2-1「果たせなかった約束」
「……起きているだろうか? 昼食を持ってきたのだが」
遠くから聞こえたレイの声に、意識が現実へ引き戻される。
ぼんやりとした頭を声のした方に向けると、鉄格子の扉の向こうに人影が見えた。あの長身に学ランを着た少女はレイだ。頭ではそれを理解して返事をしようとするが、口も身体もそれに応えようとしない。
「その……みんな心配している。キミにとって碧上イトを失う事は、言葉以上の意味がある事は分かっている。だが……」
レイは言葉に詰まったのか、それ以上は何も言わなかった。続きの代わりに何かが置かれる音がした。
「……食べられるだけで良い、何か口に入れておけ。ペティが用意してくれたんだ。ここに置いておく」
足音が遠ざかっていく。どうやら行ってしまったらしい。
重い身体をなんとか起こしてみる。頭が痛い。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。どのくらい意識を失っていたか分からないが、昼食と言っていた先程のレイの台詞から、昼過ぎであることはなんとなく分かる。
「……っ」
イトの最期の姿が、凄惨な死の様子が、脳裏を
痛みに耐えようと目を閉じれば、それがありありと思い返されてしまう。
八方塞がりでどうしようもなく、叫びたい気持ちになるが口は開かない。声にならない呻き声が喉から漏れただけだった。
「あの……スミレさん?」
肩を叩かれる感覚に反射的に顔を上げる。
思ったより顔が近い。鼻先がぶつかりそうになった。
「ひゃっ!?」
「おっと、大丈夫?」
そこには、アヤフミとシルベが居た。いつの間にか部屋の中に入って来ていたらしい。ふらついたアヤフミの肩をシルベが受け止める。
「あ……す、すみません」
なんとか絞り出した声で謝る。今は顔を見る余裕も無い。二人の靴に目を向ける。
「かわいそうに。こんなに弱ってしまって……」
アヤフミは、私の手に自身の手をそっと重ね、もう片方の手でそっと背中をさすってくれた。優しい感触が伝わってくる。
「扉のところに
そう言いながらシルベが机に何かを置いた。おそらく、先程レイが持ってきてくれた昼食だろう。私は頷くことしかできない。
「ひとりで食べられますか? 私でよければお手伝いしますよ?」
私は首を横に振った。さすがにそこまでしてもらうなんて申し訳が立たない。アヤフミの手をそっと押し戻した。
「あ……」
アヤフミが悲しそうな声で小さく呟くと、そっと離れていった。そんなつもりじゃなかった。頭では否定しようと思っているのに、顔はそっぽを向いてしまう。
「……大丈夫です。スミレさん、あなたはひとりじゃありませんから」
「そうだよ。僕たち、待ってるから。ゆっくり休んでから来なよ?」
2人分の足音が遠のいていく。
少しだけ顔を上げると、目の前の机にサンドイッチが置いてあるのが見えた。するとお腹が鳴り、何か食べさせろと訴えかけてきた。確かに、お腹は空いている。食欲は無いが、何か食べないといけないのは確かだ。
力の入らない腕を伸ばし、サンドイッチを1つ掴んで口元へ持ってくる。
少しかじってみる。柔らかなパンが口の中で溶けて喉を通って行く。
頬を伝う何かが落ちて止まらない。
夢中で頬張って飲み込んでいく。この気持ちも飲み込んでしまえれば良いのに。
***
[レイview]
「ありゃ重症だな」
「やはりそうか……」
2人分のため息が重なる。言葉は続かない。
シンクの水が流れる音が間をつなぐ。
私とペティは厨房で昼食後の片付けをしていた。
私の仕事はペティから渡される皿を受け取り、タオルでそれを拭うこと。
水気が切れたら洗い終わった皿の上に重ねる。簡単な仕事だ。小さく陶磁器の当たる音がする。
「……なんとかサンドイッチは食べてくれたみたいだけどよ、すっかりふさぎ込んじまって」
「ああ、キミも見に行ったのか」
「まぁな」とペティはスミレの部屋の前に置いたはずのトレーを見せた。どうやら回収しに行っていたらしい。
「だが、ありゃあどうしたもんか……」
2人で首を捻って唸る。
少し昔のことを思い返して、こんな時にどうしていたかを考えてみた。
だが、思い当たるのは恋人を慰めるようなやり方ばかり。スミレ相手に使える訳もない。
結果的にとは言え先の事件の原因となってしまったのもあり、下手なことが言えない状況だ。これまでの経験は活かせそうにない。
(……ペティに聞いてみるか)
「……ペティ、キミはこういう時、どうやって声をかけていたんだ?」
「アタシか?」
「そうだなぁ」とペティは何かを思い出すように手を顎に当てた。
「気分が落ち込んだやつには、そいつの好物を出してやってたかな。なんだったか、ハンバーグとかカレーとかかな」
「好物か。八重沢スミレの好物は知っているのか?」
「いんや。……だがまぁ、言いながら悪くない手な気がしてきたぜ。何か特別に料理でも作って持っていってやるか!
