ジョジョドラ   作:夏のレモン

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6話 異変

 

 

 

朝。

 

目覚ましの電子音が、静かな部屋に規則正しく響いた。

 

小林は、いつもと同じ時間に目を覚ました。

反射的に腕を伸ばし、アラームを止める。

アラーム音を消すと、キッチンで朝食を作るトールの物音が聞こえてくる。

 

(トール、いつも何時に起きてるんだろ……)

 

そんな感想が自然と浮かぶ。

 

身体を起こすと、関節がわずかに軋んだ。

年齢のせいか、疲れのせいか、今日は特に酷い。

 

小林はのそのそと洗面所で顔を洗い、歯を磨く。

そうしていると、カンナとイルルが眠そうな顔で小林の横を通り過ぎて行った。

 

「おはよう……小林」

 

「おあよ」

 

「おはよう、カンナ、イルル」

 

目が覚めたら自室に戻り、ネクタイを締めて鏡を見る。

 

そこに映る自分は、相変わらず死んだ魚のような目をしていた。

 

(今日も今日とて、目つきが悪い……)

 

ため息をつき、身支度を終えリビングへ向かう。

 

いつも通り四人で食卓を囲い、

いつも通りトールに見送られて家を出て、

いつも通りの電車に揺られる。

 

車内アナウンスも、吊り広告も、

あまりに見慣れすぎていて、意識の端にも引っかからない。

 

(あー、やっと週末だなあ)

 

揺れに身を任せながら、ぼんやりと考える。

 

(明日は休みだし、今日は帰ったら酒たらふく飲むぞー)

 

誰に聞かせるでもない、不健康な誓い。

だが、そういう小さな楽しみがあるから、人は平日を乗り切れる。

 

 

会社に着くと、小林はいつも通り自席に向かい、

パソコンの電源を入れ、メールを確認する。

 

画面が立ち上がるまでの、ほんの数秒。

 

その何気ない待ち時間で、

小林は、違和感に気づいた。

 

(……あれ?)

 

エルマの席が、空いている。

 

視線をやる。

椅子は引かれたまま、机の上も整然としている。

 

(……珍しいな)

 

小林は、一瞬だけ視線を留めた。

エルマは真面目で責任感が強い。

なので、出社はいつも誰よりも早い。

 

「……まあ、すぐ来るか」

 

小林は深く考えず、作業を始める。

真面目ではあるが、それと同じくらい抜けているところがあるのがエルマだ。

食べ過ぎて体調を崩したこともあるくらいだ。

始業時間までには来るだろう――その程度の認識だった。

 

そう思った矢先、

内線電話が鳴った。

 

「うおっ……」

 

唐突な音に驚く小林。

朝のオフィスでは、その電子音が妙に大きく感じられる。

 

「はい、小林です」

 

『あ、小林さん。東条さんから連絡がありまして』

 

「東条君?」

 

名前を聞いた瞬間、

なぜか、さっき見た“空席”が脳裏をよぎった。

 

『はい。本日、体調不良でお休みするそうです』

 

「……そうですか。分かりました」

 

通話を切る。

 

「東条くんは、休み……か」

 

独り言のように呟く。

 

(慣れない仕事で、無理しちゃったかな)

 

新人なら、よくある話だ。

 

――よく、ある話。

 

そのはずなのに。

 

小林の視線は、再びエルマの席へ向かう。

次に、東条の席。

 

どちらも、空いている。

 

(……いやいや、偶然偶然)

 

自分に言い聞かせ、画面に向き直る。

 

――だが。

 

三十分。

一時間。

 

時間だけが、淡々と過ぎていく。

 

それでも、エルマは現れない。

 

連絡も、ない。

 

(……遅いな)

 

胸の奥に、じわりと不安が滲む。

 

(いや、エルマに限ってそんな……)

 

彼女はドラゴンだ。

力も、生命力も、人間とは比べものにならない。

 

(有給じゃなかったよね?

