光を渡した夜   作:Haruyama

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(女の視点/本当のタカザキ)


――生きるために、名を捨てた女。


第4章 名前を着せられた女

――

 銃声が止んだことは、距離でわかる。

 

 

音が消えた。

それだけで、失敗ではないと判断した。

 

 

 彼女は、古い倉庫の影に身を潜めたまま、ゆっくりと呼吸を整える。

 

 

 左腕が、じくじくと熱を持っていた。

 浅い。動ける。

 

 

――予定通り。

 

 

 誰にも聞かせないように、小さく息を吐く。

 自分の体調を把握するのは、癖になっていた。

 ポケットから錠剤を取り出し、舌の上に転がす。

 水は使わない。慣れている。

 

 

“タカザキ”。

 

 

 その名前が、無線越しに聞こえてきたのは、ついさっきだ。

 笑いそうになって、やめた。

 

 

使い捨ての名前。

恐怖を集めるためだけの、記号。

 

 

 それを“自分”だと思われているうちは、まだ利用価値がある。

 携帯が、短く震えた。

 

 

 

『派手にやったな』

 

 

 カジヤだ。

 声だけで、顔が浮かぶ。

 

「計画通り。誰も、私を見ていない」

『……ああ。警察も公安も、完全に“タカザキ”を追い始めた』

「なら、十分だ」

 

 通信を切ろうとした、そのとき。

 

 

『妹、近かっただろ』

 

 

 指が、一瞬止まる。

 

「……触れてない」

『知ってる。触れたら、お前は戻ってこない』

 

 余計なことを言うな、と言いかけて、飲み込んだ。

 代わりに、静かに言う。

 

「彼女は、見る必要がない」

『……目、か』

 

 

沈黙。

 

 

 彼女は、壁にもたれかかり、ゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

――暗闇は、昔から変わらない。

 

 

六歳のとき、

目の前で、母は殺された。

泣く暇も、声を出す暇もなかった。

 

次に与えられたのは、銃と、新しい名前。

 

 

生きるために、従うしかなかった。

生き延びるほど、罪が増えた。

 

 

それでも、あの子だけは――

 

 

 

「……」

 

 

 思考を、強制的に切る。

 

 

感情は、後でいい。

今は、生き延びる。

 

 

 携帯を取り出し、別の番号を呼び出す。

 海外回線。

 数コールの後、低い男の声が応じた。

 

 

 

『――話せ』

「《ヴェリア》の内部情報を渡す。幹部の動線、資金洗浄ルート、次の標的」

『条件は』

「私の“死亡”」

 

 一拍。

 

『……名は?』

 

 

 彼女は、少しだけ考えた。

 そして、初めてその名を口にする。

 

「タカザキ」

 

 電話の向こうで、誰かが息を呑んだ気配がした。

 

 

『了解した』

 

 

 通話は、それだけで終わった。

 携帯をポケットに戻し、立ち上がる。

 

 

 

足は、まだ動く。

時間は、少ない。

 

 

 それでも、心の奥に、どうしても浮かんでしまう声があった。

 

 

 

 

――おねえちゃん?

 

 

 

 

 

 昨夜、確かに聞こえた。

 

 

幻じゃない。

夢でもない。

 

 

 

 彼女は、唇を噛む。

 

 

 

会ってはいけない。

名乗ってはいけない。

“姉”として生きる資格は、もうない。

 

 

 

 それでも。

 

 

 

「……生きろ」

 

 

 

 誰にも届かないように、そう呟いた。

 

 

 

 

名前を捨てた女は、

再び闇の中へと歩き出す。

 

 

 

 

 

 

 

世界は彼女を、

“タカザキ”と呼ぶ。

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