仮面ライダーアルタ   作:ボルメテウスさん

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互いの違和感

美杉家の居間には、まだG3-Xという言葉の余熱が残っていた。

津上さんの「止まれる余裕」という言葉を受けて、小沢さんは湯呑みを前にしたまま沈黙し、尾室さんは持ち込んだ小型端末へ候補提示、拒否権、停止手順という三つの単語を打ち込んでいた。

台所からは洗い物の音が聞こえ、家の中にある当たり前の生活音が、ついさっきまで話していた暴走や敵判定という言葉を少しずつ人間の側へ引き戻しているようだった。

 

津上さんは空になりかけた湯呑みを集めながら、さっきG3-Xという名前が出た瞬間だけ笑顔を薄くしたことなど、最初から無かったみたいに穏やかに振る舞っていた。

けれど俺には、その穏やかさが本当に何も抱えていない人間のものではなく、抱えているものを日常の中へ丁寧に畳んでしまう人間のものに見えていた。

 

「津上さん、片付けなら俺も手伝いますよ」「いいんですよ、結城くんはお客さんなんですから。それに、こういうことをしている方が落ち着くんです」

 

津上さんはそう言いながら笑い、湯呑みを盆へ並べる手つきには迷いがなかった。

戦闘の話をした直後なのに、指先は茶器を倒さないことや、テーブルを濡らさないことへ自然に向かっている。

その姿を見ていると、G3-Xを装着した時も、この人はきっと同じように目の前の危ないものや守るべきものへ手を伸ばしたのだろうと分かる気がした。

 

「結城くん、今の津上さんの動作も参考になります。戦闘適正というより、日常動作から見える選択の癖として、非常に興味深いです」

「先輩、本人の前で動作分析を始めると、せっかくの成長が帳消しになります」

「今のは分析ではなく、対話前の観察です。いえ、言い換えても駄目ですね、今の発言は控えます」

 

つる子先輩は自分で訂正してから、珍しくノートを開かずに膝の上へ置いた。

以前の先輩なら、津上翔一という人物を情報として整理することに夢中になっていただろうが、今は本人がそこにいる重さを少しずつ理解し始めている。

その変化は頼もしくもあり、同時に、俺自身も誰かに同じように観察される可能性を思い出させるため、喉の奥に細い緊張を残した。

 

玄関の方で鍵の触れる音がした。

続いて扉が開き、外の空気をまとった声が居間へ届いた。

 

「ただいま、翔一くん……って、お客さんが来てたんだね」

 

帰ってきた風谷真魚さんは、廊下から顔を出したところで足を止めた。

小沢さんや尾室さんを見た時は少し驚いただけだったのに、俺と目が合った瞬間、彼女の表情がわずかに変わった。

それは警戒ではなく、知らない曲の続きを先に聞いてしまったような戸惑いに近かった。

 

「おかえり、真魚ちゃん。氷川さんの知り合いの人たちで、G3-Xのことで少し話を聞きに来てるんだ」

「G3-Xのことで……」

 

真魚さんはその言葉を繰り返し、津上さんの横顔を見た。

その一瞬、津上さんは何でもないように笑っていたが、真魚さんは笑顔の裏にある薄い影を見慣れているのか、すぐに俺へ視線を戻した。

俺は、見られているというより、触れられずに輪郭だけ確かめられているような感覚を覚えた。

 

「その人、なんだか少し、翔一くんに似てる気がする」

「僕に? そうかなぁ、僕はそんなに難しい顔してないと思うけど」

「翔一くん、そこじゃないと思うよ。顔じゃなくて、立ってる感じが似てるの」

 

津上さんは冗談で流そうとしたが、真魚さんの声は軽くなかった。

つる子先輩が反射的にノートへ手を伸ばしかけ、すぐに指を止めた。

小沢さんは湯呑みを置き、尾室さんは端末を抱えたまま、どう反応すればいいのか分からない顔で俺たちを見ている。

 

「立ってる感じ、ですか」

「うん。うまく言えないけど、普通にここにいるのに、どこか遠いところから戻ってきたみたいな感じがするの。翔一くんも、時々そういう感じがするから」

 

真魚さんの言葉に、津上さんの笑顔がほんの少しだけ静かになった。

記憶喪失という言葉だけでは片付かない何かが、彼の中にあるのだろう。

俺もまた、雨の夜と水の底を身体のどこかに沈めたまま、こうして人の家の居間に座っている。

 

「結論として、似ているのは外見ではありません。説明しきれないものを抱えたまま、普通の場所に立っている点だと思います」

 

つる子先輩は、言葉を選びながらそう言った。

いつものように結論から入っているのに、今回は相手を追い詰めるためではなく、曖昧な違和感を少しだけ持ちやすい形に整えるための言葉だった。

津上さんは先輩の言葉を嫌がるでもなく、困ったように笑っている。

 

「説明しきれないものって言われると、俺の場合は記憶がないだけなんですけどね」

「津上さん、それだけじゃないんじゃないですか」

 

俺がそう言うと、居間の空気が僅かに沈んだ。

言ってから踏み込みすぎたかと感じたが、津上さんは怒らず、盆に並んだ湯呑みへ目を落とした。

彼が隠しているものを俺は知らない。

それでも、G3-Xという単語へ反応した笑顔の薄さや、真魚さんの言葉を聞いた時の沈黙が、ただの記憶喪失だけでできているとは思えなかった。

 

