とうとう来てしまった。
目の前にそびえるのは普通のマンション。
にも関わらず、異様に緊張してしまう。
「よし、必要なものは全部買えたな?
じゃあ、着いてきてくれ」
そう言われて連れられた自宅は、驚くほど整っていた。
テレビも、本棚も、雑貨もない。
あるのは机と椅子、そして一人暮らしの女性にしては異様に大きな冷蔵庫。
それはどこか仮住まいのような印象を受ける部屋だった。
「まあ、ひとまず座ってくれ。
お茶でも飲んで一息つこう」
そう言いながらエルマが冷蔵庫を開けた瞬間、
東条はわずかに目を見張った。
肉、魚、野菜。
他にも和菓子、洋菓子、見たことのない甘味。
それらがぎっしりと、詰め込まれている。
だが、その割にはキッチンは綺麗すぎた。
火を使った形跡がない。
「……エルマさんは普段料理はされるんですか?」
「む?しようと思ったことは何度もあるぞ。
ただ、料理をすると作ってる最中で無くなってしまうのだ」
不思議だなと、笑うエルマ。
「なるほど……」
東条はなんとなく理解した。
きっとこの人は——豪快な人だ。
「とりあえず、この椅子に座ってくれ。」
エルマがそう言って指を振ると、何もない空間から、椅子が出現する。
「おお……」
魔法。
確かに、魔法だ。
東条は思わず声を上げてしまう。
「なんだ?この程度、そんなに驚くことじゃないぞ?」
「いやいや、すごいですよ。
本当に何もないところから出てくるんですね」
東条は魔法で出された椅子を興味深げに触ったりしてみる。
「え、そ、そうかぁ?
そんなに凄いかぁ?」
普段苦手な魔法で褒められることがないエルマは、照れた様子で笑った。
「はい、凄いです」
素直に褒める東条に、エルマは更に照れていく。
「いやぁ、あははは。
………こんな事も出来るぞ?」
エルマは更に豪華な椅子を出してみせた。
「おお……!」
「こんな事だって出来るっ」
更に指を鳴らすと、空中で水が湧き出た。
水は細長く尖りだすと、まるで蛇のようになり、東条の周囲を周りだした。
「す、凄い……!!」
かなり幻想的な光景に、東条は驚きっぱなしだった。
「驚くのはまだ早いぞ!」
そんな東条の反応に、エルマはどんどん調子に乗り出した。
「はぁぁあ………!!」
両手で印を結ぶと、風がエルマの周囲で渦巻く。
「はあっ!!」
エルマが手をかざすと、空間に巨大な穴が空いた。
「こ、これは……!」
「うむ、異世界へのゲートだ」
「異世界……!!」
東条は最早感動すら覚えていた。
エルマ達が異世界のドラゴンだと言うのは聞いていたが、本当に目にすることが出来るとは……
「すごい………」
東条がそっとゲートに手を伸ばすと、
『グアッ』
巨大な顎が、眼前にいた。
「へ?」
自分を挟み込むように閉じられていく暗闇。
東条の視界は酷くスローモーションだった。
「ふんっ!!!」
ドスッ!!
エルマの蹴りが東条を食べようと迫っていた怪物に突き刺さる。
「Gyaoooooo!?」
怪物は悲鳴をあげてゲートの向こうへ消えていった。
「……」
蹴りの衝撃で、謎の生物の唾液にまみれになった東条は、何かを訴えるようにエルマを見つめる。
「あ、あははは……い、今お湯を張ってくるからな!!
ちょっと待っててくれ!!」
エルマは誤魔化すように浴室へと駆けていった。
一人残された東条は、唾液を拭う。
「すごい臭いと粘度だ……」
酷い目に遭った。
そう思いつつも、ようやく開けた視界で、東条は改めて部屋を見渡す。
改めて見ても、“何もない”。
確かに食料は充実しているが、それ以外が全くといっていいほどない。
あまり趣味とかはない人なのか、それとも
(ここに“長く居付くつもりがない”、というのもあり得るか)
そう考えてみると、自分を受け入れたのも納得出来た。
そして、何故か親近感が湧いた。
(何故だろう?自分がそんな気質だからか?)
