4-1「忘れたかった、あの日のこと」
[シルベview]
それはあまりにも唐突だった。
ペティが処刑されるまさにその時。
窯の蓋が開けられ、中で舞う炎を見た。
その瞬間、ありとあらゆる記憶が鮮明に思い出される。
崩れ行く建物。眼前に散らばる瓦礫。広がり続ける炎の壁。
そして、隣で倒れている1人の少女。
それはあまりにも辛く、忘れることは許されなかったはずの記憶だった。
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私は普通の人とは違う力を持っている。
人より記憶力が良くて、物覚えが早いことだ。
私はその力を、【瞬間記憶】と呼んでいた。
母と父はそんな私の特異性を見抜き、その上で私の意思を尊重した生き方を提示してくれた。
身体が弱い私でも、誰かの役に立つことができると思えた。
今思えば私達は、本当に恵まれていたのだと思う。
そんな私が3歳の頃、可愛い可愛い妹が産まれた。
私とは真逆の
彼女の一挙手一投足を見ているだけで、歓喜が怒涛のように胸を打ち付ける。
小さな掌には、確かな温かさがあった。
私はこの時、この小さな命を守りたいと思った。
時は進み、私は中学生に。妹は小学校高学年になった。
相変わらず私の身体は弱く、最近は不登校が続いていた。
その反面妹はすくすくと育ち、学校が終わり帰宅するや否や『友達と遊んでくる!』と活発な姿を見せていた。
そして、私に今日あったことを楽しそうに話す。
その中で、彼女も私と同じく不思議な力に目覚めていることを知った。
それは【願いを叶える】力だった。
限度はあるが、願ったことが現実になる。もしくは望んだ物事へのきっかけを作ることができるらしい。
ただし、自分のための願いを叶えることはできないそうだ。
妹は素直な子だし、嘘をつかれたことも無かったから、私はそれを信じることにした。
私だって不思議な力を持っているのだ。だから、信じることに抵抗は無かった。
ただ、少し気になって『その魔法を見たい』と頼んでみたが、『使ったら全部簡単になっちゃうじゃん。それってなんか嫌だな』と言われてしまった。
言われてすぐに納得した。きっと妹はそんな魔法を必要としていなかった。
ある日の夕食の時、母がふと口にした。
「今日先生が、あなたのことをすごく褒めてたわよ。友達も多くてクラスのまとめ役だって。運動も上手だし、誰とでもすぐに仲良くなれる子だって」
「やっぱりお前はすごいな」
父も相槌を打つ。妹は照れたように笑っていた。
「えへへ、そうかな?」
皆の顔は嬉しそうだった。私も、妹が褒められていて嬉しかったはずだ。
すごいと思った。
誇らしかった。
姉として鼻高々だった。
それなのに。
(……じゃあ、私は?)
そんな考えが脳裏をよぎる。
守るはずの妹は、私より優秀で誰からも好かれている。
それに比べて私はどうだ。
ただ人より記憶力が良いだけで、身体は弱く、何においても妹より劣っている。
私にできることと言えば、毎日彼女の話を聞くことぐらい。
そんな私は、両親や妹の陰に隠れてこれからも生きていくのだろうか。
そんなことを考えていると、母が私の方を向いて明るい声で言った。
「もちろん、シルベだってすごいんだから。記憶力が抜群で、一度聞いたことはすぐに覚えちゃうし」
「そうだぞ。シルベのその力は誰にも真似できないものだ。体が弱い分、頭で頑張れるんだからな」
「僕も――」
優しい言葉だった。
だが、すぐに気を遣っているだけだと分かった。
妹と比べてできない私を、無理に褒めようとしている。
しかも、私が褒められているのは、たまたま授かった不思議な力のことだけだ。私自身がすごい訳ではないのだ。
それに気づき、途中から言葉が耳に入ってこなくなった。
(あぁ……そっか。私、必要無いんだ)
周りの人の重荷にしかなれない人間より、誰かのために行動できる人間、どちらが必要とされる存在であるのかは明白だった。
自覚なんてしなければ良かったのに。
考えなくて良かったのに。
こんな黒い感情を抱くなんて、お姉ちゃん失格だ。
そんな劣等感を抱えながら、さらに時は流れた。
私は高校生に、妹は中学生になった。
以前より身体は丈夫になり、学校に行けない日はかなり減っていた。
でも、それはようやくスタートラインに立っただけだった。妹はもっと先に居たのだ。
彼女を守りたいという気持ちと、必要とされていない現実の自分の差に、未だにもやもやとした感情を抱いていた。
そんなある日。
「お姉ちゃん、突然だけど出かけない?」
妹は、私にそう声をかけた。
大きな声に自信満々な立ち姿。眩しいくらいに私とは正反対。
そんな彼女が私を連れ出そうとする理由が分からず、困惑する。
「ええと……急にどうしたの?」
「いいから! 早く早く!」
私の疑問には答えず、彼女は笑顔のまま私の手を引いた。
辿り着いた先は、近所のショッピングモールだった。
家族連れやカップルで賑わい、あちこちから賑やかな声が聞こえてくる。
「……ねえ、そろそろ連れてきた理由を知りたいんだけど……」
私はついに耐えきれなくなり、妹におそるおそる聞いた。
すると妹は振り返り、満面の笑みで口を開く。
「お姉ちゃん、お誕生日おめでとう!」
「……え? 誕生日?」
立ち止まり、目をパチパチする。
そんな私を見た妹は、ぷくっと頬を膨らませた。
「やっぱり気付いてなかったんだ。……今日お姉ちゃんの誕生日でしょ? 4月5日だよ」
「……本当だ」
