個性、海神 ── 神の血を引く少女は雄英に立つ   作:一夏 茜

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爆竹野郎の家で夕食を、スパイと夜空で心中を

 

 

 ──この日、私は二つの「居場所」を知ることになる。

 

  

「……あ、ごめんガラテア、そろそろ切るわ。今日、うちの父さんと母さん、久しぶりに仕事早く終わってさ」

「……うん」

 

 スマホから響く響香の声は、いつものさっぱりしたトーンなのに、どこか語尾が弾んでいるように聞こえた。

 柔らかい笑い声が響く。 男の人の楽しそうな「ピザが冷めるぞ!」という声と、女の人の「もう、そんなに急かさないの」という穏やかな咎め。

 

「はーい、今行く」

 

 耳郎は笑いながらそう返して、また私に声を落とした。

 

「ほんとさ、『響香ー! 飯だぞ、今日はリクエストのピザ頼んじゃったぜ!』って、もう後ろで騒がしいの。……あはは、分かったから! 今切るって! ──ごめんガラテア。そういうわけだから、また明日学校で」

 

 通話が切れる直前、向こうでまた笑い声がして、誰かが椅子を引く音がした。

 ──家族の音だ。

 

 ぷつり、と無機質な音がして、私の部屋に静寂が戻ってきた。

 

 

 私はスマホを見下ろして視線を落とす。そうだよね。普通、父親も母親もいるよね。

 

「……買い物、行こう」

 

 独り言が、冷えた空気の中に溶けて消えた。私は財布を掴むと、逃げるように部屋を飛び出した。

 

 一人でスーパーに行って、夕食のための買い物をして海沿いを歩いていた。ここはちょっと前までゴミだらけだったのに、気づいたら綺麗になってた浜辺だ。なんとなく海が見たくなって浜辺に降りた。そして浜辺にレジ袋を落とすように置いた。鮮やかな夕陽が空を染め上げて、地平線で溶けている。

 私は冷たく静かな海に、服のままザブザブ入って行っていく。

 

 最初私はただ、海を見たかった。海に行くといつも元気になれる。頭がすっきりする。

 でも……今、心地よい波音の裏側に、自分が救えなかったあの少年の最後の泡の音が聞こえる。なんで思い出しちゃうかな。いつもなるべく考えないように、考えないようにしてるのに。

 

 あの子は私の同級生だった。話したことのない、違うクラスの彼。今も生きてたら、高校一年生。

 あの後、いつも通り学校に行って、うちのクラスの乗り込んできた知らない男の子に引っ叩かれた。

 

 「なんで助けてくれなかったんだよ!! そんな個性持ってるなら、なんで──!!!」

 

 今でもその子に言われた言葉が脳裏によぎる。忘れたことなんてない。

 

 

 私は目を閉じた。頬が濡れる感触に、自分が涙をこぼしていることに気づく。なんで? 私に泣く権利なんてないはずなのに。今私を追い詰めているのはそのタールのように黒く澱んだ罪悪感だけじゃない。

 どうしようもない寂しさが胸を掻きむしる。

 

 会いたい、会いたいよ、パーシー。

 

 自分が弱っていると自覚している。それでも今はただパーシーに会いたかった。抱きしめてほしい。一緒に眠ってほしい。青いケーキを半分こしたい。

 兄を思って海の中で一人立ち尽くしていた。

 私は足を沖に向かって進める。もっと海を感じたい。もっとパーシーを──。

 

「おい!!」

 

 耳を刺すのは聞き覚えのある荒い声。

 私は緩慢に振り向く。私の腕を、今強い力で掴むのは──爆豪だった。私と同じように胸まで海に浸かって私を睨みつけている。私は息を吐いて冷たく告げた。

 

「一人にしてくれない?」

「てめえ何考えてやがる」

 

 ただ今はこの男が不愉快だった。わざと私は突き放すように言った。

 

「……人を、救えなかったことはある?」

「は?」

 爆豪は怪訝な顔になる。

 

「私はある」

 

 私はまた海に視線を戻す。ああ胃がムカムカする。これで引くだろうと思った。確かに爆豪は何も言わなかった。でも、さらに一歩踏みだし、私の腕を骨が軋むほどの力で掴んだ。

 私はうんざりしながら吐き捨てる。

「離してよ」

「──だからなんだ」

「はあ?」

今度は私が目を見開く番だった。

 

「あァ!? だからなんだっつってんだよ! 何死にそうなツラしてやがる。その剥き出しの罪悪感でこれ以上誰に責められんだよ。そんなツラしてここに立ってりゃ死んだ奴が満足するとでも思ってんのか」

 

 『救えなかった』としか言ってないのに、ミスで私が死なせたことを理解しているようだった。爆豪は私のこの感情は、「死んだ奴への甘え」だと言っているのだろう。私は傷つくより先に納得してしまった。

 

「……はあ、わかったよ爆竹くん」

「それ、やめろ」

 

 爆竹くんって呼ばれることを言ってるのだろうか。

 