記憶はなくても、何か共感出来る部分でもあったのかもしれない。
「うん……?」
ふと、床を見ると、奇妙な違和感を感じた。
先程まで異世界へのゲートがあった場所だ。
「凹んでいる?」
その凹みは明らかに異質だった。
平らな床が、円形に沈んでいる。
「……さっきまでこんなのなかった」
東条が凹みを触りながら不思議に思っていると、浴室の方からエルマがひょっこりと顔を出した。
「お風呂が沸いたぞ。着替えは持ってるか?」
「あ……はい」
謎の凹みは気にはなった。
だがそれ以上に、今はとにかく、この不快なベトベトを落としたかった。
・
・
・
浴室へ向かった東条は服を脱ぎ捨てる。
粘液のせいか妙に服が重い。
そして、何気なく鏡を見た。
「……これは」
そこに映っていたのは、
自分の身体。
だが、それは初めて見る“自分”の身体であった。
無数の傷。
浅いもの、深いもの。
鋭利な刃物によるものと思しき線。
火傷の痕。
細かい擦り傷。
銃痕のような丸い傷。
何かに叩きつけられたような痣。
(……一体、どうしてこんな事に)
指先でなぞる。
感覚はある。
確かに“自分”の皮膚だ。
記憶はないのに、傷だけが生々しく感じられる。
(僕はもしかしたら、とんでもない犯罪者だったのでは……)
そう考えて、背筋にぞわりと冷たいものが走る。
その時だった。
傷だらけの肌の中に、
“異質なもの”があることに気づく。
それは偶然にしては、形が出来すぎていた。
首元の左側。
五つの突起を持つ、小さな模様。
「……星?」
まるであるべくしてあるかのように、それが刻まれていた。
他の傷とは違って浮いて見えるそれは、まるで自分自身を象徴していると思わせるような、不思議な印だった。
「……まあ、そこまで気にするものでもないか」
東条は浴室へ向かう。
あまり使われているとも思えない、新品同様のシャワーで汚れを洗い流し、張ってある湯船に肩まで浸かった。
そして1秒後——
「熱ッ!?」
あまりの熱さに湯船を飛び出した。
火傷に近い痛みに、思わず床に倒れてのたうち回る。
「どうした仗助君!?」
悲鳴を聞きつけたエルマが浴室に飛び込んでくる。
「ちょっ!?入ってはダメですよ、エルマさん!?」
東条は慌てて布を腰に巻く。
対するエルマは、構わず東条に近付いていった。
「酷い傷じゃないか!?まさか敵が!?」
「いや、敵とかではないですけど……
些か豪快が過ぎますよ、エルマさん……」
ほぼ全裸の男を前にしてこの態度。
流石の東条も顔を引き攣らせてしまう。
「ちょっとお湯が熱すぎて、思わず声が出てしまいました」
「ぬ?」
東条の言葉に、エルマは湯船に手を突っ込んだ。
「なんだ?別に熱くないぞ?
むしろ心地良いな」
「え……?」
もしかして熱くないのか?
東条も改めて湯船に手を入れて確認してみる。
「アッツ!?」
やはり、熱いものは熱かった。
すると、エルマは悩むように腕を組んだ。
「うーむ、人間さんからするとこれは熱いのか……火加減が分からないな……」
「え?」
エルマは手のひらから炎を出し、湯船に突っ込みながら考える。
「沸騰する5秒前か?いや、もっと前か?うーむ……??」
ボコリと大きな泡が湯面を揺らす。
東条は一歩後ずさった。
「直火沸かし……」
お湯の中で炎が揺らめく。
色々と物理法則を超越したその光景は、風呂文化への革命のように思われた。
・
・
・
東条はひとまず湯船は諦め、シャワーだけで済ませ浴室を出た。
「お風呂、ありがとうございました」
ペコリと頭を下げる東条。それに対して、エルマは手を振り豪快に笑った。
「そんなかしこまる事ないぞ?じゃあ、ご飯にしようか」
エルマはそう言うと冷蔵庫から食材を次々と出していく。
その際、腕の中からポロリと野菜がこぼれ落ちた。
「ッ!!」
その瞬間、東条は身を伏せて野菜が落ちた方向を睨みつけていた。
「ど、どうした!?」
驚いた様子で東条を見るエルマ。
東条も、自身の行動に驚愕していた。
「あ、いえ……その……身体が、勝手に……」
近付いてくるエルマの腕から、再び食材が滑り落ちる。
床に触れる、その刹那。
「ッ!!」
パァンッ!!
