヤついていた理由をようやく理解した。
「その、わざとじゃないんだ。良いなって思った物を選んだら、こうなって、あの」
「ふふっ、分かってますよ。パーカー姿の彩歌くんが珍しくて、ついからかっちゃいました!」
「もう、心臓に悪いな……」
「えへへっ。さぁ、行きましょう!」
「あぁ。早く並ばないと混みそうだしね」
火照った顔を仰いで冷ました彩歌は、自然に菜々の手を取ると入場ゲートへ向かって歩き出す。その行動に菜々は一瞬石のように固まるも、自分達はもう恋人なのだからと思い直すと、握った手に力を入れ返しながら彩歌に歩幅を合わせ歩くのだった。
~~~
「コーヒーカップ・超スパイラル?」
「あまり見ない字面ですね」
園内を周り始めた2人は、まずは気軽に楽しめるアトラクションから攻略する事にした。遊園地らしいパステルカラーの風景が立ち並ぶ中、何故か一際目立つ蛍光色で彩られたコーヒーカップを見つけ、物珍しさに釣られた2人は案内板へと近寄る。刺々しいフォントで描かれたそれには、『回せばコーヒーに混ぜられる角砂糖の気分。まだ見ぬ新回転をあなたに!』と記されており、一般的な同種のアトラクションとは全く違った雰囲気に、2人は少々困惑する。
「乗ってみます?」
「そうしようか。遊園地のコーヒーカップに変わりはないんだし、ここにきて乗らないのも何か損だしね」
「回す力を調節すれば良いだけの話ですしね。行きましょう!」
先陣を切って受付に向かう菜々の1歩後ろに着き、彩歌は改めてアトラクション全体を見回す。やたら刺々しい装飾以外は至って普通のコーヒーカップにしか見えず、聞こえて来る声も和気藹々としたものばかり。激しいのは見た目だけかと彩歌は安堵を覚え、元気良く手を振る菜々の元へと向かった。
「彩歌くーん、こっちですよー!」
「あぁ、今行くよ」
~~~
「成程、これは……」
「普通のコーヒーカップ、だね?」
遂に動き出したコーヒーカップに身構えていた菜々と彩歌であったが、予想に反してその動きは緩やかなものであり、拍子抜けとばかりに2人は身体の力を抜く。
「何処にスパイラル要素があるんですかっ。身体が飛び出すぐらいの勢いを期待してましたのに……」
「まぁまぁ。本当にそんな速度で回ったら、遠心分離機みたいになって怪我人だらけになるだろうし、仕方ないさ」
「ですが、せめて少しぐらい早くても……あれ、何でしょうかこのレバー」
あまりにも普通の回転速度に不満を漏らす菜々とそれを宥める彩歌。むくれ顔のまま菜々がふとテーブルに目を向けると、下に小さなレバーが備え付けられているのを見つけた。何かしらのスイッチかと軽い気持ちで菜々がグリップを引いた、その時だった。
「ちょ、わぁっ!」
「それがスイッチだったの~!?」
お行儀よく回っていたコーヒーカップが突如急加速を始め、2人は遠心力に身体を引かれて折り重なるように倒れ込んでしまう。
「ま、まさか自分で調節するタイプだったなんて……」
「すみません、私がちゃんと説明書きを読まずに突っ走ったばかりに……あっ」
「あー、菜々、その……」
ようやく遠心力に慣れ、何とかレバーを調節して回転を抑える事に成功した菜々。姿勢を正そうと起き上がろうとしたその時、下半身に不自然な重みを感じた。彩歌の気まずそうな声もあり、不思議に思って下を向くと、そこには……
「あはは……不可抗力ってやつかな?」
丁度太ももの位置に頭を載せた彩歌がいた。
「これはまたピッタリの位置に収まりましたね」
「ごめん、今すぐ退くから……」
「いえ、彩歌くん。どうかそのままで」
「へっ……?」
菜々の予想外の言葉に気の抜けた声を上げる彩歌。それもそのはず、予想外の事態とはいえ異性の太腿上に頭が着地してしまっているのだから、大抵は一旦その場を離れようとするものである。しかし、今の菜々はそんな常識など知ったことかと言わんばかりに彩歌の身体を手で押さえつけていた。
