「エルマさん!!」
紙の存在を確認した瞬間、東条は声を上げた。
朝食の準備をしていたエルマが作りかけの目玉焼きを頬張りながらすっ飛んでくる。
「ど、どうした仗助君!?」
口の中のものを飲み込み、二個目の目玉焼きに手を伸ばしているエルマを一瞥し、東条は鋭く告げる。
「何者かがこの家に潜んでいます!気をつけてください!」
「な、なにっ?!」
すかさず周囲を見回すエルマ。
「敵か?」
「分かりません。ですが、誰かが僕に接触してきたのは間違いないです。僕の布団の下にこんな手紙が置いてありました」
「手紙?手紙を受け取ったのか?」
「ええ、そうです」
視線を周囲に巡らせながら、持っていた紙をエルマに差し出す東条。
「気を付けてください。エルマさんの目を掻い潜って忍び込むような奴です。今この瞬間に襲われてもおかしくない」
「?」
「エルマさん、周囲に気配はありますか?エルマさんの鋭い感覚だけが頼りです」
「……」
警戒を続ける東条に対し、エルマはどこか困惑している様子であった。
「……えっと、手紙?を受け取ったんだよな?見せてくれないか?」
「ええ、ですからこれです。この紙がそうです」
そう言いながら、より分かりやすいように、ずいっ、とエルマの方へ押しつける東条。
「……」
一拍の間。
そして、エルマはゆっくりと口を開いた。
「……ああ、うん。まあ、昨日は遅かったものな。それにお酒を飲んだ翌日はよりぼーっとすることがあると小林さんからよく聞いたぞ」
「へ?」
あまりに場違いな発言に、東条は思わずエルマを見た。
「なにを……何を、言っているんですか?敵がっ、敵かもしれない奴が忍び込んでるんですよ?!真面目に聞いてください!」
あまりの真剣味のなさに困惑する東条。
しかし、エルマは東条の肩に手を乗せて、まるで子供に言い聞かせるように言った。
「まあ、一旦落ち着こう。ほら、怖いものなんてないからな」
「っ!!いい加減にしてください!!」
東条はエルマに向き合い、声を荒げた。
「エルマさん、もしも記憶を失う前の僕が何かと戦っていたというのなら、このタイミングで敵の仲間が襲ってきてもおかしくないです。この手紙はその前触れかもしれないんですよ?」
必死に危険を知らせる東条。それに対して、エルマは不思議そうに小首を傾げた。
「では、その手紙はどこにあるのだ???」
「ですからっ、ここにあるじゃないですか——」
言いながら自身の手元を見る東条。
だが、その手には何も握られていなかった。
「は??」
思わず自身の反対の手を見る。こちらも空っぽだった。
足元、床、と視線を巡らせて、最後に東条を心配そうに見ているエルマと目が合った。
「まあ、無理もない。記憶を失ってまだ不安定な部分もあるんだろうな」
ポン、と東条の肩に手を置くエルマ。東条は困惑が収まらない。
「い、いや、違、確かに手紙が——」
「うん、落ち着け。大丈夫だからな。なんならもう少し寝ていていいんだぞ?」
「待ってください!僕は——」
喋る東条の背後に、エルマが回りこむ。
「本当に手紙を持って——」
エルマはそのまま、そっと壊れものを扱うように東条の体勢を崩し、
「——いたんです。あぁ?!」
気が付けば、東条は布団に横になっていた。
「もう少し寝ておくといい。私がとびきり美味い朝食を作るからな」
そう言い残して、エルマはキッチンへと戻ってしまった。
「……………」
一方、残された東条は訳も分からず混乱していた。
(どういうことだ?何が起きている?僕は——夢を見ていたのか?)
