ジョジョドラ   作:夏のレモン

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2話

 

朝のオフィスは、まだ眠りきっているようで、しかし確実に動き始めていた。

キーボードを叩く音。紙をめくる音。コーヒーの匂い。

いつもと変わらない、平日の始まり。

 

そんな中、小林は東条を引き連れてフロアを進む。

 

「いやあ、ごめんね。待たせちゃって。道には迷わなかった?」

 

「はい。幸い、この近辺にはよく来るので」

 

「そうなんだ。まあ、この辺は娯楽も多いからね」

 

取り留めのない雑談を交えながら、小林は東条を持ち場まで案内する。

 

「じゃあ、今日から東条君は――」

 

エルマの席の前で足を止めた。

 

「エルマのチームに入ってもらうね。よろしく、エルマ」

 

「よろしくお願いします、先輩」

 

そう言って、東条は軽く頭を下げた。

深すぎず、浅すぎず、()()()()()()()()

 

「おお! 任せるがよいぞ!」

 

エルマは胸を張り、にっと笑う。

 

「安心するがいい! 私は新人教育には定評があるからな!

わからないことがあれば、なんでも聞いていいぞ!」

 

「ありがとうございます」

 

落ち着いていて、よく通る声。

それもまた、先日と同じだった。

 

「じゃあ、午前中はエルマがついてあげて。

滝谷君は午後からフォローお願い」

 

「了解です」

 

小林は、エルマが空回らないよう、さりげなく滝谷に視線を送る。

やる気に水を差さない――流石の気遣いだった。

 

 

……

 

 

 

「まずは、備品の場所からだな!」

 

エルマは早速、東条を連れてフロアを歩き始める。

 

「コピー用紙はあそこ。

トナーはその下の棚だ。切れたら、補充の札をここに出す」

 

「はい」

 

「ホッチキスとクリップは共用だが、勝手に持ち帰ってはいけないぞ!

前に一度、消えたことがあってな!」

 

「気をつけます」

 

エルマは満足そうに頷いた。

 

「よし、次は社内システムだ。席に着いてくれ」

 

モニターを指差しながら、説明を続ける。

 

「このフォルダが共通資料で、

ここは触ってはいけない場所だ」

 

「はい」

 

東条は黙って画面を見つめ、時折、小さく頷く。

 

「質問はあるか?」

 

「今のところは、大丈夫です」

 

「よし、じゃあ次は業務についてだ」

 

エルマは着々と、教えるべきことを伝えていく。

新人対応の経験もある。

ここまでは、何の問題もない。

 

「この業務は、午前中に一度確認して、

午後にまとめて提出するのが流れだ」

 

「はい」

 

「慣れるまでは、私が一緒にチェックするからな。

勝手に判断せず、必ず声をかけるのだぞ」

 

「わかりました」

 

返事は的確。

間も、声量も、態度も――

 

――ちょうど、いい

 

エルマは胸の奥で、微かな引っかかりを覚えた。

 

(……なんで私は、さっきから同じことを考えている?)

 

返事を聞くたび、

声を聞くたび、

同じ評価が、同じ形で浮かぶ。

 

 

「――」

 

 

 

そうだ。何かがおかしい。

 

私は、何度も彼の声に、

同じ感想を“初めてのように”抱いている。

 

 

「――」

 

 

この感覚……覚えがある。

 

 

「――」

 

 

そうだ。

私は何度も経験して――

 

「――エルマ先輩、どうされましたか?」

 

東条の声で、エルマははっと我に返る。

 

「い、いや! なんでもないぞ!

では、実際にやってみるか!」

 

「……?」

 

東条は首を傾げた。

 

「もう、やりましたよ?」

 

「……え?」

 

思わず、素っ頓狂な声が漏れる。

 

「――これ、ですよね?」

 

差し出されたモニター。

そこには、つい今しがた説明した通りの操作結果が表示されていた。

 

「あ、ああ……そうだ。そうだった……」

 

エルマは頷く。

………そうだった。自分がやってみろと言ったのだった。

そう……その様子も、目の前で見ていた。

 

――見ていた、はずだ。

 

(……なぜ記憶にない? さっきまで私は……一体何を、考えていた?)