「彩歌くん。膝枕、好きなんですよね?」
「え、その……うん。菜々にされる事なら、何でも好きだけども……」
「私限定じゃなくて。元々好きなんですよね、脚」
「え……」
「前、私が彩歌くんに膝枕した事があったじゃないですか。あの時、妙に顔が赤くなってたのが気になって。しばらく観察してたんです」
「そ、それで……?」
「練習の時、たまーに皆さんの脚に目線が行ってましたよ」
「なんてこったい」
菜々から告げられた衝撃の事実。彩歌にとっては、全くの無意識でやった事であった故に困惑が隠せない。もちろん、同好会のメンバーに潜在的に疚しい気持ちを抱えていたわけでもない。スクールアイドルの先達ともいえる彼女達にそんな私欲を向けては失礼千万。万が一そんな事をしようものなら自刃する覚悟である。だが、同好会の緩やかな雰囲気に絆されたのか、それとも自らを縛っていた時期が長かった故か。いつの間にか自制は簡単に緩み、曝け出された僅かばかりの本能が、彩歌を予想外の行動に走らせてしまっていたのだ。
「なんて事だ、いや本当にごめん。はぁ……」
「皆さんは何となく気づいてたみたいです。果林さんなんか、わざと脚を見せて揶揄ってたぐらいでしたしね」
「これは自主退部かな……うんそうしよう、じゃないと皆に示しがつかない……」
「あぁっ待って、早まらないで下さい彩歌くん! 皆さんも私も気にしてませんから!」
「ど、どうしてだい?」
「脚を見ていたといっても本当に時々でしたし、わざとじゃ無いんでしょう?」
「そうだけども……でも、してしまった事は事実だろう?」
「そうだとしても、それぐらいで私達が彩歌くんを嫌いになる訳無いです。貴方は、もう私達の大事な仲間なんですから」
「それぐらいって……良いのかな。そんな簡単に、許して貰えて」
「良いんですよ、彩歌くん。次から気をつけて貰えれば、それで良いんです」
「……あぁ。もうしないよ、絶対に」
甘やかされているな、と彩歌は心中で独り言ちる。自分では到底許せないような失態も、同好会の仲間達は笑って、包んで、許してくれる。あらゆる慈悲を許容せず、自らを罰して生きてきた彩歌にとっては、あまりにも居心地が良すぎる場所。少々大袈裟で気障ったらしくはあるが、楽園とはこういう場所なのではないかと、彩歌は勝手に定義していた。
「彩歌くんは、もう少し素直に甘えるべきです」
「今みたいに?」
「そうです。ですので、そんな膝側ではなくもっと奥に寄ってください」
「だが、それだとまた大分密着する事に……」
「い い で す か ら !」
「りょ、了解……」
菜々のただならぬ圧に押され反撃の機会を失った彩歌は、大人しく彼女の下半身に頭を寄せる。柔軟剤の香りと、彼女自身が纏う石鹸の匂いが混ざり合い、どこか懐かしさを感じさせる芳香が彩歌の鼻腔を満たしていた。顔の半分近くは彼女の身体と密着し、柔らかい皮膚と引き締まった筋肉の組み合わせが彩歌の頭をしっかりホールドする。ふと彩歌が視線を上に向ければ、視界が既に7割程菜々の身体で遮られていた。
「参ったな。これじゃ空が見えないや」
「目に見えるのが私だけじゃご不満ですか?」
「そういう意味じゃないよ。こんなに良い枕を貰ったんだから、空も見えたら最高に良い心地だなって思っただけさ」
「もう……分かりましたよ、ほら」
呆れた表情の菜々が少し身体を仰け反らせると、途端に開けた彩歌の視界に、満天の青空が飛び込んでくる。いつもと変わらぬ晴天のはずなのに、不思議と彼がここ数ヶ月眺めてきた空の中で、1番綺麗だと感じられた。いつもと違うロケーションだからか、それとも膝枕をしてもらっているからか?