妹がポケットからスマホを取り出し、私に画面を見せてくる。そこには確かに『4月5日』と表示されていた。
そういえば、今日はまだカレンダーを見ていなかった。
「だから、今日はお姉ちゃんにいっぱい楽しんでほしくて、ここに連れてきたんだよ」
「そこまでしなくても、去年みたいに家で祝ってくれるだけで十分……わっ!」
「これ以上文句言ったら大声で泣き叫ぶよ!」
私が言い終わるよりも前に、妹は私の手を強く引いた。私は「なんなのその脅し……」とこぼしながら、引きずられるようにショッピングモールの中へと連れていかれた。
その後、妹はショッピングモールを歩き回り、私をあちこちへ連れていった。
最初は服屋。その次は雑貨屋、昼時はフードコート。
最初は居心地が悪く感じていた私も、いつの間にか楽しんでいた。
ショッピングモールを満喫した私たちは外に出る。
いつの間にか日は傾いていて、空はオレンジ色になっていた。
帰り道を歩きながら、ふと妹の横顔を見る。
彼女は楽しそうに鼻歌を歌っている。
その横顔を見つめていると、やはりこの子は遠い存在だということを思い出してしまう。
楽しかった1日が、急に遠く感じられる気がした。
身体の弱さ。妹の輝く姿を見て感じたどうしようもない劣等感。
あの感情が蘇ってくる。
彼女は私のために今日1日を費やしてくれたのに、私は何もできていない。
私のできることは、大抵彼女にもできるから。
「……ごめんね」
足が止まり、謝罪を口にしてしまう。
妹は鼻歌を止めて、振り返った。
「え?」
「その……気を遣わせちゃったよね。私の誕生日だからって、無理して連れてきてくれて……」
自分でも、困らせるようなことを言ってしまったと思う。
少しの間、沈黙が場を支配する。ショッピングモールの喧騒も今は遠く感じられる。
「……『気を遣わせちゃった』? 何言ってるのお姉ちゃん」
彼女は少し首を傾げて、こちらを見ていた。
「気を遣って連れてきたんじゃないよ。ただ、お姉ちゃんの誕生日を祝いたかっただけ。僕がしたいからしたんだよ」
「でも……私なんかのために、1日使っちゃったわけだし……」
「でもじゃない。聞いて」
「……」
妹は私の言葉を遮り、はっきりと続けた。
「僕、お姉ちゃんのこと尊敬してるんだよ」
「……え?」
思わず聞き返してしまう。
私を尊敬する要素なんて無いはずだ。
「お姉ちゃんは、いつも僕の味方で居てくれたよね。……その日あった嬉しいことを話した時は、笑って聞いてくれるし……学校で嫌なことがあったときは、嫌な顔ひとつせずに最後まで聞いてくれる」
「……私には、それしかできないから」
「『それしか』って言うけど、僕はそれに救われてるんだよ。『そうだったんだね』『大変だったね』って、ちゃんと受け止めてくれるから……話した後、すごく気持ちが楽になるんだ。重たい気持ちが、すっと軽くなる」
彼女は少し照れたように笑いながら続ける。
「僕、お姉ちゃんが居るから頑張れてること、たくさんあるよ。周りから褒められることは多いけど……本当は不安で怖い時もある。……そんな時に、『帰ったらお姉ちゃんに話そう』って思えるだけで、僕は救われるんだ。……それに、僕が話した細かいことまで覚えててくれるから、『あの時こう言ってたよね』って言ってくれるのもすごく嬉しいし……」
私は、唖然として妹を見ていた。
そんな風に思われていたなんて、一度も想像したことが無かった。
「……だから、僕はお姉ちゃんのことをすごく尊敬してるんだ。……『私なんか』なんて言わないで欲しいな」
私はただ黙ってその言葉を聞いていた。
というよりも、声が出なかった。というのが正しいかもしれない。
「……って、ごめんね。突然こんなこと言って」
「…………ううん」
ようやく声が絞り出せた。
心の中のもやもやが、一気に晴れた気分だった。
「……知らなかった。そんな風に思ってくれてたなんて」
嬉しかった。ただただ嬉しかった。
自分が妹に、そこまで必要とされていたことが。
「ありがとう。本当に」
私がそう言うと、彼女はぱあっと明るく笑った。
「こちらこそいつもありがとう! あと……これ! 僕から誕生日プレゼント!」
「プレゼント……?」
彼女はそう言って、1つの小さな箱を差し出してきた。
「えっと……開けてもいい?」
「うん、もちろん」
蓋を外すと、中には小さなロケットが入っていた。
よく見ると、表面に
「ありがとう……。素敵なプレゼントだよ」
「どういたしまして! ……あとあと、ロケットの中を開けてみて!」
「中……?」
そう言われて、言われたとおりに中を開けてみる。
「……! これって……」
小さい頃の妹と私の写真が入っていた。
私も彼女も、笑顔を浮かべてピースをしていた。背景はよく見たらこのショッピングモールだ。
「2人で昔もこうやってここに来たよね。その時の写真!」
妹は少し誇らしげに、でもどこか照れたように微笑んだ。
「お姉ちゃん、最近元気無かったから……。昔みたいに、また一緒に笑えたらいいなって。だから今日、ここにしたんだ」
「……やっぱり、バレてたんだ」
「そりゃあね。何年一緒に居ると思ってるの」
指先でそっと写真を撫でる。
確かこの日は、私も体調が良かったから外出できたのだ。
私はロケットを早速着けてみる。
そして、両手で大切に握りしめて顔を上げた。
「……本当にありがとう。大切にするね」
「うん! 失くしちゃダメだよ!」
「ふふ、失くす訳ないよ」
そう言って2人で笑い合う。
昔に戻ったような気分だった。
「……そうだ、僕が誕生日の時はお姉ちゃんが僕を連れてってよね?」