空気を裂く音。
東条の背後から、腕のような“何か”が一瞬だけ伸び、
野菜を叩き潰した。
「あああっ!?私のご飯が!?」
エルマの悲痛な叫びが響き渡る。
「え、あ、すいません!!」
東条は慌てて駆け寄った。
足元には無惨に粉々になった元食材。
東条は自身の手を見つめる。
「これは……」
東条は直感した。
先程の床の凹みはこのスタンドの力だ。
時間にしてコンマ1秒。
瞬きほどの一瞬だけ、腕のような何かが見えた。
試しに再度、今の力を出してみようとしてみる。
だが、どう念じても、先程の現象は起きなかった。
…………
そこからは、色々あった。
用意した食材はまな板の上から消え、
「エルマさん……生野菜丸齧りは無茶では?」
「え?」
「ああッ!?鶏肉は流石にダメです!!」
食材を炒めているフライパンから具材が跳ねると、
「うわっ」
反射的に、半透明の腕がそれを殴りつける。
パァンッ。
「あああっ!?また食材がっ!?」
・
・
・
それでもどうにかして、二人はなんとか夕飯にありついた。
味は悪くない。
「「……」」
だが、二人とも妙に疲れていた。
人間と暮らしたことのないドラゴンと、
自分が何者かも分からない人間。
噛み合わない部分が出てくるのは当然であった。
しばしの沈黙の後。エルマがゆっくりと口を開いた。
「これは……あれだな……我々にはルールが必要だな……」
「……」
東条が黙り込むのを見て、エルマは視線を逸らした。
エルマは内心で思った。
(人間さんとの生活がここまで大変とは……他の者達はどうやって過ごしているのか……いや、もしかして、私だけが人間さんとの生活に向いていない……?)
トールは分かる。
あれは大好きな小林のためなら何でもする奴だ。
だが、ファフニールは別だ。
あの暴虐無人なドラゴンが、滝谷と普通に暮らしているというのが、今になってとんでもない事のような気がしてきた。
(私、ファフニール殿以下!?)
驚愕の真実にエルマは、ガーン、とショックを受けた。
するとその時、東条はエルマに向かって頭を下げた。
「申し訳……ありません」
「え?」
東条は目を伏せ、肩を落とす。
「無理にお世話になっていると言うのにこの体たらく……あまりに不甲斐ない……」
そう自分を責める東条は小さく見えた。
エルマは慌てて東条をフォローする。
「な、何を言っているんだ!そんなに弱気になるなんて仗助君らしくないぞ!」
「僕らしさ……」
エルマの言葉に、東条は顔を上げた。
「エルマさんは僕の何を知っているんですか?」
「……」
エルマは思わず言葉に詰まった。
「なぜ、僕を引き取ろうとなんて思ったんですか……」
そう続ける東条の声は、あまりに意気消沈としていて、エルマが知っている姿からはかけ離れていた。
確かに、何も知らない。
彼がどんな過去を持ち、何を抱えていたのかも。
——それでも
エルマはゆっくりと口を開いた。
「最初会った時、私は君がどこか底知れない、不気味な奴だと思った」
「……」
「君が現れてから、私の周囲では奇妙な事がたくさん起きた。だから、監視してた時もある。小林さんと滝谷先輩に嗜められてしまう程だった」
エルマは苦笑いと共に、当時の話をする。
「ただ、話してみると違った。
君は悪い奴じゃないと分かった。そして——」
どこか、自分と似ていた。
結局のところ、同情していた。
使命に生き、トールに連れ出されて自由を知ったエルマだからこそ、何かを成し遂げるためにファフニールの呪いすらも耐えてしまえる東条を哀れに思った。
エルマは言葉を飲み込んだ。
そして、改めて東条を見据える。
「ここでの生活が辛いと思ったなら、いつ出て行っても構わない。ただ! 『申し訳ない』という理由で出ていく必要はないぞ!」
エルマは真っ直ぐに言った。
「泊めると決めたのだ、私は」
その言葉に、東条が顔を上げる。
「私は迷惑だとは思っていない。だから仗助君が思った事があれば遠慮なく言ってくれ!!“課題を見つけて一つずつ潰していく”、それが私がこの世界で学んだ事だ!!」
エルマは腕を組み、堂々と言い放った。
その姿に、東条は呆然として、その後少しだけ笑った。
「……じゃあ、まずは“お風呂の温度”が課題ですね」
「うむ。あれは難題だ」
「あと、生肉はやめておきましょう」
「ぐ……それは……努力しよう」
二人の間に、ほんの少しだけ柔らかい空気が流れる。
共同生活のための、確かな一歩を踏み出したのだった。
………
夜。
布団に横になった東条は、天井を見つめていた。
(エルマさんはああ言ってくれたが……)
それに甘えてばかりはいられない。
東条はそっと拳を握る。
“スタンド”。
今のところ、あの力は身の危険を感じた時にだけ現れる。
果たしてこれは守るための力なのか。
それとも——壊すためのものなのか。
まだ分からない。
コントロールしようと念じてみても、何も起きない。
何かが足りていない。
そんな感覚だけがはっきりとある。
(記憶も、力も……中途半端だな)
東条は思わず溜息を吐いた。
やらなくてはいけないことは山ほどある。
だが、どこから手を付ければいいのか分からない。
不安が重くのしかかる。
それに……
(明日から、仕事がある)
エルマが言うには、プログラミングの仕事が山のようにあるらしい。
果たして、今の自分にまともに働く事が出来るのだろうか?
「……プレッシャー」
胃が、きりきりと痛み始めた。