「綺麗な空ですね、彩歌くん」
「あぁ、まったくだ。こうも快晴だと黒い髪が良く映えるね」
「金髪の方が綺麗に映えますよ」
「もう自分ので見飽きたよ。俺は黒髪の方が好きだな」
「その言葉、そのままお返ししますよ」
「ははっ、これはやられたね」
コーヒーに溶ける角砂糖のように、彩歌とせつ菜は長いようで短い時間を穏やかな気持ちで過ごすのであった。
~~~
「次はお化け屋敷に行きましょう!!」
「さっきの空気と真逆過ぎて風邪引きそうだよ……」
「それはそれ、これはこれです。遊園地に来たからには、何を置いてもまず楽しまないと行けませんよ、彩歌くん!」
「あぁ、重々承知してるとも。それに、お化け屋敷自体あんまり行った事が無いから、実は結構楽しみなんだ」
「えっ、大雅くんと行ったりしていないんですか?」
「前に行ったのは行ったんだけど、アイツとんでもないオーバーリアクションするから、なんだか行きづらくなってね……」
「あぁ、なるほど……」
屋敷の仕掛けを喰らって飛び上がる大雅の姿が、脳裏に容易に浮かぶ。菜々は思わずくすりと笑みを漏らすと、彩歌の手を取り屋敷へと向かうのだった。
~~~
「おぉ、いい感じの不気味さですね……!」
「そうだね。じっとりしてるっていうか……いかにもお化けが出そうな空気だ」
薄暗い通路を並んで歩く彩歌と菜々。ライトと装飾で作り出された架空の路地を、ゆっくりと進んでいく。その道中、菜々はある計画を実行する為に、屋敷の仕掛けがどこにあるのかを注意深く観察していた。
「(お化けにびっくりするふりをして密着作戦……しずくさんとかすみさんのイチオシのアイデアではありますが、いつでも平常心の彩歌くんに果たして効果があるのでしょうか……? いや、悩む暇はありませんね。私達はもう恋人なのですから、これくらいのハプニングを演出したって良いはずです!)」
「どうしたんだい、菜々?」
「何でもありませんよ。次はどこに行こうかなと少し考えてて……」
「€€*→8♪ ÷5!!!」
「うひゃっ!?」
会話で気が抜けた隙に飛び出してきた幽霊(役のキャスト)に驚いた菜々は、足にバネでも入っているかのごとく飛び上がり、彩歌の方角へと飛び掛ってしまう。そんな彼女を片手で軽く受け止めた彩歌は、愉快そうに口元を抑え笑う。
「ふふっ、してやられたね。菜々」
「うぅ。まさか下から飛び出てくるとは……不覚です……」
「しかし、お化けも中々凝ってるね。飛び出すタイミングが完璧だ」
「顔の皮膚も本当に腐ってるみたいですし、傷もリアルで……特殊メイクの類でしょうか?」
「かもしれないね。前一緒に見た特撮ドラマでも似たような表現があったし」
「2期24話のラストですよね! いやぁ、あのシーンはスーツアクターさんの迫真の演技も相まって、本当に腕が取れてしまったのかと錯覚してしまうぐらいで……」
先程まで飛び上がる程に驚いていたかと思えば、何事も無かったかのように談笑しながら去っていく2人に、屋敷のキャストは心の中で「(驚かせがいが無いなぁ)」と落胆するのであった。
「(あぁぁ、本気でびっくりして抱きついてしまいました……。こんなのムードもへったくれも無いですよもう……! 彩歌くんに気づかれていないだけまだマシでしょうか……)」
キャストのそんな思いは露知らず、菜々は屋敷を出るまで、自身の失態を恥じながら彩歌の腕にしがみつくのであった。
~~~
「中々怖かったね……」
「ええっ、あのポーカーフェイスでですか!?」
「恐怖心というのは、必ずしも表に出るものばかりじゃないよ。心の中ではもうガクブルだったさ」
「流石に嘘ですよ! 視線も逸らしてなかったですし、歩く速さも変わってなかったじゃないですか! それに彩歌くんが本当に怖がってるなら、手を握る時の力が少し強くなっているはずですよ!」
「……そこまで分析されてたら言い訳出来ないなぁ。ごめん、正直途中から屋敷の作りの良さに感激してた」