仰向けのまま、そっと右手を持ち上げてみる。
「あ——ああっ!!!」
その手には、確かに
「……」
ゴクリ、と唾を飲み込む東条。
そっと手紙を開いて文章を確認してみる。
【ジ、カンの、むだダ】
「ッ!!!」
心臓が跳ね上がる。
嫌な汗がドッと流れた。
——これは、忠告だ。
「コイツは、僕を見ている……!今、この瞬間も……ずっと……!」
ゾワリ、と背筋が震える。
いつの間にか消え、現れる手紙。
自分しかこの状況を認識できていない、そんな孤独感が東条を襲う。
「……何が目的だ」
宙に向かってそう尋ねると、再度手のひらに紙が握らされる。
【オマエは、ダれダ?】
質問を質問で返される。
どうやら、こちらの都合などお構い無しのようだ。
(なんなんだこれは……)
不気味だった。
まるで能力が分からない。気が付けばこの紙を握っていることしか分からないのだ。しかも、相手はこちらの話などまるで無視だ。
「おい、会話をする気がないのか?君が敵なのかどうかくらい、教えてくれてもいいんじゃないか?」
再び紙の感触。
【オマエは、ダれダ?】
「っ……」
東条は眉間に寄ったシワをグリグリとほぐした。
そして、諦めて話すことにした。
「東条仗助、らしい。僕もあんまり覚えてないんだ」
【ナゼ?】
「……僕もよく分からない。魔法、という力によるものだとか」
【ソレをシンじた?】
何やら、文章に呆れと憐れみの感情が含まれている気がする。
東条は若干ムキになって返した。
「目の前で魔法を見たんだ。信じるしかない」
そう答えると、考え込んでいるのか、返信に間があった。
そして——
【カンし、スる。ワタシは、ミテイル】
「お、おい待てっ!まだこっちの質問に答えてない——」
引き留めようと思ったのも束の間、紙の感覚が指先から消えた。そして、その手紙を最後に、何を言っても返信が来ることはなかった。
……………
朝食を終えて、エルマに街を案内すると言われた東条は、エルマに連れられて外を歩いていた。
天気は良い。雲一つもない。
だが、東条の内心はそれどころではなくなっていた。
(監視……監視だって?今この瞬間も僕を見ているのか?)
理解出来ない存在に見られているという状況。常に意識は張り詰め、疲れが溜まる一方だった。
「本当に今日は天気が良いな!こういう日は何か美味しいモノを食べたくなる。そうだろ?」
「……はい、そうですね」
上機嫌で隣を歩くエルマに対して、東条は心ここに在らずであった。
(どこだ。どこに潜んでいるんだ)
「よし、ここに寄ろうか。邪魔するぞ、イルル、タケ君」
「お、エルマ。また来たんだな」
「エルマさん、いらっしゃい。今日はお連れさんもいるんすね」
分からない。考えれば考えるほどドツボにハマっていく感覚。
(あそこか?いや、いくらなんでも狭いか)
「とりあえず、これとこれとこれ、あとあれもくれ!」
「多いぞ!子供達の分まで買うつもりか!!」
「ストックあったっけなー」
焦るばかりで、貴重な時間が過ぎ去っていく。
(仕掛けてくるとしたら、僕の集中が切れた時だろうか……)
「仗助くん。これを食べてみるといい」
「はい」
不意に手渡された何かを、何気なく口に含んだ。
——酸味が、弾けた。
「——ブフッ!!ごふっ!!げほっ!!」
「うわっ!?大丈夫かぁ!?」
「水、水っ!」
「お、酸っぱいの引いたのかぁ。当たりだな!仗助君!」
突然の事に思考が吹き飛んだ。
東条は手渡された水を一気に飲み干す。
「ぶはぁっ——な、なんですか?何が起きたんですか?」
冷静になって周囲を見回すと、様子を伺う二人が視界に入った。
「いやー、すごい驚きっぷりだな。そんなに酸っぱかったか?」
そう尋ねてくる相手には見覚えがあった。
「イルルさん?」
「おう!——え?気付いてなかった?ずっといたぞ、私」
天真爛漫の言葉が似合う少女、イルルが少しだけショックを受けたような表情でそこにいた。
「す、すみません……ここは……」
「駄菓子屋だぞ。私のバイト先だ」
少し自慢げにそう告げるイルル。
ここでようやく、東条は今自分がどこにいるのかを知った。
