互いに距離を保っていた。
昼の公園の真ん中で、誰もが「最初の一手」を相手に押し付けようとしているのに、空気だけが先に沈んでいく。
黒い水面はまだ広がり続けている。
アンノウンの触手が水を撫でるたび、地面の規則が一枚ずつ剥がれて、足元が「溺れる場所」へ塗り替えられる。
俺はそれを止めたい。止めたいのに、真正面からは踏み込めない。
青いパワードスーツが、こちらにも銃口を向けている。
引き金を引いたのは、そいつだった。
機械みたいな動作で肩を据え、迷いのない音が連続して鳴る。
乾いた銃声が昼に穴を開ける。
弾はアンノウンへ向かう。
同時に、軌道が少しだけずれて、こちらの装甲にも火花が散る。
――牽制。
でも、それは牽制じゃない。
この場のすべてを「危険」へ落とし込むための、彼なりの整頓だ。
俺は瞬時に動いた。
狙いはあくまでもアンノウンだ。
人間に矛先を向けた瞬間、守ったはずのものが腐る気がした。
だから一歩目を水面の縁へ置き、圧で沈下を止め、二歩目で距離を詰める。
アンノウンの触手が伸びる。
水の腕が腕を捕まえようとする。
受けて、返す。
絡め取られた衝撃を装甲へ流し、全身へ散らし、散らした分だけ関節の角度を変えて前へ出る。
拳を握らない。掌で弾く。掴んで外す。
格闘戦は泥臭い。だが泥の代わりに水が跳ね、跳ねた水滴が日光を歪める。
アンノウンの頭部が歪み、触手が鞭のように振り下ろされる。
俺はそれを腕で受け、受けたまま回転し、肘で打ち返す。
水面が爆ぜ、怪物の足元が一瞬だけ崩れた。
その隙間へ、また銃声が割り込む。
青いパワードスーツは止まらない。
撃ち続ける。
アンノウンへ。
そして、俺へ。
弾の衝撃が散っていくたび、体内のどこかで怒りが「熱」ではなく「重さ」へ変換されるのが分かる。
これは危険だ。
重さは、簡単に落下へ変わる。
アンノウンが距離を取ろうとする。
水面を滑るように後退し、次の池を作るために触手を広げた。
このまま逃がしたら、また誰かが沈む。
俺の中で、焦りが怒りへ形を変える。
――今。
腹の奥で別の回転が起動した。
装甲の質感が変わる。
黒銀の面に、圧縮された模様が浮かび、前腕の輪郭が“盾”として確定する。
名前は知らない。
だが用途は分かる。
銃弾が飛んでくる。
俺は盾を前へ出す。
火花が散る。
衝撃が腕へ走る。
それでも身体は後ろへ持っていかれない。
むしろ足元が地面へ刺さっていく。
そのまま、俺はアンノウンへ踏み込んだ。
盾の縁を叩きつける。
叩くというより、押し付ける。
相手の軽さを奪い、世界へ固定するように。
アンノウンの身体が一瞬、止まった。
止まった瞬間、俺は反対の腕で突き、肩で押し、最後に盾ごと振り抜いた。
怪物が吹き飛ぶ。
水面が破裂し、黒い池が波紋を広げながら抉れ、アンノウンの身体が地面を転がった。
――決める。
その思考が浮かんだ刹那。
青いパワードスーツが、動きの質を変えた。
銃を撃ちながら、もう一つ、別の筒を構える。
銃身の下に取り付けられた、太い管。
玩具みたいに見えるのに、玩具では済まない予感がする。
次の瞬間、低い破裂音。
弾ではない。
空気そのものを叩き潰す音がして、アンノウンの周囲が白く弾けた。
爆風。
熱。
砂と水とアスファルトの破片が、同じ方向へ持ち上がる。
――あれは、何だ。
砲…? 爆弾…?
名前が分からないのに、危険だけは分かる。
しかも狙いはアンノウンだけじゃない。
アンノウン諸共、こちらもまとめて“排除”するつもりだ。
俺は盾を真正面へ立てた。
装甲が軋み、腕が震え、肺が押し潰される。
盾が受け止めた衝撃は身体へ流れ込む前に散り、散り切れなかった分だけ足元へ沈んでいく。
爆風に押されて、俺は後ろへ滑った。
滑るというより、下がるしかない。
公園の地面が削れ、黒い水面が揺れ、視界が粉塵で白くなる。
つる先輩の声が遠くで叫んだ。
内容は聞き取れない。
聞き取れないままでも、彼女がまだここにいるという事実が、俺の判断を決めた。
――ここで続けたら、巻き込む。
アンノウンを倒す前に、人間に撃たれて終わる。
それは最悪ではない。最悪は、つる先輩がその巻き添えで沈むことだ。
俺は盾を構えたまま、後退の角度を選ぶ。
アンノウンの気配は爆風の向こうでまだ動いている。
だが、青いパワードスーツの銃口も、まだこちらを追っている。
勝てないのではない。
勝ってしまうと、もっと失う。
俺は地面を蹴り、木立の影へ滑り込む。
粉塵の向こうで、爆ぜた水面がまだ沸き立っているのが見えた。
最後に一度だけ振り返る。
青い装甲は、煙の中でじっと立ち、銃口を下げない。
アンノウンは、壊れた池の縁で、触手を立て直している。
三つ巴の結末は、決着ではなく“継続”だった。
俺は撤退した。
それでも胸の奥に、沈む前の湿り気が残る。