とある女は、神として一人の男を崇拝していた。

某所のワンライ企画で書いたもので、お題は「一神教」です。

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本編

 私にとって唯一信仰すべき存在は、たったひとり。その人だけが世界。その人だけが神。

 今日も私は、巫女として彼のそばに侍る栄誉を手に入れている。

 

 彼に食べてもらうために、最高級の食材を用意した。グラム数万円の肉から、一玉数千円のキャベツ、そして一さじ数百円の生姜や醤油まで。

 

 巫女である私が手ずから調理する。肉は繊維の一つひとつを丁寧に叩き、なるべく柔らかく。もちろん、調味料に浸すことも忘れない。キャベツは芯を確実に取り除き、ミリすらズレないように均一に。

 焼き上げる際だって、一瞬だって目を離さない。耳だって澄ませていく。やや肉が焼ける音が高音になった段階で火加減を強めたり、色が赤い肉を少しフライパンに押し付けたり。

 

 その甲斐あって、見事な生姜焼きが完成したと自負している。生姜と醤油の焦げた匂いと、肉の芳醇な香りが混ざり合っている。ジュウジュウという音もなっていて、いかにも会心の出来といったところ。

 水切りをしっかりしたキャベツと合わせて、混ざり合わないように盛り付ける。そして、彼のもとに持っていくのだ。

 

 どうにも、彼は庶民的だ。神殿を用意すると言っても、何の変哲もない一軒家に住んでいたり。こうして生姜焼きを用意していることからも分かる通り、高級料理も好まない。

 彼の銅像でも作りたかったのだが、首を全力で振ってすがりつかれて止められてしまった。

 だからこそ、私は料理という形で最大限の献身を示している。妥協ではあるものの、彼が喜ぶことを優先すべきだ。

 

 料理を運んでいくと、すでに机を拭いてくれていた。私がやると言っても、眉を下げて申し訳なさそうな顔をするばかり。だから、任せざるを得ない。彼を悲しませていては、本末転倒なのだから。

 

「今日は、自信作です。たくさん召し上がっていただければと」

 

 彼の前に料理を置いて手を差し出しても、私をじっと見るだけ。ため息をついて、私は自分の分を持っていく。最も尊き方が優先されるなんて、当たり前なのに。ペットを先に食べさせる人間だと思えば、納得できなくもないが。

 一緒に座ると、彼はニコニコとしながら私を見ている。まずは、私から口に運ぶ。彼は、好みの料理であるほど先に食べようとしない。そういうところこそが、尊きところだとは思う。けれど、巫女としては恥じ入るばかりだ。神を優先しないなど、生きたまま引き裂かれても仕方ない大罪だろうに。

 

 私の姿を見て、彼は頷く。そして、生姜焼きに手を伸ばす。口に運ぶ瞬間を見ながら、私は息を呑んだ。

 彼は続けてキャベツを口に運び、顔をほころばせる。空間が華やいでいくのが、よく分かる。彼の笑顔だけで、空間は清浄になっていく。これも、神の威光というものだろう。私は身を清めるために、深く深く深呼吸をした。

 

 苦笑しながら、彼は続きを食べていく。最後まで、一瞬だって箸が止まらなかった。私の感じた会心の出来という感覚は、正しかったのだろう。

 私の方を見て、立ち上がって頭を下げる。慌てて近寄って、頭を上げさせた。神に頭を下げさせるなど、煉獄で焼かれようとも償えやしない。

 

「いけません。あなたは、ただ私の奉仕を受け取っていただければと」

「せっかく頑張ってくれたんだから、お礼を言うのは当然じゃないかな? だから、言わせてもらうよ。ありがとう」

 

 彼は、その言葉を欠かしたことはない。料理をしても、掃除をしても、何をしても。その御心だけで、私は天にも登るかのような忘我を味わってしまうというのに。

 やはり、彼は世界の頂点に立つべき神だ。他のあらゆる偽神など、比べることすらおこがましい。

 

