数日後。研究室の窓際に積まれた新聞の束が、風にめくれていた。
ページの端を指で押さえながら、つる先輩が小さく息を吐く。
「……退学、正式に処理されてますね。表向きは体調不良。でも、記事の書き方が妙です」
差し出された切抜きを受け取り、目を走らせる。
将来有望だった水泳選手。突然の失踪に近い退学。文字は淡々としているのに、行間だけがざらついて見えた。
「元コーチの話、気になります。あの時……少し様子が変でしたよね」
口にすると、つる先輩がゆっくり頷いた。
「ええ。言葉は普通でした。でも……視線が落ち着かなかった。質問の内容じゃなくて、“周囲”を気にしている感じでした」
思い出す。プールサイドの白い床。乾いた消毒液の匂い。
コーチは言葉を選びながら、葦原の名前を出すたびに声が低くなっていた。
「怖がっていた……んでしょうか」
「恐れていた、が近いかもしれません。人じゃない何かを、というより……関わる事そのものを」
つる先輩はペンを動かしながら続ける。
短い線がノートに増えていく。
「退学。将来性。身体能力の急激な変化。……アンノウンの選別条件と、偶然にしては重なりすぎです」
言葉は落ち着いているのに、指先だけが少し早い。
研究者の興味と、踏み込みすぎる危険の境界を歩いているようだった。
窓の外に目を向ける。夕焼けが薄く伸びている。
葦原の背中が、ふと重なった。
「……つる先輩。俺たち、近づきすぎてませんか」
自分でも意外な言葉だった。
止めたいのか、確かめたいのか、胸の奥が定まらない。
つる先輩は手を止め、こちらを見た。
「近づいてます。でも、観測をやめる理由にはなりません。……ただし、急がないこと。結城君が焦ると、判断が鈍ります」
やわらかい口調なのに、言葉は真っ直ぐだった。
返事をする前に、研究室の時計が小さく鳴る。
ページの端に、つる先輩が短く書き込む。
――“元コーチ:恐怖の反応あり。原因未分類”
インクが乾くまでの数秒が、妙に長く感じられた。
ページを閉じた瞬間だった。
胸の奥に、ひやりとした感覚が走る。冷たい霧が背骨をなぞるみたいに、空気の温度だけがわずかに変わった。
「……つる先輩」
声が思ったより低く出た。
研究室の窓の外、夕焼けの向こう側に、見えない何かが立っているような気配。
「どうしました?」
「……来てます。たぶん、アンノウンです」
言い切ったあと、言葉の重さが遅れて胸に落ちてきた。
確信はない。でも、身体が先に反応している。フロストの時と同じ、線で繋がる感覚。
つる先輩は驚いた様子も見せず、静かにノートを閉じた。
「方向、分かりますか」
「……南側です。高い所。移動してます」
短く答えると、つる先輩は立ち上がる。椅子が小さく鳴った。
「では、行きましょう。観測優先です」
頷き、ヘルメットを手に取る。廊下を抜ける足音がやけに響いた。
胸の鼓動だけが、少し早い。
胸の中の線が、はっきり一本に繋がった。逃げている気配じゃない。ぶつかり合っている音。金属が裂けるような衝撃が、風に混じって届く。
石段の手前でブレーキをかけた。
神社の鳥居の奥、暗がりの中で影が弾けている。
「……もう始まってますね」
ヘルメットを外しながら、小さく息を吐く。
階段を上るたび、空気が重くなる。冷たい気配と、別の――どこか暖かい光のような気配が混ざっていた。
拝殿の前。
そこには既に、二つの影がぶつかり合っていた。
一つはアンノウン。
静かな殺意をまとった黒い輪郭。
もう一つは――白と金の光を帯びた戦士。
拳が振るわれるたび、空気が震え、足元の砂が跳ねる。
「……アギト」
思わず声が漏れた。
背中だけでも分かる。あの立ち姿。迷いのない動き。憧れとして記憶に焼きついている“戦士の形”。
隣で、つる先輩が小さく息を呑む。
「結城君、近づきすぎないでください。観測優先です」
「……分かってます」
言いながら、足は止まらない。
でも境内の端で立ち止まる。砂利の上に靴音を残したまま、戦いを見つめた。
アギトの一撃が、アンノウンを押し返す。
けれど相手も簡単には崩れない。上空へ跳び、梁の影へ潜り込む。
「行ってきます!」「気をつけて!」
それと共に、俺もまた変身し、真っ直ぐと