フリーレンの魔族に対するときの顔が好き
なんでタイトル通りの魔族がフリーレン達に絡んだりする話です
※原作最新話までのネタバレ・アニメ化されていない黄金郷編のネタバレの可能性があります
前編です
その光景を前にフェルンとシュタルクは唖然としていた。
旅の仲間であり、人生の先達者でもある。宝箱があればたとえ罠であると分かっていてもチャレンジし、禁句はおばあちゃん、ババァ及びクソババァの1000年以上生きているエルフの魔法使い。そして、かつて人類を追い込んだ魔王を打ち倒した勇者一行の一人であり、歴史上最も多くの魔族を殺した魔法使いであるフリーレンが。
「…………はぁ」
一匹の魔族を相手に手も足も出せずにいた。
小さくしかし重いため息を絞り出す。その横顔にはこれまで潜り抜けてきた修羅場の中でも、中々に珍しい濃い疲労の色が滲み出ていた。
だがその眼に諦観の類などは一切無く、敵を鋭く見据え視線を逸らすことは決してなかった。
しかし敵が情けをかけるはずもない。まして相手は魔族だ。そんなフリーレンの様子など知ったことではないとばかりに、間髪入れず次を仕掛けてくる。
来る、とフェルン達は改めて身構え、フリーレンも変わらず敵を睨み付け——
「人類がいまだ解き明かせぬが故に、時として“呪い”と呼ばれる魔法。原初とも呼ぶべきそれらは、術者個々の感覚とイメージに深く根差し、完結している。対して人類は魔法自体を開拓し、解剖し、論理に落とし込んだ。更には魔導書という形で後世に残し、時には改良までも加えられて往く。これら二つは互いに遠い位置にあり、隔たっているように見える。じゃがわしはそう思わん。これはどちらも同じ“魔法”なのじゃ。魔力を操り、イメージを現実世界に現界させるもの。ならば、その二つの性質がひとつの魔法の中で両立する未来も必ず訪れるとな」
途切れない。
だが魔法も呪いも飛んではこない。
そもそもフリーレン達には明確な敵意と警戒心こそあれ、双方の間に殺気と呼べるものは漂っておらず。
強いて飛び交っているものを挙げるのなら、給仕の忙しない足音、ぶつけ合うジョッキの音、小気味よく響く食器の音、酒と料理を囲み談笑に耽る人々の声——テーブルに並べられた鮮やかな料理と共にある、人の営みが生み出す喧騒だった。
「それでのフリーレン、その未来は実際に訪れた……おぬしたち人類が齎したのじゃよ!」
その喧騒に負けじと舌が回る。
うざく、暑苦しく、やかましい魔族の言葉。
「ひとつの魔法として余りにも完成され、美しくそして強い……否、強すぎた魔法『
ゆらゆら目元まで垂れた灰色の前髪を揺らしながら、覗く黒の瞳が輝く。
フリーレン達もまた喧騒の片隅にてひとつの卓を囲んでいた。
***
時は少し遡り。
勇者ヒンメルの死から31年。
帝国領・ベゲーグ地方。
大陸の中でも特に魔法方面で発展している帝国領。その全域に帝都と同水準の警備が張り巡らされている訳では無くとも、一定以上の規模を持つ街には相応の警備が敷かれている。
フリーレン達が訪れているこの街もその例に漏れず……下手な他国の都市以上の警備と設備が配置されていた。
にもかかわらずだ。
活気に満ちている街路を当たり前のように歩を進めている“それ”——フリーレンよりも僅かに低い体躯。褪せながらも小汚くはない淡い灰青色のショールから透けているのは、小奇麗に仕立て上げられた鉛色の長衣。そして灰色の髪を覆うように巻かれた紺色のスカーフ。まるで側頭部にある何かを隠しているようにも見える。
様々な旅人が行き交うこの街には取り立てて珍しくもない服装。誰とも肩を触れ合わせることなく、人々の間を滑らかに、まるで川の流れのように自然なその足取りには迷いも淀みもない。
あまりにも慣れ過ぎている“模倣”だった。
「……考えすぎ、だと思いたいんだけど」
「もちろん、杞憂に終わるならそれに越したことないよ」
発端は、今や新たな街を訪れた際の慣習になった、フリーレンによる古物商での魔導具漁りに付き添っている最中だった。
「次はあそこに行こう」
