仮面ライダーアルタ   作:ボルメテウスさん

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シュミレーション

Gトレーラーの作戦室には、完成の匂いが漂っていた。

それは機械油や金属の匂いではなく、書類が揃い、数字が揃い、言葉が揃ったときにだけ生まれる、妙に乾いた匂いだった。

乾いた匂いは、安心より先に「もう戻れない」を連れてくるので、俺は喉の奥が少しだけ渇いた。

戦闘の前兆ではないのに、同じくらい身体が正直になるのが悔しい。

 

机の上には設計図が広がり、モニターには学習ログが百分率で表示され、肩アーマーの拡大図が何度も切り替わっていた。

青、緑、紫の運動データを分解した動作テンプレが、表の形になって並んでいる。

「動きの辞書」という言い方が、ふと頭に浮かんでしまう。

辞書は便利だが、辞書に載った瞬間に、言葉は“誰でも使えるもの”になる。

誰でも使えるということは、守るためにも、撃つためにも使えるということだ。

 

「設計図はできた。次はシミュレーション」

小沢澄子さんは、短く言い切った。

いつも通り結論が先で、余計な感情を挟まずに現場へ繋ぐ声だった。

 

尾室隆弘さんがノートPCの画面を見ながら、少しだけ眉を寄せる。

「ログ、まだ偏ってます。実機の動き、サンプルが足りないんです」

ぼやきの形をしているのに、内容は現場の痛いところを突いている。

足りないのは部品ではなく、動きの量だ。

動きの量が足りないと、AIは“最適”の顔をした偏りになる。

 

氷川誠さんが一歩前へ出て、丁寧な声で場を整えた。

「小沢さん、実施には同意しますが、安全管理を優先してください」

丁寧語で言うからこそ、言葉が甘くならない。

命の話をする人の丁寧語は、守るための手順そのものだ。

 

「安全は取る。だからやる」

小沢さんは、あっさりと返した。

返しが短いのに、やると決めた人間の速度が乗っていて、反論する隙間がない。

 

尾室さんが視線を上げ、遠慮がちに言葉を続ける。

「サンプルを増やすなら、装着経験のある人が……」

その言い方が、次の単語を口にする前に痛みを知っている言い方だった。

“装着経験”という単語は、誰にとっても軽くない。

装着は便利な道具ではなく、命を削って成立する手順だからだ。

 

氷川さんが察したように、先に釘を刺す。

「小沢さん、まさか一般の方を巻き込むつもりではありませんよね」

語尾まで丁寧なのに、拒否の線だけははっきり引かれている。

この人が丁寧語を崩さないのは、弱さではなく倫理だ。

 

小沢さんが肩をすくめて、あっさり言う。

「巻き込むかどうかじゃない。必要かどうかよ」

 

その瞬間、尾室さんが腹を括ったように口を開いた。

「小沢さん、さすがにそこまで彼に付き合わせるのは無茶ではないでしょうか」

言葉の端が少し震えていて、それが“現場の怖さ”の震えだと分かった。

 

氷川さんも、丁寧語のまま重ねた。

「そうですよ、彼はあくまでも大学生ですし、さすがに」

氷川さんの「さすがに」は、現場を知っている人の「さすがに」だ。

一線を越えたら戻れないことを知っている人間だけが言える重さがある。

 

小沢さんは迷わず、短く切った。

「別に良いでしょ。データは多い方が開発には必要よ。それにね」

 

尾室さんが反射で聞き返す。

「それに?」

氷川さんも、丁寧に確認を重ねた。

「それに、でしょうか」

 

小沢さんは少しだけ言葉を遊ばせるように、しかし目だけは真面目なまま言った。

「なんというか、彼の事が気になるのよねぇ」

 

空気が一瞬止まって、尾室さんが余計なところに火をつける。

「えっ、もしかして、タイプだったり」

 

小沢さんは間髪入れずに切り落とした。

「馬鹿を言わないの。あの子にはつる子ちゃんがいるでしょ」

 

氷川さんが小さく咳払いをして、場を締める。

「……冗談はさておき、安全の観点から反対いたします」

丁寧語のまま、反対の意思を明確に出すのが氷川さんらしい。

 

尾室さんも頷きながら、半歩引くように言う。

「いや、無茶ですよ……」

その言葉は、自分に言い聞かせているみたいだった。

無茶と言えるうちは、まだ止められる可能性が残っているからだ。

 

小沢さんは、机の上の設計図を指で叩いた。

「良いから、やる!決定!」

短くて乱暴に聞こえるのに、なぜか“現場の命”の方へ寄った決定に聞こえるのが腹立たしい。

正しいか間違ってるかではなく、間に合うか間に合わないかの決定だ。

 

氷川さんが息を吐き、最後に条件を置く。

「……承知しました」

「ただし安全管理は最優先にいたしますので、僕の指示に従っていただきます」

反対しながらも、決まった以上は守る方へ全力で切り替える。

その切り替えができる人間だから、俺は警察を一括りに敵だと言い切れない。

 

