いよいよ投票が始まった。
私のやるべきことはただ1つ。【棄権】を選択して処刑を取りやめること。
なんとなくシルベの方を見ると目が合った。
シルベは力強く頷き、その決意をあらわにする。
私はスマホに触れないよう、目の前の証言台に置き、画面を凝視した。
投票開始から10秒、20秒。
ただ待つだけなのにとても長く感じる。
そして1分後、スマホから小さな音が鳴り、投票の受付が終了した。
画面には『投票を棄権しました』と文字が映し出され、ようやく終わったのだとため息をつく。
シルベも同様だったのだろう。どこかやり切ったというような表情で天井を見上げていた。
「投票は終わったな? それじゃ結果を……なんて、見るまでも無いんだがな」
ツカイマが何か意味深なことを言っている。見るまでも無い、とはどういうことだろう。
(……まさか)
ある考えに至った瞬間、それは悪寒となって背筋を凍らせた。
「まあでも言っちまうと、票が割れたぜ。【棄権】と【桂ペティ】にな」
(そんな……! それじゃこの場合はどうなるの?)
「オレっちは言ったよな? 『全会一致が条件だ』って」
ツカイマの声からは、心底呆れているといった感じがにじみ出ていた。
「だが結論は出なかった。……裁判を続けろ。ほら、そこに何か言いたそうなヤツが居るだろ」
そう言って視線を向けた先にいたのは、ペティだった。
ペティが表に向けていた感情は【怒り】。
ここに来て以来、一度も見たことの無かった表情だった。
ペティは強く机を叩き、周りを見渡す。
その音に驚いて思わず身体が跳ね、冷や汗が流れる。
「シルベ……スミレ……オマエらは何を言っているんだ? レイが自分の意志で食べたから【自殺】? だからアタシは魔女じゃない、とか本気で言ってるのか?」
声は落ち着いているように聞こえるが、そこからは今にも爆発しそうな感情が漏れていた。
その剣幕に押されて、私もシルベも言葉が出ない。
その静まり返った空気を破ったのはルナだった。
「馬鹿もここまで来ると救いようが無いですね。これは魔女裁判で、魔女を見つけるための裁判。殺人犯を見つける裁判じゃないと、何度言えば分かるんですか」
「そんな! さっき『分かりました』って言ってたじゃないっすか!」
「言いたいこと、主張したいことは理解しました。ですが、それに納得して【棄権】するかは別の話ですよ」
ため息を吐くルナの横で、ペティが叫ぶ。
「レイに対して殺意を抱き、魔法を利用して毒を作り、ケーキを作り、結果的にレイがそれを食べて死んだ。そんなことまでやったアタシを、なんで庇おうなんて考えになるんだよ!」
何ひとつ言い返せなかった。
だが、シルベがぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「僕は……ただペティさんを助けたかった。ただそれだけなんだ……。あのまま何もしないでペティさんの処刑が決まってたら、きっと後悔すると思ったんだ……」
その言葉を聞いたペティは、悲しそうな表情をしながら右手を前に差し出した。
爪は長く伸び、その手は明らかに人のものではないようなおぞましさがあった。
「見えるか? 昨日切ったのに、もうここまで伸びちまってる。魔女化はもう止められないところまで来ちまってんだ。もし、ここで許されて解散なんてことになったら……。明日……いや今日中には、全員の死体がそこら中に転がることになるぞ」
低い声で放たれた宣告に、それは決して冗談ではないと悟る。
「そ、それは嫌です……」
「ペティちゃん怖いよ……」
ユリもリチも恐怖で声が震えている。
「アタシは【魔女】。これはもう覆りようのない事実。だから、ここで処刑されるのが正しい道なんだ。頼むから……理解してくれ……」
もう誰も言葉を発することはできなかった。
ペティは【魔女】である。そして、彼女を処刑しなければならない。
言葉では分かっていても、頭がそれを拒絶しようとする。
それでもなんとか言葉を絞りだす。
「じゃ、じゃあ、なんで……ペティさんはレイさんを殺そうと思ったんすか……? なんで記憶も無いんすか……?」
「それは……分からねえんだ」
私の絞り出した言葉に、ペティは苦しげに言葉を紡いだ。
(なんで分からないの……? どういうことなのか全然分からないよ……)