 

説明は滞りなく進んだ。

呑み込みは早く、手順も合っている。

 

問題は、何一つ起きていない。

 

それなのに――

 

エルマは、説明を終えた後も、

胸の奥に残る形のない違和感に、苛まれ続けた。

 

 

 

………

 

 

 

奇妙な午前を過ごしたのち、エルマは昼食を取ると、新人用に用意していた業務を東条に渡し、取引先との打ち合わせのため社外へ出た。

 

電話の呼び出し音。

キーボードを叩く乾いた音。

プリンターが吐き出す紙の擦過音。

 

午前中と何一つ変わらない、ありふれた午後の業務風景。

 

そんな誰もが仕事に忙殺されるなか、滝谷はそっと東条の様子を確認した。

 

――東条仗助。

 

今年度の新入社員。

だが新入社員らしい浮き足だったところも、過度な緊張もない。

第一印象としては、落ち着きがある青年、だった。

 

だが、だからと言って困り事がないとも限らない。

むしろ大人びているからこそ、些細な変化に注意するべきだ。

 

(……まあ、今のところ問題はなさそうだね)

 

黙々と業務に励んでいる様子の東条。

滝谷は肩の力を抜き、自身のPCの画面に向き直る。

 

――その時だった。

 

「……ん?」

 

視界の端で、

何かが“跳ねた”。

 

ほんの一瞬。

瞬きと区別がつかないほど短い動き。

 

滝谷は反射的に顔を上げた。

 

視線の先。

東条の隣にある、無人の机。

そこには、積み上げられた書類の束があった。

 

(……確か、田中先輩の机だったか)

 

二つ上の先輩社員。

仕事はできるが、その他の部分ではズボラなところが目立つ人だ。

その証拠に机の上は常に散乱していて、積み上がった書類の山はピサの斜塔の如く、絶妙なバランス感覚を誇っていることで社内では密かに有名だった。

 

それなのに。

 

(……あの書類……)

 

滝谷は机上を凝視した。

 

その書類の束は、

角と角が寸分違わず揃えられ、

一ミリのずれもなく、綺麗に重なっていた。

 

「……?」

 

蓋の外れた油性ペン。

食べかけのお菓子の袋。

推しキャラのキーホルダー。

 

雑多な物が無秩序に散らばる中で、

その書類だけが、まるで最初から“そうあるべき形”だったかのように整えられている。

 

「……いや、さっき見た時は……」

 

滝谷は、記憶を辿ろうとして、言葉を止めた。

 

(……“見た”か?)

 

確かに、

さっきまでこの机を気に留めてはいなかった。

 

だが――

「散らかっている机」という印象だけは、確実にあったはずだ。

 

(………いや、考えすぎだな)

 

滝谷は一度、首を振った。

 

散らかっていた机が、たまたま片付いていた。

それだけの話だ。

勤務中に、余計な想像を膨らませるものじゃない。

 

そう思い、自分の業務に戻ろうとした――その瞬間。

 

ふと。

 

視線が、合った。

 

東条仗助と。

 

席に座ったまま、こちらを見ている。

じっと、というほどではない。

ほんの一瞬、視線が重なっただけだ。

 

それなのに。

 

「……っ」

 

滝谷は、思わず息を詰めた。

 

理由は分からない。

敵意も、悪意も、警戒もないはずなのに。

 

――漠然とした違和感だけが、胸に残る。

 

(……なんだ、今の)

 

心臓が、一拍遅れて脈打つ。

 

東条は、すぐに視線を逸らした。

何事もなかったように、画面へ向き直る。

 

それだけ。

 

それだけなのに、

滝谷の胸の奥には、言葉に出来ない不安が残っていた。

 

(……落ち着け)

 

自分に言い聞かせるように、深く息を吸う。

 

その拍子に――

 

ペンが、指先から滑り落ちた。

 

「あっ……」

 

机の縁に当たって跳ね、床へ落下する。

滝谷は反射的に視線を下げた。

 

――だが。

 

「……?」

 

ペンは、床に落ちていなかった。

 

代わりに。

 

「――滝谷さん」

 

声が、すぐ横から聞こえた。

 

「ッ!?」

 

滝谷は、思わず肩を跳ねさせる。

 

いつの間にか、

東条仗助が、すぐ隣に立っていた。

 

「落としましたよ」

 

そう言って、差し出された手。

 

その指先に、

黒いボールペンが挟まれている。

 

「……あ、ああ。ありがとう」

 

滝谷は、ぎこちなく受け取った。

さっきまで、確かに席に座っていたはずだ。

立ち上がる音も、足音も、なかった。

 

(……いつの間に、ここまで来ていた?)

