目を覚ます。牢屋敷に来て3日目の朝だ。
初日こそ不安でいっぱいだったが、今やその不安はほとんど無くなり、ストレスと言えばベッドが硬いことぐらいになっていた。
ツカイマは『ストレスがかかると殺人衝動で事件が起きる』とか言っていたが、そんな気配は全く無い。私としては、この生活は毎日が日曜日みたいなものだった。
いつも通りに朝食を食べていると、昨日と同じように看守が巡回に来た。未だにこの世のものとは思えない異形の姿と鋭い鎌に、嫌でも身体が警戒してしまう。
そのせいで、目がかなり覚めてしまった。嫌な気分にため息が出る。
どうしても、あの瞬間にだけは慣れない。多分、他の少女たちも怯えていたと思う。でも、こればかりは諦めるしか無さそうだ。
朝食を食べ終え、食器を戻しに行く。
すると、前を歩いていたレイが厨房へ入っていくのが見えた。
「あれ、レイさん、なんで厨房に……?」
その背中に声をかけると、レイは少しだけ振り返った。
「……朝食の片付けを手伝いに行くだけだが?」
(……そっか、そういえば片付けもペティさんがやってるのか……)
ペティは『【料理の魔法】が使えるから料理は苦じゃない』と言っていたが、片付けは料理に入らないはずだ。ならば、人並みに時間がかかるのだろう。
「それなら、私も手伝って良いっすか……?」
「良いのか? まあ、その方が助かるかもしれない。ペティに一応聞いてくる」
そう言ってレイは厨房に行った後、すぐに戻ってきた。OKをもらえたようだ。
(……というか、あれは……何?)
レイの被っている帽子に、小さなピンク色の花がくっついている。指摘しようか迷ったが、とりあえず黙っておいた。
「イトさんはどうします――あれ? イトさん?」
気付いたら、先ほどまで近くに居たはずのイトが居なくなっていた。
「イトちゃんなら、さっき外に出て行ったのを見たわよ? なんだか焦ってるみたいだったけれど……」
私の様子に気付いたのか、近くに居たらしいニーナが声をかけてきた。
「あ、そうなんすね」
(……まあ、別にいつも一緒にいる必要はないよね……)
若干の寂しさはあったが、仕方ないと少し肩を落とす。
そして、片付けを手伝うためニーナに礼を言って厨房へ向かおうとした。
「レイちゃんレイちゃん、お姉さんも手伝っていいかな? いつも任せっきりなのは悪いよ~」
が、どうやらニーナも手伝うつもりらしい。思わず振り返るも、ニーナはいつもの笑顔で小首を傾げていた。相変わらず考えが読めない。
「あ、ああ……恐らく、問題無い」
そう言って頷くレイの先導で厨房へ入り、ニーナと共に片付けを手伝うことになった。
***
「手伝いが増えると助かるぜ! なにせ片付けは魔法の範囲外だからな」
「やっぱり、そうなんすね」
厨房で片付けを手伝っていると、ペティが口を開いた。予想通り、片付けには料理の魔法を使えないらしい。
「……そういえばスミレ、今日はイトと一緒じゃないんだな」
作業をしながらペティが何気なくそう尋ねた。
チラッとこちらの様子を伺うレイやニーナと目が合う。
「……イトさんはなんか、用事があるみたいで」
「あー、……まぁ、そういう日もあるよな」
私は、イトと行動を共にしていることが多かったため、やはりペティの中でも私とイトはいつも一緒に居る認識になっているようだ。
そういえば、イトとは監房に居るときも一緒で、プライベートの時間があまり無かったかもしれない。
(私は気にしていなかったけど、イトさんはもう少し1人の時間が欲しかったりするのかも。後で少し聞いてみようかな……)
イトのプライベートについて考えていると、今度はニーナが口を開いた。
「……イトちゃんとスミレちゃんって隨分と仲がいいみたいだけれど、実はここに来る前から知り合いだったりするの?」
「いや、全然。ここが初対面っす。同室だったので……自然と」
そう思われることに悪い気はしないものの、私は首を振って否定した。
