休憩室の窓から差し込む夕方の光は薄く、机の上に置かれた紙コップの縁だけを白く浮かび上がらせていた。湯気の立たなくなったお茶と、読み返された切抜帳と、ソファに深く腰を下ろす葦原の横顔が、ひどく静かな輪郭で同じ部屋に収まっている。さっきまで路地裏で息を切らしていたはずなのに、ここでは誰も大きな声を出さず、沈黙の方が先に場を支配していた。
つる先輩は切抜帳の端を揃え、そこに指先を添えたまま、いつもより少しだけ低い声で口を開いた。
「……これまでの出来事を踏まえて、私には一つ、仮説が出来ました」
「仮説?」
問い返した自分の声が、思った以上に乾いて聞こえた。
葦原も眉を寄せたまま、つる先輩の方へ顔を向ける。
「えぇ、アンノウンが人を襲う理由です」
「えっ」
思わず間の抜けた声が出たあとで、葦原が短く息を吐いた。まだ顔色は良くないが、眠気はすっかり引いているらしい。
「アンノウンって、なんだ?」
「俺達の中で仮につけている奴らの名です。ずっと奴らと言っても分かりにくいと思うので」
そう答えると、葦原は小さく肩をすくめた。納得したというより、今はそこに引っかかっている余裕がない顔だった。
「まぁ、確かに、それで奴らが人を狙う理由って」
つる先輩は一度だけ視線を落とし、頭の中で順序を組み直すようにゆっくりと言葉を選んだ。
「おそらくはアンノウンは、自分達の脅威になる力になりうる存在、またはそれになる可能性のある力を手に入れようとした人間を狙っていると思います」
「脅威になる力?」
「はい。ギルスもそうですが、アギト。これらはおそらく、人間が戦う存在になるのを恐れていると思います」
休憩室の空気が、そこで少しだけ張り詰めた。
葦原は黙ったまま自分の手を見ている。握れば握るほど、そこに残る感触を確かめようとするみたいだった。
「そんなのが、あるのか?」
「まぁ、もしかしたら超能力もその類いかもしれません」
つる先輩の言い方はあくまで静かで、断定よりも整理に近かった。それでも、その仮説はただの思いつきではなく、これまで集めてきた断片を一本に繋ぐ線として響いた。
「けど、それになる可能性のある物って」
その問いには、自分の方が先に答えへ辿り着いた。胸の奥で何かが小さく噛み合い、遺跡の土の匂いと、欠片を掴んだときの冷たさが一気によみがえる。
「私達が調査した遺跡、あそこには、未確認生命体、そして4号と同じ文献がありました」
「そうか、4号!」
口に出した途端、十八の頃に見たあの背中が、川面の反射と一緒に浮かび上がった。助けられた記憶は時間が経っても薄れず、むしろ今の自分を縛るほど鮮明なまま残っている。
葦原が少しだけ顔を上げる。
「少し前に話題になったあれか」
「えぇ、4号は結局どういう存在か分かりませんが、アンノウンが脅威になる力は持っていると思います」
「……だから、遺跡でアンノウンは襲っていたのか」
自分で言いながら、背筋が冷えた。あの襲撃は偶然じゃなかった。発掘されたものも、そこにいた人間も、最初から選ばれていたのかもしれない。
葦原はしばらく黙っていたが、やがて視線を窓の外へ流し、苦笑ともため息ともつかない息を漏らした。
「なんというか、お前達も色々と苦労していたんだな」
「まぁ、なんとかですが」
そう返したものの、うまく笑えなかった。苦労で済むなら、ここまで指先が冷えたままにはなっていない。
そのとき、葦原の表情が急に変わった。さっきまで疲労で重たそうだった目が、一瞬だけ鋭く見開かれる。何か一つ、頭の中で遅れて繋がったらしい。
「……だとしたらっ」
ソファのきしむ音が、休憩室に鋭く響いた。葦原は立ち上がる勢いのままふらつき、それでも壁に手をつきながら出口へ向かおうとする。
「えっ、ちょ」
「どこに行くんですか!」
つる先輩の声が珍しく上ずる。
自分も反射で立ち上がるが、葦原は振り返らない。背中に焦りがそのまま出ていて、止めようとする言葉より先に、行かなければならない理由だけが全身を引っ張っているように見えた。
その横顔を見た瞬間、嫌な予感が胸の奥で形を持つ。
アンノウンが狙うのが「力」そのものではなく、「そこへ繋がる人間」まで含むのだとしたら――葦原の周囲にも、まだ触れられていない何かが残っているのかもしれなかった。