題して、【美味しい料理で元気出せ作戦】だ!」
ペティは指を鳴らして私を指した。これは、ペティの思い付きに巻き込まれるパターンだ。愛想笑いで誤魔化しておこう。
「なら、料理はキミに任せよう。私は他の案を考えてくる」
「おいおい、相談しといてそれはナシだろ? 手伝ってくれよ~」
可愛くウィンクしながら手を合わせるペティ。いわゆる【おねだりのポーズ】だ。ここに来てから何度も見てきたペティの得意技。
だが、それが分かっていても、この顔をされるとどうしても断れない。断れるはずもない。
「分かった、分かったから。……だが日課は済まさせてくれ。それと、他の人の意見も聞きたいんだ」
「よしよし。……ちなみに情報集めなら、夕方にラウンジに行ってみると良いぜ。あそこは人がよく集まってるんだ」
「確かに、数人が話しているのをよく見かけるな。分かった。夕方そこに行ってみよう」
それから一言二言話した後、私は厨房を出て日課の見回りに戻った。
備品のチェックをして、屋敷に異変が無いかを見て回る。昔から欠かさずにやっていたルーティンの名残りのようなものだった。これをやらないと落ち着かない。
途中で数人見かけたが、あの事件の後ということもあり、皆の表情は暗い。これが嫌で刀を抜いたというのに、このザマだ。自然とため息が重なる。
「……冬川ルナか」
「…………なんですか?」
廊下で前から歩いてくる特徴的なシルエットに足が止まる。思えば、まともに話すのも初めてかもしれない。ラウンジで初めて会った時から、なんとなく避けられているような気がする。
「人をジロジロ見てなんですか? 何か言ったらどうです? 嫌いなんですよ、あなたみたいな人は」
「私みたいな……何かな?」
「そういうところですよ。……用が無いなら退いてください。邪魔です」
返事も待たずにルナは私の横を通り抜けてしまう。慌ててその背中に声をかける。
「待ってくれ。八重沢スミレを立ち直らせる方法を探しているんだ。何か案は無いか?」
「は? 知りませんよ、そんなこと。仲良しごっこなら他所で勝手にしてください」
吐き捨てるように言うと、ルナはさっさと行ってしまった。それ以上追及することもできず、その背中を見送ることしかできなかった。
***
17時になり、監房の鍵が開く。ペティは夕食の準備のために厨房へ向かった。それを見送った私は、アドバイス通りにラウンジへ向かうことにした。
「あ、レイさん!」
ラウンジに入るなり、シルベが手を振るのが見えた。軽く手を振り返して近くへ行く。
と、シルベの隣で小さくなっている何かが目に入る。毛布の奥で小さく会釈したのはユウノだ。私は頷き返す。
「珍しいですね、こんな時間にラウンジにいらっしゃるなんて」
アヤフミが顎に手を当てて首をかしげている。その隣で、クオレが真似をして小首を傾げていた。そんなにおかしなことだろうか。
「そうでもない、見回りの一環だ。……それで、みんなはここで何を?」
「まぁこれと言っては何も、かな。僕たちは、これから図書室に行こうかなって話をしていたんだ」
そう言って、毛布を被ったユウノに「ね?」と問いかけるシルベ。毛布が縦に揺れる。
「図書室……清條ユリと摩多音テミが通い詰めていた印象だが。まさか、その2人に何かあったのか?」
「ううん、何かってほどでも無いと思うけど。スミレさんほどじゃ無いにしても、あの2人はかなり参ってるみたいだったから、声かけておこうかなって」
「なるほど……確かに、昼間に見かけた時の表情は優れていなかった。分かった。あの2人はキミに任せよう、シルベ」
「もちろん。さ、行こうか、ユウノさん」
毛布を被ったままのユウノが、シルベの後に続いてラウンジを出ていく。まるで、シルベが大きな猫を連れて歩いているようにも見えてきた。随分と無口な猫だ。返事はしてくれるようだが。
そんなことを考えている場合ではない。ここに来た目的を危うく忘れるところだった。咳ばらいをして思考をリセットし、アヤフミたちの方へ向き直る。
「……実は、八重沢スミレの事で相談がある」
「スミレ様がどうかされたのですか?」
クオレが問いかける。もしかしたら、まだスミレの様子を知らないのかもしれない。私は軽く、スミレの状況をクオレに伝えた。
「そうだったのですか……。……言われてみれば、本日はスミレ様をお見かけしていませんでした。まさかそんなことになっていたとは」
「私もお見舞いに行ったんですけど、手を振り払われちゃって」