するとニーナは「へぇ〜」と笑うと、少し体を寄せてこう聞いた。
「……ねぇねぇ、イトちゃんって……どういう子なの?」
なんとも答えにくい質問が飛んできた。私は唸りながら首を捻った。
「む、難しいっすね……。うーん、優しくて、笑顔が素敵で……あと、いざという時は勇気があるというか……。うん、すごく良い子って感じっす」
少々気恥ずかしいが、これは本音だった。ありのまま思ったことをニーナに伝えてみた。
「……なるほど。なら、これからもイタズラして大丈夫ね♡」
それを聞いたニーナは満足そうに微笑み、片付けの続きに戻っていった。
少しの間固まってしまっていたが、ようやくニーナの言葉の意味を理解した。
「え、いや、そういう意味じゃないっす! ま、待って! ニーナさん……!」
どうやら、『優しいからイタズラしても大丈夫』という風に解釈されてしまったらしい。
慌てて私は訂正するが、ニーナは「分かってる分かってる〜」と、こちらを振り向かずに答えただけだった。本当に分かっているのだろうか。
(あ、でも……)
もしかしてこの間、娯楽室でイトを驚かせ過ぎてしまったことをニーナは気にしていたのだろうか。
いたずらも度が過ぎればいじめと変わらない。きっと、ニーナは相手が本気で嫌がることはしたくないのだろう。
(それならイタズラなんかしなければいいのに……)
しばらくして、ようやく片付けが終わった。時刻は9時になっていた。
「よし、こんなもんかな。3人とも手伝ってくれてありがとな! おかげでいつもより早く終わったぜ!」
ペティに礼を言われ、少しだけ良いことをした気分になった。
(これを毎日1人でやるなんて、大変過ぎるな……)
「そういえば、レイさんはいつも手伝ってるんすか?」
私は、ふと気になったことを聞いてみる。
「……まあ、手が空いている時は手伝っている」
「コイツこう言ってるけど、ほとんど毎回来てくれてんだぜ?」
ペティがすかさずそう言うと、レイは目を逸らした。
「レイもいつもありがとな! お前ってホントいいヤツだぜ!」
そんなレイの背中をペティはバシバシと叩きながら笑う。
「いや、感謝されるような事はしていない。私も、キミが食事を用意してくれて助かっている」
素っ気ないレイに対しペティは若干困ったような表情をした。
昨日、レイが見回りをしていた時のことを思い出す。
(その時も、感謝をきちんと受け取ってもらえなかったな……)
「その……レイさんもたまには『どういたしまして』って、感謝を受け取っても良いと思うっす……」
レイはその言葉に口をつぐむ。
「……確かに、お前いっつもそんなだよな。人からの感謝をきちんと受け取ることも、大事なことだと思うぜ」
ペティからも言われ、レイは黙ってしまう。
少しの沈黙のあと、レイは小さく「善処する」とだけ言い、その場を去っていった。
「……あいつ、頑固だよなあ」
レイを目で追いかけていると、横でペティが肩をすくめながらそう言った。
***
正午前の監房待機時間。茅島リチと冬川ルナの監房から穏やかな声が聞こえてくる。
「ねぇ……お昼はなにが出てくるのかな? 私はカレーとかいいと思うの……」
『わたしは~チャーハンが出てくると思うな……』
リチは1人で話していた。同室のルナは、その独り言に不快感をあらわにしていた。
「誰に話しかけてるんですか? 普通にうるさいんで黙って欲しいんですけど」
「チャーハンもいいなぁ……あ、それならラーメンとかも出てきたりするかな……?」
『う~ん……色々味があるから作るのは大変かもね……』
しかし、リチはルナの文句を意にも介さず1人で喋り続けている。そんなリチの態度に、ルナは段々とイラつきが増していく。
「聞こえてます? こっちはうるさいから黙れって言ってるんですけど」
「ん~? ……ルナちゃんどうかしたの? ……もしかして私と話したくなったの?」
