廃工場を離れ、近くの河川敷まで来たところで俺たちは足を止めた。
変身を解除して久しぶりに息をつく。
夜風が冷たく汗ばんだシャツに張り付いて気持ち悪い。
俺は堤防のコンクリートに腰を下ろしスポーツドリンクのキャップをひねった。
隣で津上さんも同様に水分を補給している。
「…助かりました津上さん。一人だったらどうなってたか」
「いや俺も小沢さんに連れられて来なきゃ間に合ってないよ」
津上さんは疲れたように笑ったがすぐにその表情は曇った。
彼もまたあの黒緑のアギトの強さと異常さに思いを馳せているのだろう。
「それにしても…あいつ」
津上さんが空を見上げながらポツリと言った。
「あいつの声どっかで聞いたことある気がする」
「え?」
俺は思わず聞き返した。
聞き覚えがある? あの低く重い獣のような声を?
「どこでです?」
「それが思い出せないんだ」
津上さんは額を押さえ苦しげに眉を寄せる。
「俺が記憶を無くする前…まだ自分が誰だったのか分かっていた頃の記憶の中にある気がするんだ。あんな風に低くてどこか苛立ったような声…」
記憶を無くす前。
津上さんが目覚めた海辺の岸壁より以前の彼自身。
俺は津上さんの過去について詳しいことは知らない。彼自身も知らないのだから当然だ。けれどあのアギトがその過去と繋がっているとしたら。
「…気のせいかもしれませんけどね」
津上さんはそう言って誤魔化すように笑ったがその目には不安の色があった。
「気のせいじゃないかもしれません」
俺は自分に言い聞かせるように呟いた。
「もし本当に津上さんの知り合いだとしたらなおさら危険です。俺たちの知らないところで津上さんとの関係があったならあいつはそれを利用するかもしれない」
言葉にしていて背筋が寒くなった。
つる子先輩の言った選民思想。自分以外を認めない独善。
その独善が津上さんへの執着へと変わった時一番危険な目に遭うのは津上さん自身だ。
「結城君…」
津上さんが俺の名前を呼んだ。その声が少し震えていたのが分かった。彼にとっても記憶の手がかりであると同時に過去の亡霊であるかもしれないのだ。
「俺も気をつけます。でもあいつを放っておくわけにはいかない」
「はい。俺もいます。津上さんが一人で抱える必要はありませんから」
俺はスポーツドリンクのボトルを握りしめた。
敵の正体が見えないという恐怖。それが津上さんの過去と繋がっているかもしれないという焦燥。
さっきまでの高揚感が嘘のように重苦しい空気が俺たちを包んでいた。
夜の河川敷を静かに水が流れていく。
その音がまるで何かが確実に近づいてきている足音のように聞こえて仕方なかった。