「うん。約束するよ」
皆に必要とされなくてもいい。
私は、妹が誇れる姉であろう。
ずっと彼女の味方でいる。そう心に誓った。
だが、それは叶わなかった。
耳をつんざくような轟音が、世界を真っ白に塗りつぶした。
そこは地獄だった。
辺りには瓦礫が散乱しており、その中にはマネキンや食器や日用品など統一性の無いものが目についた。
周囲の人々は大声をあげながら闇雲に走っている。
1人は、家族を探していた。
1人は、誰かに助けを求めていた。
けれど私は、彼女から目を離せずにいた。
ふと、血だらけの掌が私の頬に触れる。
その感触は温かくて、少し粘ついていた。
「なかないで……? ぼくは、ずっと……おねえちゃんのみかただから」
震える指先が、私の手を探るように動く。
私はそれを、強く握り返した。
「ぼくはいっしょにいるから……。【おねえちゃんののぞむことだって、かなえてあげられる】から……」
浅い呼吸を繰り返し、声が途切れ途切れになっている。
「でもね、もし……生きるのがつらくなったら……その時は……」
「……【ぼくのこと、わすれてほしいな】」
あの日、私は妹を失った。
親から聞いた話だが、あの事件は無差別テロだったらしい。
理由とか、経緯とか、誰かが何かテレビの向こうで話していたけれど、私にはどうでも良かった。
大切な妹が死んだ。
その事実が、私の頭の中で
なぜ、妹が死ななくてはならなかったのか。
なぜ、あの時でなくてはいけなかったのか。
なぜ、私が犠牲にならなかったのか。
あの時こうしていれば、ああしていれば。
こんなことを考えても意味が無いのは分かっている。起こってしまった現実が変わることなんて無いし、逃避だと言われても仕方無い。
けれど、考えなくては自分を保てないのだ。
姉として、家族として、妹を守れなかった自分。
彼女の味方でいると誓ったのに、何もできなかった自分。
その事実は一生消えることはない。
皆は、私を慰めるけれど。
「……っぁ……ぁあぁ……っ!!!」
私は彼女の様に強くなかったから。
誰からも頼られて、誰からも好かれる妹とは違ったから。
涙なんて流したくなかった。
泣くことは、辛さを忘れるための行動だ。
そして何より、泣けば涙と一緒に。
妹との記憶も流れていってしまう気がして。
でも、私は耐えられなかった。
私は、弱かったんだ。
ひとしきり泣き終えると、私は、妹を忘れていた。
妹を失った悲しみを忘れたかったからか、自分が【僕】だと思い込もうとした。
明るくて誰からも好かれている【僕】になった。
【姉】は【一人娘】へと変わっていった。
妹は元からこの世に居ないことになった。
彼女は誰にでも平等に、明るく接していた。
だから僕もそうした。
彼女はよく他人を褒めた。
だから僕もそうした。
彼女は嫌なことがあっても、次の日には切り替えられる強さがあった。
だから僕も、それを真似た。
そうして私は、彼女の表層だけを切り抜いた【僕】になった。
_______________
いつの間にか処刑は終わり、皆が裁判所を出ていくところだった。
誰かが何かを話しかけてきたが、いつの間にか居なくなっていた。
その時、体に強めの衝撃が走る。
ハッとして横を向くと、看守と目が合った。
「やっと気付いたか。いつまでも黄昏てるんじゃねえぞ。こっちにも予定ってもんがあるんだからな」
ツカイマが目の前で、看守と同じようにこちらの顔を覗き込んでいる。
先ほどの衝撃は看守にやられたものだろう。
「ああ……ごめん。すぐ出るよ」
その後はいつものように鑑賞会があり、感想文を書いた。
ビデオの内容ははっきりと覚えている。
彼女の過去と、衝撃的な事実と、ペティに対する思いをこれでもかというほど叩きつけられた。
感想文もつい感情的になってしまう。
今の自分の素直な思いをぶつけた結果だ。
戻った記憶と、鑑賞会の内容とで感情がごちゃごちゃになりそうだ。
なぜこのタイミングで記憶が戻ったのか。ただの偶然なのかもしれない。
それでも、もうあのことを忘れはしないだろう。
今はただ、心を落ち着かせることに集中しよう。
***
その日の夜。
私は、監房で本を読む行為に耽っていた。
それは、これ以上ストレスを感じない様にするための逃避だったのかもしれないし、自身の内にある罪悪感に向き合うためだったのかもしれない。
私自身に対する問答はあの処刑の瞬間から、終わることは無かった。
(……よくもまあ、あんな無遠慮な人になれたよね)
彼女のことを忘れ、ただその表層を真似た【僕】は、人として大切なものを欠如していた。
そのせいで、私はユウノがクオレを殺したあの事件の原因となってしまった。
それ以外にも、皆にたくさん迷惑をかけたと思う。
妹は、誰に対しても平等に明るく接していたが、それで大きな問題を起こしたという話は聞いたことが無い。
きっと、私には分からない何かコツがあるのかもしれない。知らないことを真似するなんて、私にはもとよりできなかったのだ。
そして最期に、彼女は私に魔法を残した。
【一度だけ願いを叶える魔法】
記憶を思い出した途端、そのことが理解できた。
これも彼女の魔法の効果なのかもしれない。
(願いを叶える……か。それなら……いや、でも……)
一瞬、【妹を蘇らせる】ことを考えた。
だが、彼女がそんなことを望むだろうか。
かと言って、自分のためにこの力は使われるべきではないと思った。
散々周りに迷惑をかけたのだから、せめて皆に報いたい。
(居なくなってしまった皆を蘇らせる……?)