「……何かの間違いでは?」
クオレが困惑の意を示す。いくら今のスミレが茫然自失の状態とは言えどそんな事をするとは信じ難い。私は頷いた。
「私もその意見には賛成だ。彼女は拒絶するような事はしない。きっとどうすれば良いか分からなかっただけなんだ」
「そう……ですよね、私もそうだとは思うんですけど……」
重い沈黙が間を満たす。
今のスミレには、人の優しさを受け入れられるほどの余裕も無いのだろう。かける言葉が見つからず、無言の時間が過ぎていく。
「……?」
ふと、視線を感じてラウンジの入口に目を向ける。同じく気配に気付いたのか、クオレもそちらを向いた。
そこには、こちらの様子を伺うリチが居た。リチと目が合う。彼女はにっこりと笑い、壁から離れてその姿を見せた。
「私もお話に混ざっても良いかしら……?」
口ではそう言いつつも既にラウンジへ入ってきていた。その腕に小さな人形を抱えながら、リチは私の横に座った。
「それで、なんのお話をしていたの……?」
「ああ、それなんだが……」
ようやく、入り損ねた本題について話し始めることができた。議題は、八重沢スミレを立ち直らせる方法について案が無いか。
それを聞いたアヤフミ、クオレ、リチは、それぞれがあっちを向いたりそっちを向いたりしている。どうやら考えてくれているようだ。
「私なら、カウンセリングで心に抱えているものを吐き出させてあげたいけれど……」
アヤフミは呟くようにそう言うが、今はそれができないことを悟っているようだ。しょんぼりと肩を落としている。
「……ワタシはあまりそういう経験はありませんが、スミレ様のために何かしたい。そう思います」
クオレは少し考えてからそう言った。相変わらずその表情から感情は読み取れないが、それが本心からの言葉であることは分かった。
「ん~そうだね……何かを渡してみるのも、良いかもね。……私もそう思う」
手元の人形に向かってリチは頷く。リチによく似た可愛らしい人形が頷いているように見えた。
リチの言葉を聞いて、この後スミレのためにペティと料理を用意することを思い出した。手伝うと言ったからには、手伝いに行かなくてはならない。何も決まらなかったが、話を聞けただけ収穫があったと言えるだろう。
「……なるほど、貴重な意見をありがとう。具体的な案はまだ見つからないが、考えるヒントにはなったと思う」
「すみません、お力になれなくて……」
「そんな事は無い。……もう少し、考えてみる」
謝るアヤフミに首を振り、私は立ち上がる。
「えー……もう行っちゃうの……?」
「ああ。私には少し、やる事がある」
寂しげなリチに「後は任せた」と告げて、ラウンジを後にした。
***
「……ってことで、ペティ特製スープの完成だぜ!」
夕食を作るついでに作ったにしてはかなり凝った作業に見えたが、ペティは特に苦戦する様子も見せずにそれを作り上げて見せた。美味しそうに湯気を立てるスープが机の上で揺れる。
「結局、私はほとんど手伝っていないが……」
「何言ってんだ、夕食に使う食材切るのとかはやってくれたろ?」
「そんなのはいつもやってる事だろう。私が言いたいのはこのスープについてだ」
「……なら、愛でも入れておくか?」
「茶化すな。……まぁ良い。これで八重沢スミレが立ち直ってくれれば良いんだが」
言いながら夕食の準備に戻ろうとする。それを見たペティが「ちょいちょい」と止めに入った。
「スープを運んでくれよ。後はやっておくからさ」
「いや……それはキミが運んでくれないか? 今は少し……彼女に合わせる顔が無い」
「うん? そうか……じゃあ、アタシが運ぶしかねぇか」
特にそれ以上言及することなく、ペティは「あっつ!」と言いながらもトレーにスープを乗せる。
だがすぐにこちらを向いて、「本当に入れなくて良いのか? 愛」とまだ言うペティを視線だけで厨房から追い出す。それでスミレが立ち直るなら話は変わるが、それをできる立場に無い事は私が一番よく分かっていた。
「……立ち直らせる方法。何か無いだろうか」
答えは返って来ない。
***
[スミレview]
「おーい、スミレ! 起きてっか?」
鉄格子の扉の向こうから元気な声が聞こえる。
いつの間にかまた気を失っていたようだ。その声に重い
慌てて起き上がると、扉の向こうにはペティが居た。その手にはトレーが乗っている。
「悪い、起こしたか」