「ほらやっぱり! 最近ハードめな作品ばっかり見てましたし、ホラー耐性ある程度付いてる筈なんですって!」
「そこかしこからゾンビやお化けが飛び出して来るような作品ばっかりだったからね……ジャンプスケアみたいな演出にももう慣れちゃったよ」
「『大好き』の幅を広げる為の試聴会でしたが、ちょっとタイミングが悪かったみたいですね……」
「それは仕方ないさ。何なら、今度はもっと怖いお化け屋敷に行ってみようか。本気で驚く菜々も見れそうだし」
「言いましたね? こうなったら、彩歌くんが心の底から震え上がるような凄いやつを見つけて来ちゃいますよ!」
「ふふっ、それは楽しみだ」
握り拳を作って気合いを入れる菜々が可愛らしく、思わず笑みを返す彩歌であったが、1度スイッチが入れば何事も徹底的に突き詰めるのが中川菜々という人間。もしかしたら後々とんでもない事になるのではと思い至り、その表情は若干引きつったものへ変わるのであった。
~~~
「菜々、あそこのチュロス屋さんに行かないかい?」
「良いですね。軽食もありますし、ここでお昼にしちゃいましょう!」
時刻は早くも正午前。2人が同好会へのお土産を買うついでに買ったお揃いの猫耳カチューシャを装着して園内を歩いていると、ふんわりとしたシナモンの香りが漂ってきた。匂いにつられて歩けば小ぢんまりとしたカフェスタンドが鎮座しており、ちょうど小腹が空いてきた2人はそこで昼食を摂る事にした。
「割と色々あるね。じゃあ、俺はホットサンドとプレーンチュロスにしようかな。コーヒーはホットで、チュロスはノンシュガーでお願いします」
「私はハンバーガーとグレーズドーナツ、レモンティーでお願いします!」
「あそこの席に座って待ってようか」
「はい! でも彩歌くん、甘い物は苦手なのにチュロスを頼んで大丈夫だったんですか?」
「苦手だけど全く食べられない訳じゃないし、ノンシュガーで頼めば甘くならないかなって。せっかく遊園地に来たんだから、それらしい物を食べたくてね」
「ふふっ、なるほど。どうしても無理そうだったら私が食べるので、彩歌くんは安心してチャレンジしてくださいね!」
「ありがとう、菜々」
2人が会話をしているうちに、出来たての香ばしい匂いを漂わせながら食事が運ばれて来た。
ハンバーガーに勢い良くかぶりつく菜々を横目に、彩歌はホットサンドを齧りながらチュロスを手に持ち、何やら形を見定めるように見つめる。その行動の裏には、彩歌がチュロスを頼んだもう1つの理由が関わっていた。
「(カップルらしく、食べ物の分け合いっこをしたら盛り上がるんじゃないかと思って頼んではみたが、困ったな。長さも太さも意外とコンパクトだし、これを単に分け合うだけじゃ味気無さすぎるかもな……あ、そうだ。大雅が前教えてくれたのをやってみるか。モノは違うけど、確かこうやって……)」
彩歌はホットサンドを手早く平らげると、菜々がハンバーガーを食べ終えたのを見計らって、彼女の肩を叩いた。
「どうしたんですか彩歌くん、やっぱりチュロスは甘すぎ……ふぇ?」
「ん……」
菜々の脳は、一瞬その思考を止めた。それもそのはず、彩歌が何故かチュロスを咥えたままこちらを向いているのである。その行動の意図を読み取るまで約12秒。口元を指さす彩歌のジェスチャーでようやく彼が何をしたいかを理解する事が出来た。
「えっと……ポッキーゲーム、したいんですか?」
「……ん」
ポッキーゲーム。棒状の食品を両端から咥え、互いに齧って何処まで顔を近付けられるか……或いは、キスを楽しむ為の戯れとして行う簡単な遊戯。語源ともなった菓子に習い、一般的には細い食品で行うのが慣例となっているそれを、彩歌はチュロスで実行する事にしたのである。「菜々と恋人らしい何かをしたい」と大雅に相談した所、「お前ら普段から自然に色んなイチャつき方してるから俺から教えられるのこんくらいしかねェぞ」と彼から授けられたアイデアであったが、菜々の固まりようを見るにどうやら失敗であったかと、彩歌はチュロスを普通に食べようと正面に向き治ろうとしたその時であった。