そんなことも思いついたが、蘇らせたところで、ここは牢獄だ。
この先ずっとここで暮らさなければならないというのに、果たして喜ぶだろうか。
(……今生き残っている皆を、ここから脱出させる……?)
それなら、皆に報いることができるかもしれない。
だが、皆の意思を聞かずに魔法を使うのはダメだ。本当に打つ手が無くなったら、最後の手段として使うべきだろう。
(彼女が最期の力を振り絞って残してくれた力だ。……そう簡単に使うべきじゃない)
まずはできるところまでやってみよう。
皆に報いると決めたのだ。まずは行動でそれを示す。それが私のやるべきことだ。
***
[スミレview]
■■……来たよ
「■■……」
■■、今日……何か、話したい――は……
「■■……もう、―――。――の、―――から……ケホッ―――……」
ご、ごめん、でも――
「――■■……なん、で……――――て、くれ――の?」
■■……? 今何て……
「君の、――で……私は、ずっと、――――。■■が、何か、―――でしょ……? 私、知ってるんだから……君は、本当は、私のことを、ずっと――――――んでしょ……?」
そんな――――っ!……私、ただ、■■に―――いて―――――だけなんだ。―――――って……ただ、それだけだった
「■■……君は、私を―――に、――――んだ……全部、――――だ……」
■■、違うよ! 私は、■■が大―――から……■■が――――くれるなら、どんな形でも――――思ったの!
――――――
――――
――……
「■■……もう、――いで……」
そんなこと……――――でよ……ねえ、私、■■の―――いたいよ
「君の―――……私は、―――った。もう、いいから……」
■■、私が――――た! ―が、■■を――――に……。でも、どう―――いい? どう―――、■■を楽―――――られる?
――――――
――――
――……
■■! ■■、――――して! ねえ、■■!
「■■……もう、―――……」
お願い、■■、許して……
「―――か、私と――ように―――で――」
「――死んでしまえばいいんだ」
胸の奥で、何かが、ゆっくりと溶けるように響いた。
あの冷たくて、優しくて、鋭利な声が。
4人。
4人も、眼の前で、刺されて、潰されて、項垂れて、焼かれて、息絶えていった。
私は、ただ、見ていることしかできなかった。
助けることができず、助ける機会すら与えられず。
ただ、生き残っただけ。
胸の奥が、ぐちゃぐちゃに掻き回される。
涙はもう枯れ果てた。
これは夢だと思いたかった。
イトもレイもペティもクオレも、生きていると思いたかった。
――スミレ様、ワタシはここに居ます。
……え?
――そうだぜ。今までのは夢だったんだよ。
……。
――おっしゃる通りです。誰も死んでいないのです。
……そっか。そうっすよね。誰も死んでない……。
――……スミレ、もう起きているか? いつまでも寝ていると、ペティの朝食を食べ損ねることになるぞ。
……! それは嫌っす! 急いで準備するっす!
――いつもの時間に起きてこないから心配して来たが......ただの寝坊だったとは。
――ですが、何事も無くて良かったです。
す、すみません……。
――もう朝ごはん出来てっから、早く行こうぜ。
……はい!