考え込みすぎて、気付けば駄菓子屋の中にいた。
「なんだ、知り合いだったのか、イルル?」
「おう、タケ。こいつは仗助だ。エルマの会社の後輩なんだぞ。仗助、こっちはタケな」
イルルに紹介され、タケと呼ばれた青年が東条に挨拶をした。
「初めまして。会田タケトって言います」
「ああ、初めまして。東条仗助と言います」
お互いに軽く頭を下げたところで、エルマが豪快に笑った。
「はははっ!!アイスブレイクは済んだようだな!タケ君、仗助君は最近この街に引っ越してきたんだ。仲良くしてやってくれ」
「……東条さん、社会人ですよね?俺みたいな学生相手に仲良くしてやってくれって……」
あんまりな物言いに困惑するタケト。それに対して、東条は構うことなく深く頭を下げた。
「新参者ですが、よろしくお願いします」
「ちょっ!そんな頭下げなくていいですって!!敬語もやめてください!」
「良かったな、仗助くん。友達が出来たぞ」
「保護者!?なんなんですかさっきから?!エルマさんは東条さんのどういう立ち位置なんですか?」
「嬉しいです」
「純粋か!あれ?この人俺より年上だよね?!」
「どうしたタケ?困ってるのか?揉むか?」
「やめろイルル!胸を寄せるな!!いつもやってるみたいに思われるだろ!」
「………」
「ほらぁ!東条さん気まずそうになっちゃったじゃん!」
「タケ君。これも買うぞ」
「エルマさん、マイペースっすね!いつもありがとうございますっ!」
ヤケ糞気味にお会計を済ませたタケトは『疲れた……』と言い残して奥に引っ込んでいった。
タケトの姿が見えなくなって、東条は改めて店を見渡す。
「駄菓子屋で働くドラゴン、ですか……」
斬新な組み合わせのように思えた。
まあ、会社でプログラミングをしているドラゴンがいる時点で、今更な感じではあるが。
「うん。私、子供好きなんだ。小林にも褒められるしな」
えへへ、と照れ臭そうに笑うイルル。
その姿は、どうみてもただの少女であった。
「……僕も、すごくいいと思います」
うまく言葉に出来ないが、漠然とそう思った。
「うむ!ここは安いし美味い!文句なしだ!」
バリボリと駄菓子を頬張るエルマ。
「………」
そうじゃないんだよなぁ、と思いつつ、東条はさっき食べた酸っぱい駄菓子を買うことにした。
・
・
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天気がいいし公園で食べようか、と話をしながら歩いていると、前から小さな一団が現れた。
「あ、エルマ様、仗助」
手を振りながらタタタッと駆け寄ってくる少女。それに対して、エルマは気さくに手を挙げて応えた。
「お、カンナ。遊んでるのか?」
「ん、みんなで宝探ししてた。エルマ様は食べ歩き?」
「うむ。ついでに仗助君に街を案内していたぞ」
『あ、こっちがついでだったんですね』と思いつつ、東条はあいさつをする。
「こんにちは、カンナちゃん」
「ん、こんにち「カンナさーん!!」」
突如、カンナと東条の間に女の子が割って入った。
「ダメよ!!怪しい人にふよーいに近づいたら危ないわ!!」
おデコをツルリと光らせながら、東条を警戒するように唸る女の子。
あまりの敵意に、東条は思わず『うおっ』と身を引いてしまう。
「才川、大丈夫。仗助は小林の部下。エルマ様の後輩」
「ええっ!?そうなの!?」
女の子は慌てた様子で身なりを整えると、ペコリと頭を下げた。
「勘違いしちゃってごめんなさい。私、才川リコって言います」
あまりに早い切り替え。内心で素直だなぁ、と思いつつ、東条は膝を曲げ、才川に目線を合わせた。
「気にしなくて大丈夫だよ。僕は東条仗助。カンナちゃんが言った通り、今年から小林さんの下でお世話になってる、新人です」
「東条……仗助……」
才川は口の中で言葉を転がす。
「じゃあ、ジョジョさんね!!」
「ッ!!」
明るく告げられた瞬間、不意の頭痛が東条を襲う。
「——」
脳裏に映像が走った。
自分は、走っていた。
逃げているのか、追っているのか、ただひたすらに走っていた。
『俺を殺すのか?呪われた魂になってまで、——様を追うのか?』
