仮面ライダーアルタ   作:ボルメテウスさん

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G3-Xの性能

視界が切り替わった瞬間、世界が“立ち上がった”。

訓練施設の薄い映像みたいなものを想像していた俺の予想は、簡単に裏切られる。

風景の解像度が高すぎて、目が勝手にピントを合わせる。遠くのフェンスの錆、路面のひび割れ、空気に混じる湿り気まで、そこに“あるべきもの”として脳が認識してしまう。

脳が現場と判断した瞬間、身体は現場の反応を始める。

だから喉が乾く。酸の腐臭ではないのに、同じ質で乾くのが腹立たしい。

 

HUDの端に小さく文字が灯った。

**LOG RECORDING**

**SIM RUNNING**

点滅が心臓の鼓動と同期している気がして、俺はわざと深く息を吸う。

呼吸の速度を自分で選ぶ。選べるうちはまだ、人間の側だ。

 

「映像、正常です!ログ取れてます!」

尾室さんの声が、通信越しに弾んだ。弾んでいるのに、裏で忙しくキーを叩いている音が混じる。興奮より焦りの弾みだ。

 

「結城くん、異常があればすぐに申告してください」

氷川さんの声は丁寧語のまま、まっすぐ入ってくる。

丁寧語なのに冷たくない。冷たくないのに甘くない。命を守る言葉の線引きが、この人の声には最初から入っている。

 

「動け。余計な感想はいらない」

小沢さんは短い。短いのに重い。

現場の時間に間に合わせるための言葉だと分かる。分かるから、余計に怖い。

 

「結城くん、落ち着いて、呼吸を整えてください!」

つる子先輩の声が混ざる。見学席の向こうのはずなのに、すぐ隣で叫ばれたみたいに耳へ届いた。

先輩の声は明るさを作ろうとして失敗している。失敗した明るさが、逆に本気を知らせる。

 

俺は返事をしようとして、やめた。

返事で喉を使うと呼吸が乱れる。呼吸が乱れると現場になる。

もう十分現場だ。これ以上現場にする必要はない。

 

そのとき、光が一瞬欠けた。

眩しいのではなく、欠ける。

影が落ちる。

そして、腐臭が錯覚みたいに鼻の奥を刺した。

 

ありえない。訓練だ。シミュレーションだ。

頭では分かっている。

でも身体は、匂いを匂いとして受け取ってしまう。匂いを受け取った瞬間、喉の乾きがもう一段濃くなる。

 

視界の端で“形”が動いた。

輪郭は、現実の生き物より少しだけ誇張されているのに、動きは現実より現実だった。

距離が詰まる圧が、足元から来る。

驚くより先に、身体が半歩引いてしまう。

 

「えっ、もう敵判定!?出現早すぎません!?」

尾室さんの声が跳ねた。

跳ねた声と同時に、HUDの赤い枠が視界の隅で点滅する。

 

「結城くん、距離を取ってください!無理はなさらないでください!」

氷川さんが丁寧語のまま、少しだけ声の速度を上げた。

速度が上がるだけで、焦りが伝わる。

焦りが伝わるのが嫌じゃない。嫌なのは、焦りが正しいということだ。

 

「取るな。データが欲しい」

小沢さんの声が刺さる。

現場では正しい。

現場では“守るために危険を取る”ことがある。

その正しさが、俺の喉を削る。

 

「え、今の、何……!?」

つる子先輩の声が裏返った。

先輩はデータで戦う人なのに、現場では声が先に揺れる。

揺れた声が、昨日泣いた声に少し似ていて、胸が痛んだ。

 

アンノウンが襲いかかってきた。

形が飛び込んでくる。

その瞬間、俺は考えない。考えたら間に合わない。

だから、自然に構える。

 

腕が上がる。

ガードの位置が勝手に決まる。

足が砂利を捉え、重心が前に出すぎない角度で落ちる。

呼吸は浅い。浅いのに乱れないように押さえる。

この動きは、俺の経験の副産物だ。

見せたくない。悟られたくない。

だから、わざと“自然に”動く。

自然に見えるくらいの速度に落とす。

慣れている人間ほど、わざと一拍遅らせる。

 

HUDに矢印が出た。

“次の一歩”の候補。

矢印は答えじゃない。選択肢だ。

信じるのではなく選ぶ。

選んだ瞬間、責任が自分に戻ってくる。

責任が戻るのは怖い。

でも戻らないと、俺はまた対象になる。

 

「動き、すごく自然です……え、初めてですよね?」

尾室さんの声が半信半疑に揺れた。

揺れた声に、バレたかもしれないという焦りが刺さる。

 

「結城くん、過信しないでください!危険を感じたらすぐに申告を!」

氷川さんが丁寧語のまま、強く言った。

強く言うのに怒鳴らない。怒鳴らないから、言葉が刺さる。

 

「いい。そのまま続けろ」

小沢さんが短く言う。

続けろ。

続けることが正しい。

でも続けることで、俺の動きが辞書になる。

辞書になった動きは、誰かの盾にも刃にもなる。

 

「結城くん、無理しないで……!」

つる子先輩の声が震えた。

震えの中に、見失いたくないという祈りが混ざる。

祈りに背を向けたくない。

だから俺は、倒れない。

 

アンノウンの踏み込みが来る。

俺は半歩ずれる。

ずれる角度が、矢印の提案と一致している。

一致しているのに、俺は矢印を見たと思われないように視線を外す。

視線で動きを悟られるのは嫌だ。

“戦闘経験がある”と判断された瞬間、今後の扱いが変わる気がする。

 