リチはようやくルナが話しかけてきたことに気付いたが、ルナの苛立ちにも全く態度を崩さない。
そんなリチを、ルナは変わらず強い言葉で黙らせようとしている。
「誰があなたと話したいなんて言いましたか? こっちは黙れと言っているんです」
「え~……ひどいなぁ……でも、私はお話していないと暇になっちゃうから……」
「はぁ……そんなの知りませんよ。普通に耳障りなんです」
リチはルナの態度に不満そうな顔をし、ムスーっと頬を膨らませている。
「む~……じゃあ声のボリューム下げるならいいよね……? ずーっと静かになんてできないもの……」
「もしかして、『黙れ』の意味を知らないんですか? 声を出すなという意味ですよ。また1つ常識が増えましたね」
しかしルナはリチの提案には乗らなかった。ルナに『譲る』という選択肢はないのだ。
――その後も、不毛な言い争いは続いていた。
***
昼食後。
食べるのに少し時間がかかってしまい、自由時間が終わるまで30分しかなかった。
そのため、『もう監房に戻ろう』という話になり、私とイトは地下へ向かっていた。
「そういえば、懲罰房ってまだ見てなかったすよね……」
「あ、確かに……」
あの時は余裕がなかったため見送ったが、今はそれなりに心の余裕がある。
「一応見ておこうかなと思うんすけど、どうですかね」
「うーん。まあ、そうだね、見ておこうか……」
歯切れこそ悪かったが、イトも同意してくれたため懲罰房を見に行くことにした。
***
「……」
少し予想はしていたが、懲罰房は監房よりも酷い場所だった。暗く重苦しい雰囲気に、いかにも重厚な威圧感のある扉が並んでいる。小さな鉄格子の窓が扉の上の方に付いているだけで、外から中の様子は全く見えない。
試しにその扉の1つに近付き、中を覗き込んでみる。
「うわ……」
懲罰房の中には、様々な拷問器具らしきものがあった。触れるだけで痛そうなものばかりが目に入る。
食後でもあったせいか、少し吐き気がしてくる。この時間に行くべきではなかったと少し後悔した。
同じように中を覗き込んだイトも、顔色を悪くしている。
「ご、ごめんなさい……やっぱり行くべきじゃなかったっすね……」
「ううん……大丈夫……」
そう言うイトの手は震えていた。その様子を見た私は、イトの手を握りながら足早に監房へ向かった。
***
午後の監房待機時間になる直前。忽那シルベは、監房にて駒木ユウノの帰りを待っていた。
「……ん、おかえり、ユウノさん!」
シルベは監房内のベッドに腰掛け、足をプラプラと揺らしながら本を読んでいた。
監房に入って来たユウノを見てシルベは本を閉じる。
「あ、 本を読んでたんですね...…間が悪くてごめんなさい……」
「いやいや! それはこちらの都合だから謝る必要ないよ! ……そういえば、 今日は珍しく外に出ていたんだね」
「はい……! 私も、皆さんにおんぶにだっこはいけないと思って、この屋敷を探索していました……! ちょっと他の方ともお話もしましたし……」
「おー! それでも十分だよ! とっても偉いと思う!」
シルベは手を伸ばし、ユウノの頭を布越しではなく、 直接両手で撫でる。
「ふひゃああぁあ!? な、 何をするんですかぁ……!?」
ユウノは叫び声を上げた。
「え? 褒めただけだよ。こう……わしゃわしゃーって頭を撫でて」
「そ、 それは分かってますけど……そういう事じゃなくて……。もう…… 私、 シルべさんと年齢だってほとんど変わらないんですよ?」
「確かにそれはそう……でも、可愛いと思うよ?」
「か、 可愛い……」
ユウノは頬を染めてニヤニヤしている。
「そして何より! 可愛らしいユウノ『ちゃん』とも僕は仲良くなりたいし!!」
シルベは少し腰を曲げ、ユウノの瞳を見つめながら満面の笑みを浮かべていた。
「……」
「……ん? どうしたの? ……おーい」
「……ノ……ん」
「ん? 何か言っ ――」
「――シ、シ、シシ、シル――」