――そして、その“彼”が俺だと理解するのに、少し時間がかかった。

理解が遅れたのは、俺が意外と現実逃避が上手いからだ。

自分が巻き込まれる未来は、できるだけ最後まで見ないようにする癖がある。

でも、見ないふりは現場では通じない。

 

尾室さんが俺の方へ向き直り、丁寧に、しかし困った顔で言った。

「結城君、これは大変です」

 

俺は乾いた笑いが喉に浮かびそうになって、必死に飲み込んだ。

「えぇ、さすがにこういうのは……」

言いかけて、言葉が続かない。

続けたら断ることになる。

断ったら、次の現場で誰かが沈むかもしれない。

そういう呪いを、俺はもう持っている。

 

そこへ、つる子先輩が一歩前に出た。

昨日までの涙の影を、理屈で押し固めたような目をしている。

そして、その理屈の奥に本音が見える。

結城を見失いたくない、でも結城に生きてほしい、という本音だ。

 

「貴重な体験が出来るかもしれません」

つる子先輩は、きっぱりと言った。

声が明るいのに、明るいだけじゃない。

明るさの下に「この場に残る覚悟」がある。

 

「えぇ……」

俺は返事が薄くなる。

薄い返事は本音の抵抗だ。

やりたくない。

でも逃げたくない。

その矛盾が、薄い返事になる。

 

つる子先輩は勢いに任せて、説明癖を爆発させた。

「だって、そうでしょ!警察のパワードスーツの実験に立ち会えるなんて、なかなかにない体験ですよ!私も見学しますのでぜひ!」

この人は本当に、説明しないと呼吸ができないのだと思う。

けれど、その説明が今日に限っては“生きるための勢い”になっている。

昨日泣いた人が、今日は言葉で自分を立たせている。

 

「えぇ……」

俺はまた曖昧に返してしまう。

曖昧は弱さだ。

弱さは捕獲される理由になる。

そう分かっているのに、口が追いつかない。

 

氷川さんが丁寧語で、先輩の熱を冷ましながら釘を刺す。

「つる子さん、見学は構いませんが、危険が伴う可能性がありますので、必ず指示に従ってください」

「決して、規制線の内側には入らないでください」

 

つる子先輩は即答した。

「承知しました!」

返事が速い。

速い返事は危うい。

だが今日は、その速さが“逃げない”速さに見える。

 

氷川さんが俺へ向き直る。

年下への呼び方が「くん」になるだけで、言葉の温度が変わる。

「結城くん、無理はしないでください」

「危険を感じたら、僕が即中断いたします」

その言い方が、命を守るための約束に聞こえて、俺は少しだけ息がしやすくなる。

 

尾室さんが慌てて説明を始めた。

「じゃ、結城君はここです。HUDはこの表示で、矢印が出ても過信しないでください」

「AIは“答え”じゃなくて“候補”です。候補を選ぶのは人です」

尾室さんはぼやきが多いのに、こういうところだけ妙に真面目だ。

多分それは、影が薄いことを気にしているからではなく、現場が怖いからだ。

現場が怖い人間は、手順を大事にする。

 

小沢さんが短く切る。

「中断は私が判断するわ。あなたは動きなさい」

その言葉が乱暴に見えて、でも乱暴さの裏に“現場の時間”があるのが分かる。

時間がない。

だからこそ小沢さんは、迷いを削ろうとする。

迷いを削るためにAIを作る。

AIが育つほど、現場は強くなる。

強くなるほど、俺の居場所は狭くなる気がする。

 

「……分かりました」

俺は、やっと言った。

言ってしまった瞬間、腰の奥が少しだけ重くなった気がする。

ベルトが現れるわけじゃない。

ただ、俺が“引き受けた”という事実が身体に沈殿する。

 

つる子先輩が見学席の方へ移動しながら、声だけは明るく投げてきた。

「頑張ってください、結城くん!」

その声が、昨日の泣き声と繋がっているのが分かってしまって、俺は苦く笑いそうになる。

頑張れと言うのは、見失いたくないという祈りだ。

 

シミュレーターの筐体は、思ったより無骨だった。

椅子、固定具、ケーブル、モニター。

現場で人が生き残るための道具は、いつも美しくない。

美しくないのに、正しい。

その正しさがまた、俺の喉を乾かす。

 

尾室さんがカウントダウンを表示した。

画面の端に「LOG RECORDING」の表示が点き、次に「SIM START」の文字が浮かぶ。

記録が始まる。

記録は真実を残す。

同じくらい、真実の形を決める。

俺はその怖さを知っている。

だから、息を整える。

 

氷川さんの声が、最後に一度だけ入った。

「結城くん、必ず合図してください。無理をなさらないでください」

その丁寧語が、現場の倫理の線を引いてくれる。

線があるから、俺は沈まずにいられるかもしれない。

 

小沢さんが短く言った。

「始めるわよ」

 

俺は視界の端で、矢印が点滅するのを見た。

“次の一歩”の提案。

それは便利だ。

便利なものほど、信じたくなる。

信じたくなるほど、危ない。

だから俺は、信じるのではなく、選ぶ。

沈まないために。

 

カウントがゼロになり、画面が切り替わる。

シミュレーションが始まった。

 

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