仮面ライダーアルタ   作:ボルメテウスさん

44 / 48
推測

川沿いの昼は、やけに明るい。

明るいのに、明るいからこそ影が濃い。

高架の下に落ちる影も、護岸のコンクリートに伸びる電柱の影も、輪郭だけが強調されて、そこに“何か”が隠れていそうな錯覚を作る。

俺はその錯覚を、もう錯覚だと笑えない身体になっていた。

 

規制線は川に沿って一直線に張られていた。

赤白のテープの向こうに、黄色くえぐれた地面が点々と続いている。

雨粒みたいな跡。

それが昼の光の下ではっきり見えるのが逆に気持ち悪い。

夜の方がまだ、見ないふりができた。

 

「……結城くん、見てください、これ」

つる子先輩がしゃがみ込み、えぐれた跡の縁を指差す。

素手で触ろうとして、途中で止めた。

怖いからではなく、酸の性質を理解しているからだ。

説明の順番を守る癖が、危険の前でも崩れないのが先輩らしい。

 

「先輩、触るな。匂い、まだ残ってる」

俺が言うと、先輩は小さく頷き、鼻をひくつかせた。

 

「腐臭……黄色い体液……揮発性も高い可能性がありますね」

言ってから、先輩は自分の言葉を噛み直す。

「……いえ、今は推測より、現場の安全が先です」

 

その言い直しに、俺は少しだけ救われた。

泣いた翌日の先輩は、理屈の刃を自分で制御しようとしている。

それが、たぶん俺を守るためだと分かってしまうから胸が痛い。

 

「関係者は下がってください」

川風に乗って声が飛んできた。

制服警官の声じゃない。

場を仕切ることに慣れた、上から来た人間の声だった。

 

堤防の上に、腕を組んだ男が二人立っている。

どちらも“現場を救う”より“現場を管理する”空気を纏っていた。

もう一人、刺さるように乾いた声の男が、目立つ位置で顎を上げている。

俺は名前を知らない。

知らないのに、種類だけ分かってしまう。

こういう人たちの言葉は、誰かを助ける言葉じゃなく、誰かを分類する言葉だ。

 

「今日は昼間だ。余計な混乱を起こすなよ」

乾いた声の男が吐き捨てるように言った。

昼間を理由にするのが、余計に腹立たしい。

怪物は昼も夜も関係なく来る。

来るのに、制度だけが昼夜で態度を変える。

 

氷川が二人の前に出た。

制服姿のまま、現場の中央に立っている。

俺は彼を見るたびに、夜の路地の視線を思い出す。

あの時助けた警察官が彼だと知っているのに、彼は俺を知らない。

その捻れが、俺の喉を乾かす。

 

「現場を混乱させるつもりはありません」

氷川は上の男たちへ向けて言い、次に視線をつる子先輩へ向けた。

「ただ、一般の方が立ち入るのは危険です。……失礼ですが、あなたは」

 

つる子先輩は一礼する。

礼儀正しいのに、言葉の準備だけは既に整っている。

 

「城北大学の千羽つる子と申します。資料と分布から、今回の襲撃に一定の規則性があると考えています」

先輩は言い切り、堤防の上の男たちへ視線を向けた。

「もし許可いただけるなら、短く説明します」

 

「許可?」

眼鏡の奥が冷たい男が眉を動かす。

「ここは捜査の現場だ。学生の発表会ではない」

 

「一般人が口を出すな」

乾いた声の男が噛みつくように言う。

「危険を煽るな。血縁関係を洗って、関係者を保護すれば済む話だ」

 

“血縁関係”という言葉が落ちた瞬間、つる子先輩の肩が微かに跳ねた。

怒りではない。

反論したい衝動の跳ね方だ。

そしてその衝動は、今の先輩にとって俺を守るための衝動でもある。

 

「――違います」

つる子先輩は、空気に向けて言い放った。

声が大きい。

大きくなるつもりじゃなかったのに、大きくなってしまった声だ。

 

俺は反射で先輩の袖を軽く引いた。

半歩だけ下げる。

止めるのではなく、速度を落とす。

 

