中編です
「では場所を移すとしようかの」
パン、と両手を打ち合わせる小気味いい音と共に壁から跳ねるように離れるヴォネ。
そのまま軽妙な足取りでフリーレン達に近付き——当然のことのように三人の間を素通りしていった。
あまりにも自然な足取りと敵意の無さ、そして脈絡の無さにフェルンやシュタルクは拍子抜けした。
「おい」
「ん、どうした?」
フリーレンの声にヴォネが振り返る。『魔法の真髄を語らねばならぬ』と口にしたときに垣間見えた魔族の貌は、既に跡形も無く霧散していた。代わりにあったのは、こてんと首を傾げる呆けた面だった。
「どこに行くつもりだ」
「それはもちろん——」
ヴォネはちらりと牙を覗かせ笑う。
「酒場じゃ。話をするなら定番じゃろう?」
そして、ついてこいと言わんばかりに踵を返した。
「……お前の話には付き合う。ただし馴れ合うつもりはない。一緒に食卓を囲むつもりなんて毛頭ない」
「えぇっ、そんなぁ」
その肩の落とし方は、それまで見せていた巧妙な人間の模倣とはどこか違って見えた。酒場で腰を据える誘いを拒まれたのが、相当に残念らしい。もっとも、いちいち表現が大仰なのは相変わらずで、それは魔族として異端であると同時に胡散臭いものであったが。
「こんな殺風景な場所で立ち話なんて勿体ないじゃろう!?」
「うるさい」
フリーレンはヴォネの腹の底から飛び出た嘆きを一蹴する。
「それにおぬしたちも長旅で疲れておろう? 座りたくはないか?」
ここまで誘い込んできた張本人が何を言っているのか。
「お前さえいなければ、それこそ今頃はゆっくり昼食でも食べてたよ」
三人の意思を代弁するかのようにフリーレンは答える。
しかし——
「……のぅ、それ嘘じゃよな? な、なぜじゃ? どういうことなんじゃ?」
「…………」
直前まで、フリーレン達は古物商を巡っていた。正確には、フリーレンの古物商巡りにフェルンとシュタルクが付き合わされていた。放っておけば、あの勢いのまま夕方まで続いていただろう。フリーレン自身もその自覚があったからこそ、自らの認識と『今頃はゆっくり昼食でも食べていた』という発言の間に齟齬が生じ、つまりは『嘘』としてヴォネに認識されたらしい。
しかし肝心のヴォネは、その嘘の意図を理解できずに困惑するだけだった。
「フリーレン様、それこそ嘘であってほしいのですが」
「今ってちょうどいい昼時だよな……」
フェルンのジト目が突き刺さり、シュタルクの嘆きが響く。
一方のヴォネは嘘の意図を勝手に考え始め……やがて何かを閃いたとばかりに人差し指を立てた。
「あぁなるほど! 店選びに迷っておったんじゃな? なら任せておけい。料理と酒の旨い酒場を知っとるんじゃ。それに勘定もわしが持とう。わしの話に付き合わせるんじゃ、それぐらいの礼儀は心得ておる」
微妙にずれたことを言いながら得意げに胸を叩く。
ヴォネが勝手に導き出した解釈を、フリーレンは否定も肯定もしなかった。フェルンのジト目がさらに据わり、冷たさを増したような気がした。
「それ以前の問題だ」
「はて、何がじゃ?」
「お前は魔族だろ」
「そうじゃが?」
「お前みたいな危険生物を、人が集まる場所にこれ以上行かせるわけにはいかないんだよ」
「心配せずとも、これから向かう店には何度も足を運んでおる。それに店主とも顔馴染みじゃぞ」
フリーレンの頭痛の種が増えた。
「角も隠しておるから揉め事も起きん。もちろん支払い方も心得ておる」
「……その金は?」
「2631年前までは殺した人間の金を使っておったが、今持っているのはきちんと自分で稼いだ金じゃぞ?」
ヴォネが良かれと思って安心材料を並べるたびに、フリーレンの眉間に一つ、また一つと皺が増えていく。
「お前は罪を自白するのが趣味なのか? 自分から余計なことまで話すなんて、粗雑な魔力制限に加えて、人間社会に溶け込む技術も三流以下だね」
「おっ? おぬし、またもや嘘をついたな?」
「…………ちっ」
にやにやと見上げるヴォネに、フリーレンは小さく舌打ちを返した。
