屋上の縁で、アンノウンが首を傾けた。
さっきまでと同じだ。近づかない。上から測るように眺めている。
握った鎌は冷たい。柄の重心が手首に馴染まず、振り出しが遅れる。
届く距離を手に入れたはずなのに、刃先が思った線をなぞらない。焦りが胸の奥で鳴った。
影が落ちた。
頭上から風圧が叩きつけられる。反射で身を捻る。刃を合わせようとして、空だけを裂いた。床の霜が削れ、息が白く散る。
「……っ、すみません……今の、読み違えました」
言い訳にしか聞こえないのが分かって、歯を噛む。
高い。届かない。届かないまま、こちらだけが削られていく。
「結城君……こっちです!」
ダクトの影から、つる先輩が顔を出していた。切抜帳を胸に抱え、視線は上を追っている。
「同じ高さばかり回ってます……観察してるんです。だから、次は降りてきます!」
右上の暗がりが歪んだ。
来る。足が勝手に動く。鎌を振るんじゃない。刃を置く。落ちてくる軌道に合わせる。
かすった。
斬った感触は薄い。
それでも、アンノウンの着地が一拍遅れた。足が床を探すみたいに滑る。
「……今の、遅れましたか?」
「遅れました。結城君、当たった側だけ動きが鈍いです。見えました!」
アンノウンはすぐ跳ぶ。けれど空中での立て直しが遅い。軽さが消えている。
当たりやすくなってる。
でも、手はまだ鎌の癖を知らない。次も同じように当てられる保証はない。
「つる先輩……これ、当たってはいますけど……僕が扱えてる感じがしません。次、外したら――」
言い切る前に、影が低く滑り込んできた。狙いは足。
反射で避ければ、上空からもう一撃が来る。逃げ道が細くなる。
「大丈夫です。大きく振らないでください。刃を置いて、引く。――それなら当たります!」
「……分かりました。やってみます」
柄を寝かせ、根元の突起で脚をさらう。
引っかかった瞬間、刃が触れた。冷気が走る。影の脚が沈み、受け身が遅れて片膝が床に落ちる。
「今です! さっき当てた所、もう一度いけます!」
「はいっ……!」
小さく円を描く。横薙ぎじゃない。払って、触れて、離す。
足首。膝裏。前腕。手首。触れた場所だけ、動きが抜ける。爪が空を切り、滑空が途切れた。
アンノウンが翼を広げる。上へ逃げる動き。
だが脚が言うことを聞かない。跳ぶ前に重心が崩れ、影が床へ沈む。
胸の奥がようやく落ち着く。焦りはまだ残っている。
それでも、届く。終わらせられる距離だ。
ベルトが低く鳴った。
鎌の外周に霜の歯が立ち、空気が一段冷える。
「つる先輩、首は……駄目ですよね」
「はい。脚。動きを止めてください!」
「承知しました……いきます!」
踏み込む。刃を浅く滑らせる。
足首から膝裏へ、冷気が線になる。床の霜が跳ね、影の関節が固まった。
動かない。
石像みたいに形だけが残り、次の瞬間、輪郭が揺れて黒い粒子が散った。
鎌を支えに息を整える。手が震えている。
つる先輩が影から出てきて、少し距離を置いて立った。
「……大丈夫ですか? 結城君。さっき、肩が上がりっぱなしでした」
「……見てましたよね。すみません、余裕がなくて」
「見てました。だから言います。今日は、ここまでにしましょう。続きは研究室で……整理してから」
その言い方が、やけに現実だった。
冷えた屋上に、戻る場所の灯りが差し込むみたいに。