風が鳴っていた。
ただの夜風ではない。質量を持った重圧が大気を震わせている。
俺はバイクのアクセルを限界まで捻り続けていた。
感覚が指し示す場所は市街地から外れた臨海部。かつての戦場であり忌まわしい記憶の眠る場所だ。
現場に到着した瞬間俺は息を呑んだ。
そこに広がっていたのは想定を絶する地獄絵図だった。
「…なんだよこれ」
呟きが乾いた音となって消える。
廃棄された倉庫群の広大な空間。その中央にそびえ立つ銀と青灰の巨体。
鯨のアンノウン。
あの日俺を暗い水底へ引きずり込もうとした深淵そのものの怪物がそこにいた。
だが問題はそれだけではない。
鯨のアンノウンの周囲には四人の戦士がいた。
アナザーアギト。
アギト。
ギルス。
G3-X。
まさしく入り乱れの乱戦だった。
アナザーアギトが他者を排斥しようと殺意の拳を振るいアギトとギルスがそれを制止しつつ鯨へと切り込みG3-Xが援護射撃を試みる。
だが鯨はそのすべてを意に介さずただ悠然とそこに在った。
「貴様らの進化はここで終わる」
鯨のアンノウンが口を開いた。
低く深く海底火山の唸りのような声。
その言葉は物理的な衝撃となって俺の鼓膜を震わせた。
「我が名はエル。水を司る者。神の意志を代行する者なり」
エル。
自らを名乗ったその名は重く冷たく俺の心臓を凍らせた。
水を司る者。神の意志。
つる子先輩の言っていた上位存在。それが今ここに実体を持って現れたのだ。
俺はバイクから飛び降りた。
恐怖で足が震える。あの日感じた水圧が蘇る。息ができない。沈む。またあの暗闇へ。
だが視界には四人の背中が見える。
津上さん。芦原さん。氷川さん。そしてあの危険な木野薫でさえも今は同じ方向を向いている。
「…一人じゃない」
俺は震える膝に力を込めた。
沈むのは嫌だ。でも彼らがまだ立っているなら俺も立ち上がらなきゃいけない。
俺は腹の底に眠る深淵へ手を伸ばした。
「変身ッ!」
叫びと共に閃光が闇を灼く。
トリニティフォーム。
3つの力が混ざり合い俺の躯を鎧う。
重圧と冷気と波動。
それらが今はただ一つの意志へと収束していく。
俺は地を蹴った。
エルの放つ圧倒的なプレッシャーの中へと逆らって突き進むために。
戦いはこれからだ。
風が鳴り止むことはない。
エルと名乗った鯨のアンノウンが放つ圧倒的なプレッシャーは、ただそこに在るだけで大気を歪め、空気を水のように重くしていた。
「我が名はエル。水を司る者。神の意志を代行する者なり」
その宣言は、ただの音声ではない。物理的な質量を持った波動となって、俺たちの精神を直接揺さぶる。
アナザーアギトが、低い唸り声を上げた。他者を排斥するはずの彼が、エルに対して僅かに後退している。本能が理解しているのだ。この存在は、これまでのアンノウンとは格が違うことを。
津上さんのアギトが、黄金の複眼を激しく明滅させながら、横手から牽制の蹴りを放つ。だが、エルはその脚を巨大な掌で易々と受け止めた。まるで子どもの小手を握るかのように。
芦原さんのギルスが、その隙を突いて背後から襲い掛かる。鋭い爪が青銀色の装甲を掠めるが、決定打には至らない。エルは逆にその衝撃を利用し、津上さんを薙ぎ払った。
G3-XのGM-01スコーピオンが火を噴く。だが、30mm弾の雨も、エルの周囲に展開された不可視の膜に弾かれ、火花を散らすのみ。
俺は地を蹴った。
恐怖はある。あの水底の記憶が蘇り、足が竦みそうになる。
だが、四人の背中が見える。彼らはまだ折れていない。ならば、俺も折れるわけにはいかない。
トリニティフォームの3つの力が、俺の意志に呼応して共鳴する。
右肩に地の重圧、左肩に風の加速、胸に水の波動。
それらが一つのベクトルへと収束していく。
「くそっ、硬い!」
アナザーアギトが苛立った声で叫ぶ。奴の重拳がエルの装甲を叩くが、岩盤を打ったかのような鈍い音が響くのみだ。
「人間よ、そんな力に惑わされてはいけない。人はただ、人であればいいのだ!」
エルが静かに告げた。
その言葉は、俺たちの存在そのものを否定するかのように冷たい。
奴が腕を振り上げる。
その動作に合わせて、周囲の大気がねじれた。
水。空気が水へと変質していく感覚。
海水のような圧迫感が、俺たちを四方から押し潰そうとする。
「来るぞ!」
津上さんの叫びと同時に、不可視の激流が俺たちを襲った。
防御の暇はない。
俺は瞬時に判断し、右手の盾を前面に展開した。
グラビティの重圧が、空間の歪みを修正しようと抗う。
だが、エルの力はそれを上回る。
盾の表面に亀裂が走り、俺の身体が宙に浮いた。
「ぐあっ…!」
吹き飛ばされる。
倉庫の鉄骨に背中を強打し、火花が視界に飛び散る。
痛みが肺から空気を絞り出す。
だが、それでも視線はエルから外さない。
俺は瓦礫の中から立ち上がった。
隣ではアナザーアギトが、泥を吐き出すように身を起こしている。津上さんも芦原さんも、それぞれのダメージを抱えながら、それでも再び構えを取っていた。
「…まだ、終わってないですよ」
俺は呟いた。
たった一人の神の意志。
それに抗う理由なんて、高尚なものじゃない。
ただ、沈みたくない。ただ、明日を生きたい。
その小さな、あまりにも人間的な願いだけが、今の俺を立たせている。
俺は再び、エルへと地を蹴った。