Gトレーラーの中は、出動前の静けさに包まれていた。
以前なら、その静けさは作戦前の緊張というだけで済んだのかもしれないが、今の俺には、整備スペースに立つG3-Xが息を潜めているように見えて仕方がなかった。
装甲は磨き直され、破損箇所は修復され、胸部内部には高村教授が小沢さんへ託したAI制御チップが組み込まれている。
けれど、見た目だけなら以前と大きく変わらないその装備が、本当に氷川さんを置き去りにしないものへ変わったのかは、これから確かめるしかなかった。
「AI制御チップ、接続確認しました。姿勢制御、照準補正、駆動出力の上限処理、全部応答しています」
尾室さんの声は、いつもの頼りなさを少し残しながらも、端末へ向ける目だけは真剣だった。
小沢さんはモニターに映る各部ログを見つめ、成功を喜ぶより先に、失敗を見逃さない人間の顔をしている。
「応答しているだけじゃ駄目。氷川の意思より先に動かないことを確認する」
「はい。先行駆動の発生率も監視します。……言っていて胃が痛くなる項目ですけど」
尾室さんのぼやきに小沢さんは返事をせず、通信回線を開いた。
画面の向こうで、氷川さんがG3-Xのヘルメットを装着する直前の姿勢で立っている。
前回、あの装備はアンノウンに勝ったが、氷川さんは戻ってこなかった。
だからこそ、今回は勝つことよりも、帰ってくることが試されている。
「小沢さん、装着準備は完了しています。今回こそ、G3-Xと共に戻ります」
氷川さんの声は、いつも通り丁寧で、無理に強がる響きはなかった。
それが逆に、この人が怖さを抱えたまま、それでも前へ出ようとしている証拠に思えた。
「結論として、今回の完成条件は勝利ではなく帰還です」
つる子先輩は静かに言った。
彼女の膝の上にはノートがあるが、今日は書くための道具というより、何かあればすぐ受け止めるための支えみたいに見える。
「氷川さんが帰ってくるところまで見て、初めて成功なんですね」
「そう。敵を倒しても、装着員が戻らなければ失敗よ」
小沢さんの言葉に、誰も反論しなかった。
G3-Xのヘルメットが閉じられ、通信音が一度だけ低く鳴る。
それは、装備が起きる音ではなく、人間が装備の中へ入る音であってほしいと、俺はモニターを見ながら思った。
出動後の映像は、G3-Xの視界と外部カメラの二つで表示された。
現場は幹線道路から少し外れた資材置き場で、逃げ遅れた作業員が右後方の資材棚の陰にいる。
アンノウンは前方でゆっくりと首を動かし、G3-Xの青い装甲を見据えていた。
「現場到着。アンノウン反応、前方二十メートル。民間人が右後方に残っています」
「氷川くん、状況を見なさい。装備に見せられるんじゃなく、あなたが見るの」
「了解しました。民間人の保護を優先します」
氷川さんが右へ踏み出した瞬間、G3-Xの脚部がその動きへ合わせるように駆動した。
以前なら敵へ向かって一直線に走り出したかもしれない場面で、装備は氷川さんの判断を追い越さず、踏み込みを支えるだけに留まっている。
肩部装甲が射線を切る角度へわずかに開き、銃口はアンノウンの中心ではなく、民間人との間に壁を作る位置へ下がった。
「駆動出力、氷川さんの動作に追従しています。AI側の先行動作はありません」
「G3-Xが命令しているのではなく、氷川さんの身体を支えています」
つる子先輩の声には、説明ではなく安堵が混ざっていた。
俺も画面から目を離せなかった。
前のG3-Xなら、もう敵の方へ走っていたのだろう。
けれど今のG3-Xは、走らないことによって氷川さんを人間のまま装備の中に残している。
「ええ。だから今は、走らないことに意味がある」
小沢さんが短く言い、モニターには氷川さんが作業員を背後へ誘導する姿が映った。
G3-Xの左腕が盾のように構えられ、右手の銃口は必要以上に敵を追わない。