「……そうかもしれませんね。でも、今の俺に分かるのは、ここでご飯を作ったり、誰かが帰ってくるのを待ったりするのが、結構大事だってことくらいです」

「それは、かなり大事なことだと思います」

 

津上さんの返事に、俺は自然にそう返していた。

戦う力を持つことより、帰る場所を大事だと言えることの方が、ずっと難しいのかもしれない。

俺は力を得てから、自分がどこへ帰ればいいのかを考えるより、どこまで沈まずに済むのかばかり気にしていた。

 

「結城さんも、翔一くんと似てるけど、同じじゃないと思います」

「同じじゃない、ですか」

「翔一くんは温かい感じがするんです。結城さんは……少し、水の底みたいです」

 

水の底という言葉が、胸の奥で音もなく沈んだ。

増水した川の冷たさ、水面越しに見た角の影、腹のあたりで光っていた小さな輝きが、一瞬だけ美杉家の居間に入り込んだように感じた。

俺は湯呑みを持つ手に力を入れ、目の前の畳とテーブルと、台所から漂う匂いへ意識を戻した。

 

「真魚ちゃん、いきなりそんな言い方をしたら結城くんが困るよ」

「ごめんなさい。でも、悪い意味じゃなくて、深いところに何かがある感じがしたから」

「大丈夫です。たぶん、自分でも少し分かってます」

 

津上さんは俺を見て、さっきよりも深く首を傾げた。

その目は記憶を探しているというより、俺の奥にある水音へ耳を澄ませているようだった。

俺も津上さんを見返す。

この人の中には、水の底ではなく、光の差す場所へ戻ろうとする何かがある。

似ていると言われても、同じではないという真魚さんの言葉は、残酷なくらい正確だった。

 

「津上さん、俺たち、本当にどこかで会っていませんか」

「会っていたら覚えている……と言いたいんですけど、俺の場合はそう言い切れないんですよねぇ」

「記憶喪失ですもんね」

「そうなんです。でも、不思議ですね。覚えていないのに、知らない感じがしないんです」

 

津上さんはそう言って笑ったが、今度の笑顔は誤魔化すためだけのものではなかった。

分からないものを分からないまま受け止める柔らかさがあり、俺はその柔らかさに少しだけ救われ、同時に少しだけ怖くなった。

自分の中にあるものを説明できない人間が、ここまで自然に笑えるのなら、俺にもいつかそんな場所へ戻る道があるのだろうかと、考えないようにしていた問いが喉元まで上がってきた。

 

「二人とも、何かを忘れているというより、何かにまだ名前を付けられていないように見えます」

「つる先輩、その言い方は少し詩的ですね」

「心外です。私は非常に論理的な整理をしたつもりです」

 

つる子先輩が少しだけ頬を膨らませると、津上さんが声を立てて笑い、真魚さんも表情を緩めた。

場の空気が軽くなったことで、小沢さんは椅子から立ち上がり、話を切り上げる頃合いだと判断したらしい。

尾室さんは端末を閉じながら、「今日は聞き取りというより、不思議な人生相談みたいでしたね」と小さくぼやいた。

 

「津上くん、話は参考になったわ。G3-Xは人間が選べる装備に戻す」

「お願いします。強いものが誰かを守るためにあるなら、ちゃんと止まれる方がいいと思いますから」

 

津上さんの言葉に、小沢さんは短く頷いた。

そのやり取りを見ながら、俺はG3-Xに襲われた時のような曇りを、津上さんがまだ隠していることを思い出していた。

彼は何かを知っている。

しかし、それをこの場で暴くことが正しいとは思えなかった。

 

玄関で靴を履く時、真魚さんがもう一度俺の方を見た。

彼女の目には怖がりではなく、心配があった。

 

「結城さん、あまり深いところに一人で行かない方がいいと思います」

「……気をつけます」

「翔一くんも、時々どこかへ行きそうになるけど、ちゃんと帰ってくるから」

 

その言葉に、津上さんが照れたように笑った。

俺はその横顔を見て、また胸の奥に既視感を覚えた。

どこかで会ったことがあるのではなく、もしかすると、同じ場所へ別々の入口から落ちて、別々の形で戻ってきたのかもしれない。

 

「津上さん」

「はい、結城くん」

「やっぱり、俺たちどこかで会った気がします」

「俺もです。今度会う時には、何か思い出せるといいですね」

 

津上さんはそう言って、何でもない約束のように笑った。

俺は頷き、美杉家の玄関を出た。

外の空気は少し冷えていて、背中にはまだ家の中の暖かさが残っている。

 

真魚さんの「水の底みたい」という言葉が、帰り道の足元で何度も揺れた。

津上さんはあたたかい場所へ戻ろうとしている人で、俺は沈まないように足掻いている人間なのだろう。

似ているけれど同じではない二人が、どうして互いに見覚えを感じるのかは分からない。

それでも、美杉家の灯りを背にした時、俺は津上翔一という人間が、自分とは違う形で何かから帰ってきた人なのだと、前よりもはっきり感じていた。

 

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