「――おお……落ち着いて? 一旦、 深呼吸しよう」
ユウノはシルベに促された通りに一旦深呼吸をする。
「すぅ……はぁ……。大丈夫です……本当にご迷惑を……」
「僕は大丈夫だけど……えと……ユウノ『さん』は――」
「――ユウノちゃんで良いです」
「……え?」
「ゆ、 ユウノちゃんで大丈夫です……! 私も、シ、シル……すぅ……はぁ……シルべ『ちゃん』って言いますから!」
ユウノは震えながらそう言った。
「……ありがとう、ユウノちゃん」
それに対しシルベは震えを止めるように、ユウノの両手を優しく握る。
「そうだ、もしユウノちゃんが良かったらなんだけど……明日、 屋敷の外に出てみない? そこでとても綺麗な花畑を見つけてさ。ユウノちゃんと一緒に行きたくて」
「っ……!! い、 行きます! 行きましょう! 絶対!」
「うん、 約束」
2人は、「ゆーびきーりげーんまーん」と、言いながら指切りをした。
「そういえば……シルべちゃんがさっきまで読んでいた本って……どんな本なんですか?」
「あ、 これ? これはねー?」
その後も2人は楽しそうに読書をしていた。
***
「……湖?」
監房に居なければならない時間が終わる直前に、イトが呟いた。
思わず顔を上げると、イトがスマホを持っている姿が映る。
「湖……が、どうかしたんすか?」
私が問いかけると、イトは私の方を見ながらスマホを指差して言った。
「魔女図鑑のマップをもう一度見てみたら、外には花畑だけじゃなくて湖もあるみたい」
「へ、そうなんすか」
私もスマホを取り出し、魔女図鑑のマップを開く。確かに『花畑方面』と書かれた上に、『湖方面』と書かれていた。
「湖……見てみたいかも」
思わず呟く。イトがそれに頷いた。
「だよね。自由時間になったら見に行かない?」
「いいっすね!」
***
屋敷を出てすぐのところで、駆け回っている数人の少女が目に入る。
「ほらほら〜捕まえてみなさーい!」
よく目立つ長身の少女、ニーナがスリット入りのロングスカートを風で翻しながら走っていた。ニーナの視線の先に目をやると、彼女を懸命に追いかけているアヤフミとシルベの姿があった。
「待ってよー! ニーナさーん……!」
「ひぃ〜……身長差があるからって、ここまで追いつかないなんて……」
シルベはまだニーナを追いかけていたが、アヤフミは限界らしく足を止めて肩で息をしていた。
と、そこにちょうど屋敷から出てきたクオレが通りかかる。
「大丈夫ですか、アヤフミ様?」
「あ、クオレさん……。はい、平気です!」
まだ息は荒いが、アヤフミは体を起こしてクオレに笑顔を見せる。
「その……それで、何をされていたのでしょうか?」
「えっと、今はですね……ニーナさんと鬼ごっこをしていて……」
「鬼ごっこ……?」
「はい。ニーナさんを追いかける遊びですよ」
「ニーナ様を追いかければ良いのですね」
「クオレさん?」
「アヤフミ様は休んでいてください。ワタシが行きます」
言うや否や、クオレは放たれた弾丸のように飛び出して、ニーナを追いかけ始めた。
「わ! クオレちゃんはやーい!」
シルベを追い抜き一瞬にして接近したクオレを見て、ニーナは楽しそうに笑う。
「よーし、お姉さんも本気、出しちゃおっかな!」
「え⁉︎ まだ余力あったの?」
いよいよ追い付くのは不可能と悟ったシルベが足を止める。
さらに加速したニーナとそれを追いかけるクオレは森の中へ入って行き、あっという間に姿が見えなくなってしまった。2人の背中を見送ったシルベは困って笑うしかなかった。
***
「綺麗な湖っすねー……ここの水って飲めないですかね?」
「いやいや、確かに綺麗だけど、飲むのは流石にやめたほうがいいよ」
「で、ですよね。もちろん分かってたっすよ」
他愛もない話をしながら湖に近付いていく。
どうやら、湖には先客がいたようだ。湖面から少し離れたところの木に寄りかかって、本を読んでいる誰かの人影が見えた。摩多音テミと清條ユリだ。
