薄明薄暮性   作:なすび、乾いた雲

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Dawn

 孤独は薄明薄暮性 闇にも光にも生きられぬぼくら

 


 

 

 私がピアノを弾き始めたのは、

 私が、バンドを始めたのは、

 

 ──一体、何のためだったのだろう。

 

 

 

 痛みに気がついたのは、燈の「春日影」を聴いた折のことだった。自ら手放したCRYCHICを、私は随分と惜しんでいたらしい。

 否、本当は気が付いていた。見ないふりをしていただけだ。

 

 燈が別のバンドで上手くやれている、という事実への安堵。それを塗り潰してあまりある後悔、寂寥、嫉妬──悲哀。

 

 前へ進み出した燈と、沈んでいくばかりの私。

 燈という光を前に、私は己の影を自覚した。

 

 澱んでいる。

 

 窓辺りに巣を作った蜘蛛が、磨りガラスに張り付いた蛾が、玄関先でひっくり返った死出虫が日常になった。

 溜まっていく空き缶と生ゴミ、増えない預金残高、すり減っていく気力。

 自己の可能性が先細りしていく感覚が付き纏っている。当初は抱いていた焦りや危機感が、疲労と倦怠感にかき消されていく。

 

『おれの前から、居なくなってくれ……! お前を見ていると、惨めになる……。おれは、お前に想われる程強く、なれない……』

 

 腐っていく。

 

 (なまぐさ)い泥濘の中で、豊川祥子は微睡(まどろ)んでいる。

 

 悴んでいく心に、火をつけたのは燈の歌だった。

 

 悲哀は怒りへと反転する。

 嫉妬も後悔も、欲に転じる。

 

 坂を転がり落ちた私に残っていたのは、ピアノと、名前だけ。咄嗟に抱きしめた思い出さえも薪として燃やし尽くせば、私はまた坂道を登れるだろうか。

 

 母の人形の前で、私はわざとらしく独りごちた。

 

「音楽のきっかけは、何でしたっけ」

 

 きっと、口元は歪んでいる。

 

 

 

 

 

 

 ♦

 

「お初にお目にかかります。豊川祥子と申しますわ」

「湊友希那よ。……初めまして」

 

「豊川」の名字は、私が考えていたよりも随分強力らしかった。私の後ろから()()が手を回しているような気もするものの、いずれにせよ同じことだ。

 豊川グループが経営している芸能事務所に声をかけて、()()()()をメインにしているシンガーとアポイントメントを取った。

 

 湊友希那。空前のガールズバンド・ムーブメントの真っ只中、シンガーソングライターとしてソロデビューし、以来日本の音楽界の最前線を走っている傑物。ストリーミングの再生回数は8桁以上がずらりと並び、ミュージック配信サービスのランキング上位を取り続けるJ-POP・邦ロックの申し子。少なくとも、明日の寝床さえ不確定な高校生の誘いに乗るような人間ではないことは確かだ。

 

 彼女にとっても豊川の名前は大きいのだろうか。或いは、著名なアーティストや作曲家とのタイアップも多い彼女のことだ、単なる仕事のひとつと割り切っているだけか。どちらかと言えば、後者の方が肌感覚としては近い。

 

「仕事の話だと聞いているのだけど、認識に相違はないかしら」

「ええ、私が立ち上げるバンドのボーカルとして、貴方を勧誘しに来ましたの」

「バンドのボーカル……それは、一過性の、短期的なものではなく、少なくとも数年規模の活動を視野に入れたもの、と受け取って構わない?」

「最低三年。絵を描いております」

「そう。……貴方、運は良い方?」

「貧乏神に取り憑かれたばかりですわ」

 

 彼女は私から目を逸らした。黄金色の瞳がウェイターを追いかけて、コーヒーを注文する。私は目の前に置かれた水のグラスにちらりと目を向けて、首を横に振った。

 

「では、ひとつ運試しをしましょう」

「運試し?」

 

