G3トレーラーの金属臭から離れても、俺の喉に残った乾きは簡単には消えなかった。
小沢さんは、高村教授へ協力を求めると同時に、G3-Xを扱える可能性を持つ人物へ直接会いに行くと決めた。
理由は単純で、AIの判断優先度を落としたとしても、装着員が装備に呑まれない何かを持っていなければ、同じことが別の形で繰り返されるからだった。
氷川さんはまだ本調子ではなく、ベッドの上から丁寧な声で津上翔一という名前を出したらしい。
その人は、短い接触の中でG3-Xと相性を示した人物であり、小沢さんに言わせれば、理屈ではなく現場の反応として見ておく価値がある人物だった。
「装備を扱える理由を、本人が説明できるとは限らないわ。それでも、会えば分かるものはある」
小沢さんはそう言い切り、俺とつる先輩まで連れて行くことを当然のように決めた。
尾室さんは最後まで「いや、普通に大学生を連れて行く話じゃないと思うんですけど」とぼやいていたが、小沢さんが「協力者枠」と短く返したことで、反論は書類の隙間へ押し込まれてしまった。
つる先輩はその時点で既に切抜帳を抱え直し、G3-Xの適正者という言葉に説明欲と好奇心を隠しきれていなかった。
「結城くん、これは非常に重要な聞き取りになります。前提として、人間が装備を選ぶのか、装備が人間を選ぶのかという問題は、神話や儀礼にも通じる大変興味深い主題でして」
「先輩、玄関前で相手を研究対象にする言い方はやめてください」
「研究対象ではありません。観察協力者です」
「その言い換えで安全になったとは思えません」
俺がそう返すと、尾室さんが横で小さく「分かります」と頷いた。
小沢さんだけは、俺たちのやり取りに構わず、美杉家の表札を確認して呼び鈴を押した。
Gトレーラーやコンペ会場と違い、その家には生活の匂いがあった。
台所から漂う出汁のような香り、床を歩く足音、家の奥で誰かが返事をする声。
それらは警報でもログでもなく、ただ人が暮らしている証拠で、俺はその柔らかさに少しだけ呼吸の仕方を思い出した。
扉を開けた青年は、こちらの緊張を受け止める前に、柔らかく笑った。
彼の雰囲気は妙に穏やかで、警察関係者が並ぶ玄関の異物感さえ、いつの間にか日常の一部へ戻してしまう力があった。
「こんにちは。えっと、氷川さんのお知り合いですか」
その声を聞いた瞬間、俺は返事を忘れかけた。
初対面のはずなのに、どこかで同じ声を聞いたことがあるような気がした。
それは明確な記憶ではなく、水面に映った月が揺れているような頼りなさで、掴もうとすると形を崩す種類の既視感だった。
「そう。少し話を聞きに来たの」
「小沢さん、相変わらず急ですね。とりあえず中へどうぞ、お茶くらいならすぐ出せますから」
翔一さんは嫌な顔をするどころか、当然のように俺たちを招き入れた。
居間には落ち着いた家具と、読みかけの本と、台所から聞こえる湯の音があり、見学席や救護室で凝り固まっていた神経が少しだけ緩む。
奥から美杉教授が顔を出し、小沢さんと短く挨拶を交わした後、こちらへ視線を向けた。
さらに少し離れた場所には、風谷真魚さんが静かに立っていて、俺と翔一さんを見比べるような目をしていた。
「突然すみません。前提として、本日はG3-XのAI制御に関する聞き取りで、特に装着者が装備に呑まれない条件を確認するために」
「先輩、座る前に講義を始めないでください」
「……承知しました。簡潔に言いますと、お話を伺いたいのです」
つる先輩が悔しそうに言い直すと、翔一さんは不思議そうに首を傾げてから笑った。
その反応には警戒が少なく、むしろ話を聞くこと自体を面白がっているような軽さがあった。
けれど軽さの奥に、どこかで戦場を知っている人間の静けさも混ざっている。
俺はその静けさを見て、腰の奥に沈むベルトの重みを意識した。
「それで、僕に何を聞きたいんですか」
「G3-Xを動かしたとき、AIに引っ張られる感じはなかったか。それを聞きたいの」
小沢さんの問いは短く、答えの逃げ道をあまり残さない。
翔一さんは少し考えるように視線を上げ、台所の方から聞こえる湯の音へ一度だけ耳を向けた後、ゆっくりと言葉を選んだ。
「引っ張られるというより、こっちが行きたい方へ行った感じですね。危ないと思ったら体が動いたというより、助けたいと思ったから動いた、という方が近いかもしれません」
「AIの提示より、あなた自身の選択が先にあったということですか」
「難しい言い方をすると、そうなるのかな。けど、俺としては、目の前で誰かが危ないなら、そっちに行くだけですよ」
つる先輩がすぐにノートへ手を伸ばしかけ、途中で止めた。