「……」
「……」
真剣に本を読んでいる。話しかけるか迷っていると、テミがこちらに気付いたらしく手を振ってくれた。
「スミレさん、イトさん、こんにちは」
テミが挨拶したことでユリもこちらに気付いたようで、慌てて本を閉じながら挨拶をした。
「あ、こ、こんにちは……」
私たちも「こんにちは」と挨拶を返すと、テミは静かに本を閉じた。
「今日はずいぶん穏やかな天気ですね。風も涼しいし、絶好の読書日和です」
「良いっすね、こんな綺麗な場所で本読むの。なんか、優雅っていうか……」
「と、図書室で読むのもいいですけど、外で読むのも結構楽しい、です!」
ユリが言いながら視線を湖面へ移す。視線の先の水面には雲がゆらゆらと映り、時折吹く風でかすかに波紋が広がっていた。
「……そういえばここ、牢屋敷の外なんすよね? どのくらいなら離れても良いんだろう……」
「今のところは誰にも注意されてませんね」
「なるほど……。にしても、良い場所だなぁ……」
湖のほとりには白い小さな花が咲き、そこを小さな蝶が飛び回っている。この場所に居ると、心が落ち着く気がする。
「テミさんたちは、結構ここに来るんすか?」
「いえ、ユリさんに『行ってみよう』と提案されたので、来てみました。静かに過ごせて良い場所です。……ユリさん?どうしました?」
「あ、え、えっと、いや別になんでもないです……」
ユリは俯き、手に持った本を見つめたまま、それ以上何も言わなくなってしまった。
私が首を傾げていると、テミが納得したように「ああ、そのことですか」と言い、話し出した。
「以前、ユリさんが本をお渡ししたと思うのですが、その本がどうだったか気になっているようです」
「えぇ!? そ、そんなこと言ってませんよぅ! それに、まだ貸してから1日しか経ってませんし……」
「……違いましたか?」
「ま、まあ、ちょっと、ちょっとだけ気になってましたけど……」
(テミさんはユリさんの翻訳機なのかな……?)
そんなことを考えながら、私は返答した。
「今は、ちょうど上巻を読み終わったところっすね。イトさんはまだだと思いますが」
「うん。ぼくはまだ上巻の半分ぐらいだね」
私たちは監房の待機時間や、暇な時間に本を渡し合って少しずつ読み進めていた。
「うーんと、正直難しくて理解できていないところは多いんすけど、世界観が独特で面白かったっす。
主人公が毎日夢を楽しみにしているんすけど、読者から見ると不穏に見えてくる感じが面白くて……。
難しいな……なんというか、とにかくこの先に何が待っているのか気になりますね……って、えぇ!?」
私が思ったことを述べていると、ユリの目から涙が溢れ出した。
「うぅ……八重沢さん……っ!」
「え、すみません! なんか変なこと言っちゃいましたか!?」
「ち、違います……っ! その、ちゃんと読んでくれたことが嬉しくて……っ」
「……ユリさん、『自分の好きなものを無理やり押し付けてしまっていたらどうしよう』『迷惑だったらどうしよう』って悩んでたんですよ。 ……ほら、だから大丈夫だって言ったじゃないですか。ユリさんは心配しすぎです」
「だ、だって……っ!」
ユリはかなりの心配性らしい。
私たちは慌ててその不安を否定しようとした。
「いや、全然迷惑じゃなかったし、ぼくはまだまだ序盤だけど、読んでて楽しいよ」
「そうっすよ! 私もこの本好きです!」
だがそう言うと、ユリはさらに泣き出してしまった。困ってしまった私たちに微笑みかけると、テミは少し穏やかな表情でユリの涙をハンカチで拭った。
その光景は、なんだか親子のようにも見えてきた。そんな2人の様子を、ユリが落ち着くまで見守った。
4人での話が終わった後、私とイトは、テミとユリとは少し離れた場所に腰掛け、穏やかな時間を過ごしていた。
草の上は柔らかく、ひんやりとした風が頬を撫でていく。
「……なんか、こうしてると、ただ単に湖のある公園にでも遊びに来たみたいっすね」
