目を覚ましたとき、最初に感じたのは、身体の重さだった。
筋肉痛とは少し違う。
殴られた衝撃が、まだ奥に残っているような感覚。
特に、脚と腰。
蹴りを放ったときの反動が、そのまま骨の内側に沈んでいる。
天井を見上げながら、ゆっくりと息を吐く。
……生きている。
それだけで、少し可笑しくなった。
昨日の夜は、そんなことを考える余裕すらなかったのに。
スマートフォンを見ると、時刻は昼前。
思ったよりも眠っていたらしい。
身体を起こすと、ベルトの感触はない。
当然だ。
今は、ただの大学生の身体だ。
だが、何もなかったことにはならない。
あの工場。
豹のアンノウン。
黄金の影。
そして、名前だけを知っていた存在――アギト。
記憶は、はっきりと残っている。
シャワーを浴び、簡単に身支度を整えてから、大学へ向かった。
キャンパスはいつも通りで、昨日の夜の出来事が嘘みたいだ。
研究棟の廊下を歩き、いつもの研究室の前で立ち止まる。
ノックをする前から、分かっていた。
中に、いる。
扉を開けると、ホワイトボードの前につる先輩が立っていた。
白衣は着ていないが、姿勢と空気感は、完全に“調べる側”のそれだ。
「おはようございます、つる先輩」
声をかけると、ペンを持ったまま振り返る。
「あ、おはよう結城君。ちゃんと起きられた?」
「……はい。なんとか」
軽い会話なのに、少し安心する。
昨夜の延長線上じゃない、日常の声だ。
ふと、ホワイトボードを見る。
すでに、文字と線で埋まっていた。
大きく書かれた単語が、いくつもある。
未確認
クウガ(4号)
G3
アギト
アルタ(?)
アンノウン
それぞれが矢印で繋がれ、
所々に「?」や二重線が引かれている。
……もう、ここまで整理している。
「早いですね」
思わず言うと、つる先輩は少しだけ肩をすくめた。
「昨日の夜は眠れなかったからね」
「頭の中でぐるぐるしてるより、書き出した方が早い」
ホワイトボードの端を、ペンで軽く叩く。
「まだ仮説段階だけど」
「少なくとも、情報の整理はできる」
その言い方が、やけに頼もしく聞こえた。
僕は椅子に腰を下ろし、改めてボードを見上げる。
そこに並んでいる言葉は、
どれも昨日まで“遠い存在”だったものばかりだ。
今は、その中心に――
自分の名前の代わりに、アルタという仮の呼び名が書かれている。
「……改めて見ると、すごいですね」
「でしょう?」
つる先輩は、少しだけ笑う。
「一晩で世界が増えた気分」
その言葉に、何も返せなかった。
増えたのは、世界だけじゃない。
背負うものも、確実に増えている。
つる先輩は、ペンを持ち直し、ホワイトボードの前に立つ。
「じゃあ、順番に整理しようか」
「まずは――昨日、アンノウンが口にした“名前”から」
その一言で、空気が切り替わる。
これは、戦いの続きだ。
拳じゃなく、言葉と記録で行う、もう一つの戦い。
僕は背筋を伸ばし、頷いた。
「……お願いします」
ホワイトボードの前で、
つる先輩のペンが、静かに動き始めた。
つる先輩は、ホワイトボードの中央に書かれた「アギト」という文字を、ペンの先で指した。
「まずは、ここ」
その一言で、空気が少しだけ張り詰める。
「昨日、初めて姿を見た存在」
「アンノウンが、はっきり“アギト”と呼んでいた存在」
つる先輩は、そう前置きしてから、僕の方を見る。
「結城君。正直に聞くけど……どうだった?」
どう、とは。
何を指しているのかは、分かっていた。
「……似てました」
言葉を選ばずに答える。
「戦い方も、立ち方も」
「それに……」
一度、言葉を切る。
「雰囲気が、4号に」
つる先輩は、すぐには否定しなかった。
むしろ、その言葉を待っていたように頷く。
「やっぱり、そう感じたんだ」
そう言って、ホワイトボードの端に新しい図を書き始める。
簡単な人型のシルエット。
腰の位置に、丸で囲った印。
「ここ」
「腰、ですよね」
「うん」
つる先輩は、ペンを止めずに続ける。
「私も気になった。アギトの腰にある“それ”」
「形は違うけど……役割は、かなり近い」
頭の中に、あの光景が浮かぶ。
金色の身体。
腰の前で、確かに“何か”が存在していた。
「クウガの4号は、明確に“装着している”」
「ベルトというより、遺物に近い」
「でも、アギトは……」
つる先輩は、少しだけ言葉を探す。
「“生えている”感じがした」
その表現に、思わず息を飲んだ。
「……分かります」
否定できない。
僕自身のベルトも、同じだ。