***
[シルベview]
「あ、おはようございますシルベさん!」
「おはよう、スミレさん」
もう皆は食べ終えてしまってるかと思いながら食堂の入口をくぐると、トレーを持って笑顔で挨拶を返してくるスミレと出会う。
奥を見ると、他の皆もまだ朝食の最中だったようで、少しホッとした。
「シルベさんの分も取ってあるんで、一緒に朝食を食べましょう!」
「あ……うん、ありがとう」
突き出された朝食のトレーを受け取る。
一瞬、その上に載っている黒い何かが視界に映ったが、見なかったことにした。
私の顔を見て、スミレは満足気に背を向けた。
「あのさ……」
「……? どうしたんすか?」
テーブルの方へ歩きながら話しかけると、スミレは半分だけ振り返った。
「えっと、大丈夫なの? スミレさんは……あんなことがあったのに……」
「……? 何がっすか?」
「あー……いや、大丈夫なら良いんだ」
返答を誤魔化しつつ、スミレが座った向かいに自分も座る。
あっけらかんとしている様子が、かつての自分に重なるような気がして、少しもどかしかった。
*
「シルベさん、どうしてそんなにあっけらかんとしていられるんでしょうか……? 『ユウノちゃん』と呼ぶくらいには仲が良かったように見えてたのに……」
*
かつてアヤフミから言われたその言葉が、遅れて今更のしかかってくる。
過去と向き合い、前を向く。それがどれだけ苦しいものなのか、改めて目の前に突きつけられる。
(でも、それでも……私にはやり遂げなければならないことがある)
「シルベさん」
「……あっ。な、何かなスミレさん」
考え事をしていると、スミレがこちらを見ていた。
慌てて姿勢を正したところにスミレが私の皿を指した。
「早く食べないと、怒られちゃうっすよ」
「え、あぁ......そ、そうだよね」
朝起きてくるのも遅れているし、時間が押してツカイマに何か言われるのも
(とは言ったものの……これ、本当に食べられるのかな……)
ペティが処刑され、屋敷の食事を作る人が居なくなってしまったため、先日の話で看守に用意してもらうことになっていた。
食べられるものであれば文句は無いと思っていたのだが、目の前にあるものを見て考えが変わった。それはどう見積もっても料理と呼べるかどうか怪しい代物だったからだ。
昨日も、釘を打てそうなほど固い黒焦げたパンに、固形と液体の境が分からないドロドロのカレーライスもどきが出てきた。そして今日のこれ。
焦げ付いたよく分からない固形の何かに、ヘドロの様な薄紫のソースがかかっている。固形の何かからは魚の骨が何本か剥き出しになっている。
周りの様子を見ると、顔を青くしながら我慢して食べようとしている人や、頭を抱えている人、食べようとせずゴミ箱に捨てている人もいた。
昨日はまだ文句を言いながら食べていた皆も、さすがにこれは許せなかったのかもしれない。
(スミレさんは……)
スミレも我慢して食べようとしているのかと思い、そちらを見る。
「……? どうしたんすか?」
「……」
スミレは他の皆と違い、特別顔を青くする様子も、食べるのを躊躇する様子も無く食べ進めていた。
「……おいしいの? これ」
「何言ってるんすか、おいしいに決まってるじゃないですか!」
「そ、そうなんだ……?」
半信半疑だったが、スミレが美味しそうに食べている様子を見て意を決し、それを口に運ぶ。
(好みによるのかな…………。……!?)
口に入れた瞬間、全体に広がる腐った卵のような味。思わず吐き出してしまいそうになるが、すんでの所で耐える。
吐き出そうかとも思ったが、これを美味しそうに食べている人の前で、吐いてしまうなんて無粋なことはできなかった。
コップの水を口に含み、喉の奥に流し込んだ。
「シルベさん、どうしたんですか?」
「――っはぁ……。い、いや……ちょっと喉に詰まって」
「慌てて食べるからっすよ! ははは!」
適当な言い訳を並べると、スミレに笑われてしまった。
好みの分かれる味ではなく、スミレの舌が少し特殊なのかもしれないと思った。
改めて目の前の物体に向き合う。
まだ1口目。もしかしたら、何度か口に運べばそれが癖になってくるかもしれない。
でも、こんなもので腹も心も満たせるとは到底思えない。
「スミレさん……これ、私の分も食べる?」
「え……? 良いんすか?」
「うん、あまり食欲無くてさ……」
「ありがとうございます!」
そう言って皿を受け取ると、嬉しそうにそれを食べ始めた。凄いなと思いながらふと厨房の方へ目を向けると、項垂れている看守がいた。
近くにはツカイマも居て、看守の肩を叩いていた。
(……ごめん、看守……)
牢屋敷に来て初めて、看守への謝罪の気持ちが湧いてきた。
***
「……やっぱりもう、我慢できません……!!」
水で口直しをしつつ腹を満たしていると、隣のテーブルに座っていたアヤフミが突然立ち上がりながら叫んだ。
「ちょ……柳谷さん、いきなりどうしたの……?」
「ご飯のことですよ! 毎度あんなものを食べなきゃいけないのはもう耐えられません! それに、限界なのは私だけじゃないと思いますし......」
アヤフミに賛同するように、テミやユリなどがコクコクと頷く。
確かに、このクオリティのものが続くとなるとだいぶ厳しいだろう。水だけで誤魔化したところでせいぜい3日か4日ぐらいが限界だ。いずれ何かしら食べないといけない。