アンノウンが急に跳ねるように距離を詰めた時、G3-Xの右腕は迎撃姿勢へ入りかけたが、氷川さんが一歩踏みとどまると、装甲の動きもそこで制動された。
「制動入りました。G3-X、氷川さんの停止動作に追従しています」
「よし。前に出たい装備を、氷川くんが止めたわ」
「ここで押し切れば、後方を巻き込みます。側面へ回ります」
通信越しの氷川さんの声に迷いは少なかった。
G3-Xの脚部が低く沈み、氷川さんの体重移動に合わせて横へ滑る。
機械の補助は鋭く、反応は人間の生身では届かない速度を持っているのに、動き出すきっかけは氷川さんの側に残っていた。
「補助は強いままです。ですが、起点が氷川さんに戻っています」
「装備だけが勝手に戦ってる感じじゃない。氷川さんが中にいる」
自分で言ってから、その言葉に胸が少し熱くなった。
G3-Xは強い。
けれど、今画面に映っている強さは、氷川さんを消す強さではなく、氷川さんが選んだ方向へ身体を届けるための強さだった。
アンノウンは資材の山を蹴って跳び、上からG3-Xへ爪を振り下ろした。
G3-Xの肩と膝が自動的に衝撃を逃がす姿勢へ移るが、反撃に移る直前で氷川さんが銃口を下げた。
落下地点の奥に逃げ遅れた作業員のヘルメットが見えたからだ。
「射線に民間人が入ります。氷川さん、撃たない判断です」
尾室さんの声がわずかに上ずった。
以前のG3-Xなら、成功率だけを見て射撃姿勢を維持していたかもしれない。
だが、今のG3-Xは銃口の揺れを抑えたまま、氷川さんの下げる動きへ静かに従った。
「撃たないことも、選択なんですね」
つる子先輩が呟いた。
その言葉は、G3-Xのためだけではなく、俺の中にも沈んでくる。
怒りがあるなら殴る、敵がいるなら倒す、そういう単純な反応へ身体が流れそうになる時、撃たないことを選べる余地が残っているかどうか。
それは、俺にとっても他人事ではなかった。
「氷川くん、作業員の退避を確認。今なら射線が通る」
小沢さんの声が鋭くなった。
画面の中で作業員が警官に誘導されて退避し、アンノウンは動きを鈍らせながらも、G3-Xへ再び向き直る。
氷川さんはGX-05ケルベロスを構えた。
照準補正が働き、銃口のぶれが静かに収まっていく。
その補正は氷川さんの指を勝手に動かすものではなく、氷川さんが選んだ射線を支えるためのものだった。
「照準補正、氷川さんの射線へ追従。AI側の強制発射はありません」
「撃つのは装備じゃない。氷川くんよ」
「周囲の安全を確認しました。これより射撃します」
氷川さんの指が引き金を絞り、GX-05の砲撃がアンノウンを撃ち抜いた。
画面が一瞬白く染まり、爆炎の奥でアンノウンの反応が途切れる。
G3-Xはその場で膝をつかず、前へ暴走することもなく、反動を受け止めた姿勢のまま立っていた。
「アンノウン反応、消失。バイタル正常、意識レベル正常です!」
尾室さんが声を上げた。
つる子先輩は息を吐きかけて、すぐに自分で首を振る。
「勝った……いえ、まだです。氷川さんの帰還までが成功条件です」
「こちら氷川。意識、バイタル共に正常です。これより帰還します」
その声を聞いた瞬間、俺の肩から力が抜けた。
画面の向こうでG3-Xが勝ったことよりも、氷川さんが自分の声で帰還を告げたことの方が、ずっと大きかった。
「……帰ってくるんですね」
「ええ。今度は、装備だけじゃない」
小沢さんの返事は短かったが、そこにある安堵は隠しきれていなかった。
尾室さんは端末を操作しながら、AI暴走ログがないこと、制御チップが正常に機能していること、姿勢制御も照準補正も氷川さんの動作を追い越していないことを次々に確認していく。
つる子先輩はその横で、ようやくノートを開いた。
「結論として、G3-Xは人間を置き去りにしない方向へ進みました」
「良かったです。本当に、良かった」
俺の声は、自分で思うより素直に出た。
氷川さんが帰ってくる。
ただそれだけのことが、今は胸の奥を温めていた。
