――…
白い天井が、ゆっくり流れていた。
セリは、瞬きをして、それが病院だと理解する。
機械音。
規則正しい電子音。
生きている証拠。
「……まだ、いるのか」
独り言に、返事はなかった。
だが。
「起きているなら、話が早い」
聞き慣れない日本語。
わずかに混じる、異国の訛り。
足音が二つ。
片方は、皆見だと分かった。
呼吸の癖で。
「……誰」
掠れた声で問う。
「FBIです」
男は、あっさり名乗った。
「あなたの“価値”について、話をしに来ました」
皆見が、硬い声で言う。
「彼女は重傷だ。尋問なら、後に――」
「尋問ではない」
FBI捜査官は、静かに首を振る。
「取引です」
セリは、薄く笑った。
「……生き残ると、ろくなことがない」
「生き残ったからこそ、できる取引だ」
捜査官は、タブレットを操作する。
画面に映し出されるのは、地図。
組織図。
暗号化された通信記録。
「過激派組織ヴェリア。あなたは、内部構造をほぼ把握している」
「……昔の話だ」
「いいえ」
捜査官は、即答する。
「今も、です」
画面が切り替わる。
羽生信也の拘束映像。
各国で同時に動く部隊。
「あなたの情報があれば、ヴェリアは“組織として”終わる」
セリは、天井を見る。
胸が、少しだけ重くなる。
「……代償は」
「二つ」
捜査官は、指を立てた。
「一つ。あなたは、“タカザキ”として、すべてを提供する」
「もう一つ」
「“タカザキ”は、死ぬ」
皆見が、息を呑む。
「……死亡工作?」
「ええ」
捜査官は、淡々と続ける。
「山下埠頭で死亡。
遺体は確認不能。
関係各国に公式通達」
セリは、静かに考える。
追われない。
利用されない。
カナに、影が及ばない。
「……私は」
言葉を探す。
「私は、どうなる」
「名前を変える。
過去を捨てる。
“普通の人間”として生きる」
沈黙。
機械音だけが、部屋を満たす。
セリは、目を閉じた。
(……終わるんだ)
タカザキとしての人生が。
武器としての価値が。
代わりに。
「……条件がある」
ゆっくりと、目を開ける。
「妹には、触れるな」
捜査官は、即座に頷いた。
「彼女は、完全に保護対象から外す。記録も、遮断する」
皆見が、セリを見る。
何も言わない。
止めもしない。
セリは、息を吐いた。
「……いい」
「では、契約成立だ」
捜査官は、立ち上がる。
「あなたは、今夜死にます」
その言い方が、あまりに事務的で、可笑しかった。
「……変な話だな」
セリは、微かに笑う。
「一度、死に損なったのに」
「次は、成功させます」
そう言って、捜査官は去っていく。
皆見が、静かに口を開く。
「……後悔は?」
セリは、首を振る。
「これで、やっと」
天井を見上げる。
「“私の人生”になる」
数時間後。
速報が、世界を駆ける。
――日本・山下埠頭にて、
――国際テロリスト“タカザキ”死亡。
写真はない。
遺体もない。
だが、それで十分だった。
―――…
病室のベッドで、
一人の女が、静かに息をしている。
名前のないまま。
追われることのない未来へ。