「何言ってるんすか? おいしいと思いますけど……」
「舌までおかしくなったんですか、このちんちくりんは……」
ルナが若干引きながらスミレに言うが、本人は困惑している様子だった。
「はぁ……まぁ、確かに味は最悪ですが、毒を盛られるよりマシです」
「は? まだ言ってんの?」
ウメが呆れる気持ちも分かるが、ペティの一件があり、料理に対する信用が無くなったことは確かだった。だからこそ、こうして看守のとんでもないご飯を食べることになっているのだから。
でも、いつまでもこんなご飯を食べているわけにはいかない。何か手が無いか考えなくては。
そんなことを考えていると、自信に満ちた様な表情のアヤフミがルナの方を見て言い放った。
「私が作ります!!」
「ぶっ……!?」
アヤフミの発言に一瞬空気が凍る。私も丁度水を口に含んでいたため噴きかけてしまった。
正直、アヤフミの料理スキルは壊滅的と言わざるを得ない。料理の知識が普通の人よりはあることがそれに拍車をかけてしまい、結果的にとんでもないものを生み出してしまう。パーティの準備をしている時にそれが露呈した。
「シルベさん大丈夫っすか? どうぞ」
「あ、ありがとう、スミレさん……」
スミレからハンカチを渡され、口元とテーブルを拭く。
「な、なんか反応が微妙じゃないですか!? 皆さん!」
「いやぁ……だって、ねぇ……」
「自覚無しですか、メシマズさん……」
「メシマズ!?」
『メシマズ』と言われてアヤフミは項垂れてしまう。
事実とは言え、ああまで言われてしまうととてもショックを受けても仕方が無い。水を噴き出してしまったことを少し恥じた。
「……自分は作らない癖に」
ウメがボソッと呟く。
「自覚が無いようなので教えてあげただけでしょう。それの何が悪いんです?」
あっけらかんとしてルナが応じる。
一瞬にして空気が張り詰めたのを肌で感じた。
「2人とも! ここで言い争ったって仕方無いって……!」
「そうっすよ!」
一触即発になりそうな雰囲気だったため、スミレと共に2人を
2人は同時にそっぽを向いて席に戻っていった。
なんだか前にもこんなことがあった気がする。すんなり引いてくれたのは、あの時の牽制が効いているのだろうか。
「ま、まぁそれは一旦置いといて……。どのみち誰かに作ってもらう必要はあるよね」
「なら、誰が作るんですか唐変木さん。まさか、『ここに居ないならツカイマに頼むよ』……なんて言い出しませんよね?」
「ええっと……」
「……それなら」
ウメが手を挙げる。
「私がやってみる」
「ウメさんが?」
「うん、パーティの準備の時に桂さんから色々教えてもらったし、ノートもあるから。……冬川さんは別に要らないよね?」
「はい???」
ルナはやれやれと肩をすくめる。
「要らないとは言ってません。貴方達を信用できないと言っているんですが」
「そうは言っても、あの看守のご飯を食べ続けるのも嫌だよね?」
それで納得してもらえると思っていたが、ルナは渋い表情を崩さない。
「……毒見役を用意してください」
「ど……毒見役?」
「もう忘れたのですか? 私が懸念しているのは毒を盛られる危険性があること。そこが解決しない限りは首を縦には振れませんね」
忘れていたわけでは無いが、先の裁判でも話にあがった部分でもある。
「そ、そんな! 毒なんて盛るわけ無いじゃないですか!」
アヤフミが大声を出して抗議するが、そのような言葉だけで納得できる訳では無いのも事実だ。
「待って、アヤフミさん。ルナさんがそこを気にするのも当然の話だよ。……それなら、私が皆の前で一口毒見をする。これでどうかな?」
「……まぁ、そこまでするなら良いんじゃないですか? 決まったんなら私はもう行きますね」
メシマズと毒を回避できたからか、そそくさとルナは食堂を出ていってしまった。
「……私?」
それを見届けると、ウメが私を見ながら訝しげな表情で呟いた。
一瞬意味が分からなかったが、すぐに理解する。
「……あ、えっと……なんでも無いよ。気にしないで」
「……そう」
ウメはそれ以上追求してくることは無かった。
(そっか、今までは僕って言ってたから……)
周囲に違和感を与えてしまうなら、今後『私』と言うのは意識的に避けるべきかもしれない。
「とりあえず……今日の昼からやってみる」
「うん、助かるよ」
今日のお昼からはまたちゃんと食事が摂れそうでホッと胸をなで下ろしていると、いつのまにかウメの傍にアヤフミが来ていた。
「ウメさん……」
「な、何? 柳谷さん」
「お昼のお手伝い……しちゃダメ、かなって……」
先ほど言われたことが堪えてしまっているのか、しどろもどろになりながら口にしていた。
「分かった。変にアレンジに手を出さなければ、柳谷さんだっておいしいものは作れるはずだし。……それじゃしばらくの間、手伝ってもらっても良い?」
「……!! ありがとうウメさん!」
「……さっきからなんの話してるんすか? ペティさんがいるのに……ねえレイさん」
スミレが眉をひそめて虚空に向かって話している。
その様子に、ウメもアヤフミも苦い表情をしていた。
(……触れられない)
***
料理の方は、ウメを中心にアヤフミが手伝いをすることになった。
アヤフミに関しても、1人ならともかくウメがついているなら大丈夫だろうと思い、朝食後早めに食堂を後にしていたテミ達の様子を見に行くことにした。