「だったら私をジメ女っていうのやめてよ」

「ガラ」

 

 ──兄と同じ呼び方。

 思わず目を見開く。

 

「今、なんて呼んだ?」

 震える声で訊くことしかできない。脳裏にはパーシーが笑って自分の名前を呼ぶ幻影が。爆豪の低い声と、兄の明るい声が重なる。

 怪訝そうな顔をする爆豪に、私は震えながら呟いた。

 

「私の……大切な人は私をそう呼んだから」

 

 

「……チッさっさと行くぞ。ガラ」

 

 

 

 爆豪は私の食材が入った、ビニール袋を掴むとズンズン歩いていく。日は落ちていき、夕闇と食卓の匂いが漂う住宅街。そして一軒の家の前にやってきた。表札には──爆豪と書かれている。私は戸惑った。

 

「爆竹くん……どういう」

「飯食って帰れや」

「ええ……私入れないよ。あんたの両親にいきなりご飯食べさせろって言うの? 迷惑じゃん、何も持ってきてないし……あ、ネギいるかな」

「うるせえんだよ! さっさと入れ! じゃねえとてめえ、またあそこで一人で突っ立ってるつもりだろうが!」

 

 私はぎくりとして肩を揺らした。爆豪の苺のように赤い瞳が、一つの嘘も見逃さないように私を射抜く。私は降参、渋々爆豪に続いた。

 爆豪の家は、私が想像していたよりもずっと普通で、そしてずっと……騒がしかった。

 

「遅いわよ勝己! 何時だと思ってんの! あら?」

 

 玄関を開けるなり飛んできた怒声。そこには爆豪をそのまま女の人にして、少し落ち着かせたような女性が立っていた。  彼女は爆豪の隣に立つ

 

「あらあら! 何よあんた、彼女できたの? もっと早くに言いなさいよ!」

「ンなわけねーだろクソババア! 海でジメついてたから拾ってきたんだよ! 文句あんのか! さっさとこいつに飯食わせろ!!」

「拾ってきたって、あんたねぇ……。ごめんなさいね、うちのバカ息子が。あ、私は光己。で、あんた名前は?」

「……ガラテア・ジャクソンです。すみません。何も手土産がないんですが……」

 

 光己さんは「いいのよそんなの!」と笑って、私の背中をバシバシ叩きながらリビングに向かう。そこには爆豪と、お父さんらしき優しそうな男の人が座っていた。

 テーブルには、カレーのいい匂いが立ち込めている。爆豪のいきなりの言葉に戸惑うことなく私の分がよそわれた。

 

 光己さんは椅子を引いて私に進める。

「ほらガラテアちゃん、座んなさい! 勝己、あんたもさっさと食べなさい! ……あ、辛いの大丈夫? ダメなら卵足すわよ」

「うっせぇ、言われなくても分かってんだよ!! ババア!!」

「誰に向かって口きいてんのよこのクソガキ!!」

 

 ……爆豪が二人いる。 目の前で繰り広げられる親子喧嘩……というか爆破一歩手前の怒鳴り合いを見ながら、私は呆然とスプーンを動かした。 響香のところで聞いた「家族の音」は、もっと柔らかくて、穏やかだった。 でも、この家から聞こえる音は、もっと荒々しくて、でも、……何て言えばいいんだろう。

 

 

「あ? 何笑ってやがる」  

爆豪が不機嫌そうにこっちを睨む。私はカレーを一口飲み込んで、笑いを堪えきれずに言った。

 

「いや……爆竹くんが二人いるなぁって思って。……美味しいね、このカレー」

「言ってんだろ、名前やめろ」

「はいはいわかったよ。勝己」

 

 海の冷たさも、救えなかったあの子の泡の音も、今はカレーのスパイスの匂いに上書きされていた。

 

「……おかわり、あるかな」

「あるわよ! いっぱい食べなさい!」

 

 

 

 ──

 

 

 

 夜。私は自宅のマンションで専用のプリントと睨めっこをしていた。課題に追われるその姿を見ながら、なぜかまた来た慶悟くんが、間違いを指摘する。

「そこは草冠」

「わっかんない……ああいやだ、なんで日本人って漢字がこんなにあることに耐えられるの?」

「君、一度も日本出たことないはずだよね?」

「アメリカの血が騒ぐんだよ」

 

 慶悟くんは窓を開けて、窓枠に座っていた。背後には夜景が見える。こいつなら何かの拍子に落ちても死にはしないだろう。慶悟くんはくすくす笑って言った。

 

「そんな頑張らないでいいよ、頑張らなくても──」

 

 ヒーロー目指してるのに頑張らないでいいって何?