「……でも、このまま何も分からずにモヤモヤしたくない。覚えていることだけで良いから……ペティさんの口から教えてもらいたいな」
シルベが諭すようにそう言う。
「……分かった」
ペティが途切れ途切れに、事件のことを語りだした。
***
きっかけは恐らく、レイが持って来てくれたクッキーだと思う。
本当はあのクッキーを食べたくはなかった。でも、レイがアタシのためにと作ってくれたクッキーを断りたくもなかった。
そして出した結論が、無理してでも食べることだった。
その時は我慢できると思っていたんだ。
他でもない、レイが作ってくれた物ならば耐えられる、と。
でも、駄目だった。
その時から少しずつ、殺意を募らせていったんだと思う。
……アタシは、レイを傷付けたくなかった。だから、湧き上がる殺意を必死に抑えようとしたんだ。
時々、ぼーっとしてるように見えてたのはそれだと思う。
その後、断れなかったアタシへのお見舞いで、レイが食事を持って来てくれることが度々あった。
食べたくないなどと言えるはずもなく、無理して食べては殺意を抑える。
そんな日が続いたんだ。
アヤフミが指摘していたカップの件もそうだ。
アヤフミの言う通り、あの時無性に殺意のようなものが沸き上がり、それをカップに叩きつけた。
『手を滑らせた』なんて咄嗟に言ったが、レイも気付いていたかもな。
そして昨日、ケーキの試食会を終え、片付けを終わらせて奥の小部屋で休憩していた。
アタシが覚えているのはここまで。
次の瞬間には、朝になり起きるところだった。
あとは裁判中に話し合った通りだ。
記憶が飛んでいる理由は自分でも分からないんだ。
***
ペティが語ってくれた内容は、余りにも理解しがたいものだった。
(食べたくなかった? でも無理して食べた? どういうことなのかまったく分からない……)
「その……どうして食べたくなかったのかは、教えてはくれないんすか?」
「ぐっ……」
ペティの表情を見る限り、教えたくないのだと推測できる。
しかし、そうまでして秘密にしておきたいこととはなんなのだろうか。
「……味覚の異常か、それに伴う摂食困難」
突如聞こえてきたシルベの声。
放たれた言葉の意味を理解するよりも先に、シルベが話し出した。
「以前から気になっていたんだよ。ここに来てから、ペティさんが何かを食べているところを一度も見たことが無いんだ」
その言葉を聞いて、過去の出来事を思い出す。
普段の食事も。
バーベキューの時も。
お料理教室の時も。
思い返せば、初日に魔法を教えてくれた時も。
どの時も『作りながら摘んでいる』『もう先に食べた』などの理由で食べる姿を見せなかった。
「待って! 私は見たことがあります! ペティさんのお見舞い行った時にサンドイッチを食べてもらいました」
アヤフミが手をあげながら声を張り上げる。
確かに、お見舞いにサンドイッチを持っていくところは目撃している。
「それは桂さんが自分から食べたの? 無理やり食べさせた、みたいなことはしなかった?」
「あ……そんな……」
ウメの指摘を聞いて何か思い当たることがあったのか、アヤフミががっくりと肩を落とす。
「もう……やめてくれ……」
喉の奥から絞り出すようにペティがつぶやく。
シルベの言うことを、暗に肯定している反応だった。
「どうして……どうして教えてくれなかったんすか……」
私もやっとの思いで言葉を紡ぐ。
教えてくれなかったことか、あるいは気付けなかったことにショックを受けているのか、自分自身でも分からなくなっていた。
「幻滅されたくなかった……料理人が食事できない身体だなんて……言えなかった……」
「なんで……なんで……」
どうしたらいいのか分からず、溢れてくる涙を止めることもできずにいた。
「ただ、自分の魔法で作った物だけはなんとか食べることができた……。それでも苦しいことには変わらなかったが……」
衝撃の告白の連続に耐えられなかったのか、あちこちからすすり泣く声が聞こえてくる。
「もしかしたらこの身体は、魔法を使うことによる副作用かもしれない。そう思って魔法無しで料理を作ろうとしたこともあった。でも、結局味見もできず、酷い料理を出してしまうかもしれない恐怖には勝てなかった……。だから魔法を使うのを止めることはできなかった……」