悪態の中に意図して混ぜた嘘をヴォネは迷わず拾い上げた。先ほどまでの反応と併せても、嘘を見抜ける魔法の信憑性は高い。
嘘だったのは後半の発言。人間社会に溶け込む技術が三流以下などと、フリーレン自身は思っていなかった。
ヴォネは魔族であることを徹底的に隠し、人間社会へ溶け込んでいる。少なくともその技術に関しては、これまで出会った魔族の中で最も卓越している。
仮に——本当に仮にだ。ヴォネが今後も人を殺さなかったとする。
そんな魔族の存在が人間社会で明るみに出れば、人と魔族は共存できる——そう信じる人間を増やしかねない。そうなれば、必ずその期待を利用する魔族が現れる。
「……ああ、その通りだ。人間社会へ溶け込む技術に限れば、お前は一流だよ」
「おぉ、素直に褒められるとは思わなんだ」
「だからこそ問題だと言っている。魔族が人間社会に紛れ込むなんてあってはならない」
「ばれてはおらんのに?」
「だから、なおさら大問題だ」
「ふぅむ……ならば、しっかりわしを監視しないとな?」
ヴォネという個人ではなく、魔族という種そのものへの警戒を突き付けても、ヴォネは反論しなかった。むしろその論を利用して、フリーレン達が同行せざるを得ない理由へとすり替えてしまった。
今のところヴォネの主張は一貫している。酒場で腰を据え、フリーレン達と会話を続けたい——少なくとも、そういう体裁だけは崩していなかった。
「よし、納得したようじゃし行こうか」
フリーレンの沈黙に満足げに頷き、今度こそヴォネは路地裏の出口へと向かっていった。
「納得……」
フェルンは自分の知るその言葉の意味を頭の中で確かめた。今のやり取りのどこに、そう呼べるものがあったのか。
「……どうすんの?」
シュタルクは今にもスキップを始めそうなほど軽やかな足取りで遠ざかるヴォネの背中と、それを苦虫を噛み潰したような表情で睨むフリーレンを交互に見た。
「行くしかない」
フリーレンの重いため息を合図に、三人はヴォネの後を追った。
***
そうして、三人と一匹は酒場へ向かった。
だが、その一匹は様子のおかしい魔族である。案の定、道中でフリーレンとヴォネの間にひと悶着起きた。
ヴォネが改めてフリーレン達に自己紹介を要求してきたのだ。
大通りを後ろ向きに歩きながら店まで案内しつつ、そのうえ三人に絡んで眉をひそめさせるという、なんとも傍迷惑な高等技能と共に。
「だからお前はとっくに知っているだろ」
「じゃから、わしは本人から教えてもらうことに意味があると言ったはずじゃが?」
「やっぱり知っていたか……」
「だとしても、まず名乗って挨拶するのが人類の作法じゃろう? 名は大切じゃ。魔法の名も、人の名もな」
「どの口が言っているんだか」
「ほれほれ、わしでもできるんじゃぞ? それともフリーレンよ、おぬしは名乗るのが恥ずかしいのか?」
「……鬱陶しい」
正体不明の魔族。鈴を転がすような声。大仰な身振り手振り。垂れた前髪の間からこちらを見上げる双眸。一挙手一投足、そのすべてがフリーレンの神経を逆撫でする。
「…………はぁ、私はフリーレン」
「よろしくな、フリーレン」
「よろしくやるつもりはない」
心底面倒くさそうな、ぶっきらぼうな名乗り。それにヴォネは清々しいほど快活に応じた。次いでフェルンとシュタルクへ視線を向ける。
「おぬしたち二人も、な?」
相変わらず薄い微笑みを崩さず、人間の作法をなぞるように自己紹介を求める。その姿にフェルンとシュタルクはソリテールの姿を重ねた。
二人は初めてヴォネと相対したとき以上の敵意を露わにしながら、それでも名を告げる。
「……フェルンです。フリーレン様の弟子です」
「俺はシュタルク。見ての通り戦士だ」
「フェルン、シュタルク……うむ、よろしくな」
「「…………」」
名乗りには応じたものの、二人から向けられる敵意はフリーレン以上に強い。ただ挨拶を求めただけなのに。なんならフリーレンですら返してくれたというのに。
かえって警戒が深まるばかりであり、ヴォネはそれを嘆いた。