事件が起きてまだ日も浅いので、全員の状態を把握しておきたかった。
「あ、居た居た」
「……あ、シルベさん」
「シルベちゃん、いらっしゃ~い……」
あの3人ならここだろうと思い図書室に来てみると、ユリとリチはいたがテミは居なかった。
ユリは相変わらず色々な本を机に持ってきては読んでいるみたいだった。リチはと言うと、小さな人形を作っているようだ。よく見てみると、私とユウノの人形に見える。
今更ながら少々気まずさを感じていると、おずおずとユリが話しかけてきた。
「シルベさんも、本を読みに来たんですか?」
「え? あ~……いや、そういう訳じゃないんだ。朝食の時間、3人の様子をあまり見れてなかったから……ちょっと心配で、様子を見に来たんだ」
「そうだったんですね……! し、失礼しました!」
「シルベちゃんやさし~」
「あはは……。あ、それで言うとさ……テミさんは今日は一緒じゃないの?」
そう言うと、少しだけユリの顔が曇る。
「テミさんは、ちょっと体調が優れないみたいで……監房に1人で戻りました」
「そうなんだ、あ~……今日の朝食でお腹壊しちゃったのかもしれないね」
「そ、そうですね……! 後で薬を持っていってあげようと思います」
その後、一言二言話をして、図書室を後にした。
ユリもリチも、特別以前から目立って様子が変わっているようには見えなかったから大丈夫だろう。
テミの様子を直接見れなかったのは残念だが、体調を崩しているだけなら、また後で確認すれば良いだろう。
***
図書室を後にして監房へ戻り、しばらく脱獄計画について考えていたら昼前になっていた。
昼食を食べるために食堂へ向かう。
「忽那さん」
食堂に入ったところでウメから呼び止められる。隣に居たアヤフミ共々深刻な表情をしていたため、小走りでウメの傍に行く。
「どうしたの? もしかして……昼食作りが上手くいってない?」
「な、なんで私の顔を見ながら言うんですか……!」
アヤフミが顔を少し赤らめながら腕を振る。
「いや、そっちはどうにか。……それよりも」
そう言うと、ウメとアヤフミが左の方を一瞥する。私も倣って左を見ると、机に昼食らしきものを配膳しているスミレがいた。
手に持っているお皿を見るとカレーライスのようだった。
「お昼はカレーなんだね。見た感じ美味しそう」
「当たり前です、ウメさんが作ったんですから」
「そう……いや、そうじゃなくて……」
得意げなアヤフミを見ながら盛大にため息をし、咳払いをしてから改めてウメが話し始めた。
「八重沢さんのこと」
「え? スミレさん?」
もう一度スミレの方を見ると、先ほど見た通りテーブルにカレーを配膳していた。
自分しか居ないテーブルに5つも。
「…………? スミレさん、何を……」
「レイさんとクオレさんの分も持ってきたっす! イトさんはまだ来てないみたいっすけど……」
「……は?」
私たちの分も運んでくれてるのかなとか、スミレさん食いしん坊だなとかいくつかありきたりなスミレの意図を汲んだ考えが浮かんできたが、ことごとく覆されてしまった。
レイ、クオレ、いずれももうここには居ない人の名前、なんならレイはつい一昨日殺されたばかり。
「配膳の手伝いをしてもらった時からこう」
「……」
話を聞いてみると、全員分の配膳が終わってからも、『あれ? イトさんとレイさんとクオレさんとペティさんの分は?』と聞いてきたらしい。
断ろうにも断れなかったため、仕方無く渡したということだった。
「そう、だったんだ……朝は全然そんなこと……」
と言いかけたところで思い出した。朝唯一スミレのことで引っかかっていたことを。
*
『……おいしいの? これ』
『何言ってるんすか、おいしいに決まってるじゃないですか!』
『そ、そうなんだ……?』
*
スミレの身に異変が起きているという危険信号は既に示されていた。あんなものを食べて美味しいと言えることが、ただの好みで片付けられて良いはずも無い。
「あれが続くならマズいね……。相当参っているだろうから」
「……止めたりは、しなかったの?」
念のため聞いてみると、アヤフミが力なく首を振った。
「しました。でも……」
「それであれだから、私たちも困ってる」
「そ、そっか……」
スミレの様子を見ながらどうするか決めあぐねていると、いつの間にかもう食べ終わっていたらしいルナが、皿を持ってこちらへ歩いてきた。
「居たんですね、唐変木さん」
「相変わらず呼び方酷くない……? まあいいや。……それよりお昼、どうだった?」
「朝よりはマシでしたよ、まあ今までのと比べるとまずいですが」
「は? 手伝うこともしてない奴が……!」
「ウ、ウメさん……!」
少し重くなっていた空気を変えようと昼食のことを聞いたが、明らかに人選ミスだった。
なんとかアヤフミと割って入って押さえたものの、気まずくなり再びスミレの様子を見る。
「いやぁ、相変わらずペティさんの料理はおいしいっすね~」
「……」
いつの間にか皆の視線がスミレに集まっていた。
スミレはそれに気付いていないのか、虚空に向かって話し続けている。
「はっ……botですか。今なら、何食べさせてもああですね。……本当のボンクラになる前に早くなんとかした方が良いんじゃないですか?」
「う、うん……」
それだけ言うと、どこまでも他人事のような感じでルナは食堂を後にしてしまった。
でも、ルナの言うとおりだ。今のスミレを放っておくわけにはいかない。
