光を渡した夜   作:Haruyama

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第22章 見えない世界、見える世界

――

 

 

 最初に戻ってきたのは、音だった。

 

 

機械の低い唸り。

布が擦れる気配。

人の呼吸。

 

 

 セリは、目を開けようとして、やめた。

 

 

(……開けても、意味ないな)

 

 

 そう思ったからだ。

 

 

闇は、変わらない。

黒ですらない。

ただ、“ない”。

 

 

「……起きてるかい?」

 

 

 皆見の声。

 セリは、小さく頷いた。

 

「……見えない」

 

 確認するように言う。

 

「うん」

 

 皆見は、嘘をつかない。

 

「もう、戻らない」

「……そっか」

 

 不思議と、取り乱しはしなかった。

 

 

覚悟は、していた。

登録書類に、署名した時点で。

 

 

「……時間、分かる?」

「朝。もうすぐ」

 

 セリは、息を吸う。

 空気の冷たさで、朝だと分かる。

 

 

「……カナは」

 

 皆見は、一瞬、言葉を探す。

 

「安全な場所に移った」

 

 それが、すべてだった。

 

 

再会の可能性を、

その一文が、静かに否定する。

 

 

「……そう」

 

 セリは、それ以上、聞かなかった。

 

 

(……それでいい)

 

 

 心の奥で、何かが静かに閉じる。

 

 

 

________________________________________

 

 退院後、セリは“別の名前”を与えられた。

 知らない音の並び。

 呼ばれても、まだ自分だと実感できない。

 

 

FBIの保護下。

小さな部屋。

白い壁。

段差のない床。

 

 

「……安全だな」

 

 そう呟くと、少し笑えた。

 何年も、命が狙われ続けた人間の感想としては、

 あまりに平和だ。

 

 

 

 

________________________________________

 

 見えない生活は、不便だった。

 

 

コップを倒す。

壁にぶつかる。

方向を間違える。

何度も、苛立つ。

 

 

 でも。

 

 

音に、敏感になる。

空気の流れが、分かる。

人の感情が、

声の揺れで伝わってくる。

 

 

(……世界、うるさいな)

 

 

 それが、正直な感想だった。

 

 

 

見えていた頃より、

ずっと。

 

 

 

 

________________________________________

 

 ある日、皆見が言う。

 

 

「……手紙が来た」

 

 セリは、身体を強張らせる。

 

「……誰から」

「……渡せない」

 

 

沈黙。

その沈黙が、答えだった。

 

 

「……そっか」

 

 セリは、頷く。

 

 

聞かない。

読まない。

それが、約束だった。

 

 

(……生きてる)

 

 

 それだけで、いい。

 

 

________________________________________

 

――夜。

 

 ベッドに横になり、天井のない闇を見つめる。

 

 

(……見えない世界、か)

 

 

 想像していたより、

 

悪くない。

色はない。

輪郭もない。

 

 

でも。

恐怖も、過去の映像も、見えない。

血の色も。

母の最期も。

撃たれる瞬間も。

 

 

 それらは、すべて、

 音と記憶の奥に、薄れていく。

 

 

(……これでいい)

 

 

 セリは、静かに思う。

 

 

 

光は、もう要らない。

あの子が、持っているなら。

 

 

 

________________________________________

 

 世界のどこかで。

 カナは、空を見ている。

 

 

 その空を、

 セリは、もう見ない。

 でも。

 

 

 同じ時間を、生きている。

 それで、十分だった。

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

――…

 

 最初に違和感を覚えたのは、色だった。

 カナは、窓辺に立ち、街を見下ろす。

 

 

空は青い。

信号は、赤くて、黄色くて、緑。

人の流れ。

表情。

影。

 

 

「……多すぎる」

 

 呟きが、零れる。

 見えない頃、世界は“音と気配”だった。

 整理されていた。

 

 

 今は違う。

 すべてが、一度に押し寄せてくる。

 

 

 視界の端で、誰かが笑う。

 

 

誰かが、睨む。

誰かが、スマートフォンを叩く。

 

 

(……疲れる)

 

 

 それが、本音だった。

 

 

________________________________________

 

 

 医師は言った。

 

 

「順調です。拒絶反応も、ありません」

 

 皆見は、頷く。

 

「……本人は?」

「……少し、戸惑っているようです」

 

 それも、想定内だった。

  だが、カナは口にしなかった。

 

 

“見えるようになったのに、しんどい”なんて。

 

 

 そんなこと、

 言ってはいけない気がした。

 

 

________________________________________

 

 ある日。

 鏡の前に立つ。

 

 

初めて、はっきりと見る自分の顔。

黒い瞳。

少し、姉に似ている輪郭。

 

 

 胸が、ぎゅっと締め付けられる。

 

 

(……返して)

 

 

 誰にも聞こえない声。

 

 

 

目じゃない。

 

時間だ。

選択権だ。

 

 

 

――「一緒にいる未来」を。

__

 

 

 

______________________________________

 

 

 

 夜になると、夢を見る。

 

 

知らないはずの顔。

でも、懐かしい声。

姿は、ぼやけている。

 

 

 いつも、手を伸ばす直前で、消える。

 目覚めるたびに、分かる。

 

 

(……会えない)

 

 

 それが、代償だった。

 

 

______________________________________

 

 カナは、見ることを学び直す。

 

 

必要なものだけを、見る。

見なくていいものは、視線を落とす。

 

 

世界との距離を、

自分で調整する術。

 

 

 

それは、姉が一生かけて身につけた

 

 

“生き延びる技術”と、どこか似ていた。

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