カルデア管制室には静けさが宿る。
誰も喋っていないわけではない。
オペレーターたちはそれぞれの卓に向かい、観測結果の整理や転送準備に追われているし、端末の駆動音や機器の通知音も絶え間なく響いている。それでも静かに感じられるのは、そこに集まる意識が一つに揃い、成すべきを成しているから。
多くの視線が中央スクリーンへ向けられている。表示されているのは単なる地図ではない。
時代、土地、因果、記録――カルデアが観測した人類史の歪みを座標として固定したもの。
第一特異点オルレアンの修復後、カルデアはすぐに次の観測へ移っていた。
焼却された人理を取り戻すためには立ち止まっている時間など本来ない。
ひとつ解決した程度で焼却された人理の損傷が埋まるわけではない。止まっている時間はないし、止まれるだけの余力もない。
「やっぱり、座標はここで確定だね。西暦六十年。ローマ帝国。――名称はセプテムとすることで決定した」
「問題はその先だね? レオナルド」
「第一特異点は観測した段階でも危険性そのものは露出していた。フランス全土での異常事態。歴史の流れも目に見えて崩れていたし、外から見てもかなり分かりやすかった。でも今回は少し様子が違う…のか? まだ特異点の観測数が少ないから言い切れないけれど」
「違うとも。そこが面白いところでもあり、厄介なところでもある」
ダ・ヴィンチは言いながら表示を切り替える。
スクリーンの上に政治構造、軍事活動、王権推移、地理変動の演算結果が重なって一つの仮想図へ収束していく。
ローマを形作る都市。それを支える軍団。数多くの属州。
そして皇帝ネロ・クラウディウス。
一見すればそれは歴史書に記される古代ローマそのもの。
「ほら。これだけ見るとそんなにおかしくないだろう?」
「うん、まあたしかに」
身を乗り出すロマンを横目で見ながら言葉を続ける。
ダ・ヴィンチはぱちんと指を鳴らした。
「特異点っていうのは、本来もっと露骨に歪むものと思っていた。歴史が傷つき、流れが狂い、その結果が分かりやすく表に出る。王が異常な形で変わっていたり、土地の様子が一変していたり、観測しただけで相違点とでも言うべき箇所がなんとなく分かる。でもここは違う」
「違うというと?」
「異常らしい異常がここからは見えない。丁寧に塗られた絵のようだ。……あるいは壊れたものを整えて見せているかだね」
「…それはつまり」
「歴史の歪みがまだ表層まで噴き出していないか。あるいは誰かが中で抑え込んでいるか。どちらにせよ、見た目より深い場所でおかしなことが起きてることは十分にあり得る。目に見えない異変というのは厄介極まるものだ。これから始まるという可能性もあるしね」
表層が静かな特異点は観測と対処の両方を難しくする。異常が露出していれば対応は早い。
だが、構造の内側でのみ歪みが進行している場合、現地に入るまで決定的な輪郭が掴めない。現状のカルデアにその手間は重い。
レフ・ライノールの爆破と裏切りでカルデアは人員も設備も大きく削られているのだ。観測精度を保てているのは奇跡に近い。
だからこそ、こうした“静かな異常”は歓迎しがたい。
故に一つひとつの観測結果を見落とすわけにはいかない。
「で、英霊反応は?」
ロマンの問いに、ダ・ヴィンチはすぐに別のウィンドウを開いた。
「ある。それも複数。ただし、ここはそこまで想定外じゃない。特異点に英霊が集まるのは珍しい話じゃないからね」
スクリーンにいくつもの反応波形が現れる。
「現時点で予測されやすいのは、ローマと縁のあるもの。あるいは戦乱に関係の深い英霊たちだろう。完全な断定はまだできないけれど……おそらく、ローマの皇帝、征服者、そして敵対者。そういう顔ぶれになるだろうね」
「ローマらしいと言えば、ローマらしいね……。現地へ踏み込まなければ分からないか」
ロマンが苦い顔で呟いたその時、自動ドアが開く。
「失礼します」
入ってきたのはマシュ・キリエライト。そしてその隣に立つ藤丸立香。
第一特異点を越え、カルデアで唯一、人理修復を現実に遂行できるマスター。今のカルデアにとって代替の利かない戦力である。