「でね」
つる先輩は、今度はホワイトボードに三つの円を描く。
一つ目には「4号」。
二つ目には「アギト」。
三つ目には、迷った末に「アルタ(仮)」。
「4号のベルトは、完全に超古代の遺物」
「アギトのベルトは、それよりも“身体に近い”」
「どちらも、外付けだけど、意味合いが違う」
ペン先が、三つ目の円に止まる。
「で、あなたのベルト」
一瞬、視線が僕の腰に落ちる。
今は何もないはずの場所。
「これは、どちらでもない」
「……中間、ですか」
「そう」
つる先輩は、はっきり頷いた。
「4号のベルトほど“物”じゃない」
「アギトのベルトほど“完全に身体”でもない」
ホワイトボードに、矢印が引かれる。
4号 → アルタ → アギト
「あなたのベルトは、その中間」
「遺物を媒介にして、身体に侵食している途中の形」
その言葉が、胸に重く落ちる。
侵食。
進化。
変質。
どれも、否定しきれない。
「だから、アンノウンは区別した」
つる先輩は、静かに言った。
「アギトは“クウガに近い完成形”」
「アルタは……その途中に生まれた、混成」
ホワイトボードに、丸で囲まれた「アルタ(?)」の横に、小さく書き足される。
――未完成
「もちろん、これは仮説」
つる先輩は、すぐにそう付け加える。
「でも、腰の構造と反応を見る限り」
「あなたのベルトは、4号とアギトの“間”にある」
僕は、無意識に腰に手を当てた。
何もない。
それなのに、確かに“そこにあった”感覚が残っている。
「……じゃあ、アギトは」
問いかける。
「アギトは、何者なんですか」
つる先輩は、すぐには答えなかった。
ホワイトボードを見つめ、
書かれた線と円を、もう一度なぞる。
「少なくとも」
そう前置きして、口を開く。
「あなたより、先に“そこ”へ辿り着いた存在」
「クウガに近く、でも同一じゃない」
そして、こちらを見る。
「だからこそ、あなたは見てしまった」
「“似ている”と感じてしまった」
研究室の蛍光灯が、静かに唸る。
僕は、深く息を吸った。
アギト。
4号。
そして、アルタ。
三つの名前が、
頭の中で、ゆっくりと並び始めていた。
つる先輩は、ホワイトボードの視線を少し下へ落とした。
「次は……これ」
ペン先が指したのは、
さっきまで「機械の4号」とだけ書かれていた文字。
その横に、すでに追記されている。
――G3。
「これはね、正直言うと」
つる先輩は、少し肩の力を抜いた。
「調べるの、そんなに難しくなかった」
「……え?」
拍子抜けした声が出る。
あれだけ異質で、
あれだけ“場違い”に見えた存在が、
そんな簡単に分かるものなのか。
「インターネットに情報がある」
「もちろん、細かい仕様までは出てこないけど」
そう言いながら、つる先輩はノートを一枚めくる。
「警察関連の公開資料」
「特撮オタクの掲示板」
「未確認事件を追ってる個人サイト」
いくつかの単語が、淡々と並ぶ。
「それらを突き合わせると、すぐに出てくる名前がある」
G3。
「警察が開発した、対未確認用の強化装備」
「人間が装着することを前提にした、パワードスーツ」
その説明を聞いて、胸の奥が少し冷えた。
「……じゃあ」
言葉を選びながら、聞く。
「4号みたいな存在じゃ、ないんですよね」
「うん。全然違う」
つる先輩は、はっきり言った。
「4号やアギトは、“変身する存在”」
「でもG3は、“着る装備”」
ホワイトボードに、簡単な図が追加される。
人型。
その外側に、装甲。
「中身は、普通の人間」
「訓練された警察官が、装備を使って戦っているだけ」
工場で見た姿が、頭に浮かぶ。
重そうな装甲。
銃火器。
動きは確かに人間的だった。
「……それでも」
僕は、思わず口にする。
「アンノウンは、警戒してました」
つる先輩は、そこを待っていたように頷いた。
「そこが、一番重要」
ペン先が、G3の文字を強くなぞる。
「アンノウンにとっての脅威は」
「“力の出所”じゃない」
ホワイトボードに、矢印が引かれる。
クウガ → G3
アギト → G3
「方向性」
その一言で、空気が引き締まる。
「クウガを倒すために、人間が作った存在」
「たとえ力が及ばなくても、思想としては同じ」
だから、警戒する。
だから、排除対象になる。
「……じゃあ」
頭の中で、点が繋がり始める。
「アンノウンは、“クウガに近づこうとする存在”そのものを恐れてる?」
「その可能性は、高い」
つる先輩は、迷いなく言った。
「力の強さじゃない」