 オウム返しに尋ねた私に、彼女は1枚のコインを示した。

 

「20ペンス硬貨ですわね。古いもののようですが」

 

 表には女王の横顔が、裏には薔薇が刻印された白銅の硬貨が、彼女の指の中で弄ばれる。

 

「コイントスで表──女王の面が上になれば、無条件で貴方の提案に乗るわ」

「……裏が出れば?」

「貴方がひっくり返すことね。余興のようなものよ。大した意味なんか無いわ」

 

 親指の爪に載せられた薔薇が、弾かれて跳ね上がる。私の動体視力ではコインの回転を捉えることはできなかったが、コインが彼女の手の甲に隠れる前に、結果はわかっていた。

 

「裏ですわね」

「……言っておくけれど、私に出目を操作する技術はないわよ」

「ええ」

 

 彼女の手の甲に乗せられたコインには、薔薇が掘られている。テューダー・ローズ。イングランドにおける赤と白の融和。和解の象徴。これから私は、これをひっくり返さなければならない。

 

「構いませんわ。ずっと表が出続けることなんて有り得ませんもの。むしろ、都合が良くってよ」

「それじゃあ、聞かせてもらえる? 貴方が描いている絵の内容を」

 

 届けられたコーヒーに口をつけた彼女が、コインを私の前に差し出した。手付かずのままの角砂糖は、角がひとつ、わずかに欠けている。

 

「仮面バンドを、考えています」

「顔を隠すということ?」

「少なくとも、一年ほどは。私が目指すのは、舞台とバンドの融合ですわ」

「…………バンドに『物語性』を持たせるためのアプローチ、とイメージしたのだけれど、それであっているかしら。もしくは、貴方が舞台という手段を取りたいだけ?」

「両方ですわね。ギターに森みなみの娘を据える予定ですので、貴方や彼女にバンドの色が飲まれないように──」

「なら、戯曲はナシね。MCを寄せるのも仮面を被るのも構わないけれど、物語は曲で、演奏で示すべきでしょう。私に言わせれば、それは逃避よ」

 

 ここは私が妥協できる場面だろうか。まだふわりとした絵だ。湊友希那というカードが手に入るのなら、お釣りが返ってくる。

 

「芝居はお気に召しませんか?」

「私は音楽家よ。貴方も、私のそこを買ってくれたのだと思っていたのだけど」

「それは、そうですが。……戯曲に関しては、考え直しますわ。私とて手段がブレるのは好ましくありません。……湊さんの言葉を借りるのならば、私が描きたい物語を音楽で表現できれば、それで問題ありませんの」

「破談になった場合は、戯曲を進めて貰って結構よ」

 

 戯曲は、ギターとしてアテにしている睦の芝居の実力を加味しての手段だった。彼女の懸念も尤もだから、計画を翻すのに否やはない。この時点で私が最低限残すべきコンセプトは、演者の匿名性だけだった。

 

「……要するに、プロデュース方針は詰められていないと解釈しておくわ。所詮、バンドはバンドだもの。それでも構わない。けれど、……そうね、物語を書きたいと言うのなら、最初に描きたいテーマがあるのでしょう? その構想くらいは聞いても構わないかしら」

「『呪い(のろい)』ですわ。自分自身への呪い。音楽への呪い。運命への呪い。作りかけのデモでよろしければ、お聞かせすることもできます」

「聴かせてくれる?」

 

 今のところ、交渉の手応えはなし。それも当然だった。あまりにも材料が不足している。時間がなかった、なんて言い訳にもならないが、情報も時間も金も足りていない。

 

 イヤホンを手渡して、未完成の音源を再生する。彼女は目を瞑って、三曲分を黙ったまま聞き届けた。

 彼女が──湊友希那という人物が何を欲しているのか、何を目的にこの業界にいるのかさえ、私は知らない。提示できる報酬も、彼女なら独力で手に入れられるだろうものばかりだ。効力があるとすれば、この「豊川」の名前だけ。彼女がそれを魅力に感じないなら、何を言っても無駄だろうと高を括って私はここに来ていた。