「お、来たね! ちょうどよかったよ、二人とも。第二特異点についての観測結果がまとまり始めたところなんだ。今から共有する」
「はい。お願いします、ダ・ヴィンチちゃん」
マシュがそう応える傍らで藤丸は中央スクリーンを見上げていた。
赤い座標。ローマ帝国。
表示されている情報は簡潔だが、それだけで次の出撃先として十分なすごみがある。
「……次はローマなんですか?」
「うん。第二特異点セプテムと命名した。君たちに行ってもらう次の修復地点だ」
ロマンはそう言ってから少しだけ声を和らげた。
「まだ観測段階だから現地の詳細までは掴めていない。第一特異点の時もそうだったけど、事前情報だけで全体像を押さえられるわけじゃない。しかしここも修復対象だ。放置はできない」
藤丸はすぐには返事をしない。
人理修復という言葉は最初に聞いた時よりずっと具体的な重さを持っている。オルレアンを越えた今となってはそれが抽象的な使命ではなく、実際に踏み込み、命を懸けて取り戻さなければならないものだと理解していた。
自分が背負ったのは失われた人類史を取り戻す、そのための旅路なのだから。
「…はい。行きます。行って見てきます。何が起きてるのか、ちゃんと」
「うん。そう言ってくれると思ってたよ。でも、無茶だけはしないこと。第一特異点を越えたとはいえ、こっちの戦力事情は相変わらず綱渡りなんだからね。藤丸君が倒れたらその時点で全部終わるんだ」
「その点はご心配なく、ドクター。わたしが必ず先輩をお守りします。第一特異点に続き今回も同行させてください。観測・戦闘・防衛、すべてにおいて先輩の補助を全力で行います。そう、このファーストサーヴァントにして最強の壁であるアルテミット後輩の私が!」
「う、うん。なんか後半の圧がすごかったけど。もちろん、マシュ抜きで行かせるなんて選択肢は最初からないよ。ないんだけど――。その。……今回も、例のサーヴァントたちは来るのかい?」
「えっと…はい。たぶん、というか、たぶんじゃないですね。普通に来ると思います」
「そんな日帰り旅行みたいなノリで済ませるのかい」
困り果てる責任者を見てダ・ヴィンチがくつくつと笑う。なんとも困ったように、しかし楽しそうに。
「でもまあ、仕方ない。実際、冬木以降の藤丸君の戦力運用は彼女たち込みで成立しているからね。カルデア式召喚の手続きを完全に無視している霊基群だという点を除けば、実戦上の信頼性はむしろ高い。いまさらやめてくださいとも言えない」
「言えないというか、言って聞く相手でもないというか…」
そんな言葉にロマンが深々と溜め息をつく。
「いや、サーヴァントが協力してくれるのはありがたいんだ。ありがたいんだけどね。毎回カルデアのシステムを通してない異常霊基が当然みたいな顔で同伴してるの、医者としては胃が痛いんだよ」
「……ドクター? 医者としてというより、アナタの場合は魔術師としてでは? ここはカルデアですよ、もう」
マシュの真っ直ぐな指摘にロマンは言葉を詰まらせる。何か思い至るところがあるのだろうか? フシギだぁ…。
「それを言われるとちょっと困るな…」
そのやり取りに緊張が少し緩む。藤丸はふとした気配に自分の足元へ視線を落とした。
床に伸びる影。床に落ちる影の輪郭が照明の具合にしては濃い。
声はしないけれど、内側から満ちる感覚はあった。
呼吸が整い心拍の無駄な揺れが消える。
体温が安定し、魔力の巡りが意識しなくても綺麗に均されていく。
ORT。
自分の中にいる怪物はいつも通り沈黙したまま藤丸の肉体を調整していた。戦うのは藤丸自身であり、判断も委ねられている。
だが死と敗北だけは許さない。そのつもりらしい。
「先輩」
マシュの声で藤丸は顔を上げる。
「あの、大丈夫ですか? 少しでも疲労が残っているようなら、レイシフト前に再検査を――」
「あ、ううん。平気。なんていうか……その。もう体の方が先に準備終わってる感じで」」
その言い方だけでマシュには十分伝わったらしい。
彼女はごく小さく頷き、それ以上追及しなかった。