「“人間が超えてしまうこと”が、彼らにとっての危険」
G3は、人間の意思で作られた。
アギトは、人間の中から生まれた。
そして――
僕は、無意識に腰を意識する。
「……俺は」
言葉が、自然と低くなる。
「どっちなんでしょうね」
つる先輩は、すぐに答えなかった。
その代わり、ホワイトボードの端に、小さく書き足す。
――アルタ:両方に接続している存在
「簡単に言えば」
そう前置きして、こちらを見る。
「G3が“人間側からの接近”なら」
「あなたは、“内側からの変質”」
その言葉は、静かだけど重かった。
ネットで調べれば分かる。
誰でも辿り着ける情報。
それなのに、
そこから見えてくる世界は、あまりにも歪んでいる。
「……警察が、気づかないわけないですよね」
「うん」
つる先輩は頷く。
「気づいてる」
「だからこそ、表に出さない」
研究室に、短い沈黙が落ちた。
G3は、秘密じゃない。
だが、真実でもない。
その事実が、
これからの行動を、少しだけ重くしていた。
しばらく、研究室にはペンの音だけが響いていた。
ホワイトボードには、
クウガ、アギト、G3、アルタ、アンノウン。
いくつもの矢印と注釈が重なっている。
つる先輩は、少し離れた位置からそれを見つめていた。
全体を眺めるときの、あの沈黙だ。
「……ねえ、結城君」
やがて、ぽつりと声が落ちる。
「一つ、考え直したいことがある」
「考え直す、ですか」
「うん」
つる先輩は、アンノウンの文字を丸で囲み、
そこから伸びている矢印を一度、消した。
「最初、私はこう考えた」
「アンノウンは、クウガを恐れている」
「だから、クウガに近い存在――アギトやG3、あなたを排除しようとしている」
そこまでは、これまでの整理と同じだ。
「でも」
ペン先が、アギトの文字の上で止まる。
「……逆だった可能性がある」
胸の奥が、僅かにざわつく。
「逆、って」
つる先輩は、ゆっくりと頷いた。
「アンノウンが本当に恐れているのは」
「アギトそのものなんじゃないか、って」
「アギト……?」
思わず、聞き返す。
「だって、おかしいでしょ」
つる先輩の声が、少しだけ熱を帯びる。
「クウガは、もう“終わった存在”」
「事件は終息している。少なくとも、彼らの時代は一区切りついている」
ホワイトボードの「クウガ」に、細い線が引かれる。
「でも、アギトは違う」
「今、この時代に“発生している”」
僕は、工場で見た姿を思い出す。
迷いのない動き。
自然に力を扱っている感覚。
「アンノウンが口にした名前も、そう」
つる先輩は続ける。
「あなたを見て、最初に呼んだのは“アギト”だった」
「それは、間違いじゃない」
「……」
確かに。
遺跡でも、工場でも、
アンノウンは“アギト”という言葉を、特別なものとして使っていた。
「つまり」
つる先輩は、ペンで新しい矢印を書く。
アギト → クウガ
アギト → アルタ
アギト → G3(間接)
「基準点が、アギト」
その一言で、全体の見え方が変わる。
「クウガは、アギトに近い存在」
「あなたは、アギトへ向かう途中の存在」
「G3は、アギトを“再現しようとした失敗例”」
言い方はきつい。
でも、否定できない。
「だから、アンノウンは」
つる先輩は、アンノウンの文字を強くなぞる。
「“アギトに至る可能性”を持つ存在を排除する」
「完成しているかどうかは、二の次」
力の強さでもない。
実績でもない。
可能性。
そこに、寒気が走る。
「……じゃあ、4号は」
声が、自然と低くなる。
「4号は」
つる先輩は、少し言葉を選んでから答えた。
「“アギトに最も近かった過去の存在”」
「だから、アンノウンの基準では、同列に見える」
過去。
現在。
そして、途中。
「結城君」
つる先輩が、こちらを見る。
「あなたは、たぶん」
「アギトでも、クウガでもない」
分かっている。
けれど、その先が怖い。
「でも」
続く言葉に、息を呑む。
「アギトになり得る」
研究室の空気が、静止した。
それは、呪いみたいな言葉だった。
「だから、アンノウンはあなたを呼んだ」
「アウラ、アルタ……呼び名が揺れていたのも、そのせい」
まだ定まっていない。
分類できない。
「彼らは、あなたを見極めようとしている」
「“恐れるべき存在かどうか”を」
僕は、無意識に拳を握る。
戦っているつもりだった。
守っているつもりだった。
でも、もしかしたら。
「……試されている、ってことですか」
「うん」
つる先輩は、静かに肯定した。