「あむっ……」
菜々が、食らいついた。彩歌の肩を掴み、1口でチュロスの3分の1を噛み砕いてしまったのだ。余りの思い切りの良さに彩歌は目を見開き固まるも、大雅に習ったやり方の通りに端から食べ進めていく。
「ん、んっ……」
だが、ここて問題発生。(当然ではあるが)彩歌は大食い早食いを普段からしない為、一度に頬張れる量が少なかったのだ。故に食べ進める速度は菜々の方が圧倒的に上。あっという間に近づいてくる黒曜石の瞳に、彩歌は気圧される。
「(これ、このままだと、唇がっ……)」
キスを前提とした遊戯だとは理解してけしかけた彩歌であったが、いざその時が来ると自覚してしまうと、高揚と緊張で思考が鈍くなっていく。気づけば、目と鼻の先にさらに食べる勢いを早める菜々。2人の鼻の先が触れ合うか否かの距離に迫った時だった。
「んっ……いたっ!?」
「あだっ……!」
結果として、先に折れたのは彩歌だった。思い切り顔を下に振り、唇が触れる前にチュロスを割ってしまったのだ。その反動でもろに額同士が衝突し、2人は椅子から転げ落ちて痛みに悶える。
「な……なんなんですかっ! あそこまで近づいたらもうキスする流れですよね普通!」
「だとしても、あの速度で迫られたら流石に心の準備も出来ないよ! まぁけしかけた人間が言うのもおかしな話ではあるけどもさ……」
「あれは流石に私でも完全にOKのサインだって思いますよ! せっかく良い感じの……ふ、ファースト、キスが出来ると思ったのに……」
「それは、ごめん。キミの顔を至近距離で見つめてたら、色々と堪えきれなくなって……つい折ってしまったんだ。埋め合わせは必ずするから、許してくれるかい……?」
「なっ……!?」
懇願するような上目遣いと声色。彩歌本人は無意識にやっているのであろうが、今まで見た事のない彼の可憐な仕草にせつ菜の心臓は悲鳴を上げる。自分達と練習していた時に習得していたのか、それとも独学なのか。そんな事を考える暇も無いほどに激しくなる胸の高鳴り。咄嗟に誤魔化す為に、菜々は言葉を捻り出した。
「こっっ……今回限りですよっ。次やったら許しませんからねっ!」
「菜々、顔真っ赤だよ?」
「彩歌くんのせいですっ!!」
「ええっ……?」
不思議そうに首を傾げる彩歌の顔を直視出来ずに、菜々は視線を逸らす。毎日見てきた顔のはずなのに、今は視界に入れるだけで胸の高鳴りが止まらなくなってしまう。チュロスゲームの予想外の余韻に苦しみながら、菜々は温くなったレモンティーを一気に飲み干すのであった。
~~~
腹ごしらえを済ませ、活気をフルチャージした2人は、いよいよ本格的にアトラクションの攻略にかかった。最初はメリーゴーランド。
「彩歌くん、ハイチーズ!」
「ふっ……!」
「あははっ、ナイスショットです! 次は私の番ですからね!」
人造の白馬に騎乗するお互いの記念写真を撮るという事で、馬上でやけに様になるキツネポーズをキメる彩歌。もう何をしても絵になるのではと思いつつ、菜々はスマホのカメラを連写モードに切り替える。最終的に、互いに数百枚に及ぶ相方の写真をゲットする事に成功したのであった。
~~~
お次はジェットコースター。落差100m以上の日本最高峰と言われるだけあって、発車後に周りが恐怖の声を上げる中で、彩歌と菜々はむしろ期待に満ちた表情をしていた。
「おおっ、さすが日本最高峰のジェットコースター。とんでもない高さまで上がって行きますね……!」
「この高さからなら、俺たちは風になれるかもね」
「あははっ。風と言ってもこの勢いなら突風になっちゃいますけどね!」
「ふふっ、俺たちらしくて良いじゃないか。とびきり元気で、暴れん坊な
「えぇ! さぁ、行きますよぉぉぉあぁぁぁぁ!!」