「そうやって魔法を使い続けて……。魔女化が進んでいるのもそれが原因では?」
ルナの指摘にペティはただ静かに頷く。
先程ペティが見せた手の様子が、それを裏付けていた。
「――でも……それでも……ペティさんが処刑されるなんて嫌っす!!!」
必死にそう叫んでいた。どうしても受け入れられなかった。
そんな私をペティは苦しそうに見つめる。そして、懐から何かを取り出した。
それは1本の小瓶だった。
監房での探しものとはこれのことだったのだろうか。
「これ……今朝起きたらポケットに入ってたんだ。何か分からなかったからとりあえず持っていたんだが……。この瓶のことをアタシは覚えていないのと、ユリの言っていることが合っているなら、これがその毒なんだろうと思う。もしかしたら、殺意が暴走して今日の朝食に使っていたかもしれない。今朝じゃなくても、パーティの料理に使っていたかもしれない」
毒入りの食事を想像したのか、何人かが口元を押さえてえずいている。
「ち、違う! そんなの気のせいっすよ!」
顔がぐしゃぐしゃになりながらも、声を張り上げて全員に訴えかける。
「ペティさんがそんなことするはずが無いっす! 毒なんて絶対入って無い! みんな落ち着いてください! 苦しいのも吐きそうなのも全部気のせいなんすよ!!!」
「よくそんなことが言えますね。できたかどうかの話をしていると、何度言えば分かるんですか、このちんちくりん」
ルナが中指を立てて吐き捨てる。
「分かりません! そんなはず――」
「――もし、さっきの投票で全会一致で許されていたら、後からここにいる全員を毒殺してたかもしれないんだ!」
私の声を遮り、ペティが声を張り上げた。思わず口を噤む。
「誰も……アタシの作る料理を疑わなかったから……」
「……っ」
唇を噛む。
ペティの言うことが本当ならば、下手をすればパ-ティ会場がそのまま大量殺戮の現場になっていた。
起こりえたかもしれない大惨事など一切想像もせずに、誰ひとりとして何も疑問を持たずに料理を楽しんだだろう。
「だが、これで分かっただろう。例えこのまま生き延びて、ここの暮らしが続いたとしても
もうアタシの料理を食ってくれる人はいない。毒殺の容疑がかかってるヤツの作ったモンなんて食いたくねぇだろう。……なにより、アタシに料理を作る気が無い。もう……料理人は廃業……もう……終わりなんだよ」
そう言いながら瓶を床に叩きつけ、瓶は粉々に砕け散った。
「これでもう……毒は無くなった……作り方もアタシしか知らない」
そして、私の方に視線を向ける。
「スミレ……すまなかったな。……もう、庇わなくて良いから」
「…………」
口を開くことも出来ず、ただ唇を噛み締めて俯くことしかできなかった。
もう誰も何も言えず、沈黙が辺りを支配する。
どのような言葉をかければいいのか、慰めればいいのか、怒ればいいのか、何も分からない。
沈黙が続いていると、ペティが口を開いた。
「ツカイマ、もういいだろ。始めてくれ。もう一度投票して……終わりにしよう」
「…………なんかちょーっと勘違いしてねえか?」
思ってもいなかったツカイマの返答に、思考が追い付かずに混乱してしまう。
「裁判のルールを忘れたのか? 魔女を『特定』しろ。そういうルールだったよな?」
「……どういうことだよ。アタシが魔女だってもう言ってるじゃねえか」
ペティの抗議もどこ吹く風でツカイマは淡々と続ける。
「さっきの投票じゃ、【棄権】が6票、そして【桂ペティ】には3票しか入って無かったんだぜ? これじゃ『魔女を特定した』とは到底言えないよなぁ?」
「私と、魔女本人と、もう1人はデカマフラーでしょうかね。……少し見直しましたよ。感情に流されず、冷静に判断できるようですね」
ルナの言葉に、目を瞑ったまま一切反応しないウメ。
(ルナさんは分かっていたけど、まさかウメさんも投票してたなんて……)
「最初の投票では【棄権】が多くて成立しなかったからな。もう1度投票をしてもらう。もし1票でも割れたら……その時は分かるよな?」
「なんの話ですか?」
「わざわざ再投票させてやってんだから、全員の意見を一致させるくらいはしてくれよ」
「はぁ……そんなルールでしたっけ」