「アンノウンは、敵を倒しているんじゃない」
「未来を潰している」
その言葉が、重く胸に沈む。
クウガの背中を追いかけて。
アギトに近づいて。
気づけば、自分自身が“基準”になりかけている。
ホワイトボードの中央で、
「アギト」という文字が、やけに目立っていた。
それは、まだ姿を完全に理解していない存在。
けれど、確実に――
この世界の“分岐点”に立っている名前だった。
ホワイトボードを見つめながら、つる先輩は一度だけペンを置いた。
「……最後に、これ」
そう言って、二つの言葉を並べて書く。
――アウラ
――アルタ
どちらも、僕を指して呼ばれた名前だ。
「呼び間違い、とは思えない」
つる先輩は、静かに言う。
「アンノウンは、明確に“使い分けていた”」
「少なくとも、意味のない揺れじゃない」
僕も、同じ感覚を抱いていた。
遺跡で聞いた声。
工場で向けられた視線。
呼び名が変わるたびに、
向けられる“評価”そのものが変わっていた気がする。
「アウラは、最初に呼ばれた名前」
「まだ、あなたが何者か分からなかった段階」
つる先輩は、アウラの文字の横に、小さく書き足す。
――未分類
――兆候
「一方で、アルタは」
視線が、もう一つの名前へ移る。
「混ざった存在」
「途中経過」
「完成していない何か」
言葉が、慎重に選ばれているのが分かる。
「……アギトの可能性、ですか」
そう問いかけると、つる先輩は首を傾げた。
「それも、ある」
「でも、それだけじゃ足りない気がする」
ペン先が、ホワイトボードの端を叩く。
「アギトだけなら、呼び名は一つでいい」
「あなたは、アギトに“なりかけている”存在として扱われるはず」
確かに。
それなら、最初から“アギト”と呼ばれていたはずだ。
「だから」
つる先輩は、一瞬だけ言葉を切る。
「もう一つの要素が、混ざっている」
ホワイトボードの余白に、新しい名前が書かれる。
ギルス
その文字を見た瞬間、
胸の奥が、微かに反応した。
理由は分からない。
だが、無視できない感覚だった。
「ギルスは、まだ謎が多すぎる」
「資料も、目撃証言も、断片的」
「でも……」
つる先輩は、アルタとギルスの間に、細い線を引いた。
「あなたと同じで、“不完全”」
「アギトと似ているのに、明確に違う」
似ている。
だが、どこか歪んでいる。
「もし」
つる先輩の声が、少しだけ低くなる。
「アウラが“アギトになる可能性”を指す言葉だとしたら」
「アルタは、“アギトとギルスの分岐点”を指しているのかもしれない」
その考えに、背筋が冷えた。
アギトになる未来。
ギルスに近づく未来。
そのどちらにも、まだ踏み切っていない存在。
「だから、名前が揺れる」
つる先輩は、静かに結論づける。
「あなたが、どちらに向かうか」
「アンノウンにも、まだ見えていない」
ホワイトボードの中央には、
三つの名前が並んでいる。
アギト。
ギルス。
そして、アルタ。
「……結局」
僕は、息を吐きながら言った。
「俺は、まだ“何者でもない”ってことですね」
つる先輩は、少しだけ笑った。
「うん」
「でも、それが一番危険で、一番自由」
危険で、自由。
その言葉が、やけに胸に残る。
クウガの背中を追いかけて。
アギトを見て。
ギルスという影を知って。
僕は、ようやく理解し始めていた。
戦うことよりも、
どこへ向かうかの方が、ずっと重要だということを。
ホワイトボードの片隅で、
「アルタ」という名前が、まだ仮のまま残っている。
消されるか。
別の名前に変わるか。
それとも——
このまま、定着するのか。
答えは、まだ出ていない。
だが、それでいい。
少なくとも今は、
“考え続ける”という選択肢が、ここにあった。
見出し:
警察、対未確認用の新装備か 現場で“重装甲の人影”目撃相次ぐ
日付/地域:
2001年○月 東京都内(複数地点)
本文(〜200字):
未確認生命体関連事件の現場周辺で、警察装備と思われる重装甲の人影が目撃されている。複数の証言では「機械のような外観」「銃器を使用」「単独で現場に踏み込んだ」などの特徴が一致するが、警視庁は詳細を明らかにしていない。関係者の一部は“新型の対未確認装備”の存在を示唆しており、未確認事案への対応体制が水面下で更新されている可能性がある。
つる子の注釈:
“仮面ライダー”ではなく、警察の装備。
つまり人間が、人間のまま怪物に届こうとしている。
問題は強さじゃない。
その発想が、何を呼び寄せるか——。