救護室で氷川さんが倒れていた光景が、彼女にも残っているのだろう。
記録したい衝動と、目の前の人間を観察対象にしすぎてはいけないという学びが、先輩の指先を一瞬だけ止めていた。
「結論として、津上さんの場合は迷いが無いのではなく、迷いを抱えたまま選ぶ力があるのだと思います」
「先輩、その言い方は良いと思います」
「珍しく褒められましたね」
「珍しくって自分で言うんですか」
翔一さんは俺たちのやり取りを見て、少し楽しそうに笑った。
その笑い方が、どうしてか胸の奥に引っかかった。
戦う人間の笑いではない。
けれど、戦いを否定していない人間の笑いだった。
強さを誇らず、弱さを恥じず、ただ人のいる方へ自然に歩いていくような笑い。
G3-XのAIが求める最短の正解とは違う、遠回りを許す人間の動きがそこにあった。
「装備が先に答えを出すと、人間は置き去りになります」
つる先輩が、先ほどよりも慎重に言った。
翔一さんは、その言葉を軽く流さず、きちんと受け止めてから頷いた。
「そうですね。便利なものって、便利だから頼っちゃうんですよね。でも、最後に決めるのが自分じゃなくなると、たぶん怖いと思います」
「怖いと思うのに、あなたは扱えた」
「扱えたというか、あまり難しく考えなかっただけですよ。助けたいなら助けるし、止まらなきゃいけないなら止まる。たぶん、そのくらいです」
小沢さんは腕を組み、珍しくすぐには結論を出さなかった。
短い沈黙の中で、尾室さんが小声で「そのくらいが一番難しいんですよね」と呟いた。
俺も同じことを感じていた。
そのくらい、と言える自然さは、才能というより生き方に近い。
AIで再現できるものではなく、AIが邪魔してはいけないものだ。
「分かった。G3-Xに必要なのは、速い答えじゃない。人間が選ぶ余白だ」
「小沢さん、それは制御優先度の再設計という意味ですか」
「そう。AIは次の一歩を出すだけ。選ばせるのは人間に戻す」
つる子先輩はその言葉を聞き、静かに息を吐いた。
高村教授の言葉と翔一さんの自然体が、同じ方向を指していると気づいたのだろう。
人間が主であること。
装備が勝つのではなく、人間が選んで帰ってくること。
その条件が、G3-Xだけではなく、俺自身にも必要だと分かってしまう。
話が一段落したころ、翔一さんがお茶を置きながら、俺の顔をまじまじと見た。
その視線は警戒ではなく、記憶の引き出しを探すような柔らかさだった。
「んっ?」
「うぅん?」
そうして、改めて対面すると、俺と目の前にいる津上さんは互いに首を傾げた。
互いに同じタイミングだったせいで、つる子先輩と小沢さんが同時にこちらを見た。
「どうかしました、結城君?」「津上君、どうかしたの?」
俺と津上さんが互いに見ている事に対して疑問に思ったつる子先輩と小沢さんから、疑問の声をかけられた。
翔一さんは少し困ったように笑いながら、自分の胸元を指で軽く叩いた。
「いやぁ、どっかで会った事があるような」
「俺もなんですよね」
津上さんも同じ意見だったのか、同時に頷いてしまった。
その瞬間、風谷さんの視線がわずかに揺れた気がしたが、彼女は何も言わなかった。
何かを感じたのか、何も感じなかったのかは分からない。
ただ、沈黙の仕方が、何もない人の沈黙ではなかった。
「それって、もしかして記憶喪失になる前に会ったんじゃないの?」
「記憶喪失って、マジですか?」
「そうなんだよねぇ、でもこれはこれで色々と楽しいですよ」
翔一さんは本当に気にしていないように笑った。
その笑顔を見て、俺は少しだけ返事に詰まった。
忘れていることを、楽しさへ変えてしまえる人間がいる。
俺は忘れられないことに引きずられてここまで来たので、その違いが眩しかった。
「うぅ、記憶喪失は体験したいようなしたくないような」
「つる子先輩にとっては、体験したくない事ですよねぇ」
知りたがりのつる子先輩にとって、記憶喪失は体験したくないだろう。
知らないことがあるだけでノートを開く人が、自分の中の記録を失ったら、きっと落ち着いていられない。
けれど、本当になぜだろう。
俺と翔一さんは、互いに相手の顔を見直して、もう一度同じ言葉を重ねてしまった。
「「やっぱ、どっかで会った事があるような」」
その言葉に、つる子先輩はノートを開きかけたが、俺が視線で止めると、今日は素直に閉じてくれた。
小沢さんは小さく目を細め、何かを計算するような顔をしたが、結論はまだ出さなかった。
翔一さんは楽しそうに笑い、俺はその笑顔に、説明できない懐かしさと、説明してはいけない怖さを同時に感じていた。