大陸で最も魔法が発展している帝国領なだけはあり、巡る店の数も、並ぶ商品のラインナップも、これまで訪れた街とはまるで違う品揃えを前に普段の数倍は浮き足立っていたフリーレン。
元々魔法オタクの気が強い者であり、更にはエルフの時間感覚が合わさることによって、このままでは数ヶ月コースに突入しかねないと、フェルンとシュタルクに本気の懸念が過り始めていた頃だった。
店に続く小さな石畳の階段へ足をかけたフリーレンが不意に立ち止まる。
直後のことだった。内開きの木製の扉が開き——一人の“少女と思しき魔法使い”が姿を現し、階段を上がろうとしていた三人とすれ違う。
その横顔には薄く、しかし確かな笑みが浮かんでいた。それこそ今出てきた店で、何か掘り出し物でも見つけたのではないかと勘ぐってしまう程度には。
そのまま階段を上がり、まだ僅かに開いている扉から店内を一瞥すると一言。
「二人共、アイツを尾行するよ。最大限の警戒をして」
一段低くなった声音でそう告げ、踵を返した時そこには“葬送のフリーレン”の貌があった。
「知り合いなのですか?」
「いや、全然」
「まさか指名手配犯とかじゃないよね?」
「……まぁもしかしたらそうなるかもね」
「え、なにそれこわい」
警戒態勢に入り、少しばかり先行する形で進むフリーレン。ここまで共に旅をしてきた二人も、先程まで魔導具にホクホクしていたフリーレンの唐突な変わりように困惑していた。
聞けば知り合いではないと言い……シュタルクの質問には、何か含みのある答えを返し更に困惑が深まるばかりだった。
「歩きながら話すから聞いて」
人通りに出た少女を尾行しながらフリーレンは語りだした。
黄金郷のマハトの記憶を解析した際、一つ奇妙なものを目にしたという。
マハトが結界に囚われてから数年が経った頃。黄金郷の結界に、微かな魔力の反応が生じた。
これまで黄金に眼が眩み侵入する者は何人かいたが、結界自体に何か細工を施そうとするものなどいなかった。
異変を感知したマハトが結界の縁まで赴くと、結界の外側に一人の小柄な少女が立っていた。
二人の間に会話が生まれることは無く、少女が結界内に侵入することもない。
少女は結界をじっくりと眺め、それからマハトと目を合わせる。そしてまた結界を眺め始める。時には結界に手を添え魔力を流し込み、時にはわざとらしく手を顎に当てて考え込む。
嘲笑や挑発も、野心も無い。フリーレンに見えたのは興味の一心だった。
そして数週間後、いつの間にか少女は消えていた。
万物を黄金に変える魔法の解析には何の役にも立たなかった記憶。
無論、大魔族を封印している結界に干渉していた者が居た事実は無視できない。もしもマハトの解放を目的としていたのならば、人類へ災厄を引き起こす行為だ。
しかし結果として、少女は結界を破るどころか傷の一つすら残さなかった。そしてその後抽出されたマハトの記憶の中に、少女が再び姿を現すことは無かった。
足取りを追おうにも情報や手掛かりは足りず、今さら現場を調べたところで、既に時間が経ちすぎて痕跡など残っているはずもない。
細かい解析にかけなければ発掘できず、記憶の主であるマハト本人からも何も語られることのなかった、奇妙と形容する他ない一幕。
そしてフリーレンは、件の少女と今し方すれ違った人物が同一ではないかと疑っていた。
「五十年近く前から、顔立ちや服装が一切変わっていない。耳もエルフのものじゃないし、体格もドワーフには見えなかった」
「そうですね、フリーレン様が見た当時の彼女が仮に十代だったとしても今は六十歳前後のはずです」
「少なくとも見た目通りの人間じゃないね」
その言葉にシュタルクは微かに震える手で戦斧を握り直した。いつでも抜き放てる位置に柄があることを改めて確かめる。
「……とりあえず、店の中は無事だったんだよな?」
「うん。店主も客も、特に異常はなかった」
少女が立ち寄っていた店の安否確認。その問いに含まれた意味を察せない二人ではない。
人間と見分けが付きにくい容姿を持ち、半世紀を経ても一切老いた様子を見せない者。