ルナのため息を、ツカイマが鼻で笑う。
ペナルティのつもりだろうか。改めてペティは魔女だということを【全員で】指摘しなければならないということらしい。
「……分かってるよな? 変な気は起こさないでくれよ」
ペティが誰に言うでもなく、念を押す。
もし、ここで誰か1人でも迷えば、その時は本当に終わりになるのだから。
「さて、それでは投票タイムといこうか。【魔女】だと思うヤツに投票しろ。【棄権】したけりゃしてくれてもいいぜ。どうするかはオマエら次第なんだからな」
そして始まる2度目の投票。
【桂ペティ】に投票しなくてはならない。
頭では理解しているつもりでいたが、それでも画面を押す手に力が入らない。
周りでは、投票を終えたのだろう、大きく息を吐く人や、スマホを置いて祈るような仕草をする人もいた。
私も覚悟を決めなければいけない時だ。
大きく息を吸い、右手に力を込める。
「……っ!!!」
小さく音が鳴り、投票を終えたことが分かる。
「全員投票が終わったな。じゃ、結果発表だ」
ツカイマの声と共に、スマホの画面に結果が表示された。
画面には【桂ペティ】の名前と顔が大きく表示されていた。
(……ああ)
心は不自然なほど凪いでいた。
先程のような諦めたくないという感情は、消え失せていた。
心のどこかで、もう無理だと諦めてしまったのだろうか。
それとも、全員処刑にならなかったことに安堵しているのだろうか。
その時、近くで何かが軋む音が聞こえてきた。
音のする方を見ると、シルベが証言台に手をついてその拳を握りしめていた。
表情こそ見えないが、気持ちは察することができてしまう。
あと少しでペティを救えると、そう思えてしまったから。
「ちっ、めでたく全員一致か。1人くらい裏切者が居ても良かったんだけどな。例えば魔女が全員を道連れにする為に【棄権】を選んだりとかな」
「ツカイマてめえ!!!」
激昂したペティが掴みかかろうとするが、すぐ傍にいた看守にあっさり止められてしまう。
「おーこわ。殺られる前にさっさとやっちゃおうかね。いつも通り処刑ボタンをぐーっと押してくれ」
ほんの少しだけ迷い、ふとペティの方を見る。
ペティは目を瞑り、腕を組んでその時を待っているようだった。
ペティの覚悟を無駄にすることはできない。
こちらも覚悟を決め、処刑ボタンを長押しする。
数秒後、完了の合図として小さな音が聞こえてきた。
「よし、それじゃ魔女の処刑を執り行うぞ」
ツカイマの合図と共に、中央の台座が大きな音を立てて動き出す。
地下からせり上がって来たのは、全員が毎日見慣れているであろうものだった。
「これは……厨房にある窯……ですよね?」
アヤフミがおおよそ処刑とは関係無さそうなものを見上げ、呟いた。
確かに一見、料理練習をしていた時に見ていたものに近い。
ただ違ったのはその大きさ。
普段見慣れているものと比べて、数倍、いや数10倍以上はあろうかと思う巨大な物だった。
看守に腕を掴まれて、ペティはされるがままに処刑台へと連行されていく。
処刑台へと登るその直前、看守が足を止める。
そして突然、看守がペティに向かって手に持つ鎌を降り下ろした。
「――!?」
驚く間もなく、ペティが一刀両断されたのかと思ったが、血が吹き出ることは無かった。
上着の袖やスカートの裾が切り裂かれ、ペティの腕や脚があらわになる。
切られたのは着ていた服だけで済んだようだ。
「ペティ……さん……?」
見えてしまったペティの体は極端に痩せ細り、骨と皮だけしか無いと言っても過言ではなかった。とても15歳の少女がしてて良いような姿ではない。
「嫌……お願い……見ないで……」
ペティはその場に座り込み、体を隠すようにするが、看守はそんなのお構いなしに再び腕を掴み、処刑台へと連行する。
嫌がるペティが力尽くで押さえ込まれ、中央に準備されていた鉄板のようなものに、両手両足が固定されていく。
そして、看守が取り出したのは大きな瓶のようなもの。
その中身をペティに振りかけていく。
1つ振りかけては次の瓶、1つ振りかけては次の瓶、といくつもの中身を振りかけていた。
瓶の中身が風に乗って周りに漂って来る。
「――っくしゅん!」
ユリが突然くしゃみをし、漂ってきたものが何かを理解した。
(これは……コショウ……?)