装備が勝つのではなく、人間が帰ってくる。
その当たり前が、こんなにも遠い場所から戻ってきたように感じられる。
「結城くん、少し顔色が戻りましたね」
「氷川さんが帰ってくるなら、それだけで十分です」
そう答えた直後だった。
胸の奥が、ほんのわずかに引かれた。
痛みではない。
アンノウンの気配とも違う。
G3-Xの勝利で緩んだはずの身体の内側に、遠くから静かな波が届いたような感覚だった。
「……っ」
「結城くん、どうしましたか」
つる子先輩がすぐに気づいた。
俺はモニターを見たが、画面には帰還中のG3-Xと、正常値を示すバイタルしか映っていない。
戦闘は終わっている。
敵反応も消えている。
それなのに、俺の中のどこかが、別の方向へ引っ張られていた。
「分かりません。戦闘は終わったはずなのに、何かが引っ張るみたいに」
「アンノウン反応は?」
小沢さんがすぐに尾室さんへ振る。
尾室さんは慌てて周辺反応を確認し、首を横へ振った。
「ありません。現場周辺、反応なしです。G3-X側にも異常値は出ていません」
「G3-Xとは別系統の感覚、と考えるべきでしょうか」
つる子先輩の声は冷静だったが、俺の手元を見る目には心配があった。
俺は腹の奥に沈むベルトの存在を意識する。
変身していないのに、そこだけが水の中の石みたいに重かった。
「たぶん、敵じゃないです。でも、放っておけない感じがします」
「津上さんと会った時の既視感に近いですか」
その名前が出た瞬間、胸の奥の波が少しだけ強くなった。
美杉家の居間、湯気の立つ湯呑み、料理をしながらでも相談を聞くと言った津上さんの声が、断片のように浮かんでくる。
「近いです。でも、もっと奥から来る。誰かが、何かを思い出したみたいな……そんな感じです」
言葉にしても、自分で意味が分からなかった。
誰かが何かを思い出したから、自分が引っ張られるという説明はおかしい。
それでも、その感覚は敵意や殺気とは違っていた。
水底へ沈める冷たさではなく、遠い場所で沈んでいたものが水面へ浮かび上がる時の、静かな揺れに近かった。
同じ頃、美杉家の玄関では、津上翔一が靴へ足を入れていた。
いつもの穏やかな笑みは消えていないが、その目は家の中ではなく、もっと遠い場所を見ている。
真魚は廊下の途中で立ち止まり、翔一の横顔を見つめていた。
「翔一くん、こんな時間に出かけるの」
「うん。ちょっと、確かめたいことがあるんだ」
「何か思い出したの?」
「分からない。でも、行かないといけない気がする」
翔一はそう言って、玄関の外へ出ていく。
扉が閉まる音は静かだったが、その静けさの向こうで、何かが確かに動き出していた。
Gトレーラーでは、氷川さんの帰還予定時刻が表示され、小沢さんが成功ログを保存するよう尾室さんへ指示していた。
G3-Xは戻った。
氷川さんも戻る。
今日は、それで成功だと小沢さんは言った。
「ですが、結城くんの感覚は説明がついていません」
つる子先輩が小さく言った。
俺はまだ胸の奥に残る引力を押さえるように、拳を握る。
「今は分からなくていいです。でも、たぶん行くことになる気がします」
「どこへですか」
「分かりません。ただ、津上さんと会った時の感じに似ています」
「では、無関係ではない可能性があります」
「嫌な感じじゃないんです。けど、静かに引っ張られる」
そう言うと、つる子先輩はノートを開きかけて、すぐに閉じた。
今はまだ記録できる形ではないのだろう。
俺自身にも、この感覚を説明する言葉はない。
G3-Xは、画面の向こうで氷川さんを置き去りにせず勝った。
そのことに安堵した瞬間、俺の中の別の何かが、遠くで目を覚ましたものへ引き寄せられていた。
それが敵なのか、味方なのか、記憶なのか、力なのかは分からない。
ただ、その感覚は水底へ沈めるものではなく、どこかで誰かが自分の名前を取り戻した時に生まれる、静かな波のようだった。