考え得る可能性はいくつかある。だが、その中で真っ先に警戒すべき存在が居る。
人類の天敵——魔族だ。
「……ですが、フリーレン様。もし彼女が魔族だった場合」
「最悪だね」
付かず離れずの距離にある小柄な背を睨み付けながら、フリーレンは沈着に吐き捨てた。
「でもさ、ここは帝国領なんだろ? 噂の魔導特務隊って連中もいるし、他にも腕の立つ魔法使いや戦士くらい居るんじゃないのか? そう簡単に暴れ出すのは難しくない?」
これまで幾度も魔族と対峙し、大魔族を相手にする修羅場も潜り抜けて来た。それなのにフェルンはどこか歯切れが悪く、表情も僅かに強張らせていることに違和感を覚えたシュタルクが問いかけた。
「魔導特務隊は帝国中の街に常駐しているわけじゃない、主な任務は国境警備と内乱鎮圧で、少なくともこの街に居るという情報は無い。それに——」
「それに?」
「……援護には期待しない方がいい」
「どうして?」
答えたのはフェルンだった。
「シュタルク様、彼女は魔力制限をしています」
声を潜めてはいたが、確かな確信を持っていた。
「私とフェルンなら一目で見抜けるほど粗末なものだけどね」
しかし粗末であることが問題ではない、とフリーレンは続ける。
「表に出している魔力量そのものを一定の水準まで制限している。一見するとアイツは腕の立つ人間の魔法使いにしか見えない」
人間の姿をして、人間の魔力を装い、人間として歩いている。
「角さえ確認できれば話は別だけど、スカーフで頭を覆っている。魔力制限を他に見抜ける人が居ても、それだけでは魔族だという証拠にならない。このまま私たちが仕掛けても援護どころか、止められるだけだろうね」
「……いやちょっと待って、それ以前におかしくないか?」
シュタルクはかつてフリーレンに教えられた魔族という種族の習性と、彼女が修行の果てに築き上げた魔力制限の意味を思い出す。
魔族にとって魔力量とは地位であり、財産であり、尊厳そのものとして絶対視している。自らの魔力量を偽り、実際よりも矮小な存在に見せかけるなど耐え難く、正気の沙汰とは思えない。
故にフリーレンはそこに付け込み、自身の魔力を制限することで人間を言葉で欺く魔族を魔力で欺く術を身に着けた。
「その通り、普通の魔族ならこんな真似しない。周りから見れば、アイツを魔族だと疑っている私たちの方がおかしいだろうね」
シュタルクの疑問に即答で肯定するフリーレン。
「ただ……厄介なのは五十年前も同じだったんだ」
それこそが、マハトの記憶の中で更に細かい解析をしなければ発掘できないものでありながらも、この奇妙な記憶を片隅に留めていた最大の理由だった。
結界への干渉を感知したマハトがその縁まで近付いた時、外側から術式へ流し込まれる魔力を微かながら感じ取ることができた。
表面上の魔力量は、並の魔法使い——制限をかけているフリーレンを上回る程度のもの。だが熟達した魔法使いであれば看破できる魔力の揺らぎ。
その特徴は五十年経った現在も“ほとんど”変わらない。
ほとんど。
「正直誤差に近い。それでも、あの時より揺らぎが小さくなっている」
それが意味しているのは、彼女が魔力制限という無意味なものを捨てていなかったということで。
たとえその成果が誤差と呼べるほど僅かなものであったとしても。
「アイツが魔族だったら——」
フリーレンがその先を告げようとした、そのときだった。
少女が人通りを抜けて、細い路地裏へ入っていく——瞬間、一度足を止め肩越しに三人を振り返る。
行き交う人々の隙間から、フリーレン達に向けて古物商ですれ違った時と同じ薄い微笑みを浮かべた。褪せた灰色は首元で不揃いに途切れて、目元まで垂れた前髪の間から覗いているのは光の乏しい黒の双眸。その奥に微かに混じる金色と、フリーレンの視線がかち合った。
「やっぱり気付いていたか」
「これ、完全に誘われているよな……危なくない? 罠じゃない?」
「ですがここまでの話を聞いてしまった以上、見過ごすわけにもいきません」
