木立の影へ滑り込んだ瞬間、昼の光が嘘みたいに遠のいた。
爆風が巻き上げた粉塵はまだ公園の上空に薄く漂っていて、陽射しの筋を濁らせながら、まるで白い水中のように視界を曇らせている。
盾を前に突き出したままの姿勢が、遅れて身体へ戻ってくる。腕が重い。肩が熱い。腹の奥が、ぐるぐると不快に回っている。
――撤退。
それは逃げではなく、守るための後退だと、頭では分かっている。
分かっているのに、胸の底に沈んだものは浮かばない。
背後で小枝が折れる音がした。
反射で振り向きかけて、止める。
つる先輩の足音だ。彼女の呼吸の乱れは、焦りを押し殺したときの癖がある。
「結城くん!」
彼女が駆け寄ってくる。
その瞬間、アルタの装甲がゆっくりとほどけるように消え、皮膚が熱を思い出す。
変身が解けると同時に、膝がわずかに震えた。重さが抜けたのではなく、重さを支えていた“理由”が抜けたみたいに。
足元がふらつき、木の根に躓く。
掌を地面についた瞬間、擦りむいた痛みが遅れて来た。
「痛っ」
つる先輩が息を呑んだ。すぐにしゃがみ込み、結城の手首を取り、土と血を確かめる。
顔が近い。昼の匂いがする。けれど彼女の目はまだ戦場のまま、理屈の刃が抜けきれていない。
「大丈夫ですか!」
「なんとか……」
結城は笑おうとして、口角が上がらないことに気づいた。
痛みよりも先に、胸の中の湿り気が増していく。あの水面。あの触手。あの銃口。あの白い爆ぜ方。
「それにしても、あの青いクウガ。以前は協力してくれたのになんで」
口に出した瞬間、言葉の雑さに自分で驚いた。
青いクウガ。似ているから、そう呼んだだけだ。
だが似ているという認識は、安心の代わりに裏切りを連れてくる。
つる先輩は結城の掌を放さず、視線だけを上げた。
その目つきは「怒っている」ではなく「崩れそう」だった。
理屈で世界を縫い止めてきた人が、縫い目を切られたときの顔。
「まぁ、現実的に考えれば、装着者が変わったと考えるのが妥当ですね」
淡々とした声。
淡々としているのに、語尾だけがわずかに震えている。
結城はその震えがどこから来るのか、分かってしまうのが嫌だった。
「装着者ですか」
「ええ。あれはパワードスーツですからね。おそらくは」
“おそらく”という言葉が、つる先輩には珍しい。
彼女は普段、断言することで恐怖を抑える。
今は断言できない。断言できないほど、現場の倫理が壊れている。
結城は掌の擦り傷より、胸の奥を押さえたくなった。
あの銃口がこちらを向いた瞬間、身体の内側が一段、冷えた。
人間側の武器が、人間を守るためにあるはずなのに、守る側を平気で撃つ。
「……そうですか」
喉が乾いて、言葉が擦れる。
「確かに戦っていた時の感覚は以前と違う感じがしました」
以前の“青い鎧”は、撃ってこなかった。
狙いが違った。ためらいがあった。
それが装着者の差だと言われれば、納得はできる。
納得できるからこそ、胸が痛い。
つる先輩は手早くポケットから小さなハンカチを出し、結城の掌の血を拭った。
その仕草が丁寧すぎて、逆に結城は目を逸らしたくなる。
守られたくないのではない。守られてしまう自分が、少しずつ怪物側へ寄っている気がして怖い。
「だから、その、そんなに落ち込まないでください」
突然、声が柔らかくなった。
理屈の刃が鈍り、代わりに人間の温度が滲む。
結城は思わず顔を上げてしまう。
「えっ」
つる先輩は、少しだけ困ったように笑った。
それは説明がうまくいかないときの笑い方で、いつもなら結城が救われる側の表情だった。
「後輩が悲しそうな顔をしたら心配する。先輩として、当たり前の事ですよ」
その言葉は、胸の底に沈んでいたものへ触れた。
触れたのに、引き上げようとはしない。
ただ、沈んでいる事実を否定しないまま、隣に立ってくれる感じがした。
結城は息を吸って、吐いた。
湿った喉が少しだけ通る。
口の中に、まだ粉塵の味が残っている。
「……つる子先輩、ありがとうございます」
自分でも驚くほど素直な声が出た。
その瞬間だけ、腹の奥の回転が静かになった気がする。
怒りも恐怖も消えない。
でも、消さなくていいと許されたような気がした。
つる先輩は頷いて、結城の顔をじっと見た。
研究対象を見る目ではなく、幼馴染を見る目で。
その目が、少しだけ眩しい。
「やはり、あなたは笑顔が一番です」
笑っていない。
でも笑顔が一番だと言われると、笑っていないことを自覚する。
自覚した分だけ、少しだけ戻れる。
つる先輩は立ち上がり、服についた土を払った。
そして、公園の方角へ一度だけ視線を投げる。
爆風の名残はもう薄いはずなのに、彼女の目はまだあそこに何かを見ている。
「さて、それではこれからは調べる事が多くなりそうですね」
声が元に戻る。
理屈の速度が戻る。
だけどさっきの温度が、まだ少し残っている。
「幸い、私には少し伝手があります」
「伝手?」
結城は反射で聞き返した。
伝手という言葉は、つる先輩が“本気で動く”時にしか出ない。
切抜帳を閉じ、机を離れ、現場へ踏み込むときの言葉だ。
つる先輩は、少しだけ得意げに胸を張った。
その表情はいつもの彼女で、結城にとっては救いだった。
「高村光介教授です」
その名前が落ちた瞬間、昼の空気が少しだけ変わった気がした。
まだ知らない。
けれど、知らない名前が出たという事実が、未来の輪郭を作る。
結城は掌の傷を握り込む。
痛みは小さい。
だがその痛みが、今日が夢じゃないと教えてくれる。
――調べる。
記録する。
そして、また現場へ行く。
水のない場所で人が沈む理由。
青い鎧が撃ってくる理由。
自分の腹の奥が、なぜ回り続けるのか。
結城はうなずいた。
うなずきながら、心のどこかで思った。
調べれば調べるほど、俺は人間から遠ざかる。
それでも、近づかなければ守れない。
昼の光は変わらないまま、世界だけが少しずつ深くなっていった。