「先輩、今は言い方を」

俺が耳元で言うと、先輩は一瞬だけ唇を噛み、しかし視線は逸らさなかった。

 

「前提として、血縁を狙うのなら被害は家系に偏ります」

先輩は呼吸を整えて言い直す。

説明の型に戻ることで感情を制御している。

「しかし現場の分布は一致しません。被害者の生活圏、同居状況、血縁の濃度が揃っていない。つまり狙いは血縁ではなく“条件”です」

 

「条件?」

眼鏡の奥が冷たい男が冷たく問い返す。

「それは何だ。根拠は」

 

つる子先輩は即答する。

即答できるほど調べているという事実が、俺には怖い。

先輩がここまで来てしまったということだからだ。

 

「痕跡です」

先輩は指をさす。

えぐれた跡の縁、黄色い染み、腐臭。

「これは“雨”の痕です。上空から散布され、特定の個体へ集中した形跡がある。もし血縁狙いなら、屋内や生活圏へ連続して出るはずですが、ここでは“単独”を狙っています」

 

「単独?」

氷川が思わず言ってしまう。

止めるべき立場のはずなのに、口が出た。

現場の人間として腑に落ちる部分があったのだと思う。

彼の眉が僅かに寄り、視線が地面の跡へ吸い寄せられる。

 

「……確かに、家族単位の襲撃なら、もっと別の痕が残る」

氷川の口から、同意が漏れた。

漏れた瞬間、彼自身も驚いたように口を噤む。

立場としては止めるべきなのに、現場の手触りが先に来てしまった。

その葛藤が、逆に信用できる。

 

眼鏡の男の声がさらに冷える。

「氷川君、現場の感情に引きずられるな。推理は捜査を乱す。まして一般人の――」

 

「一般人ではありません」

つる子先輩が食い下がりかけて、すぐに言い直す。

「……いえ、一般人であることは否定しません。ただ、情報の整理は役に立つはずです。説明なら私にお任せください」

 

乾いた声の男が鼻で笑った。

「説明? そんなものはいらない。捕まえればいい。危険なら全部同じだ」

 

その言葉が、俺の胸の奥の圧を刺激した。

危険なら全部同じ。

それは、俺が撃たれた時の言葉と同じ種類の乱暴さだ。

怒りが熱になりかける。

熱になったら、俺は負ける。

負けたら、先輩がまた泣く。

だから俺は息を吐いて、圧を沈めた。

 

「……結城くん」

つる子先輩が小さく言って、俺を見た。

止めてほしいではない。

見失わないで、という目だった。

昨夜の河川敷の恐怖が、まだ残っている。

 

俺は小さく頷いた。

頷きながら、鼻の奥が急に痛くなるのを感じた。

腐臭が、さっきより濃い。

昼の風が運んだのではない。

“新しい匂い”だ。

 

喉の奥が乾く。

乾くというより、体の水分が一段抜ける感覚が走る。

それは議論が生む緊張ではない。

あの雨の前兆だ。

 

俺は反射で空を見た。

高架の影の外側、光が届かない場所。

昼なのに、そこだけ夜みたいに黒い。

 

丸い殻が、赤黒く一度だけ反射した。

テントウムシみたいな輪郭。

次の瞬間には、ただの点になって消える。

見間違いだと言い張れるほど短い。

だが俺の身体はもう、見間違いだと許さない。

 

「……来る」

俺は短く呟いた。

 

「何がだ」

氷川が即座に反応し、堤防の上の男たちも同じ方向を見上げた。

つる子先輩は言葉より先に一歩引き、俺の袖を掴みかけて止める。

掴めば“いなくなる”恐怖が暴れると知っている手だ。

 

川面が、きらりと光った。

風が止んだ気がした。

次の瞬間、地面のえぐれ跡の上に、小さな黄色い滴が落ちた。

 

じゅ、と音がする。

昼の光の下で、アスファルトが泡立つ。

 

議論は、そこで終わった。

終わったのではなく、現実に叩き落とされた。

上の男たちの正論も、強硬も、つる子先輩の推理も、氷川の葛藤も――全部まとめて、空の一点へ視線を縫い付けられる。

 

そして、影は再び、こちらを見ていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。