 唸りながら机に向かって課題をしていた私は冷たい目で見る。

 

「それでうちで囲うってこと?」

 

「言わないよ、君にそんなことしいたら死んじゃうでしょ」

「は?」

「君って、強がってる割に結構寂しがり屋だよね。責任感も罪悪感もあるし、その強力な個性に似合わない繊細な女の子だ」

「繊細で悪かったね」

 私は吐き捨てる。

 

「それに……」

 慶悟くんはまつ毛を震わせる。

 

 

「君が汚れるのは見たくない」

 

 

 キラキラと宝石のように輝く夜景の中、慶悟くんは私を静かに見ていた。

 質量を纏うような重いその言葉に、胸の奥がひやりとする。

 

「……じゃあ、慶悟くんは?」

「え?」

「自分が汚れるのは、いいんでしょ」

 

 慶悟くんは困ったように笑うだけ。

 

 

 「……でも、俺は平気だから」

 

 

 その言葉が一番許せなかった。それは優しさの顔をした諦めだ。

 公安って慶悟くんに今までどんな汚いことをやらせたのだろう。いや、汚いことだけじゃない。名前まで捨てさせて。人権って言葉を知らないのか。

 なぜだか沸々と込み上げる怒りと共に私は口を開いた。

 

「慶悟くんってさ……自分が幸せにならなくていいって思ってる?」

 

 思いがけない言葉だったのだろうか。慶悟くんは目を見開く。前にひょんなことでつぶやいた彼の本音を思い出す。私は言葉を続けた。

 

「ヒーローが暇な世界を作りたいって前に言ってたよね」

 

 私はシャーペンから手を離し、慶悟くんの元に歩いて行って、手を伸ばす。慶悟くんは避けない、私はそのまま胸ぐらを掴み上げた。

 

「ふざけてんの? あんただけが消費される世界でもいいってことなら。そんなの絶対に嫌なんだけど」

 

 私は震える唇を噛み締めた。

 

「あんたが語る未来には、あんたがいてくれないと嫌」

 

 慶悟くんは小さな声で言った。

「ガラテアちゃんらしくないね、そんな熱を帯びた言葉。俺のこと嫌いなんじゃなかった?」

 

「悪い? 寂しがり屋舐めないでよ、とっくに情なんか移ってるんだよ」

 

 

「……参ったな。そういうこと言われると手放しづらくなる」

 胸ぐらを掴んだ私の手を包み込む慶悟くんの手は、私の冷え切っているものとは違い、温かい。

 

 

 包み込んだまま、慶悟くんは息を吐いた。そして視線をあげて、上目遣いで微笑む。

 私は口を開いていた。

 

「そっちの方がいいよ」

「え?」

 

「飄々としてるホークスもいいけど、眉下げて笑ってる今の顔の方が絶対モテると思う」

「……ふうん、それって君にも?」

 声が低くなる。

 

「はあ?」

 

 慶悟くんは明るく笑って、私の腰に手を回した。ギョッとしたその瞬間、後ろに体を傾けて私を抱いたまま落ちる。風が頬を叩く。

 

 はああああああ???

 

 私は気付けば、慶悟くんと共に空を飛んでいた。

 

「死ぬ!!!」

 私は涙目で慶悟くんの首に肩を回す。

 

「大丈夫だって、絶対落とさないから」

「死ぬんだって!! 私が空なんて飛んだら絶対ぜーったい死ぬ!!! 雷が落ちて死ぬ!!!」

「高いところ苦手なんだ、意外だねえ」

「笑い事じゃない!!」

 

 その日の夜空は綺麗だったとだけ告げておく。

 

 

 

 ──

 

 

 

『で、彼女は? 何か掴めそうなの?』

 

 通信機の向こうで、淡々とした声が尋ねる。慶悟は一瞬だけ、答えるのを遅らせた。

 

「ただの学生ですよ。──俺が見た限り、ヒーロー志望としても真っ当だ」

『……危険因子では?』

「いいえ」

 

 即答だった。

 

『俺が保証します』

 

 沈黙。

 その数秒が、やけに長く感じられた。

 

『絆されたりしてないわよね? ロミトラでミイラ取りになるなんて許さないわよ』

「しませんよ」

『そう、ならいいわ』

 

 通信が切れたあと、慶悟は天井を仰いだ。例え本当のことだとしても保証する、なんて言葉使うべきじゃなかった。公安所属のヒーローとしてあり得ない。

 

「……参ったな」

 

 何度自分に言い聞かせたかしれない。俺は、あの子の危険度を測ってるだけだ。普段なら彼女と接するのは“個人”じゃなく“仕事”だと割り振れていたはずだ。だが、必死に慶悟としてガラテアと接していると自分に言い聞かせているうちに、いつの間にかその境界が曖昧になっていた。

 

 手の中の鍵を弄ぶ。使われていない合鍵。数あるセーティハウスの一つの。

 この鍵を渡すつもりはない。

 

 でも──

 もし……彼女が自分の隣を選んでくれるのなら。この鍵をいつか渡せる日が来れば。

 

 

 そんな永遠に来ない”もしも”を考えてしまって、自分は末期だと思う。

 

 なってはいけないと分かっているのに──こんな自分でも、彼女の居場所になりたかった。

 

 

 欲を、持ってしまった。

 

 

 

 

 

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