装備が支える。

姿勢が崩れない。

視界が安定し、手応えが通る。

“通る”という感覚が、今までと違う。

硬い壁に押し返されるのではなく、壁がこちらの力を“目的に沿って”通してくれる。

そういう通り方だ。

 

決定打は、流れの中に埋める。

大仰にしない。

必殺を匂わせない。

訓練の中で倒したという形にする。

俺が慣れていると悟られないように、終わらせ方を“普通”にする。

 

相手が崩れた。

崩れる瞬間が妙に静かで、現実の死よりも現実的に見えるのが嫌だった。

視界が一瞬だけ落ち着き、風景が戻る。

戻るのに、戻った気がしない。

 

「え、もう!?倒しました!ログ、すごい量です!」

尾室さんの声が跳ねた。

跳ね方が、驚きと嬉しさと焦りが混ざっている。

 

「……結城くん、大丈夫ですか!?怪我はありませんか!?」

氷川さんの声が丁寧語のまま、しかし確かに揺れた。

揺れたのは驚きだ。

驚きの揺れがあるのに、言葉の順番は崩れない。

この人は本当に、現場の人だ。

 

「よし。これがG3-Xの答えよ」

小沢さんが言った。

答え。

答えという単語が嫌だ。

現場に答えはない。

あるのは次の選択だけだ。

でも小沢さんは、答えと言わないと前へ進めないのだろう。

進めないと次が死ぬから。

 

「……倒した……?」

つる子先輩の声が小さく漏れた。

驚きが先に出て、その後に安心が追いついていない声。

先輩はデータでは強いのに、現場の匂いに弱い。

それが人間らしくて、胸が痛い。

 

俺は返事をしようとして、息を吸った。

そして、その瞬間に気づいた。

 

腕が重い。

脚が鉛みたいに沈む。

勝ったのに、勝った後の身体が終わりかけている。

目の奥がチカつき、耳の内側で小さな耳鳴りが始まる。

汗が遅れて出て、呼吸が深く入らない。

現場より静かなのに、現場より削られる。

削られるというより、骨の内側まで吸い取られる。

 

HUDは淡々と次の候補を出す。

“次の一歩”。

“射線”。

“受け姿勢”。

候補が出るのに、身体がついてこない。

候補が出るほど、俺の身体が「無理だ」と叫ぶ。

 

「結城くん、すぐに中断します。返答してください!」

氷川さんの声が強くなる。

丁寧語を崩さないまま、救命索のように強くなる。

 

「疲労値、跳ねてます!やばいです、これ……!」

尾室さんの声が今度は完全に焦っていた。

ぼやきが消えて、現場の声になる。

現場の声になったとき、人は余計なことを言わない。

 

「まだ倒れるな。最後に呼吸データを取る」

小沢さんの声が冷たい。

冷たいが、残酷さの冷たさではない。

開発の冷たさだ。

ここで止めたら、次の現場で誰かが死ぬ。

小沢さんは、その可能性を嫌というほど見てきた人間なのだろう。

 

「やめてください、結城くんが……!」

つる子先輩の声が切れる。

切れた声は、説明じゃなく祈りだ。

祈りに応えたい。

でも応えるには、俺が自分で中断を言わなければならない。

 

指先が震えた。

視界が少し狭まる。

地面が遠く感じる。

倒れていないのに、倒れそうだ。

ログ収集のランプはまだ点灯している。

その赤い点が、俺の心臓より冷たい。

 

「……」

声が出ない。

出ないのは恐怖じゃない。

呼吸が入らないからだ。

呼吸が入らないと、言葉は出ない。

言葉が出ないと、俺は対象になる。

対象になりたくないのに、身体が言葉を許さない。

 

氷川さんが判断した。

丁寧語のまま、しかし決断の速度で。

 

「中断します。尾室さん、記録停止手順を!」

命を守るための丁寧語が、ここでは命令になる。

命令に聞こえないのに、確実に人を動かす。

 

「はい!停止します!……小沢さん、止めますよ!」

尾室さんが叫ぶ。

叫びは珍しい。

叫ぶのは、叫ばないと止められない現場だからだ。

 

「記録を止めるな……!」

小沢さんの声が割り込む。

止めるな。

止めるなと言うのは、次の死を止めたいからだ。

でも今止めないと、目の前の命が落ちる。

 

氷川さんが丁寧語のまま、しかし一段強く言い切った。

「小沢さん、申し訳ありません。人命が優先です」

 

その一言で、視界の端の赤い点滅が消えた気がした。

実際に消えたのか、俺の意識が遠くなったのか分からない。

ただ、氷川さんの言葉が救いに聞こえたのは確かだった。

 

人命優先。

その言葉が救いに聞こえるのが怖い。

救いは、次の檻にもなるから。

それでも今は、救いでいい。

沈まないために、今は助けられていい。

 

視界が薄くなり、音が遠ざかる。

シミュレーションの世界が剥がれていく。

剥がれながら、俺の身体には重さだけが残る。

勝った重さではない。

削られた重さだ。

 

そして、俺は思った。

これは訓練じゃない。

訓練のふりをした現場だ。

現場のふりをした現場だ。

どちらでも同じだ。

削られるのが本物なら、現実も同じだけ削られる。

 

だから次の現場で、俺はまた喉を乾かす。

そして、選ぶ。

沈まないために。

 

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