「うぉわぁぁぁぁ!!」
凄まじい風圧を全身で受け止めながら、2人は爆速のコースターと一体となってコースを駆け抜けていく。喉の奥から叫び、吠え、荒れた。
「こ゛れ゛結゛構゛喉゛に゛来゛ま゛す゛ね゛……」
「げっほ、げほ……向こうではちみつレモン売ってたから、買いに行こうか……」
「は゛い゛……」
そんなこんなでコースを1周仕切った頃にはですっかり喉を痛めてしまい、これでは2人揃って風ではなく風邪になってしまわないかと密かに心配する菜々なのであった。
~~~
その後も2人は順調にアトラクションを攻略し、全て周り切るころにはすっかり空が紅く染まり始めていた。
「もう夕方か……そろそろデートもお開きかな」
「そうですね。最後にゆっくり観覧車にでも乗りましょうか」
「ふふっ、最後に残しておいたのはこの為かい?」
「えへへ、バレちゃいましたか。観覧車の中でなら2人きりになれますし……ね?」
菜々が言わんとしている事を、彩歌は瞬時に理解した。ゆっくりと彼女の手を取り、軽く絡める。彩歌の手の感触を感じ取った菜々は、少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「行こうか、菜々」
「……はいっ!」
~~~
「わぁ……見てください彩歌くん! 海が真っ赤に染まっていますっ!」
「本当だね。昼はあんなに真っ青だったのに、まるで燃えてるみたいだ」
「私は……菜々は、この夕焼けが好きなんです。いろんな色で染まった世界が、この時だけはたった1色だけに染まるのが幻想的で、綺麗で。何度観ても素敵だなって思うんです。青空が似合う『優木せつ菜』らしくないから、同好会の皆には言ってないんですけどね」
「そうかい? 夕焼けが好きな優木せつ菜がいても、青空が好きな中川菜々がいても良いじゃないか。どんな『大好き』だとしても、君自身の好きには変わりないんだから」
「ふふっ、ありがとうございます。でも今はまだ、彩歌くんにしかこの事は言いません」
「おや、どうしてだい?」
「今は2人だけの秘密、ってやつです!」
「ふふっ、良いね。ロマンがあるじゃないか」
寄り添って来た菜々の肩を優しく抱き寄せ、彩歌は笑みを浮かべる。昔はよく2人の秘密だというのを口実に何でも共有していたなと彼が想起していると、胸板あたりに顔を寄せていた菜々が上目遣いで見つめて来た。
「その……そろそろ、しますか?」
「……そう、だね」
2人の間に流れる、一瞬の静寂。互いに夕陽よりも赤く染まった頬に、先に手を添えたのは彩歌。口元の高さを合わせる為に、小柄な彼女を抱き寄せようとした、その時であった。
「んっ……!」
菜々が彩歌を逆に抱き締め返した、その一瞬。まず感じたのは、ふんわりと柔らかいマシュマロのような感触。次に彼女特有の薄い石鹸の香り。最後に少し、レモンティーの味がした。
「……えへへっ。告白の時は、彩歌くんに先を越されちゃいましたから。次は私の番ですよ」
「ははっ、これはやられたね」
そう言って照れくさそうに笑う彩歌の脳裏に浮かぶのは、スクフェス終了後の海辺での出来事。2人の関係性が今のカタチに収まったターニングポイント。あの時は彩歌自身の積年の思慕に対するケジメとして彼が先手を取った訳であったが、どうやらその時のリベンジという事らしい。してやったりという顔で微笑む菜々の頭を、彩歌はゆっくり撫でる。嗚呼、なんと愛らしいのだろうかと。
「んぅ……」
「じゃあ、次は俺からだね。菜々、こっちおいで」
「はい。でもその前に……ん」
「菜々……?」
菜々がメガネを外し、三つ編みを解いて濡鴉色の髪をふわりと広げる。前髪を整え、ヘアピンをパチリと留めれば、今までの大人しい雰囲気が一変。菜々……いや、『優木せつ菜』が太陽のような明るい笑顔を見せた。
「こっちの私とも、キスしましょう!」
「ふふっ、もちろん」
