内容は同じです
1話 ジョジョと呼ばれる男
「ドラゴン」と聞いた時、諸君は何を連想するだろうか?
でかいトカゲ? 空を飛ぶ巨体? 火を吐く災厄? 昨今なら、ファンタジー作品で主人公に噛ませ犬扱いされる哀れな存在――の方が主流かもしれない。
だが、本来ドラゴンとは、強大であり、存在そのものが災いだ。土地によっては神として崇められるほどの存在である。
もちろん、すべてのドラゴンが同じではない。人を地べたを這いずり回るネズミのような存在と考える者がいる一方で、人に興味を持ち、共に生活する者もいるというのだ。
そして、今日の主役――OLとして働くドラゴン、エルマもまた後者である。
「おいひぃ~~!!」
キラキラと目を輝かせ、箸を手に唐揚げを頬張るエルマ。
「本当に君は……食べるのが楽しみで仕方ないんだな」
小林の苦笑いを尻目に、エルマは顔をほころばせながら頷く。
「そりゃもう! 仕事終わりの楽しみを粗末にするなんて、ドラゴンの誇りに関わるぞ!」
元々エルマは、友達のドラゴンを連れ戻すために異世界からやってきた。しかしその友達は、いつの間にか人間のメイドに成り果てていた。手ぶらで帰るわけにはいかず、日本に滞在することを決意する。生活費を稼ぐため、社会人として働くことになったのだ。
ドラゴンが社会人――最初は周囲も不安で仕方なかったが、エルマは元来流されやすく、真面目な性格でもあったため、すぐに仕事を覚え、成果を喜び、休日は自分の稼ぎで悠々自適に過ごしていた。ごくごく普通のOLとして人間社会に溶け込み、今では頼りになる後輩でもある。
「新人の対応お疲れ様、エルマ」
そう言って酒を注ぐのは、エルマの友達ドラゴンをメイドにした張本人で、職場の上司でもある小林だ。
「今年は豊作だったからね。お陰で助かってるよ」
対面に座るのは、同じく職場の先輩・滝谷。特に気性の荒いドラゴンと同居してきた経験もあり、エルマからの信頼も厚い。
「いやいや! 滝谷さんと小林さんのサポートあってこそだぞ!」
「やっぱりエルマに任せて正解だったよ。何か困ったことはなかった?」
「んむ……? ん〜……ごっくん! 困ったこと……か……」
エルマは箸を置き、少し考えるように目を細めた。
「その、なんというか……相談することなのかすらわからないのだが……奇妙なことがあったのだ」
小林と滝谷は顔を見合わせた。エルマの「奇妙なこと」という言葉は、普段の能天気な性格とあまりに釣り合わない。
「奇妙なこと?」
小林が尋ねる。
「んむ……。例えばだな、今日、新入社員の自己紹介を聞いていたのだが――」
エルマは口元に手をあて、思い返すように目を細める。
「いや、別に変な話ではないのだ。自己紹介としてはごく普通だ。内容も、新卒らしい挨拶で、特に奇抜なことを言ったわけでもない。しかし……なぜか、うなじがザワついたのだ」
「ザワついた……?」
滝谷が首を傾げる。
「ああ、奇妙だと思うと、いてもたってもいられなくなる。ドラゴンとしての直感なのか……とにかく不自然さを感じた」
エルマはジョッキを握り直す。
「新人達の自己紹介を聞くたびに胸が熱くなるのはいつものことだが、今日は違ったのだ。何かが……足りない、と言えばいいのか……言葉だけじゃ表せない違和感があった」
………
始まりは、つい先月のことだった。
長年、ブラック企業として知られていた小林達の勤務先も、エルマの努力と小林の出世により、職場環境が大幅に改善された。そしてついに、新入社員が入って来るようになったのだ。
やってきた新入社員達は、みな初々しかった。緊張で肩を震わせる者、元気に声を張り上げる者、不安そうにうつむく者。姿は違えど、初めて社会に踏み出す若者特有の“光”を纏っていた。
『じゃあ、皆さん。自己紹介をお願いします』
上役の小林がそう促すと、順番に新人達は声を発した。誰もが自分の言葉を選び、背伸びしながらも自分らしさを出そうとしている。エルマは目を細めて聞き取り、頭の中でその人物像をスケッチしていた。
そして、エルマの部下となる予定の男性社員の番が来た。
『東条仗助と申します。杜王大学出身です』
淡々とした声だったが、透き通るように通る声。言葉には感情の抑揚が少なく、聞き心地は悪くない。
『学生時代は情報処理を専攻していました。
まだ至らない点も多いと思いますが、一日でも早く戦力になれるよう努力します』
普通の、新卒らしい自己紹介。堅実で、誠実さが滲む。
『趣味は……特にこれといったものはありませんが、
強いて言えば、資料をまとめたり、数字を整理する作業は嫌いではないです』
数人が、小さく頷いた。なるほど、デスクワーク向きの人材か、とエルマは無意識に分類する。
『指導していただくことも多いと思いますが、
ご迷惑をおかけしないよう気をつけますので、よろしくお願いいたします』
深くも浅くもない、ちょうどいいお辞儀。椅子に座る動作も無駄がない。
――本当に、それだけだった。
だが。
エルマは、ふと首を傾げた。
……あれ?
今の自己紹介、なんて言っていたっけ?
言葉は確かに耳に入ったはずなのに、頭の中でその内容がすぐに消えてしまう。
それはまるで、消しゴムで書かれた文字が、手元で消えていくような感覚だった。
“彼は何か話しただろうか?”