「なぁフリーレン。もしかして、これは風評被害というやつではないかの」
「安心しろ、全部お前が悪い」
どうやら、ヴォネが店の者と顔馴染みだという話は事実だった。
『いつもの場所ですね、空いてますよ』と目立ちにくい奥の席へ案内されると、ヴォネはメニューも開かず、給仕にすらすらと料理の名を並べ、挙げ句には『いつものを四つ』と付け加えた。そのときの顔は妙に得意げなもので、主にフリーレンに向けられていた。
「……それで? ここまで付き合ったんだ。そろそろ私の質問に答えろ。まさか忘れたなんて言わないよね」
「もちろん忘れておらんぞ?」
料理が運ばれたのを合図に、フリーレンは切り出した。
ヴォネはジョッキを軽く傾け、こく、と一つ喉を鳴らす。長すぎる前置きを乗り越えたフリーレンは、それを黙って待った。
もはやこの程度でいちいち急かす気力も湧かない——
「わしには夢がある」
「は?」
やはりぼけているのではないか。
「おい……私は、なぜお前が魔力制限をしているのか訊いたんだ。そしたら魔法の真髄だの言い出して、酒場まで付き合ってみれば、今度は夢? ふざけるのも大概にしろ」
ここまで来たんだ、酒の一口程度なら待ってやる。ただし、話の脱線まで見過ごすわけにはいかない。
「そう結論を急ぐでない。最近の若人は『結論ふぁすと』とやらを好むらしいが、おぬしは別にその類じゃなかろう?」
「……ふぅ」
魔法使いは冷静でいなければならない。
フリーレンは深いため息をついた。それはそれは深いものだった。
しかし、それをこの目敏い魔族が見逃すはずも無かった。
「むっ? フリーレンよ、おぬし怒っておるのか?」
「…………」
「沈黙は肯定と受け取るぞ?」
「…………」
「非礼をしたなら詫びよう。しかし、どこが気に食わなかったのじゃ? それが分からなければ今後のこみゅにけぇしょんに支障が——」
「私は、エルフの中ではまだ若い方なんだよ」
「おおっ、そうじゃったのか!? すまぬ、てっきり千歳前後かと……」
「お前なんなの?」
所詮は人間の真似事だと理解している。それでも、申し訳なさそうに眉尻を下げて、謝罪まで織り交ぜてくる態度には、妙に癇に障るものがあった。
「いつになったら本題に入るんだよ……」
「シュタルク様、このフライドポテトという料理、とても美味しいですよ」
「お、フェルンよ。それに目を付けるとはお目が高いのぅ」
「お前……」
ヴォネはこの応酬すらも楽しんでいる節がある。つまりいちいち口を出したら埒が明かず、ただどつぼにはまるだけ。そう判断したフリーレンは、ひとまず聞き手に徹してヴォネの言いたいことを全て吐き出させることにした。
「わしの夢、それはこの世に存在するありとあらゆる魔法を網羅すること。いつか世界で最も魔法を識る、最高の魔法使いになることじゃ」
荒唐無稽。そう評するほかない。
「今では神話の時代と呼ばれるあの頃、多くの魔族から恐れられた存在がおった。一人のエルフじゃよ。今残っている魔族の殆どはその名の意味を忘れておるが、わしは覚えておる——決して忘れぬ。忘れられるわけがない。じゃがまぁ、おぬしたちのような現代の魔法使いなら知っとる者は多いかの。そもそもおぬしたちがこの帝国領まで来るには、北部高原を抜けなければならん。聞くところによるとあそこを通るには、一級魔法使いの同行が必要なんじゃろう? その資格を認定しておる大陸魔法協会の創設者こそ——」
ピタリとヴォネが固まり、取り繕うように咳払いをした。
「おっと、つい話が逸れてしもうた。それでな、その魔法使いは当時最強と謳われておったある魔族を殺しに来てな、まだ生まれて間もない若輩者であったわしは、興味本位でその戦いを遠巻きに眺めておったんじゃ。今にして思えば、命知らずにもほどがあるがの」
微かに目を細め、両手の指先を軽く合わせる。
「戦いは一方的――いやあれは戦いなどという陳腐な言葉で括ってよいものではない。練り上げられた魔力操作。その精度と速さ。構築された術式によって顕現する現象。彼女が使ったものと同じ魔法なら、以前にも見たことはあった。じゃが、彼女が扱えばそれはまるで別物じゃった」