返事の代わりに私は首を振る。扉を開けようと思うが、身体は思うように動いてくれない。
動かない私を見て、ペティは困ったように笑った。
「あーその、入って良いか? 晩飯を作ってきたんだ」
私は頷くことしかできない。
ペティは扉を押し開けて部屋に入ると、机の上にトレーを置いた。美味しそうな匂いがふわりと香る。
「……スープ?」
「そうだぜ。ペティ特製スペシャルスープだ」
まるでレストランで出てくるような綺麗な見た目と、嫌でも食欲を搔き立てるスパイシーな香りが喉を鳴らす。自然とトレーに手が伸びる。
するとペティがすかさずトレーを運んでくれた。
「……元気出せよ。なんて、無責任なことは言わねぇ。まずは温かくして寝る。それが一番だぜ?」
トレーごと膝の上に載せて、木のスプーンを手に取る。
温かい。まるで、身体の芯に直接熱を与えられたようにじんわりと熱が広がっていく。
ありがとうと言わなくては。ここまでしてもらって何も言えないなんてありえない。
そう思ってペティの顔を見ると、ペティは指を立ててそれを軽く振って見せた。
「感想はいい。……その代わり、明日は食堂へ顔見せに来い。良いな?」
ペティはそう言って満足したのか、立ち上がって部屋の外へ歩いていってしまう。
「……ありがとう、ございます」
慌てて口を開くと出てきた言葉はそれだった。うまく言えなくて変な感じになってしまった。恥ずかしくて目を逸らす。
「……気にすんな。おやすみ、スミレ」
笑うでもなくペティはそれだけ告げると、扉を閉めてどこかへ行ってしまった。
行き場を失った視線は自然と、膝の上で湯気を立てるスープに帰ってくる。そうしてまた一口含む。
「…………おいしい」
前にペティに作ってもらったものとは明らかに違う。何が違うのかを具体的には言えないが、これが私のために特別に作ったものであることだけは分かる。
「そうだよね……明日、ちゃんとお礼を言わないと」
気付けばスープは空になっていた。食器を返さなければという思考が先行するが、食堂まで向かう元気はまだ無い。仕方なく机の上にトレーを戻す。
こんな調子で、明日は本当に食堂へ向かえるだろうか。段々と不安になってきた。
そこでふと、先程目に入った二段ベッドの底板を思い出す。
「……布団、片付けなきゃ」
宿主の居なくなった布団がいつまでもあるのは不自然だ。そう思うと、途端に片付けなくちゃいけないと思えてくる。
なんとか立ち上がって、傍にある
かつて、イトが眠っていた空の布団が目に入る。当然、そこには誰もいない。
(ごめん、イトさん……)
とはいえ、人の寝床を荒らすことになるのは変わりない。心の中で謝りながらも、湧いてきた使命感に従って薄い掛布団をめくる。
「あれ……?」
すると、薄いマットレスの上に白い何かがあるのが見えた。布団で隠されていたらしい。
気になって手に取ってみると、『八重沢さんへ』と書かれている便箋だった。
「イタズラ……な訳、ないよね」
そうだとしたら趣味が悪すぎる。我ながら酷いことを考えているなと、ため息が出る。
「……私宛てだし、読んでも良い……よね」
封はされていなかったようで、中を開くと数枚の紙が入っていた。広げてみるとそれは、イトの書いた手紙のようだった。
あの偽物の手紙とは違うと、一目で見て分かる。震える手で手紙を握りながら、その文面に目を通す。
八重沢さんへ
突然の手紙でごめんなさい
本当なら直接伝えた方が良いのは分かってるんだけど……
上手く言える自信が無いから、こんな形になってしまうことを許してください
たった数日でこんな手紙を書くって言うのもおかしな話なんだけどね
本題に入るね
まず、八重沢さんにはすごく助けられてる
生き方のせいかな、ここに来る前はそこまで人から気にかけてもらうことも無くて……
八重沢さんが初めてなんだ、ぼくのことを気にかけて話をちゃんと聞いてくれた人は
それだけなんだけど、それがとても嬉しかった
だから……ありがとう八重沢さん、ぼくの話を聞いてくれて、
嫌な顔せず一緒に過ごしてくれて
まだ、話せないこともたくさんあるけれど……もしここから元の場所に帰ることがあったなら
いや、帰ることが無くても心の準備ができたら……
その時に、ちゃんとぼくのことを話したい、ここに来る前に何をしていたのかとか
……嫌われちゃうかもしれない
でも、八重沢さんには嫌われてしまったとしても、ぼくのことを知っておいて欲しいんだ
だから約束、覚えていてね
碧上イト