「教授の話のおかげで、G3の事を知る事は出来ましたが」
城北大学の構内を歩きながら、俺は言葉を選んでいた。
昼の風は乾いているのに、喉の奥だけが妙に湿っている。
研究室の蛍光灯の白さと、画面に映った“角の輪郭”が、まだ頭のどこかで反射しているせいだ。
「……」
つる子先輩は黙ったまま、少しだけ歩幅を合わせてくれる。
助け舟を出すのではなく、沈黙を“許す”形で隣にいる。
その距離感が、今の俺にはありがたかった。
「何か気になる事が」
先輩の声は穏やかだ。
穏やかなのに、鋭い。
俺が胸の中で絡まったままの糸を、見逃さない。
「いえ、なんというか不思議な感じがして。4号を元にしたって聞くとね」
言いながら、腹の奥が少しだけ重くなる。
あの夜の背中と角。
助けられた記憶は、憧れという形で保管されているはずなのに、そこへ“人が作ったスーツ”の輪郭が被さると、記憶が汚される気がする。
同じじゃないと言われても、似ているというだけで、心の奥がざわつく。
「まぁ、気になるのは仕方ないかもしれませんが、とにかく今は彼らの正体を知る事が出来て、良かったですね」
先輩は結論へ戻す。
理屈で縫い止める癖が、いつもどおりに機能している。
それは俺にとって、現実に立つための手すりになる。
「うん、そうです、っ!」
言い切ろうとした瞬間、喉の奥が冷えた。
湿り気が増す。
空気の匂いが変わる。
さっきまでただの昼のキャンパスだったのに、世界の底が一段、深くなる。
「もしかして」
つる子先輩の声も同時に硬くなる。
俺の表情を見たのではなく、俺と同じ“変化”を感じ取ったような顔だった。
「アンノウンです」
答えると同時に、俺の足が動き出す。
背中を守るために前へ出るのではなく、誰かが沈む前に間に合うために。
「ならば、行きましょう」
先輩は迷わずついてくる。
止めない。止められない。
ここまで来た以上、先輩にとってもこれは「調査」ではなく「現場」になっている。
アンノウンの気配を感じた場所。
城北大学の外縁、植え込みの向こう。
人通りが減り、昼の音が薄くなる。
そこに、ありえない匂いが混じっていた。水の匂い。
水のない場所で、溺死が成立しそうな気配。
「……あの蛸のようなアンノウンはっ、前回倒したはず」
口に出した自分の声が、少しだけ震えているのが分かった。
倒したはずだ。確かにあのとき、撤退したのは俺だったが、あいつは爆風の中で“終わった”ように見えた。
なのに、ここにいる。
いや、いるというより――同じ匂いがする。
つる子先輩が息を呑み、俺の肩を掴みかけて止めた。
止める理由がないと分かっているからだ。
「とにかく、今は奴をなんとかしないとなっ……変身!」
腹の奥が灼けた。
擬似アークル器官が回転を始め、肉体が“戦う形”へ塗り替わる。
昼の光が一段落ち、世界が水中みたいに鈍くなる。
俺は走った。
黒い水面が地面へ生えている。
あのときと同じ、常識が溺れている光景。
その中心に、触手の影。蛸の輪郭。
アンノウンが俺を見た。
見た瞬間、空気が沈む。
水面が波打ち、足元を奪おうとしてくる。
俺は踏み込む。
受けて返す。
装甲で衝撃を散らし、急所をずらし、当たっているのに効いていないように見せる。
拳と触手がぶつかり、黒い水滴が昼の光を歪ませて散る。
――こいつ、前より粘る。
いや、粘るというより、こちらの攻撃を“覚えている”気がする。
そのとき。
背後で、金属音がした。
硬い足音。関節が駆動する音。
あの青いパワードスーツが、現場へ入ってくる。
「っ」
俺が振り向くより先に、銃声が鳴った。
青い鎧の銃口が、アンノウンへ向いている。
弾丸が肩口へ食い込む――はずなのに。
アンノウンは揺れただけで、倒れない。
水面が跳ねるだけで、傷の手応えが薄い。
「これは」
俺の口から漏れた言葉は、驚きというより冷えた理解だった。
教授が言っていた。
過去の型は、欠陥がある。
暴走する。
敵味方を区別しない。
青い鎧は焦っているように見えた。
動きが乱暴になる。呼吸の音は聞こえないのに、肩の上下で焦燥が分かる。
銃とは別の、太い筒を取り出す。
銃身の下に取り付けるような、玩具じみた管。
それを構えて、放つ。
低い破裂音。
爆ぜる。
熱と衝撃が空気を叩き潰し、黒い水面が白く泡立つ。
――だが。
アンノウンはまるで効いていない。
爆風の中からぬっと触手を伸ばし、何事もなかったようにこちらへ向き直る。
痛がる素振りがない。
むしろ、“効かない”ことを確認したみたいに動きが確信に変わった。
「ちっ」
俺は舌打ちした。
自分の口から出た音に自分で驚く。
それでも止まれない。
青い鎧が何を撃とうが、俺がやるべきことは変わらない。
俺はアンノウンへ踏み込む。
受けて返す動きを続け、触手のリズムを崩す。
水面が広がる前に、中心へ打ち込む。
そうしてる間にも、青いパワードスーツが――剥がれていくのが見えた。
肩の装甲が外れ、胸のパーツが外れ、まるで脱皮みたいに鎧を捨てている。
「なっ、何をしているんですか、あの人は」
つる子先輩の声が、背後から聞こえた。
彼女は現場を見ている。
理屈では理解できても、倫理としては理解したくない顔で。
装甲の中から出てきたのは、男だった。
息を切らせ、こちらを一度も見ず、アンノウンへも興味を失ったように背を向ける。
そして、そのまま走り出した。
逃げた。
正義の鎧を脱いで、ただの人間として。
「……今は構っている場合じゃない」
俺は言い聞かせるように呟いて、視線をアンノウンへ戻した。
逃げた男を追えば、アンノウンが誰かを沈める。
目の前の怪物を止めなければ、先輩も、周囲の誰かも、次に沈む。
腹の奥の回転が変わる。
怒りが形を変える。
熱ではなく、冷えた停止へ。
飲み込む怒り。
止めるための怒り。
右手に、長い柄が“生えた”。
鎌。
斬るための刃ではない。
触れることで感覚を断つ、制圧のための刃。
アンノウンがこちらに襲い掛かる。
触手が何本も伸び、視界を覆う。
その瞬間、俺は鎌を水平に振り抜いた。
切り裂く。
刃が触れた部分から、触手の動きが乱れる。
痛みで怯んだのではない。
感覚が切られたせいで、自分の手足がどこにあるのか分からなくなったみたいに、触手の先が空を掻く。
アンノウンの身体が一瞬だけ硬直する。
そこへ、俺は踏み込む。
鎌を返し、円弧を描く。
一撃。
首元を断ち切る――というより、首の感覚と平衡を同時に奪う。
頭が“そこにある”という認識を断ち、身体が自分の中心を見失う。
アンノウンが崩れた。
黒い水面が揺れ、揺れたまま、中心を失って沈む。
次の瞬間、怪物は動かなくなり――爆散した。
飛び散るものは少ない。
血ではなく、黒い泡のような破片。
それが昼の光の中で消えていくのを、俺は最後まで見届けた。
「……」
呼吸が戻る。
喉の湿り気が、少しだけ引く。
腹の奥の回転が、ゆっくりと静まっていく。