ペティはされるがままに瓶の中身を浴び続けている。
やがて全ての瓶を使い終えたのか、看守がその場を離れた。
その時、ペティの様子がおかしいことに気付いた。
歯をガチガチと鳴らし、何かを呟やき続けている。
「嫌だ……イヤだ……いやだいやだいやだ……」
これまでの強気なペティからは信じられないほど、恐怖に身体を震わせていた。
そんな中、突然開かれた禁忌の扉の奥を垣間見ることになる。
――――――――――――――――――
目の前に運ばれて来た時の高揚感。
蓋を開け、その見た目の華やかさに心奪われた。
口に運べば何にも形容し難いあの幸福感。
何もかもが夢のようなひと時だった。
「料理を作る人になりたい!」
子供ながらに、将来の夢を決めるのには十分過ぎる経験だった。
母の手伝いをしながら包丁の使い方を覚え、火の扱いを覚え、簡単な料理を作り、経験を積んでいく内に、奇妙な感覚を覚えるようになった。
『分かる』のだ。
料理のレシピが頭の中に流れてくる。
食材を刻む速さも正確さも、鍋を振る時の力も強化される。
あらゆる手順のタイミングが全て的確に分かる。
手をかざして念じれば、時間のかかるはずの料理もあっという間に完成してしまう。
【魔法】だ。
神様が魔法をくれたんだ!
魔法を自覚したその日は興奮して眠れなかった。
これでまたみんなに、お父さんお母さんにも喜んでもらえる!
しかし、そんな喜びも長くは続かなかった。
それは普段の食事中の、小さな違和感から始まった。
「ねえお母さん、今日はいつもと作り方を変えたの?」
「え? いつも通りだけど……ちょっと違った?」
「今日のは随分薄味だね。塩分控えめで、健康志向ってやつ?」
「……! ペティ、まさか!」
あの時ほど、お母さんの焦ったような顔を見たことは無かったかもしれない。
その日のうちに医者に連れていかれ、診断された結果が――
――【味覚障害】
「『味覚障害』って……味が分からなくなっちゃうあれ? 嘘……嫌だ……お父さんお母さんの料理を食べられなくなっちゃうの? そんなの嫌!」
「大丈夫だよ。ちゃんと治す方法はあるから頑張ろう。ね?」
医者の先生の言葉を信じ、あらゆる治療法を試みる。
しかし、数日、数か月経っても改善することは無く、遂には完全に味を感じ取ることはできなくなった。
何を食べても味を感じず、食感も正体不明のグチャグチャの何かにしか感じない。
口に入れては吐き出し、水で無理やり流し込もうとしても駄目だった。
この日を境に、【食事】が【禁忌】となってしまった。
料理人の命とも言える味覚を失ってしまっては夢も諦めざるを得ない。
両親の、親戚たちの落胆する声が頭の中に響いてくる。
「天才が現れたと思っていたのにな……」
「期待してたのに……残念だわ」
その日はただただ泣いた。
こんなことになるなら【魔法】なんていらなかった。
【魔法】なんていらないから元に戻してよ。
そんな願いも虚しく、味覚が戻るような気配すら見えなかった。
味の感じない流動食や点滴、サプリメントなどでかろうじて繋ぐ命。
学校も休みがちになり、入退院を繰り返し、家に帰ってもベッドの上で過ごす毎日。
そんな日々が続いては生きる気力すらも失われる。
遂には自力でベッドから起き上がることすらできなくなってしまった。
(もう、いいよね……。このまま生きていたって何もできないんだから……)
目を瞑り、
このまま眠ればもうこれ以上苦しまなくて済む。
ただ、一言だけ両親には『ありがとう』と言いたかった。
最後に一品だけ、卵焼きでも作ってそれで終わりにしよう。
暗い顔をしている両親の居るリビングを通り抜け、キッチンへと向かう。
両親が驚いた様子で何か言っていたような気がするが、気にする余裕はなかった。
味覚が無くても大丈夫。卵焼きくらいなら体が覚えているはずだ。
冷蔵庫を開け、中をざっと眺める。
その瞬間、頭の中にあらゆる情報が流れ込んでくる。
それは大量のレシピ。
味覚が無くなって以来、キッチンに立つことは無かったから気付いてなかった。
「あ、あ……そんな……」
【魔法】はまだ生きていた。
一心不乱に手を動かし続ける。
もう動く気力すら無かったはずの体が、今この時だけ思い通りに動かせる。
小一時間ほど経ち、冷蔵庫の中身が尽きたところでようやく手が止まる。
体力を使い果たしたのだろうか、その場に倒れ込んでしまった。