最悪の場合に備え、フリーレン達も路地裏へ進んでいく。
すると、まるでタイミングを図っているかのように、曲がり角を曲がった瞬間、次の角へ入る背が見え——二回角を曲がった先、行き止まりを背に彼女は待ち構えていた。
「魔力量で相手の実力を推し量る。とりあえずの指標として大切な部分も確かにあるのじゃが、同族達はちとこれへの絶対視が強すぎる。ハッキリ言って魔力量などクソくらえじゃ、唾棄すべき固定観念じゃ」
まるで面倒見の良い老婆が子供に投げかけるような声音はだった。フリーレンが僅かに見下ろす形になるほど小さな体躯も相まって、親しみさえ感じさせる。
だがその内容は全く持って暖かい感情を抱けるものではなかった。
「そうは思わんかの?」
小首をこてんと傾げて見上げる少女——否。
魔族も必要に応じて魔力を隠すことはある。
フリーレンが知る限り大きくわけて二つ、魔法使い以外の獲物へ奇襲をかける時と、格上の相手から逃走する時だ。
そしてこの場においてそのどちらも当てはまらない——魔法使いであるフリーレンとフェルンを前にし、制限をかけた状態のフリーレンを上回る魔力量を持っている。
「初めまして、わしの名はヴォネ。それなりに永くは生きている魔族じゃ」
だが、ヴォネと名乗った魔族が初手に放ってきたのは爆弾発言だった。典型的な魔族の価値観を、ひいては魔族が生きる上で必要な本能を全否定してきた。
魔族の常識から逸脱した個体は既存の尺度で行動原理を測れない。魔王も、マハトもそうだった。
そしていずれも人類に災厄を齎した。
魔法技術が発展し、かつての戦争では魔族に奪われた土地を奪還し、更に押し返しさえしたこの国でこんなモノと遭遇するとは。
「最悪だ」
そう毒づくと同時にフリーレンとフェルンは杖を構え、シュタルクも戦斧を抜き放った。
しかし、当のヴォネはどこ吹く風といった様子で口角を上げる。
「そう殺気を放ちなさんな。わしに敵意が無いことぐらい分かるじゃろ?」
「お前たちは敵意なんて持たなくても人を殺せるだろ」
「うむ。まぁそうじゃな」
ヴォネはあっさりと認め、からからと笑う。
「じゃがまぁここでやり合うのは、ちと都合が悪いんじゃないのかのぅ?」
行き止まりの壁にヴォネは背中を預ける。
その向こうから伝わってくるのは、先程まで歩いていた大通りの喧騒だった。石畳を行き交う人々の足音が静かな路地裏に響く。
壁を隔てた先には大勢の人間がいる。
このまま戦闘になれば、確実に一般人が巻き込まれる。ヴォネはそれが人間にとって何を意味するのか理解している。ただ『助けて』とモノマネをするのではない、人の情動を読んで行動を縛る術を知っているのだ。フリーレンの中で、目の前の魔族に対する危険度が更に跳ね上がる。
「なにが目的だ。さっさと答えろ」
「早速ながら手厳しいのぅ……わしは名乗ったのじゃし、まずはおぬしたちの名を教えてはくれまいか?」
わざとらしく肩を落として眉根を下げ、いじけたように言葉尻が小さくなる。
それはどうしようもなく人間のものだった。
「……あれだけ我が物顔で街を歩けて、しかもここまで誘いこんできたんだ。私たちの名前なんてとうに知っているんだろ」
「ふぅむ、おぬしたち本人から直接教えてもらうことに意味があるんじゃが」
「随分くだらないことを言うもんだ」
「なんせわしの目的はおぬしたちと喋ることなのじゃから!」
「お前たちとの間にあるのは会話じゃない」
「正論じゃな。じゃが、付き合ってもらうぞ?」
辛辣な言葉でヴォネの言葉を切り捨てるフリーレンの態度であったが、最後の言葉にフリーレンが微かに眉を顰めたのをフェルンは横目に感じ取った。
「全く、つくづく嫌になるね。街の馴染み具合にその表情と口調……随分と慣れている」
魔力制限だけではない。危険生物を前にした際に肌を刺すような、異なる種を相手にした時だからこそ感じ取れる圧までもヴォネは隠し通している。
あまりにも親しみを込めたように見せかける身振り手振りが巧み過ぎる。
だからこそ、フリーレンはヴォネがあっさりと魔族としての特性を肯定してきたことに違和感を覚えた。