***
「ねぇ、スミレさん」
「あ、シルベさん!」
昼食を食べた後、スミレが食器を洗っていたので自分の皿を持って隣に立った。
改めてスミレを観察してみるが、さっきのような幻覚を見ている感じはパッと見では分からない。
聞いて見るしかないと、腹をくくる。
「あのさ、スミレさん……その、大丈夫?」
「ん? 何がっすか?」
「いや、疲弊したり、体調崩したりしてる子も居るから......スミレさんは大丈夫かなって」
「私は大丈夫っすよ! この通り、ペティさんの料理も食べて元気っす!」
(……やっぱりか)
また、スミレは居なくなった人を今も居るように扱っている。それも、特にスミレが親しく関わっていた人たちが中心だ。
スミレにとって大事な人たちとの別れ、それも悪い別れ方ばかりを連続で経験してしまったせいで、心が疲弊してしまったのだろう。
「……」
今なら、その気持ちも痛いくらいに分かる。それでもなお、今の自分を動かしている原動力に嘘をつくことはできない。
この牢屋敷から脱出する。終わりのない地獄から脱して未来を切り開く。そのためにも――
「ねぇ、スミレさん」
「なんすか? シルベさん」
「ペティさんたちは……もう居ないよ」
「……? 何言ってるんすかシルベさん、今もそこに皆……あー、イトさんは最近見てないっすけど……ペティさんもレイさんも――」
「――居ないんだよ、みんなはもう!」
素直に居ないと言って自覚させる。正直、荒療治っぽくてやりたくはないが、これ以外の方法が思いつかなかった。
「ふざけないでくださいシルベさん、そんなこと言われたら皆さんが可愛そうっすよ」
「……っ」
スミレは困ったようにそう言った。まるで、冗談を諭すように。
私の言ったことは全く信じてもらえない。心の防衛反応なのか揺さぶることすら叶わなかった。
「そんなこと言ってないで、お皿洗いぐらい手伝ってくださいっす」
「う、うん……分かったよ」
なぜか自分の方に非がある様な、そんな言い回しに気圧されてしまった。
その後は話を切り出せず、皿洗いを手伝ってから食堂を後にした。
***
「はぁ……」
その後、監房に戻った私は、1人でスミレを元に戻す方法を色々考えた。だが良い案は思いつかなかった。
幻覚を見たり、現実逃避をすることは、確かに一時的に心を保つために必要なことなのかもしれない。
でも、いつまでも見続けることは普通じゃない。最悪そのまま戻ってこれなくなるかもしれない。
だから、素直に話して理解してもらうのが手っ取り早いとは思ったが、ダメだった。
(それに……現実を突きつけ続けて、もしもスミレさんの心が今よりももっと壊れてしまったら……?)
それこそ取り返しのつかない結末に辿り着いてしまう。そんなことは私も望んでいない。
(それならいっそのこと……今の方がスミレさんのためになるんじゃ……)
普通じゃない、正しくないと思いながらも、碌に方法も思いつかない今は、下手に現実を自覚させない方が良い。そんな考えも浮かんできた。
「……ご飯を食べて切り替えよう」
時計を見るといつの間にか夕食時になっていたため、食堂へ向かうことにした。
***
「シルベさん!」
食堂に入るとアヤフミが声をかけてきた。傍にはウメも一緒に居る。
「アヤフミさん、ウメさん、どうしたの?」
「お昼のこともありましたし、一緒に食べながら話しませんか? ……って、ウメさんが」
「ちょ、それは言わないって……」
「あはは……そっか、じゃあ一緒に食べようかな」
夕飯を取り分け、一緒にテーブルへ向かった。
昼はスミレのこともあり、ご飯の方をゆっくり食べることができなかった。改めて見てみると、まだ食べてない今でも、看守が作ったものとは比べ物にならないぐらいに美味しそうに感じた。さすが、ペティに師事してもらっていただけのことはある。
「……上手くいってないみたいだね」
テーブルに座って食べ始めたところで、ウメから話を切り出された。
顎でスミレの方を指す。
一瞬だけそれを目で追い、戻る。
「うん。皿洗いの時に話はしてみたんだけど……信じてもらえなくて」
「……正直に話したんだ?」
「それが一番かなって……」
「でもあの様子だと……現実を理解するのに、だいぶ時間がかかりそうですね。……私たちもいますから、悩みや考えていることがあったら相談に乗らせてください」
「ありがとう。……でも、今は大丈夫かな。考えもあまりまとまってないから……」
「そうですか……。……でも、何かあったら頼ってくださいね!」
『ありがとう』とだけ返し、夕飯を食べ進めながらスミレの方を見る。昼と様子が変わらず、まだ幻覚と話をしているようだった。
スミレがああなってしまったのは、自分にも原因があるのではとさえ思ってしまった。
親しい人が亡くなったスミレのことを思いやれず、ケロッとしていた自分。後悔してもしきれない。思いやることができて、一緒に悲しむことができたなら、ああなることも無かったのではないかとさえ思う。
だからこそ、今の彼女は見過ごせない。それに、脱獄計画には仲間が必要だ。スミレなら、裁判でも見せてくれたひらめきで良いアイデアを出してくれると思った。
(結局は、利己的な理由になっちゃうんだけど。それでも......)
せめてそれが最低限のスミレへの贖罪になると信じたい。今の自分を突き動かすものが、彼女の救いになると。