「うん。牢屋敷にいるってこと、忘れそうになるよね」
「実際、そんなに悪くない環境っすよね。ご飯は美味しいし、自由時間も多いし」
「……【外】の生活より、ずっと落ち着く」
イトはそう言って、手のひらに落ちてきた木の葉を見つめる。その横顔はどこか悲しそうにも見えた。
外……それは屋敷の外のこと、つまりここに来る前の生活のことだ。
「……外で、何かあったんすか?」
少し間を置いて思い切って尋ねてみると、イトは小さく笑った。
「あはは……やっぱり、あんまり良い思い出じゃないから、話したくはないかな……」
「そっすか……。ま、無理に話さなくていいっすよ」
「うん……まあでも、外に未練はないよ」
「……それ、分かる気がするっす」
私は空を見上げながら答えた。柔らかい雲がゆっくり流れている。
日が段々と沈んでいき、オレンジ色の光が私たちを照らしている。なんとなく、その光には見覚えがある気がした。だが、何も思い出せない。
「……私、過去の記憶が無いから、なんかもう、『ここが自分の世界』って感じするんすよね」
「過去を覚えていなくても、今が充実しているなら、それで良いと思う」
「イトさん、たまに大人っぽいこと言いますよね」
「……八重沢さんが子どもっぽいだけじゃない?」
「急に
私は苦笑いをしながら、地面に寝転がった。イトも同じように横になった。
「……出たいとは、思わないんすか?」
「うん……今は、思わないかな。ぼくは、今ここでできることをするよ」
「私も、別に出たいとは思わないっす。ここにいれば、みんな優しいし、安心できるっす」
「……変だよね。牢屋なのに、居心地がいいなんて」
「ホントそれっすよ。あはは……」
しばらく黙って空を見上げて、ときどき他愛もない会話をして。そんな静かな時間を過ごす。
だが湖面に映る雲の色が、ふと灰色を帯び始める。風もさっきより少し冷たく感じられた。
「……あれ、急に曇ってきた?」
「雨でも降るのかな」
その瞬間――湖面が、大きく波打つように揺れた。
「……え?」
一瞬、何かが水の中で動いたように見えた。魚にしては大きすぎる。私たちは息をのんだ。
「今……何か、いたっすよね」
「見間違い……じゃないと思う」
しばらくすると、湖面は静まり返った。
(もしかして……これも何かの魔法……?)
以前ツカイマと会ったときに聞いた話だと、以前捕らえられていた魔女候補たちの魔法が残っていることがあるらしい。
これも何かの魔法なのかもしれない。
気付けば日が陰り、だいぶ時間が経っていたことに気づく。テミとユリはいつの間にか居なくなっていた。
時刻は16時半を指していた。もう夕食の時間だ。
「……帰ろっか」
「うん」
そうして、私とイトは湖を後にした。
***
いつものように食事を終え少し休憩した後、イトと一緒にシャワーを浴びに行った。
脱衣所で新しい服に着替えていると、ペティもシャワールームにやってきた。
「桂さん、こんばんは」
「あ、ペティさん。こんばんは」
「おう! 2人は今シャワーが終わったところか?」
「そんなとこっす。ペティさんは今からシャワーっすか?」
「そのつもりだぜ」
ペティは頷いた後、シャワーのある方を見ながらぼやく。
「シャワーがあるのはいいが、湯船も使えりゃなあ……」
「ぼくもそれは分かる……」
「確かに、湯船に浸かりたい気持ちはあるっすね……」
囚われの身ではあるが、こうも何事もなく過ごせていると、それを忘れて小さな不満がつい出てしまう。
「……ペティさんは、ここの生活どう思います? 出たいとか思いますか?」
「唐突だな……」
確かに少々唐突過ぎたが、湖でイトに聞いたことを、ペティにも聞いてみる。
「まあ、そうだなあ……アタシはここの生活はそれなりに気に入ってるな。
好きに料理できるし、スミレもイトも、他の奴らも喜んでくれるし……
料理人としては、ある意味最高の場所かもな!