元気良く抱きついてきたせつ菜を彩歌が迎え入れると、2人の距離は再びゼロになる。心做しかさっきより熱い唇を彩歌が食むように動かせば、せつ菜が擽ったそうに笑みを漏らし、仕返しとばかりに鼻に口付けを落とす。そうして互いに頬やら鼻やら顔中に接吻しあっていると、ゴンドラのスピーカーから優しいオルゴールの音が響く。
「んむ……もうすぐ、地上に着いちゃうそうですよ」
「みたいだね。どうする?」
「最後に1回だけ、次はこっちで」
そう言うと、せつ菜モードから手早く髪を編み込んだ菜々が、彩歌の両手を握った。
「彩歌くん。心の底から、貴方を愛しています」
「俺もだよ、菜々。キミを、心の底から愛してる」
まるで誓いの言葉のように形式じみた愛の告白を交わすと、今日1番の力が籠った抱擁と共に、深く長い口付けを交わした。
「ん……えへへ。今の、誓いのキスみたいですね」
「あぁ、こういうのも悪くないね。まるで結婚式の予行演習みたいだ」
「けっこ……!? ん、んんっ……まだ私たちには早いですよ……!」
「そうだね。まだ早いね。ちゃんとプロポーズもしてないし、なんなら一緒に住む家も……」
「ちょっ、まっ、そういう話じゃなくて……もうっ! 彩歌くんったら!」
あまりに建設的かつ堅実な将来設計を聞かされた菜々は、恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして彩歌の胸板をぽこぽこと叩く。彩歌としては頭の中にパッと浮かんだ未来を何となしに話したぐらいの気持ちであったのだが、耳の先まで真っ赤にしながら恥ずかしがる菜々が可愛らしかったので、ゴンドラが地上に降り立つまで、菜々の頭を撫でながら語り続けるのであった。
~~~
それぞれの親への土産物を買い、遊園地を出た2人。帰り道が途中まで一緒という事もあり、並んで帰路についていた。
「ふぅ。今日は遊びましたね……」
「俺も何だか今になって疲れが出てきたよ……楽しすぎてアドレナリン出てたのかな?」
「ふふっ。今思えば、彩歌くんとこんなに思いっきり遊んだのは本当に久しぶりですよね」
「あぁ。しかも遊園地も久しぶりとなると、こうはしゃいでしまうのも無理はないね。随分と子供っぽい所を見せてしまったかな……?」
「私こそ、結構子供みたいな遊び方しちゃったなって、ちょっと恥ずかしさもあったりします。でも、こういうのも良いなって思う自分も居るんです。彩歌くんの隣でなら、不思議とどんな自分でも恥ずかしくないなって、そう思えるんです」
「俺も同じ事を考えてたよ、菜々。キミの前でだと、どうにも気持ちが緩むんだ。何も隠さなくて良い、ありのままの自分で良いって。それが、どうしようもなく幸せなんだ」
彩歌と菜々は、程度や経緯こそ違えどここ数年間、自身の感情を抑圧し、隠し、封じながら過ごしてきていた。そんな自縄自縛の日々の中で忘れかけていた「自然体の自分」というものを、2人は今になって徐々に取り戻し始めていたのだ。素の自分でいられる幸せ。愛する人の隣にいられる幸せ。『大好き』を共有する幸せ。溢れ出る感情のままに、2人は笑い合う。
「さて、次のお出かけはどこに行こうか。博物館、図書館、ショッピングモール……どうせなら、秋葉原のアニメショップ制覇でもしてみるかい?」
「ふむ、それは興味深いですね。今から早速経路を調べて限定品の在庫も確認して……」
「まぁまぁそう焦らずに。まだまだ時間があるんだから、ゆっくり考えようじゃないか。急がば回れだよ?」
「えへへ、いつもの癖でつい。彩歌くんとのデートですから、めいっぱい楽しみたいんです!」
「じゃあ、次のデートプランは菜々にお任せしようかな?」
「ふふっ、お任せ下さい!」
そう言って快活な笑みを見せた菜々に、彩歌は同じく笑顔で返した。すっかり陽は落ち、天には無数の星が煌めく。星の海を泳ぐように、或いはワルツを踊るように。2人は、夜道を賑やかに駆けていったのだった。