『哀れだな、ジョースターの血統。そのまま死ぬまで走っていろ。それがお似合いだ』
姿は見えない。だが、声だけがその背にのしかかる。
あまりの重さに膝が崩れ落ちる。
『——ジョジョ』
何かが、手を伸ばしてきた。
『ニゲテ——!!』
誰かの声がする。
——いいあだ名だな!!仗助君も気に入ったんじゃないか??」
エルマの声に、東条の意識が現実に引き戻された。
「あっ……嫌、でした……?」
そう不安そうにこちらを伺う才川に、東条は咄嗟に笑いかけた。
「ううん、すごく気に入ったよ、ありがとう」
そう告げると、才川はパァッと笑顔を咲かせた。
「カンナさん!褒められたわ!」
「才川、センスいい。いい子いい子」
「!! ぼへへへッ!」
カンナに頭を撫でられ、デレデレの顔で笑う才川。
今この子から出た声?と若干引きながら、東条は思考に耽る。
今のフラッシュバックはなんだったのか。誰かが自分に話しかけていたようにも思えた。
「………」
記憶の続きを引っ張り出そうとするが、もう、なにも出ては来なかった。
「ジョジョさん、いい人ね!」
「うん、才川、見る目ある。仗助、かっこいい」
「へ?」
考え事をする東条の前で、わちゃわちゃと子供らしくはしゃいでいた二人の動きがぴたりと止まる。
「カ、カンナさん……?い、今なんて……?」
震える声で尋ねる才川。カンナは小首を傾げて告げた。
「仗助、カッコいい。この前助けてくれた」
「なああああああ!?!?」
突如、才川は両手で頭を抱え絶叫する。
「あああ、あのカンナさんがっ!!おおお、男の人をカッコいいってぇ!?好きってぇ!?!?愛してるってえええ!?!?」
「いや、そこまで言ってないぞ」
エルマのツッコミも意に介さず、才川はセルフ脳破壊を続ける。
「私のカンナさんがお嫁に行っちゃう?子供は二人?休日は遊園地??イヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ、カンナさんカンナさんカンナさんカンナさんカンナさんカンナさんカンナさんカンナさんカンナさん」
「う、おお……」
ぶつぶつと呟き続ける才川に、東条は考え事の中断を余儀なくされ、思わず後退りする。
このままここにいると殺される気がした。
「リコちゃーん!!カンナちゃーん!!待ってよー!!」
「足速いよー!!」
そうこうしていると、一緒に遊んでいたと思われる子供達がやってきた。
「あ、才川まただ」
「えー!どうしよ?」
「カンナちゃん、いつものお願い」
「才川、大好き」
「ぼへぇ!?!?!?」
後からやって来た子達には才川の変貌は慣れっこなようで、あっという間に収めてしまった。
すると、子供達は目ざとくエルマが抱えている大袋の存在に気付いた。
「あ、エルマのねーちゃん、またたくさんお菓子買ってるー!!」
「いいなー!」
いいな、いいな、と合唱する子供達。エルマは慌てた様子で子供達から背を向けてお菓子を守る。
「な、なんだ!?ダメだぞ!?これは私のお菓子だからな?!」
必死にお菓子を守るエルマの、あまりに大人気ない光景に東条は思わず笑ってしまった。
「君たち、僕の分を食べていいよ。その代わり、お菓子を食べるのに一番いい場所を教えて欲しいな」
「わかったー!」
「かしこまったー!」
「腹減ったぞー!」
わーい、と散り散りになって走り出す子供達。
そして自然とその中に混ざっていたイルルも嬉しそうに声を上げた。
「ん?イルルさん?バイト中では?」
「仕事は終わったぞ。今日はカンナ達と遊ぶ約束してたんだ」
こうして、みんなで駄菓子を食べ、誘われるままに子供達と一緒に遊び、一日が過ぎていくのであった。
・
・
・
【オイ】
「……はい」
【ミテイると、イッたな?】
「………はい」
【ナンカイも呼びかけたのに、ムシしたナ?】
「………すいません」
【ズッとミテいるからナ?】
「………はい、すいません」
夜、東条は布団の上で正座になり、謝罪を繰り返していた。
なぜ、自分は謎の存在から説教を受けているのか。
それを口にすることも出来ず、夜はふけていくのであった。