小さな声で自分に問いかける。いつもなら、どんなに簡素な言葉もすぐに記憶されるのに――今日は違った。
視線を落とし、手元のメモ帳を見た。
『東条仗助』
文字は確かにそこにあった。どこにでもある、普通の名前。しかし、目で追うたびに、どこか得体の知れない印象が漂う。なぜか、書かれているもののはずなのに、頭に残らない。
もう一度読み直す。読み直しても、やはり、違和感だけが残る。
周囲を見回すと、他の新人達や小林たちはいつも通りの表情で会話を交わしている。笑い声や小さなざわめき、鉛筆の走る音、椅子の軋む音。日常の中の音が、なぜか遠く感じられた。
エルマは唇を噛む。いつもなら、こういう違和感は気のせいで片付けてしまう。だが、今日のそれは、心の奥底で小さな“何か”がざわめいていることを知らせていた。
………
自分が体験した奇妙な出来事。
あれは果たして、何だったのか。
エルマはジョッキを置くと、身を乗り出すようにして二人に語り始めた。
その声音は、いつもより少しだけ高い。
「私は集中していたのだ! 新しい後輩達が来ると、胸が躍るのは当然だろう? 彼らの言うことは、一字一句聞き逃さぬよう、きちんとメモまで用意していたのだぞ。それなのに……」
言葉を切り、エルマはカバンに手を突っ込む。
慣れた動作で取り出したのは、使い込まれた小さなメモ帳だった。
「見ろ!」
ぱっと開かれたページを、二人の前に突き出す。
「東条君の欄だけ、空白だ!」
そこには確かに、几帳面に区切られた枠が並んでいる。
名前、出身、印象、配属後の注意点。
新人一人ひとりに向けたエルマなりの記録――その中で、一箇所だけが、ぽっかりと抜け落ちていた。
「……」
「……そうなんだ」
「反応が薄いっ!?」
エルマは思わずジョッキを振り上げ、二人を睨みつけた。
「おかしいと思わぬのか!? もし東条君が何かをしたのだとしたら、それはドラゴンである私にも効果がある“なにか”を使ったということだぞ! 本来、あり得ないことだ!」
言葉に熱がこもる。
胸の奥で、得体の知れない警鐘が鳴っている。
「二人とも、もっと真面目に───」
そこまで言いかけて、エルマはふと口を閉ざした。
……あれ?
胸の奥にあったはずの熱が、急に引いていく。
まるで、火に水をかけられたかのように。
「……する、必要ない?
そんなに気にすることじゃない、かも?」
自分でも驚くほど、声が落ち着いていた。
ほんの数秒前までの焦燥や警戒心が、すっと消えている。
唐突に情動が抜け落ちたような、あまりにも不自然な感情の落差。
だが――
その異変に、小林も滝谷も気づいた様子はなかった。
「あはは。ちょっと疲れてるんじゃないの、エルマ?」
「最近、仕事も増えてきてるからね」
二人は、いつも通りの調子で笑っている。
その様子を見ているうちに、エルマの中の違和感も、霧のように薄れていった。
「……まあ、いっか!」
エルマは無理やり笑顔を作り、箸を握り直す。
「人間さんは多いからな! 変わった奴の一人や二人いて当然だ!
それに私はドラゴンだし、細かいことを気にしても仕方ない!」
そう言って、唐揚げを口に放り込む。
「おいしー!」
勢いよく頬張るその姿は、いつもと変わらない。
つい先程まで抱いていた疑問は、綺麗さっぱり頭の外へ追いやられていた。
その様子を横目に、滝谷はそっと眼鏡を取り出す。
「さて……じゃあ、そろそろ始めようか」
「お、やっちゃう?」
滝谷が眼鏡を装着した瞬間、グルグル眼鏡のオタク出っ歯へと変貌する。
それに合わせて、小林は嬉々としてグラスを掲げた。
「「メイド談義をっ!!!」でやんすっ!!」
「えっ──」
エルマは抗議の声を上げる間もなく、
タチの悪い酔っ払いと、厄介なオタクに挟まれることになるのだった。
うんざりするような光景ではあるが、これもまた――
彼女達にとっては、紛れもない日常なのである。
………
その居酒屋の前を、ひとりの男が通りがかった。
男は、店内の喧騒を一瞥する。
「………」
立ち止まり、何かを考えるでもなく、ただそこに立っていた。
そこへ、千鳥足の酔っ払いがふらふらと近づいてくる。
「おい兄ちゃんっ!? 邪魔だろうがよっ!」
「……」
男は答えない。
無視されたと感じた酔っ払いは、顔を真っ赤にして声を荒げた。
「聞いてんのかテメェッッ!!」
拳を振り上げ、勢いよく殴りかかる。
「……」
男は動かなかった。
拳は、確かに男を捉えるはずだった。
だが、次の瞬間――それは、空気を切るようにすり抜けた。
「はれ?」
勢いを失った酔っ払いは、足をもつれさせ、
地面に溜まった吐瀉物の中へと突っ込む。
「ぶげぇぇええええ!?!?!?」
無様にのたうち回る男を一瞥し、
無言のまま、男はその場を後にする。
誰一人として、彼を引き止める者はいなかった。
………
すでに物語は始まっている。
それは、ほのぼのとした日常でも、
殺伐とした戦いでもない。
地に降り、人を知り始めたドラゴン達は、
やがて“人という存在の歪さ”に触れていく。
これは、そんな奇妙な物語の始まりである。