瞳がとろんと蕩け、視線は若干うわの空。その姿はまるで恋を語る乙女のようだった。
「目を離すことはおろか、瞬きひとつすら決して許されぬ。完全で完璧で抜群で究極で精美で妖艶で――きっとそのどれもが正しい。じゃが同時にどれも足りておらん。言葉にしようとしても、その度に輪郭がぼやけていく……じゃが、あえてわしはこう言いたい、それはなにより最高で素敵なもの……その時にわしは気付いたんじゃ、あるいは目覚めたとも言えるかもしれんの」
蕩けていた双眸が——呼吸ひとつ分にも満たない間、一気に見開かれる。黒の奥に微かに覗いていた金色が、じわりと広がった。
「魔法とは、それすなわち奇跡である」
その眼に宿るものは、魔族が人に向ける殺戮本能となんら変わらない、冷たい熱だった。
「あの日わしが見たのは世界最高の魔法使いじゃった。そして
合わせていた指を絡ませ、両手を祈るような形へと変えていく。
「つまり“魔法”そのものの真髄とは、それらをもって自身の内に抱くイメージを世界という名のキャンバスへ描き出し、現実を書き換え、書き加え……時には誑かすという行為そのものにある」
胡散臭い飄々とした親しみと、時折見せる淡泊さ。その二つの仮面の下に隠れていた何かが、微かながら、しかし確かに露わになる。
「これを奇跡と呼ばずして、はてさて他に何と呼べばよいのかの?」
薄い微笑みでも、八重歯が覗く悪戯な笑みでもない。三日月のように口端を吊り上げた化け物の笑顔。それでいて、宝物を見つけた子供のような無邪気さも残っていた。
「この気付きの衝撃たるや、今もこうして話しておるだけで震えが止まらん……」
その言葉通り、ヴォネの固く組んだ両手はぶるぶると震えていた。傍から見たら完全に危険な兆候にしか見えない。
と、思いきやピタリと震えが止まった。
「あぁ、そうじゃ。ついでにもう一つ言いたいことがある。最近はフランメによって、短命種である人間にも随分魔法が普及してのぅ……それ自体は歓迎しとる。この千年の間に多種多様な魔法が生まれた。まこと贅沢な時代になったものじゃよ。こうしておる今も日々新たな魔法が産声を上げておる」
絡ませた指を滑らせながら、ヴォネは上機嫌に言葉を続ける。
「じゃが、おぬしたちは忘れてはおらんか? 魔法がいかに偉大で、特異で、奇跡そのものであるかを。『昔は良かった』などという物言いはあまり好まんのじゃが、魔法がまだ身近な存在ではなかった時代の人間は誰もが理解しておったぞ? 初心忘るべからず、イメージが大切な世界じゃからこそ胸に刻んでおいてほしいのぅ」
老人の憂いを帯びた表情で肉を一切れ摘み、酒を流し込む。ジョッキを卓上に戻したときには、先ほどの魔族の貌が再び浮かんでいた。
「そして、あの日見たものこそが、わしの初心であり原初であり憧れ——つまりは夢じゃ」
拾い上げた宝物を、両手で大切に抱えるように、ヴォネは笑う。
「不遜ながら、傲慢ながら、無謀ながら——あの存在は唯一無二であり、本来はこうして口にするどころか、願うことすらも憚られる。じゃが、それでも、あのような魔法使いになりたいと、悍ましくも美しい極の領域へ踏み込んでみたいと、心の奥底からそう思ったのじゃよ」
ヴォネの締めの言葉にしばしの沈黙が落ちる。
それはヴォネの熱を冷ややかにあしらったものではない。
正直。
最後の説教擬きはともかく——魔族の天敵であるフリーレンだからこそ、魔法使いであるフェルンだからこそ——魔族の戯言と切り捨てる訳にはいかないものだった。
この沈黙はそれを咀嚼するためであり……それを破ったのもまたヴォネだった。
「とまぁ、まず最初のきっかけはこんなもんかの」
「…………えっ?」
思わずシュタルクの口から声が零れた。
再び沈黙が訪れる。今度は余韻に浸るためのものではない。
『最初』——その意味を理解したからこそ、場の空気が冷え切った。
「まだ続くのかよ……」