 

いや、それ以上に

 

(……音)

 

ペンを、落とした音。

 

――聞こえなかった。

 

指先から滑り落ちた感触は、確かにあった。

だが、床に当たる音も、跳ねる音も、一切。

 

東条は、いつ、どこで、どうやってペンを拾った?

 

――ゾッ……!

 

滝谷の手の中で、

ペンは静かに、何事もなかったかのように存在している。

 

「……何かありましたか?」

 

東条が、首を傾げる。

 

表情は、穏やかだ。

心配そうですらある。

 

「……いや」

 

滝谷は、無理やり笑った。

 

「なんでもないよ」

 

「そうですか」

 

東条は一礼し、自分の席へ戻っていった。

 

何事もなかったかのように。

本当に、何一つ。

 

「滝谷さん」

 

「!?!?」

 

席に戻ったと思った東条が、再び真横にいた。

 

「ずっと見てましたよね?」

 

「っ……!?」

 

思わず身を固くする滝谷。

次の瞬間、東条は礼儀正しく頭を下げた。

 

「ありがとうございます。気にかけていただいて。

もし何か分からないことがあったら、相談させてもらってもよろしいですか?」

 

「あ、ああ……いつでも、大丈夫だよ」

 

今度こそ自席に戻った東条を見届け、

滝谷は、しばらくその場から動けなかった。

 

手の中のペンが、

やけに重く感じられた。

 

 

………

 

 

業務終了のチャイムが鳴り、オフィスの空気が一段階緩んだ。

 

キーボードを叩く音は減り、椅子を引く音や雑談が少しずつ増えていく。

新人にとっては、ようやく肩の力を抜ける時間だ。

 

「東条君、少し時間いいかな」

 

小林は、帰宅の準備をしていた東条に声をかけた。

 

「はい。大丈夫です」

 

東条は手にしていた鞄を静かに机の横へ置き、そう答えた。

 

二人は会議室の一角、簡易的な面談スペースへ向かう。

形式ばったものではない。新人初日の、軽い確認だ。

 

「今日はどうだった?」

 

小林は椅子に腰掛け、メモを取り出しながら尋ねる。

 

「正直に言ってくれていいよ。分からなかったこととか、不安なこととか」

 

「……そうですね」

 

東条は一瞬、視線を落とし、言葉を選ぶ。

 

「業務内容自体は、エルマ先輩が配慮してくださったようで、新人の自分にも問題なく対応できる内容でした。滝谷さんも気遣ってくれていたので、安心して働けました」

 

小林は、小さく頷いた。

 

(受け答えは丁寧。内容も的確……ただ)

 

メモを取るペン先が、ほんの一瞬だけ止まる。

 

(“安心して働けました”、か)

 

その言葉が、ほんのわずかに引っかかった。

 

この面談の前、小林は滝谷から今日の業務中に起きた“妙な出来事”について聞かされている。

 

気づいたら、そこにいたこと。

落ちるはずだったペンが、いつの間にか東条の手元にあったこと。

理由を説明しようとすると、言葉にできなくなる違和感。

 

(……また、か)

 

小林は内心でため息をついた。

 

これまでだって、似たようなことは何度もあった。

助けたドラゴンが居候になり、

その友人が増え、

異世界絡みの厄介ごとに巻き込まれ、

気づけばそれを“日常”として処理する立場になっている。

 

(今度は、奇妙な新人、ね)

 

視線を東条へ戻す。

 

落ち着いた姿勢。

丁寧すぎるほど整った受け答え。

 

――普通だ。

少なくとも、表面上は。

 

小林はペンを置き、少しだけ姿勢を崩した。

 

「じゃあ、いくつか聞いてもいいかな」

 

「はい」

 

少なくとも――素性はともかく、この新人が“どういう人間か”だけは見ておく必要がある。

 

「この会社、まだ出来て日が浅くてね。もしも手が空いたら助けてもらいたいんだけど、どうかな?」

 

「状況によりますが……基本的には、手を貸します」

 

「自分の仕事が残っていても?」

 

「はい。優先度を確認した上で、ですが」

 

小林はメモを取りながら、内心で頷く。

 

(まだ浅い。もう少し踏み込まないと)

 

「じゃあ逆にさ」

 

小林は顔を上げる。

 

「それが“理不尽なこと”だったら?」

 

「……理不尽、ですか」

 

東条は少し考えた。

 

「誰かが一方的に損をしているとか、不当な扱いを受けている場合、ということですか?」

 

「そうそう」

 

「その場合は、止めます」

 