「そうですか。でしたら良かったです。……いえ、本当に良かったと言っていいのかは少し悩みますが」
「そこ悩むんだ?」
「悩みます。先輩の中にいるものが常識の範囲を大きく越えているのは事実ですので。ですが、現状において先輩の生存率を最も押し上げている要素の一つでもあります。であれば、私はそれを脅威としてだけ扱うつもりはありません。なにかあれば私が圧倒してみせましょう」
「お、おう」
この間までどちらかというと内気だったはずの少女、マシュ・キリエライト。
自信がついたのか踏ん切りがついたのか。やたらと多方面に強くなった。法螺貝を吹き鳴らし、カルデア家老制なるものを提案し、藤丸が最高のマスターであると信じて疑わない純粋すぎる瞳。そんな彼女のはっきりした口調の言葉を受けてロマンは肩を落とす。
「もうさ、マシュにそこまできっぱり言われると僕も反論しづらいね。そもそも冬木を越えた時点でもう普通じゃないってリアクションすべきところはとっくに通り過ぎてるんだ。僕たちも慣れないとね。……慣れたくないな、こんなの」
情けない言葉を吐き出すロマンの肩に手を添えてダ・ヴィンチが笑いながら続ける。
「なら今さら驚いても仕方ない。驚くべきはそんな状態でもなお普通の人間として踏ん張ってるこの子の方さ」
「いや、そんな大したものじゃ……」
「いやいやぁ。大したものだよ。胸を張りたまえ」
「魔術師として特別優秀なわけでもない。最初からサーヴァント運用に長けていたわけでもない。それでも第一特異点を越えて次の旅へ立とうとしてる。それは充分誇っていいことだ。そうだろう?ロマニ」
「うん。そこは本当にそうだ。レオナルドの言うとおりだね。だからこそ僕たちも全力で支える。現地のことを全部分かった上で送り出せるわけじゃない。でも、分からないものを分からないまま放り出すつもりもない。拾える情報は全部拾ってから送り出す。そのために今、観測してるんだ」
そう言ってロマンは再び中央スクリーンへ向き直る。
第二特異点セプテム。
舞台は西暦六十年のローマ帝国。
カルデアの事前予測と座標の規模は一致している。つまり、ここが第一特異点に続く修正対象であることは間違いない。
観測結果から見えるのはローマ帝国内部で進行している戦乱、あるいはそれに準ずる大規模な動乱の兆候。さらに複数の英霊反応も確認済み。だが現時点では敵味方の区別まではつかない。現地での情報収集が最優先になる。
ダ・ヴィンチがここまでの概要を纏めつつ現地行動指針について提示する。
「現地に入ったらまずは情報収集だ。誰が敵で、誰が味方で、何が歪みの中心なのか。第一特異点以上に現地で見て判断する比重が大きいかもしれない」
「ということは着いてすぐ戦闘、っていうより…」
「そこは状況次第だね。ただ、ローマ帝国時代だ。軍隊と戦争の気配が強い以上は平和的な出迎えはあまり期待しない方がいいと思う」
「それは覚悟しておきます」
藤丸は苦笑する。物騒な話題を前にしたとき、曖昧な反応しか出せないときもある。
「いい心掛けだ。は、レイシフト準備へ移ろう。霊子転換の安定度は充分。マシュの霊基も良好。藤丸君――」
そこで端末を操作していた万能の天才は一瞬だけ言葉を止め、モニターを見て目を細める。
「……うん。やっぱり君の内部状態、見れば見るほど、何度目を通しても無茶苦茶だ。相変わらず興味深い。生命活動、魔力循環、霊基負荷、どれも単独の人間の数値じゃない。しかも無理に噛み合わせた形跡がない。最初からそういう生き物だったみたいに、内部で均一に回っている。君、本当に人間?」
「自認は人間です…」
「ですが、レイシフトに支障はありません。先輩の状態は少なくとも第一特異点と比較しても安定しています。そして何より、今のカルデアにおいて先輩の出撃は不可欠です」
「マシュ。君、最近ほんとに頼もしくなったね…」
「ありがとうございます。先輩と共に戦う以上、そうでなくてはなりません。この霊基はそのためでもあるのです。そう、パラディーンならば」
それは控えめな口調でありながらも不思議と強い言葉。藤丸はその横顔を見てほんの少しだけ息をつく。