「まぁ先程言ったようにそれなりに永く生きておる。なれば人間との会話の基本も覚えるものよ、それにわしは喋るのが好きじゃからな」
「喋るのが好き、ですか……」
魔族という種が紡ぐその言葉をフェルンは聞き逃せない。
「過去にあなたのように会話が好きだと宣う大魔族と戦いました……彼女は人と話すのが好き、そして自分は人目を避けてひっそりと暮らしてきたと」
脳裏に過るのは一人の大魔族。あなたたちのことを知りたいと、微笑みを浮かべながら殺しにかかってきた
「それはなんとも胡散臭いのぅ」
奴と似た微笑みを崩さずにまるで他人事——完全に自分を棚に上げて、こちらに寄り添うような物言いだった。おまけに同情のような視線まで向けてくる。言い返したい衝動を押し殺し、フェルンはヴォネの評だけ肯定した。
「その通りです。彼女はお話がしたいと言いながら、とてつもない死臭を振りまいていました……それはあなたも同じ、あなたからは彼女と同じくらい濃い死臭がします。こびりついて決して剥がれないものが――」
「それは違うのではないかの?」
声音は変わらず穏やかなものであったが否定の余地は見出せない。
口の端が僅かに吊り上がる。悪戯が成功したようでありながら、どこか真剣な影を帯びた笑みだった。
「……は?」
あまりにも即座に返された否定にフェルンの反応が一拍遅れる。
「その大魔族とおぬしたちと戦ったという話も、わしにこびりついた死臭があるという指摘も嘘ではない」
その二つ……特に後者まで肯定するならば、一体何が違うというのか。死臭は感じ取れないシュタルクが訝しげに眉をひそめる。
一方、フェルンの視線は変わらずヴォネを捉えながらも微かに揺れていた。
「じゃが“彼女と同じ強い死臭”というのは、少々言い過ぎではないか?」
そこに怒りや不快の色は無い。ただ、その一点だけが事実と異なるとばかりにヴォネは肩を竦めた。
「“嘘を見抜ける魔法”……と言ってもそこまで便利なものではなくてな」
とん、と自身の目元を指先で二度叩く。
「発言者自身の認識と、実際に口にした言葉の間に齟齬が発生した場合にのみ、それを見抜ける。今のおぬしはその大魔族とわしの死臭に差異があると知りながら、“同じ”と言い切った。ただわしに分かるのは、そこに齟齬があるということまでじゃ。……して、具体的にその大魔族とわしとでは、死臭の何が違うんじゃ?」
これまた随分と手慣れた魔法の解説だった。
しかしそこで終わりにはならない。
「あぁ、ちなみにじゃが、誤りをそもそも事実だと信じ込んでいたら無力じゃ。そのうえ当然のことじゃが、自身が構築している術式が過不足なく収束に至っているのか、魔導書に記された術式や歴史が信に足るものかを確認するような応用も効かん。所詮は小手先、世の全てを見通すような全知とは程遠い魔法じゃ」
一言訂正を促す、というよりかはただの事実確認をしたヴォネだった。しかしすぐさまそんなものはどうでもいいと、帯びた真剣みが霧散して——一人で勝手に自身の魔法について一息にまくし立て始める。
それは紛れもなく魔族の姿であった。だが同時に自らの魔法を誇示するどころか、その限界や弱点までペラペラと喋り始める。そこには熱と呼べる何かが潜んでいて、明らかに異質な在り方だった。
「フェルン、そうなのか?」
そんなヴォネの熱弁に付き合う者はいない。
しかし、魔力や死臭を感じ取れないシュタルクは、迷いのないヴォネの断言を確かめるためフェルンに尋ねた。
「……はい。確かにソリテールと同じ濃い死臭という表現は正確ではありませんでした」
フェルンはソリテールもヴォネも同じ魔族であると断じ、そしてシュタルクにもその危険性を共有するため意図的に切り捨てた。
ヴォネが見抜いたのは、そこの認識と発言の間に生じた齟齬だった。
「そうだね、確かにこいつからは死臭がする……こびりついて離れない反吐の出るものが。ただし——異常に薄い」
「ほぅ、おぬしたちにはそう映っておるのか」