それか、申請を忘れてるだけ……?)

 

そうであってほしい、と願う。

 

エルマの無断欠勤。

東条の急な病欠。

 

それぞれを切り離せば、なんてことない出来事だ。

 

だが――

 

(昨日、何かあった……?)

 

気づけば、二人の席を交互に見ていた。

 

(……連絡、してみようか)

 

そう思った、その瞬間。

 

ポケットの中で、スマートフォンが震えた。

 

(これは……)

 

表示された番号を見て、小林はゴクリと唾を飲んだ。

 

自宅の番号だった。

 

トールは、仕事中に連絡をしてこない。

 

――よほどのことが、ない限り。

 

一瞬だけ呼吸を整え、

通話ボタンを押す。

 

『もしもし、小林さん。お仕事中すいません。

エルマが――』

 

通話口から聞こえる内容に、小林は冷静に反応した。

 

「うん、うん、そう。分かった。

悪いんだけど、迎えに来てくれる?」

 

トールの話を聞き、小林は静かに電話を置いた。

 

普段から目付きが悪いと言われるその目は、

恐ろしいほど鋭く、吊り上がっていた。

 

 

……………

 

 

小林は滝谷に事情を告げ、職場を抜けた。

詳細は分からない。

だから、簡単にしか話せなかった。

 

だが、滝谷はそれ以上を聞かなかった。

 

ただ、真剣な目で小林を見て、短く頷く。

 

社外に出ると、空気が違った。

同じ街、同じ道のはずなのに、

現実感が、薄い。

 

次の瞬間、視界が影に覆われる。

そこにはドラゴンの姿となったトールがいた。

 

『小林さん』

 

声は落ち着いている。

だが、いつもの柔らかさがない。

 

小林は、軽く頷きその背に乗った。

 

風を切る音だけが、耳元で鳴る。

街の景色が、流れるように後方へ消えていく。

 

(……お願い)

 

祈りにも似た思考が、何度も頭を巡った。

 

 

自宅に着くと、

カンナとイルルが、オロオロした表情で立っていた。

 

小林を見るなり、二人は堰を切ったように飛びつく。

 

「「小林!!」」

 

震える声。

 

その先――

ベッドの上に、エルマが横たわっていた。

 

「今朝、登校中のカンナが見つけたんです」

 

トールの声は抑えられている。

だが、感情は隠しきれていない。

 

小林は、ゆっくりと近づく。

 

「エルマ……」

 

名前を呼ぶ。

返事はない。

 

眠っているようにも見える。

 

小林はそっと、エルマの手に触れた。

 

温かい。

確かに、生きている。

 

それなのに――何も返ってこない。

 

喉の奥が、締めつけられる。

 

小林は無理やり感情を飲み込み、視線を逸らした。

 

「……トール。エルマは、今どんな状態なの?」

 

言葉は平静。

だが、内心は荒れていた。

トールが重々しく口を開いた。

 

「意識が戻りません。

そして、少しずつ弱っています」

 

「原因は?」

 

「……分かりません。

魔力の残滓が一切ないんです。

魔法や呪いであっても、痕跡が残らないなんてありえません」

 

「原因不明……?」

 

「はい。もしかしたら、この世界特有の “何か” によるものかもしれません」

 

特有の “何か”

 

その言葉に、小林は数日前のエルマの言葉を思い出す。

 

『おかしいと思わぬのか!? 

もし東条君が何かをしたのだとしたら、それはドラゴンである私にも効果がある“なにか”をしたということだぞ!』

 

小林は、ゆっくり息を吐いた。

 

東条仗助。

エルマが倒れ、同時に病欠。

 

偶然か。

それとも――

 

『誰かに害を与えるようなことだけは、絶対にしません』

 

信じるべきか。

疑うべきか。

 

昨日の面談で見た顔が、脳裏に浮かぶ。

 

私は、騙されたのか?