こうして隣にいてくれるだけで気持ちが落ち着く。
第一特異点でもそうだった。きっと今回も頼ることになるだろう。
「さて」
ダ・ヴィンチが両手を軽く打ち鳴らした。
「最終確認をしよう。今回の同行戦力は、藤丸立香、マシュ・キリエライト。それに加えて藤丸君の契約下にある霊基群――、いつものサーヴァントたちだよ。ええと、今回は誰が行く予定なんだい?」
当たり前の質問へ藤丸はよどみなく答える。
「四騎です。モルガン、リチャード、ブーディカ、ドレイク。なんか俺の知らないところで決まってました」
「先輩、本当に大丈夫なんですかそれ」
あんまりな内情にダ・ヴィンチもまた肩を竦める。
「まあ、戦力としてはありがたい。ありがたいんだけどね。ローマ相手にあの顔ぶれが揃うと、現地の人にはだいぶ刺激が強そうだなあ……」
「刺激で済むかな……」
ロマンはもう遠い目をしている。
「済んでほしいですけど。そうならなかったら俺、どうしたいいか途方に暮れます」
藤丸が小声で同意する。それでも必要な戦力なのは変わらない。
第一特異点を経た今の藤丸にはそのことがよく分かっていた。
強く危うい。だが信じられるのも間違いない。
「先輩、出発前にもう一度だけ確認を。第二特異点は第一特異点に続く人理修復の一環です。現地情勢の詳細は不明。敵対勢力、協力者候補、聖杯の所在、いずれも未確定。したがって最優先事項は――」
「状況把握」
「はい。その上で必要と判断した場合は戦闘。第一特異点と同様、柔軟な対応が求められます」
「了解」
そのやり取りを見ていたロマンが少しだけ安堵したように息をついた。
「うん。大丈夫そうだね」
「ああ。少なくとも、覚悟の面では万全だろう。なら送り出そう。次の旅へ」
その言葉と同時に照明が段階的に落ちていく。
レイシフトシークエンス開始。
中央スクリーンに霊子転換のための座標式が次々に展開された。
第二特異点セプテム。
西暦六十年。
ローマ帝国。
人理を取り戻す旅の次の一歩。
「――藤丸立香。マシュ・キリエライト。レイシフト準備、完了です」
オペレーターの声が響く。
藤丸とマシュは転送装置の中央へ進み、足元に光輪が浮かび上がった。白と青の霊子光が薄い金を混ぜて揺れる。
その瞬間。
管制室の空気とは別の濃い気配が藤丸の背後に満ちた。
誰かが姿を現したわけではない。現れる必要もない。
ただ分かる。待機している。
呼ばれれば即座に応じる位置で。
鏡の奥からこちらを見下ろす視線。
猛々しい戦意。
煮え続ける怒りの熱。
獲物を量るような計算高さ。
四騎のサーヴァント。四つの悪意。
それらを感じながら藤丸は一度だけ深く息を吸った。
「行こう、マシュ。次の特異点へ」
「はい。今度もご一緒します」
その返答は、ひどく自然で、それでいて揺るぎなかった。
ロマンが最後の確認を行う。
『カルデアより第二特異点セプテムへ。転送開始。二人とも――必ず帰ってくるんだ。それも君たちの役割だからね』
「はい、ドクター」
「行ってきます」
そんなやりとりを見えていたダ・ヴィンチが微笑みつつ付け加える。
「ローマは華やかで苛烈な場所だ。だからこそ英雄譚には事欠かない。いい旅になるとは言わないよ。けれど悪い旅にはならないはずだ」
光が弾けて視界が白く染まる、その寸前。藤丸は胸の奥で、ひどく静かな確信を覚えていた。
次の戦いが始まる。次の歴史に触れる。そしてまた誰かの願いと、誰かの歪みに向き合うことになる。
それは恐ろしい。
恐ろしいが――もう、立ち止まってはいられない。
第二特異の存在するローマ帝国。
人理を取り戻す舞台は今一度その幕を上げる。
~アルテミット道場~
ORTマリー「どうだ藤丸。新しいボディを作ってみた」
藤丸「どっかで見たことあるんだよね」
ORTマリー「あぁ、受け入れがたい。お前に苦難を与えた人間もどきだ。反吐が出る」
藤丸「口悪すぎない?」
ORT「まぁ、いつもの姿に戻すが」
藤丸「なんでやった?」
ORT「まったく人間とは理解が及ばん。あの小娘もいつか宇宙人ごっことかするかもな」
藤丸「ありえないでしょ。そんな意味不明な状況」