夜は更けていた。
つる子先輩のアパートの窓から差し込む月明かりが、机の上に広げられた資料の山を青白く照らしている。コーヒーの湯気は既に消え、カップの中は冷たい黒い水に成り果てていた。
俺は彼女の背中越しに、パソコンの画面と手書きのメモを交互に見比べていた。
「…繋がりましたわ」
つる子先輩が静かに呟いた。その指先が、モニターの上である一点を囲む。
津上翔一。木野薫。芦原誠。
名前の横には、共通するキーワードが記されていた。
「あかつき号」。
「彼らは皆、あの船に乗り合わせていたのです。時を同じくして、同じ海で、同じ光に触れた。これが偶然であるはずがありません」
つる子先輩の声は、興奮よりも深い畏怖を含んでいた。
アギト。その力の起源は、明らかにあの事件に深く関わっている。あかつき号で何が起きたのか。それがすべての始まりなのだ。
「私は、気になっていました。あかつき号の乗員名簿と、警察の未確認生命体関連の被害者リスト。これを照合すれば何か見えるのではないかと」
彼女は、独自のルートで手に入れたという古びた名簿を、机の上に広げた。そして、赤いペンを手に取る。
「結果が出ました。これが、その結論です」
つる子先輩は、名簿の名前の上に、一つ、また一つと赤い線を引いていく。
吉井ゆかり。田中清人。山田一郎。
赤い線は止まらない。まるで死神の筆が走るように、次々と名前を消していく。
「…全員、やられているんですか」
「はい。あかつき号の乗員の大半が、既にアンノウンによって命を奪われていました」
その事実が、俺の肺から空気を絞り出した。
偶然ではない。計画的だ。
アンノウンは、あかつき号の乗員リストを持っているかのように、あるいはその記憶を受け継いでいるかのように、一人また一人と確実に命を刈り取っていったのだ。
「生存者は、極少数。津上さん、木野薫、芦原さん…そして、まだ名前が判明していない何人か。彼らは、リストの中で生き残った例外的な存在ですわ」
つる子先輩の言葉が、重くのしかかる。
アンノウンが狙うのは「アギトになる可能性を持つ人間」。
あかつき号に乗っていた者たちは、全員がその可能性を秘めていたということか。だからこそ、芽であるうちに摘まれた。
そして、芽から芽吹き成長してしまった者たちが、津上さんであり、木野薫であり、芦原さんなのだ。
「彼らは、消されたのではありません。刈り取られたのです。アギトという果実を実らせる前に」
つる子先輩は赤いペンを置いた。名簿の大半が、赤い線で塗りつぶされている。それは、あまりにも生々しい死者のリストだった。
俺は自分の手を見た。俺はあかつき号には乗っていない。だが、アマダムの欠片という別ルートでこの渦に巻き込まれた。
ならば、俺の名前は誰のリストに書かれているのだろう。アンノウンの、それとももっと別の何かの。
「…津上さんたち、生き残った人たちは、これからも狙われ続けるってことですか」
「ええ。そして、彼らがアギトとして覚醒すればするほど、その標的はより明確になっていく。木野薫のように、同類にまで牙を剥くほどに」
夜風が窓の隙間から入り込み、名簿の端を揺らした。
あかつき号。その船は、ただの船ではなかった。運命を運ぶ箱舟だったのか、それとも地獄への渡し船だったのか。
いずれにせよ、俺たちはその航跡の上に今立っている。そして、その海は、まだ干上がってはいないのだ。