 

小林は、選択を迫られていた。

 

 

 

……………

 

 

 

夜の帳が下りた街。

 

街灯の橙色の光が、濡れたアスファルトを鈍く照らしている。

人通りは少なく、聞こえるのは遠くの車の走行音だけだった。

 

その中を、執事服姿の男が一人、歩いていた。

 

背筋は伸び、足取りは一定。

だが、その全身からは、隠そうとしても隠しきれない邪悪な気配が滲み出ている。

 

通行人たちは理由も分からぬまま、無意識に距離を取った。

視線を逸らし、足早に通り過ぎる。

 

本能が、警鐘を鳴らしているのだ。

 

だが――

一人だけ、足を止めて男に向き合う女がいた。

 

タンクトップ姿のその女は、帽子を深く被り、その影から観察するような視線を向けている。

 

「随分苛立っているね。

何か悪いことでもあったのかな、ファフニール君?」

 

ファフニールと呼ばれた男は足を止めた。

 

そして振り返りもせず、低く、不機嫌そうに吐き捨てる。

 

「黙れ。傍観勢の貴様には関係ない話だ。

いつも通りすっこんでいろ。ケツァルコアトル」

 

「その呼び方はやめて欲しいなぁ。

僕にはルコアって愛称があるんだからさ」

 

軽い口調。

その仕草は拗ねているように見えるが、

どこか演技染みたものだった。

 

ファフニールは、ルコアの存在を無視して歩き出す。

 

その背中に、ルコアが言った。

 

「魂が、抜かれていた」

 

空気が、変わった。

 

夜の街に流れていた緩い時間が、

一瞬で張り詰める。

 

ファフニールの足が、止まる。

 

「それは、奴は死んだということか?」

 

警戒を含んだ声。

 

ルコアは、近くの壁に背を預け、帽子を少しだけ持ち上げた。

覗くその表情は、いつもの柔らかさを残しつつも、真剣だった。

 

「生きてるよ。間違いなく。

でも――反応がない」

 

はっきりと、断言する。

 

「身体は、ちゃんと生きてる。

ただし――」

 

言葉を選ぶように、わずかな間。

 

「この状態が長く続けば、

戻れる保証はなくなる」

 

ファフニールの目が、細くなる。

 

「……どういう意味だ」

 

「意識ってね、居場所を失うと、

“それ”に馴染んじゃうんだ」

 

軽い口調とは裏腹に、事態は深刻だった。

 

「ふん。ということは、だ」

 

「うん」

 

ルコアは、静かに頷く。

 

「もって数日。

それまでに意識を取り戻さないと、

エルマ君は二度と戻って来られなくなる」

 

ファフニールは、表情を変えない。

 

「それはトールとその周りの奴らに教えてやれ。

俺には関係ない」

 

吐き捨てるように言う。

 

「俺が用があるのは、

ドラゴン相手にふざけた事をしでかした犯人のみだ」

 

「目星は付いてるのかい?」

 

「滝谷の記憶を読んだ。

容疑者は――東条仗助だ」

 

「容疑者、だろう?

犯人じゃない」

 

「そのくらい分かっている」

 

足を止めることなく、言い放つ。

 

「だが、直接確認すれば済む話だ」

 

再び歩き出す背中に、ルコアは声をかけた。

 

「君にしては、珍しく行動的だね。

身内が害されて、怒ってるのかい?」

 

ファフニールは、足を止め、振り返った。

 

その表情は、まるで悪魔のようだった。

全身から、瘴気が滲み出る。

 

「身内、だと?」

 

低く、殺気を孕んだ声。

 

「ふざけるな。

奴は身内でもなんでもない、敵だ。

しかも、無様に負けた。

奴はドラゴンの恥晒しだ」

 

だが、とファフニールは続ける。

 

「ドラゴンが、人間風情に負けた可能性がある」

 

ファフニールは吐き捨てるように告げる。

 

「それが、俺には――我慢ならん」

 

 

 

 

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