「うむ、じゃから好きなだけ注文してよいぞ。おぬしくらいの年頃は食べ盛りじゃろう? 遠慮はいらん、懐にはそれなりに余裕がある」
「そういう話じゃないんだけど……」
嘆きが届くことはなく、なんならヴォネが追加で料理を注文したことで、シュタルクの絶望は加速することとなった。
「でな、いざ夢を抱いたはいいものの……ここで一つ大問題が発生したのじゃ」
腕を組み、心底困り果てた顔を浮かべる。
「わしに魔法の才が驚くほどなかったのじゃ。本当にからっきしじゃ」
その表情とは裏腹に、声には何の感情も乗っていない。中立的で客観的な、底冷えするほど淡泊な声音。
「術式を読み解くセンスは無い、構築する実力はない、魔力操作も下手。にもかかわらず、わしが目指すのは一つの魔法を極める多くの魔族の在り方とは真逆の道——ありとあらゆる魔法を網羅することじゃ。ただでさえ果てのない道のりじゃというのに、その一歩目から盛大に躓いてしもうたんじゃ」
形は違えど魔法というものに執着している様は魔族の特徴に当てはまる。しかし、自らの無才を語る姿には悲嘆も自嘲も、自尊心が傷ついている気配すらない。魔族の典型に収まりそうで、肝心なところで絶妙にずれてくる。
先ほどの熱弁を踏まえると、自らの無才など、人間じみた身振り手振りで嘆きそうなものだった。
その異様な落差は何かの前触れにも思え……唐突にこれまでの会話を投げ捨て、卓をひっくり返して攻撃を仕掛けてきたとしても不思議ではない。
嫌な緊張がフリーレン達に走り——
「じゃがな……それでも、そんなわしでも、ただ一つだけ才能と呼べるものがあった。フリーレンよ、なんじゃと思う?」
ある意味では予測通り、ヴォネが仕掛けてきた。嫌な類の問いだった。
「……無駄に話を長くする才能」
「
「お前だけには言われたくない」
酷いのぅ、と呟き、肩を落とす。
「ならばフェルンよ、おぬしはなんじゃと思う?」
「……ここまでの話が事実なら、あなたの才能は寿命……ですか」
ヴォネはパチンと指を鳴らし、満足げに頷く。
いつの間にか、喧しい挙動が帰ってきていた。
「寿命? それが才能なのか?」
「少なくとも、神話の時代から今まで生き続けている魔族なんて、私は見たことも聞いたこともない」
人間社会への異様な馴染みぶり、魔力制限という異端行為、二千年以上人を殺していないという発言と異常に薄い死臭。
積み重なっていた違和感——語りに出てきた神話の時代、そしてヴォネが憧れたという魔法使い——が最後のピースとなり、一つの確信に至ったことでフリーレンは顔をしかめる。
「ぶっちゃけこの道を歩むと決めた
そんなフリーレンの心中を知ってか知らずか、ヴォネは続ける。
「実際わしより遥かに強かった先達も、瞬く間にわしを追い越していった若い魔族も、やがては老い、寿命を迎えていった」
ジョッキに視線を落とすヴォネ。その横顔に悲哀の色はなく、移ろう季節を眺めるような泰然とした眼差しだった。
「じゃが、わしだけは違った。どれほどの時が流れても一向に衰えの兆しは見えず、なんなら魔法の研究は遅々として進まぬ一方、魔力量は研鑽を重ねた分だけ増え続けておった。齢が千を超えたあたりから、さすがに気付いてのぅ。まぁ地味と言ったら確かにそうじゃが、わしにとってはこれ以上ない贈り物じゃった。才能は無い。じゃが、果ての無い時間だけはある。そうなれば後は自明というものじゃ。なにせ、魔法が逃げることはないからの」
そしてやっと、ヴォネはフリーレンが投げた質問に答えた。
「じゃので、無才なりにできることは何でもやり、試せることは何でも試みる。魔力制限はその一環じゃ」
誇るでもなく、卑下するでもない。自身は行えるすべてを一つずつ積み重ねているだけだと、淡々と述べる。
きっと、過去に抱いた憧憬と、否応なく突きつけられた己の無才。その二つが、ヴォネにもあったはずの魔力量を絶対視する魔族の価値観を打ち砕いてしまった。開口一番に放ってきた『魔力量の絶対視などクソ喰らえ』という言葉、これは本心であり、ヴォネが辿り着いた答えなのだろう。