今まで出会った魔族は程度の差こそあれ、必ず死臭を漂わせていた——その中で、ヴォネは
「わしは2631年前を最後に、それから一度も人を殺していない」
あまりにもさらりと飛び出た年数によって最悪の想定が俄かに現実味を帯びる。
フリーレンは動揺をおくびにも出さなかったが、フェルンとシュタルクはたとえ魔族の言葉であると理解していても息を呑んでしまう。
一方のヴォネは、その宣言を誇るわけでもなく、嫌なほどに巧みだった表情の動きを止め、ただ事実を述べるように淡々と告げた。唐突に濃くなった魔族としての色に、フリーレンが抱く違和感は更に深まる。
「……それがなんだ、まず大前提としてお前は魔族であり、既に人を殺している。それから二千年以上人を殺していないとしてもこれからも人を殺さないという保証はない。それにわざわざ2631なんて細かく主張するのも小賢しい」
ひとまず、その年月は脇に置いて――この手の話はありふれている。我慢を覚えた獣の類だ。
「いぇす。たまたま人を殺しておらん期間が積み重なっただけじゃな」
パチンと軽妙に指を鳴らし即答で肯定。
殺人を犯していないと発言した時に消えた人間めいた表情の温度が戻る。
「……ちっ」
瞬間、フリーレンの中に漠然とあった違和感の一片が音を立てて嵌まった。
返答があまりにも早すぎる。
頭の回転が速いんじゃない。恐らくだが今までの会話……少なくとも魔族絡みの問答は、ヴォネがあらかじめ想定し、用意してきたものに過ぎないのだろう。
最初からヴォネは言っていた。フリーレンの言葉を正論であると。
業腹ではあるが、確かにこいつは長い間人を殺していない可能性が非常に高い。だが、それを人間との共存という夢想を宣うための材料に使う気など一切ない。
「なぁ、ところでのぅ。これはわしの考えた、ただの与太話に過ぎんものじゃが、それでもひとつ訊いてみたいことがあっての……よいか?」
「……なに?」
「近頃は“無名の大魔族”などという呼び方があるそうじゃな。わしは人間の間でそれがどういう意味を持って使われておるのか知っておる。その上で訊きたいのじゃが——わしこそまさに文字通り、“無名”の大魔族ではないのかの?」
「……意地が悪いね。これまで残虐な魔族なら腐るほど見てきたけどお前みたいなのは初めてだよ」
「おやおや曲解しておらんか? わしはただ純粋な疑問を持って――」
「わからないな」
フリーレンはその言葉を途中で切る。
「仮にお前が本当に文字通りの“無名”だったのなら、なぜ今さら私たちの前に姿を現した?」
ピタリと、淀みなく回っていた舌が初めて沈黙した。
仕方がない。
魔力制限は、そもそもヴォネへ興味を抱いた原因であり、同時に最悪の疑念でもある。こちらから踏み込むしかない。
既にその札は初手で向こうから切ってきたもので、どうせ目を逸らすことなどできないのだ。
「お前は何故、魔力制限などという魔族が忌み嫌うはずの意味のないことをしているんだ」
現時点で判明しているヴォネの目的は、自分たちとの会話。だがそれが本当だとしても、目的のすべてとは限らないだろう。
私情も挟まない。信用もしない。理性と経験、そして直感によって目の前の異常をただ情報として処理する。
「…………ふ、ふふ」
俯いたヴォネの表情は窺えない。
しかし押し殺せず漏れた笑い声は静かに響き、フリーレンの眉が僅かに跳ねる。
ヴォネが笑ったからではない。これまで異様なほど早かった返答が初めて遅れたからだ。
「これぞまさに、『よくぞ訊いてくれた』というやつじゃな」
ゆっくりと持ち上げられた顔にあったのは、魔族としての牙が僅かに覗く、憎たらしいほどの無邪気な笑みだった。
「それを話すにはまず、わしが考える魔法の真髄について知ってもらう必要がある。少し長くなるぞ」
そしてほどなくしてフリーレンは後悔することになった。
この時ばかりは余計な勘繰りなどせず、即断即決で初手ゾルトラークをぶっ放すべきだったと。
しかし、誰がフリーレンを責められようか。これは魔族に対する知識と戦闘経験が豊富だったが故の悲劇なのだった。