……だから、そこまで出たいとは思わねえな」
「ペティさんは、本当に料理が好きなんすね」
私やイトと同じように、この生活を気に入っている子は結構多いのかもしれない。
「――ったりめえよ! アタシは、自分の料理でみんなを笑顔にするのが夢なんだ!」
曇り無き瞳で夢を語るペティが、少しだけ眩しく感じた。
それからしばらく脱衣所での会話が弾んだ。
「そんでポーカーで負けたレイには罰ゲームとして、今日1日中帽子に可愛い花を着けてもらったってわけよ!」
「あー! あれはそういうことだったんすね!」
「でも、ぼくは可愛くて素敵だと思ったよ?」
「あ、それ分かるっす!」
話題はペティと同室のレイの話だ。
(レイさんって、優しいけどちょっと硬そうというか、そんな感じの印象だったけど、意外とノリいいんだな……)
「……ていうか、レイさんって可愛い系も似合うと思うんすよね」
「——!! 確かに! 今日はふざけて罰ゲームとしてやらせたが、今度は本気で可愛くさせてやるのもいいかもな!」
「へへへへ……やってやりましょう!」
「2人とも、すごい邪悪な笑みを浮かべてる……というか、そもそもそんな可愛い服なんてどうやって用意するの?」
イトの『邪悪な笑み』という表現は気になったが、それはさておき、確かにそんなものはここに無い。
「うーん、作るか?」
「桂さん、裁縫もできるの?」
「いや、そういう細かい作業は無理だな……」
ペティは残念そうに首を振る。
「八重沢さんは?」
「私っすか? 私はできな――いやできるかも?」
「え、できるかもって……?」
「あー……いやほら、リチさんに教わったらできたりしないかな……と。リチさんって自分で人形作ってるらしいし……」
「流石に人形と服じゃ勝手が違いそうだけどね……」
「あはは、そうっすねー」
「なんとかなんねえかな……」
可愛い服を着たレイを想像していると、イトが「あ」と声を漏らした。
私はイトに視線を移す。
「どうしたんすか?」
「そういえば、桂さんまだシャワー浴びてなかったよね」
「「あ」」
私とペティは揃って間抜けな声を上げてしまった。
「ごめんなさい桂さん……長々と話してしまって……」
「す、すみませんペティさん!」
2人でペティに謝った。
「いやいや! いいっていいって! アタシも色々話せて楽しかったし!」
ペティは笑いながら手を振っている。
「それなら良かったっす……じゃあ、そろそろ行きますね。おやすみなさいペティさん」
「桂さんおやすみなさい」
「おう! また明日!」
***
「……あ、れ、レイさん」
更衣室から出るために扉を開けると、そこにはレイがいた。
レイは私に気付いて返事をした。
「ん? ああ、八重沢スミレか。今はシャワーが終わったところか?」
(ま、まずい。さっきの会話、聞こえてたらどうしよう……)
シャワーを浴びたばかりだというのに冷や汗が出てきた。
「あっはい。……その、うるさくありませんでしたか?」
「……いや? 全然そんな事はなかったから気にしなくていい」
「あ、そうでしたか。なら良かった……」
どうやら聞こえていなかったらしく、私は安堵した。
「……どうしたの八重沢さん?」
振り向くと、後から来たイトが怪訝そうな顔で私を見ていた。
「えっと……なんでもないっす」
説明するほどのことでもないので、適当に誤魔化しておいた。
就寝時間も近かったため、私たちは一緒に階段を降りて監房に戻った。ベッドに寝転がると、すぐに眠くなってきた。眠気に任せて目を閉じる。
明日も良い一日になりますように。