「……そう。でも下手だね」
「仕方ないじゃろう、溢れ出る魔力を常に抑え続ける行為は非常に疲れるんじゃ。僅かでも意識が逸れればぐちゃぐちゃに乱れてしまう。こんな有様でも、常時ここまで抑えつけられるようになるには相応に苦労したのじゃぞ?」
「…………」
「じゃが、ここで満足するつもりなどない。これほど繊細な魔力操作を要する魔力制限を、誰にも看破されぬ領域までこなせるようになった暁には、魔力操作において己の殻を一つ破り、今とは異なる景色が見えるのではないかと……そう踏んでおる」
「…………」
「もちろん、徒労に終わる可能性もあるがの。じゃがやめる理由にはならん。それにしてももっと広まってもいいと思うんじゃがの、魔力量の多寡で魔法使いとしての格が定まるわけではなかろうて」
はぁ、と小さく嘆きのため息をつくヴォネ。
「それに、これが案外便利なものでの。実のところ、わしは魔力量だけなら一丁前どころか半端なく多い。本来の魔力量を晒せば、それこそ遠方にまで自分の存在を喧伝しておるようなものじゃ。じゃが、こうして制限をしておれば同族達にはもちろん、人間の魔法使いにも気取られ難くなり、一人静かに魔法の探究に没頭できるものじゃ。別に他の魔族や人間と会うこと自体が嫌なわけではないぞ? 特に魔法を魅せてもらえるのは大歓迎じゃ。じゃがほれ、時と場所というものがあるじゃろう? そういう気分ではない時もあるというか……わしの気持ち、分かるじゃろう? あと、この程度まで抑えておけば、人里を歩いておっても問題にはならんしな」
「…………」
「…………」
「…………」
こうして一通り、魔力制限について語ったヴォネだったが……フリーレンとフェルン、更にはシュタルクの冷ややかな視線が突き刺さる。
「……ん? な、なぜそのような目でわしを見る……?」
この酒場を訪れてから……確かに少々一方的な喋り方をしてしまったかもしれない。だが、それでも三人は耳を傾け、それなりの反応を示していてくれた。少なくとも、揃ってこれほど冷ややかな視線を向けてくることはなかった。
自身の見解が的外れならば、まだ分かる。しかし、門外漢のはずのシュタルクでさえ同じ眼差しを向けている。
「お、おい何か言わんか」
控えめに言って、ヴォネは凄まじく狼狽えた。
「フリーレン? フェルン? お、おぬしらほどの魔法使いならば分かるじゃろう? 確かにわしには才がないが、一考くらいしてもよいではないかの!? 魔族からしたら正気の沙汰ではないかもしれんが、魔力量を尊厳とせぬおぬしたち人類ならば、少なくとも取り組み始めることへの抵抗は比較的小さいじゃろう? 先ほど言ったとおり、魔力操作は魔法使いの頂に至るには欠かせぬもの。じゃから、この修練にもある程度の有用性が…………いや待て」
ぴたりとヴォネが止まり、フリーレンとフェルンを交互に見た後、シュタルクへと顔を向けた。
「シュタルクよ、おぬしは戦士じゃろう。なのに何故同じ目でわしを見ておる」
「……えっ、あ、いや」
シュタルクは答えに窮した。
下手なことを言えば、嘘と見抜かれる。かといって正直に話せば、フリーレンの魔力制限の看破へと繋がりかねない。
「…………」
故に、答えは沈黙だった。
だが、ヴォネを相手に沈黙することは、その沈黙自体に含意があると白状したも同然。
これ以上シュタルクは何も答えないと判断したヴォネは、フェルンへと視線を送り……その双眸を微かに細めた。
「フェルン、おぬし魔力制限していたのか」
「…………」
「なるほどな。いやはや、すまぬな。じゃが、それなら早う言うてくれたら良かったのに。年上の矜持なぞないが、それでも揶揄われるのは面映ゆいものがある。おぬしも意地悪じゃのぅ、師匠に似とらんか?」
「……別に揶揄っていたつもりはないです」
「ふぅむ、つまりただわしが滑稽だっただけか。実際、こうして注視しなければ気付けんかった。素晴らしいものじゃのぅ、魔力制限の腕は既にわし以上じゃな。して、どうじゃ? おぬしの所見でよい、魔力操作について、なにか掴むような感覚はあるか? あとコツとかも教えてほしいのじゃが」
