光を渡した夜   作:Haruyama

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(姉の気配)


――触れないはずのものが、確かに近づいてくる。


第2章 名前が呼ばれる

――…

 

 朝は、いつもと同じ音で始まった。

 

 

食器の触れ合う音。

誰かの笑い声。

テレビのニュースが、低い音量で流れている。

 

 

 だからこそ、最初の異変に気づいたのは、偶然だった。

 

 

――静かすぎる。

 

 

 人が多いはずの時間帯なのに、足音が少ない。

 代わりに、聞き慣れない電子音が、短く鳴った。

 

 

ピッ。

 

 

 その音の意味を、カナは知らない。

 でも、胸の奥がざわついた。

 

「……?」

 

 白杖を手探りで掴んだ、その瞬間。

 

 

――ガンッ。

 

 

鈍い衝撃音が、建物全体を震わせた。

遅れて、悲鳴。

 

「伏せて!」

 

誰かの怒鳴る声。

床に押し倒される感触。

カナの耳元で、激しく呼吸する音がした。

 

 

「カナさん、動かないで!」

 

 

 皆見さんだ。

 声が、少しだけ震えている。

 

 

連続する破裂音。

耳を塞ぎたくなるほど大きくはない。

 

 

 でも、それが“銃”だと、なぜかわかった。

 

 

音が違う。

重くて、冷たい。

廊下を走る足音。

何かが壊れる音。

 

「侵入者、複数!」

「裏口から――!」

 

 飛び交う言葉は、意味を結ばない。

 ただ一つだけ、はっきりと聞こえた。

 

「――タカザキだ」

 

 その名前が、空気を変えた。

 

空気が、凍りつく。

大人たちの呼吸が、一斉に乱れる。

 

「タカザキ……?」

 

 カナは、思わずその名を繰り返した。

 知らないはずの名前なのに、胸の奥が、嫌な音を立てる。

 まるで、触れてはいけないものに、触れてしまったような。

 

 

 皆見さんの腕に、力がこもる。

 

 

「聞くな。何も聞かなくていい」

 

 でも、聞こえてしまう。

 無線越しの叫び。

 

「目標は――」

「違う、あいつの狙いは――」

 

 言葉は途中で途切れ、何かが倒れる音がした。

 

 

 

 カナの視界は、最初から暗い。

 それなのに、今はもっと、深い闇に落ちた気がした。

 

 

 そのとき。

――あの、足音。

 

 

 

 昨夜と同じ、低く静かな足音が、近づいてくる。

 混乱の中でも、カナははっきりとそれを認識した。

 

 

走らない。

慌てない。

まるで、最初からここに来ると決めていたみたいに。

 

 

「……っ」

 

 皆見さんが、息を呑む。

 その足音は、部屋の前で止まった。

 一瞬、すべての音が遠ざかる。

 そして、低い声が、ドア越しに落ちてきた。

 

 

「――カナ・イシカワは、ここか」

 

 名前を、正確に呼ばれた。

 

 

心臓が、強く跳ねる。

逃げなきゃ、と思うのに、体が動かない。

 

 

 でも。

 恐怖よりも先に、胸に浮かんだのは、別の感情だった。

――違う。

 

 

 この声は、

 昨日、感じた“気配”とは、違う。

 

 

冷たくて、硬い。

そこに、迷いがない。

 

 

 皆見さんが、銃を構える気配がした。

 

「下がれ! 彼女には――」

 

 言葉の途中で、ドアが破られた。

 

 

爆音。

風圧。

床に叩きつけられる衝撃。

悲鳴の中で、誰かが叫ぶ。

 

 

「タカザキだ――!」

 

 その瞬間、カナははっきりと理解した。

 

 

 

この名前は、

姉ではない。

姉を、追い詰める名前だ。

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