戦闘後の報告を終え、俺は大学へ戻った。
氷川さんへの連絡、芦原さんの手当て、現場の封鎖。やることは一か月前と同じだったが、体の重さが違った。一か月前なら報告を終える頃には息が上がっていた。今はまだ頭が回っている。疲労はある。だが、倒れるほどではない。
研究室のドアを開けると、つる子先輩がいた。机の上には、あかつき号の乗員名簿と地図が広げられている。俺が戦っている間に、彼女も動いていたのだ。
「結城くん、ご無事で」
「はい。芦原さんも無事です」
「よかった。それで、風のエルは何と言っていましたか」
俺は椅子に腰を下ろし、風のエルの言葉を伝えた。『終わりは近づく。その時やり直す為にアダムとなる』。
つる子先輩は万年筆を手に取り、ノートに書き留める。その文字は几帳面で、一切の迷いがない。
「アダム…。旧約聖書の最初の人間ですね。神が土から創ったとされる」
「やり直す、という言葉と繋がりますね」
「ええ。現在の人類を一度消し、新たに始める。それが『やり直す』の意味なら」
つる子先輩はそこで言葉を切り、俺を見た。その目はいつもの知識を並べる時の輝きとは違う。静かな、確認するような色。
「結城くん。私たちの約束も、そのやり直しで消えることになりますね」
俺は机の上に広がる資料を見た。あかつき号の乗員名簿。木野薫の調査記録。沢木哲也の証言メモ。その端に、つる子先輩の字で『卒業後:木野雅人関係資料・国立国会図書館・来春』と書き込まれている。
「消させません」
俺は言った。つる子先輩は、少しだけ口元を緩めた。
「では、具体的に動きましょう。氷川さんから共有された事件の位置情報と目撃情報を地図に重ねます」
彼女は地図を広げた。関東周辺の地図に、赤い丸がいくつか打たれている。アンノウン出現地点。風のエルが退いた方向。それらを線で結んでいく。
「風のエルは東へ向かって消えました。事件の分布も、東側に偏っています。津上さんの感知能力でも、東から強い気配がすると聞きました」
「俺もそう感じます」
腹の奥でアマダムの欠片が微かに脈打っている。あの方向だ。間違いない。
「拠点はこの辺りですね」
つる子先輩が地図上のある一点を指差した。山間部。人里から離れた場所。だが、俺の感覚とも一致する。
「翔一さんに連絡します」
俺は携帯を取り出した。翔一さんはすぐに出た。
「結城くん、俺も感じてる。東の山の方角から、強い気配がする」
「同じです。場所を送ります」
「ああ。芦原さんにも連絡する。氷川さんには俺から伝えるよ」
「お願いします」
電話を切った後、つる子先輩が静かに言った。
「結城くん。一つ確認しておきたいのです」
「何ですか」
「あなたの身体は回復している。ですが、エクリプスの危険まで消えたわけではないでしょう」
俺は頷いた。一か月変身していない。副作用は薄れている。だが、あの日食の感覚はまだ腹の奥にある。使えば届くかもしれない。だが、使った後に誰がいるか分からない。
「はい。だから、翔一さんたちと役割を分けて戦います」
「ええ。それでいいと思いますわ」
つる子先輩は、ノートの端に一行書き加えた。
『卒業後:木野雅人関係資料・国立国会図書館・来春。結城くんと一緒に』
その文字を見て、俺は立ち上がった。
「先輩、行ってきます」
「ええ。無事を保証する言葉は言いません」
つる子先輩は眼鏡を押し上げた。
「ですが、戻って続ける約束ならできます。来春、国立国会図書館で」
「はい。来春、国立国会図書館で」
俺は研究室を出た。廊下を走り、外へ出る。バイクに跨り東へ向かってアクセルを捻った。
待ち合わせ場所は山間部へ向かう国道沿いの公園。着くと、既に翔一さんがいた。革ジャンの裾が風に揺れている。