「……なぜ魔族であるあなたに教えなければならいのですか」
「なんじゃなんじゃ、ここにきてそのようなつれない態度はやめんか。希少な魔力制限を行っている魔法使い同士なんじゃ——ん?」
ジョッキを片手にフェルンへにじり寄り、そのまま談義へと引きずり込もうと身を乗り出した——その姿勢のまま、固まった。
「おぬしは、フリーレンの弟子……」
次の瞬間、これまでの呑気な態度からは想像もつかない勢いでフリーレンに向き直る。身を捻った拍子にジョッキの酒が波打ち、卓上の食器が微かに音を立てた。
見開かれた目が上下左右に忙しなく動き、フリーレンの周囲に溢れる魔力を隅々まで追い始める。
視線まで喧しいのかと、フリーレンは小さく息をついた。
「…………なに?」
「……………………まさか、え、おぬしも?」
数秒の沈黙が流れ——ヴォネがぬらりと立ち上がった。
「フリーレン、よ。おぬし魔力制限、しておる、のか?」
これまでの饒舌ぶりからは考えられない、全く舌が回っていない随分と歯切れが悪い問いだった。
「…………」
フリーレンはすぐには答えなかった。
つくづく厄介な魔法だった。
否定すれば即座に嘘と見抜かれる。曖昧な真実でかわすこともできるが、是非を問う質問でそうすれば、答えを避けたという事実そのものが答えになりかねない。
それでも沈黙を貫くことはできる。
だが、三人の反応とフェルンの魔力制限を見抜いたことから、ヴォネは既に答えの目前まで迫ってきていた。加えて、この魔族は魔力量を魔法使いの格として扱っていない。魔力量を偽って慢心を誘うという策が他の魔族ほどには通じない。
ならば、利用する。
半ば悟られた最大の秘密を餌に、この魔族の眼を測る。
「沈黙は肯定と受け取——」
「そうだよ」
ヴォネは返事があると想定していなかったらしい。
フリーレンが食い気味に肯定した瞬間、微かに肩が跳ね、その表情が驚愕に染まった。
そして、落ち着きのない子供のようにフリーレンの周囲をうろつき、角度を変えては覗き込む。
「座れ」
「ちょっと、ちょっとだけ待っておくれ、頼む」
「このままだと目立ってお前の正体がばれるよ。まぁそれでもいいなら好きにすれば」
「……はい」
ヴォネは素直に席に着いた。
それでも諦めきれないのか、今度は卓上に乗り出し、眦が裂けんばかりに目を見開いてフリーレンを凝視する。
「近い」
「もう少しだけ、本当に、あともう少しだけ」
それから数十秒。
「………………全く分からん」
ヴォネは匙を投げた。
やがてがっくりと項垂れる姿は、垂れた前髪も相まって萎れた花のようだった。
「確かに千年生きている魔法使いにしては魔力量が少ないと思ったんじゃ。なにせ、あの葬送のフリーレンじゃぞ? あいや、決して侮っておったわけではない。ただ魔力量で魔法使いの格は決まらないというのと、魔力量の一切を無視するというのは話が別じゃ……」
誰に対しての言い訳なのか。ヴォネは卓上へ視線を落としたまま、ぶつぶつと言葉を重ねる。その姿はいっそ哀れだった。
「じゃが、まさか既にこの領域まで……なるほどな、わしの歩んでいた道はとうに通過されていたのじゃな。いや正確に言うなら追い越されておったのか……こういうことには慣れておるつもりじゃったが、魔力制限に関しては、多少なりともは先を行っておるものと——」
「ちなみに」
「……なんじゃ?」
「私の魔力制限に気付いた人間は少なくとも二人いるよ」
ヴォネの萎れた頭がゆっくりと持ち上がる。
「そのうち一人は私を一目見ただけで見抜いた」
「…………嘘じゃろ?」
「お前のご自慢の魔法はなんて言ってる?」
「…………」
再び言葉を失ったヴォネへ、フリーレンは意趣返しに淡々と、そして深々と追い打ちをかけるように突き刺す。
「どうやら、お前に魔法の才能がないというのは本当のことみたいだね」
長い沈黙の末、ヴォネはポツリと呟いた。
「……………………やっぱ人間こわ~」