 そのための計画は、しっかりと進めている。まずは投資で得た金を足がかりに、財界を通して政界にも進出するつもりだ。

 政教分離など知ったことか。尊きお方の意思のままに動くことこそ、世界の役割だろう。

 投資の目的は、それだけではない。医療分野には儲けを度外視して金を注ぎ込んだ。とある政治家の息子が、難病に侵されていると知ってから。その甲斐あって、政界へのつながりを手に入れることはできそうだ。

 

 私はその興奮に後押しされるままに、最高の笑顔を浮かべた。彼は、私の手を取ってまた笑顔を見せてくれる。

 ずっとそうだ。彼は、私が親から無理難題を押し付けられた時も、クラスメイトに窃盗を疑われた時も、いつだって私の手を取り続けてくれた。私の代わりに殴られようとも、決して手を離しをしなかった。

 そんな尊い方を崇めずして、何を崇めるというのか。まったくもって、宗教家とは愚かなものだ。本当に信仰すべきものを見失って、ただの妄想に依存しているのだから。

 

 私は違う。何よりも尊いものを知っている。輝けるものを知っている。太陽も月も星々も、彼に比べればろうそくの炎と大差ない。それどころか、蚊取り線香程度の輝きだろうか。

 私の胸が、幸福感で満たされていく。布団に入っていようと、美味しいものを食べていようと、この感覚の足元にも及ばない。足元から頭までが痺れるような感覚は、私だけが味わえているものなのだから。

 

 感極まった私は、彼の手を握る。彼は目を細めて、とても穏やかな笑みを見せてくれた。そして、私の手を握り返してくれる。

 

「そういえば、ずっと話したいと思っていたことがあったんだ」

「いかなるご要件でしょうか。あなたの願いであれば、なんでも叶えます」

 

 そう。富も権力も名誉も、あらゆるものを捧げてみせよう。そのための計画だ。ずっとずっと、積み重ねてきたもの。それを、彼だけのために。

 どんな願いだろうか。あの有名人に会いたい。世界で一番有名になりたい。裕福な生活を送りたい。どんなものであれ、構わない。当然のように、与えられるべきものなのだから。

 

「そろそろ、僕たちも結婚して良いんじゃないかな?」

 

 息が止まった。頭が真っ白になった。なぜか、彼の言っていることが理解できない。

 結婚。それは、どんな意味だっただろうか。男と女が結ばれるという話ではなかっただろうか。人と人が。

 

 彼のぬくもりが、手から伝わってくる。そうして、頭が追いついてきた。

 私は、プロポーズされているのか?

 神と結婚なんて、そんな恐れ多い。アリが恐竜に憧れるよりも愚かなこと。いや、でも彼の望みを叶えないのだって罪深い。私は、どうすれば……。

 

 うつむくと、彼はまた眉を下げて申し訳なさそうな顔をした。

 

「やっぱり、ダメかな……」

「い、いえ……。至上の喜びでございますれば……」

「だったら、ふたりで静かに幸せな生活をしたいな。誰にも邪魔されず、穏やかに」

 

 とても楽しそうに、未来を夢想している様子。目が上の方を見ていて、頬が緩んでいる。

 誰にも邪魔されずとなると、政治活動は邪魔でしかないかもしれない。もしかして、計画を破棄しないといけないだろうか。

 もちろん、彼に求められることは幸福極まりない。どんな金銀財宝を得ようとも、比較することすらない。国家元首だろうが、千年にひとりのスポーツ選手だろうが同じこと。

 

 少しあごに当てようとすると、彼に手をつかまれていたままだったことを思い出した。不思議そうに首を傾げて、微笑んでいる。ワクワクを抱えた子供のように。

 その姿を見て、私の心は決まった。投資で得たお金は、結婚資金にしてしまえば良いか。千億くらいあれば、何人作っても困らないだろう。

 

「はい、喜んで……」

 

 そう言った私に、彼は顔を喜色に染め上げる。長年の夢が叶ったかのように。

 なら、それでいいか。絶対に彼を幸せにする。その役目の形が変わったというだけ。

 

 私は、彼の胸元に体重を預けていった。


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