しかし、この上なく充実した時間でもあった。
思わず笑い声が漏れ出てしまう。
ふと視線を横にやると、両親が号泣しているのが見えた。
それもそうだ。ついさっきまでベッドの上で無気力に寝ていただけだったのだから。
「お父さん、お母さん、ごめん。心配かけちゃったね」
ゆっくりと立ち上がり、2人に向き合う。
「……私は、まだ頑張れそう。私のやるべきことが分かったんだ」
【魔法】を使っている間だけ、以前と変わらない生活ができる。
「とりあえず、これ食べちゃおうか」
椅子に腰かけ、料理を一口頬張る。
相変わらず味は感じない。
しかし、自分自身の【魔法】で作ったという安心感があった。
(多くは食べられないけど、これなら……)
目の前の両親も、笑顔で料理を食べている。
おいしい料理を作り続け、この笑顔を守ることが私の使命なのだ。
使命を果たすことで、私のミライが紡がれていくのだから。
―――――――――――――――――――――
窯の蓋が開けられると、そこから強い熱気が
中を見れば、全てを焼き尽くすかのような灼熱の炎が舞っていた。
窯の中を見たペティが更に暴れ出す。
「嫌だあぁぁ! こんな死に方嫌だあぁぁ!! やるなら一思いにやってくれよおぉぉ!!」
身体に繋がれた鎖を引きちぎらんとして、両手両足をただ乱暴に動かし続ける。
その様子を、ツカイマは冷めた目で見下ろしていた。
「ダメだね。お前は叢雲レイを殺した魔女なんだ。魔女は確実に処刑する。それがここのルールだ。現にお前はもう人としての原型はほとんど残っちゃいねえじゃねえか」
ペティはその言葉にハッとして自分の体を見る。
爪があり得ないほどに伸び、痩せた体はどす黒く変色し始めている。その姿はあまりにも痛々しいものだった。
「嫌……見ないで……。お願い……早く終わらせて……」
ペティは懇願するように呟き続ける。
「――ったく……死にたくないだの、早くしろだの、注文の多いヤツだな。まあいい、こっちも余計な時間は使いたくないんでね。さっさとやるか」
ツカイマの合図と共に、ペティを乗せた鉄板がゆっくりと動き出す。
「ペティさん! ペティ……さん……」
それを見ながら私は叫んだ。
声がかすれて、それ以上言葉が続かない。
この状況ではもうどうすることもできない。
何もできない自分に絶望し、その場にへたり込んでしまう。
窯の蓋が閉じられる直前、ペティが何かを叫んでいたような気がしたが、聞き取れなかった。
蓋が閉じられた直後、中から獣のような叫び声が響いてきた。
叫び声と共に、中で暴れているであろう鎖の音が聞こえてくる。
その音をもう聞きたくないとばかりに耳を塞ぎ、目を逸らしてしゃがみ込む者もいた。
「ねえ……いつ終わるの? もう終わりにしようよ……」
「分かってるとは思うが、魔女はなかなかしぶといからな。念入りにやらねえと後々面倒なコトが起こるかもしれん。まあコイツは特別製だからな、そんな時間はかからねえはずだ」
それでもたっぷり数分は声と音を聞き続けていただろう。
「アアアアアアアアアァァァァァ――――――!!!!!!」
一際大きな咆哮が響き渡り、それを最後に何も聞こえてこなくなった。
「……よし。今回も無事に処刑が終わったな。今日はもう帰っていいぜ。次……が無いコトを祈ってるぜ。オレっちも帰って寝るとするか。じゃあな」
ツカイマが軽口を叩いて消えようとするところに、アヤフミが話しかけた。
「待ってください。処刑とはいえ、なんでこんな残酷なことができるのですか?」
「何か勘違いしてるようだが、処刑方法考えているのはオレっちじゃねえぞ」
(……え? どういうこと……?)
ツカイマは天井をチラッと見た後、フンッと鼻を鳴らした。
「さて、質問には答えた。じゃあな」
「え、ちょっと……」
アヤフミの引き止める声を無視して、ツカイマは姿を消した。
残された私たちは、1人また1人と裁判所を後にした。
私も、とりあえず監房に戻ろうとした時、ひとり佇むシルベが視界の端に映った。
処刑が行われた辺りをじっと見つめ、微動だにしていない。
「シルベさん……大丈夫っすか?」
シルベの方に視線だけを向け、そっと声をかける。
彼女も、私たちと同じように精神的なダメージを負っているのだろう。
「……ごめん、今は1人にしてくれないかな……」
「……分かったっす」
このような状況ではなんと声をかけたら良いのかが分からず、その場から離れることにした。