風が、屋上の端で折れ曲がっていた。
排気口の影が長く伸びる。視線を上げた瞬間、黒い影が梁の上を滑った。
高い。……届かない。
踏み込む。靴底が鳴る。次の瞬間、頭上から風圧が落ちてきた。腕を上げるより先に、床に細い裂け目が走る。
かすっただけだ。それなのに、呼吸が乱れる。
「……ちっ」
上へ逃げる。いや、逃げてるんじゃない。
測られてる。
影は一定の高さを保ったまま旋回する。距離を詰めさせない。近づけば離れる。離れれば、ゆっくり降りてくる。
俺の間合いを、なぞるみたいに。
「……くそ、なんで降りてこない」
足を止めた瞬間、背中の方から小さな声がした。
「あのアンノウンは一定に動いて、こちらを観察しています。だから近づいてくる順番があるはずです!」
振り向くと、ダクトの影の向こうで、つる先輩がしゃがみ込んでいた。切抜帳を押さえたまま、視線だけが鋭い。
観察。順番。
言われて、初めて気づく。
同じ軌道。同じ高さ。攻撃の角度も、ほとんど変わらない。
……選ばれてる。
次の瞬間、影が降りてきた。
踏み込む。けど、わずかに届かない。
空を切る音だけが耳に残る。
焦りが、喉の奥で引っかかる。
「結城君、無理に追わないでください!」
分かってる。分かってるけど――
守れない距離がある。
それが、腹の奥を冷やす。
ベルトが震えた。
最初は気のせいかと思った。違う。
冷たい空気が、装甲の隙間から滲み出す。呼吸が白くなる。
足元に霜が走る。音が消える。
「……何だ、これ」
梁の上の影が、止まった。
初めて、動きを止めてこっちを見ている。
ベルトから光が伸びた。
冷たい粒子が固まり、長い柄の形を作る。自然と手が伸びる。
握った瞬間、体の感覚が少しだけ遠くなる。
斬るためじゃない。触れればいい。そんな考えが、勝手に浮かぶ。
肩から氷が広がる。右側に重さ。視界の端に白い外套みたいな影が揺れる。
つる先輩が息を呑む音が聞こえた。
「……結城君」
返事をする余裕がない。
視線を上げると、バットロードが屋上の縁に降り立っていた。
初めて、同じ高さ。
風が止まる。
握った武器の先から、霜が落ちた。
一歩、踏み出す。床に白い線が走る。
向こうも動かない。
観測してる。さっきまでと同じだ。
けど、違う。
今は――距離が近い。
心臓が速い。焦りは消えてない。
むしろ、静かになりすぎて怖い。
「……来いよ」
小さく呟く。
影の頭が、わずかに傾いた。
その瞬間、右肩の氷が軋む。
装甲の奥で、何かが噛み合う音。
俺自身も、まだ分かってない。
けど、確実に変わった。
一歩。もう一歩。
冷気が屋上をなぞる。
――そこで、時間が止まったみたいに静まる。
見出し:
未確認生命体第6号 高所連続殺害事件 “青の4号”初確認か
日付/地域:
数年前/都内沿岸部〜高架エリア
本文(100〜200字):
警察資料によれば、未確認生命体第6号と呼ばれた存在による連続事件では、高所からの襲撃や滑空に近い移動が確認されている。被害者の多くは夜間に単独行動中で、現場には大きな外傷が残らない例もあったという。終盤、現場付近で「通常とは異なる青い姿の4号」が出現したという証言が複数残されているが、公式な発表は限られている。
つる子の注釈:
未確認第6号=蝙蝠型。
夜行性。高所移動。吸収系。
今回の事件と一致点が多い。
ただし行動目的が違う可能性。
注目点は“青の4号”。