きっぱりとした口調だった。

 

小林のペンが、また止まる。

 

「上司でも?」

 

「はい」

 

「会社の方針でも?」

 

「……はい」

 

一拍の間。

だが迷いではない。

 

「納得できる理由がない限り、止めます」

 

小林は、眼鏡の奥で目を細めた。

 

(……ああ、なるほど)

 

言っていることは、正しい。

あまりにも正しい。

 

だが、その“即答”が――

 

(危ういかもなぁ……)

 

新人が、会社という組織に入って一日目で、

ここまで迷いなく言える言葉じゃない。

 

「ケンカになることも、あるんじゃない?」

 

探るように、小林は言った。

 

「あります」

 

東条は、あっさり認めた。

 

「ですが、それは見過ごしていい理由にはならない」

 

 

――刹那

 

 

燃えるような瞳が、真っ直ぐに小林を見つめていた。

 

「ッ……!?」

 

小林は、思わず息を呑んだ。

それは、ただ目が合った、というだけの出来事のはずだった。

だが小林は、その瞬間、思わず後ずさっていた。

 

(……あ)

 

言葉にならない違和感。

いや、違和感ではない。

もっと直接的な――圧。

 

威圧ではない。

敵意でもない。

だが、確かにそこには()()があった。

 

小林は思った。

 

(……なんて真っ直ぐな目だ)

 

今まで何人もの新人と面談をしてきた。

緊張して視線を泳がせる者。

評価を気にして言葉を選ぶ者。

反抗心を隠そうとする者。

 

だが、東条仗助の視線は、それらのどれとも違った。

 

――対等だった。

 

上司でも、評価者でもない。

ただ、一人の人間として、正面から向き合っている。

 

「……」

 

一秒にも満たない時間。

だが、小林の背中に、じっとりと汗が滲む。

 

「真面目だね、うん。それはとても大切なことだし、素晴らしいことだと思うよ」

 

小林は、わざと軽い調子で言った。

空気を和らげるための、半ば無意識の選択。

 

「でもさ」

 

眼鏡の位置を、指で押し上げる。

 

「東条君はどうなるの?」

 

その言葉に、東条の眉がわずかに動いた。

 

「私としては、自分が怪我をするリスクも考えた方がいいと思うな。心も身体も」

 

探るような問いかけ。

同時に、忠告でもあった。

 

東条は、ゆっくりと息を吸った。

 

「はい」

 

声の調子は、先ほどまでと同じ。

丁寧で、落ち着いている。

 

だが――

 

「ですが」

 

その一言が、はっきりと区切られた。

 

「それでも、引けない場面はあります」

 

再び、視線が合う。

 

今度は、小林も逸らさなかった。

 

「目を背けたせいで失ったら、その方がずっと後に残ると思いますから」

 

言葉は静かだった。

熱を帯びているわけでもない。

 

それなのに。

 

(……重いな)

 

小林は、そう感じた。

 

理想論ではない。

これは、覚悟の話だ。

 

それを、この年齢で、

この落ち着きで、

この当然さで口にする。

 

(……経験、積んでる人の目だ)

 

仕事の経験ではない。

もっと別の、生き方そのものの。

 

小林は、ふっと息を吐いた。

 

「……分かった」

 

ペンを置き、メモ帳を閉じる。

 

「ごめんね、話が脱線しちゃって。今日はもう十分かな。面談は終わるけど、何か聞いておきたいこととかある?」

 

「いえ、大丈夫です。ありがとうございました」

 

東条は、すぐに視線を下げ、立ち上がった。

その瞬間、先ほどまで感じていた圧が、嘘のように薄れる。

 

まるで――

何かが、再び静かに蓋をされたかのように。

 

「今日はお疲れさま。明日からも、よろしくね」

 

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

深すぎず、浅すぎない礼。

最初に見た時と、まったく同じ。

 

東条は静かに面談スペースを後にした。

 

「……」

 

ドアが閉まった後。

 

小林は、しばらくその場から動けずにいた。

 

「……はぁ」

 

小さく、ため息をつく。

 

(あれは確かに……普通じゃないなぁ……)

 

そう、確信していた。

 

(“信念”……か)

 

曲げる気がない。

折れるつもりもない。

 

そう、言うなれば、

 

――高潔な精神を垣間見た。

 

(にしても……私、初めて目を合わせたような気が……)

 

なんであんな強烈な人物を前にして、普通としか思えないのだろうか?

 

 

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