 

「安い音源ね」

「……」

「あまり、嫌いじゃないわ」

「ありがとうございます」

 

 彼女がまたコーヒーに口をつける。私も、唇が乾いていた。水で唇を湿らそうとグラスに口をつけて、思わず二口ほど水を飲んだ。喉まで乾いている。緊張のあまり自覚さえしていなかった。

 

「先程、ギターはアテがあると言っていたわね。それ以外は?」

「ピアノ……キーボードと作曲は私が。それ以外は未定ですわ。何よりも、貴方に頷いて頂けなければ話は始まりませんもの」

「そう。私が釣れなければ、他に候補はいるのでしょう? それとも、アタリだけを引いた画用紙を見せびらかして、事務所で1番売れている歌手を引き抜けると過信する世間知らずなのかしら」

「第二候補は白紙ですわ。断られてしまっても、暫くは貴方にまとわりつくことになるでしょうね」

「嘘がヘタね。売れっ子に片端から声をかければ良いでしょうに。まだコンセプトさえ確定していないバンドなら、許容できるボーカリストの属性も多様でしょう。キャスティングなんて呼称するのもおこがましいくらいよ」

 

 湊さんはイヤホンを置いて、ざっくりと私の言葉を切り捨てる。

 無料のソフトに、これまた無料の音源で作った安っぽい打ち込みの曲を聞かせることも、本来は恥ずべきことなのだろう。厚顔無恥にも私が口説いているのは、この国で最も気鋭の歌手なのだから。

 

 彼女は私の曲に対して評価を保留にするような言葉をかけ、それからうんざりしたように息を吐いた。期待外れ、という内心が滲んでいる。

 

「いいえ、私がボーカルに据えたいと思うのは貴方しかいませんわ」

「理由を尋ねても構わない?」

「私が見かけた中で、最もつまらなさそうに歌っているから」

 

 湊さんはぴたりと固まって、暫く思案に耽っていた。

 

「貴方にはそう見えるのね」

 

 瞳に滲む感情は、きっと苛立ちだった。

 

「つまらないと感じているのは貴方の方よ、豊川祥子さん。……貴方が私を調べたように、私も貴方のことを調べたわ。『呪い』の意味するところも、想像することは出来る」

「では、その苛立ちは同族嫌悪なのではなくて?」

 

 アンバーの瞳が細められる。コンシーラーで誤魔化しきれない隈が、彼女の精神状態を窺わせる。

 

「その言葉で私が奮い立てられる、と考えていることが気に食わない。私が貴方に向けるのはせいぜい、哀れみ程度よ」

「憐れむ度量があるのなら、手を差し伸べてくださってもよろしいのではありませんか」

 

 私が苦し紛れに放った一言は、ことのほか、湊さんの動揺を誘ったようだった。

 嘘はついていない。私が湊友希那という歌手に惹かれるようになったのは、彼女があまりにもくだらなさそうに歌うからだった。調べるにつれ、彼女はもう、音楽が嫌いなのではないかとさえ思った。才能があるから音楽を続けているだけで、きっと現状を好く思ってはいないだろう。

 

「私が後輩の面倒を見るタイプに見える?」

 

 答える前に、湊さんはコインを放った。無造作にテーブルをくるくると回ったコインは、先程とは反対の向きに倒れる。

 

「……つまらないわ」

「合意と受け取っても?」

「マネージャーに話を通しておいて頂戴。そういうのは得意でしょう」

 

 安堵の息を吐いた。

 話を通すのは難しくない。本人の同意さえあればどうにでも。だからこの場を乗り切ったも同然で──、そうなると、欲が生える。

 

 

 

「同族嫌悪であれば……湊さん。貴方の音楽のきっかけを、教えてくださいます?」

「答えてどうなると言うの」

「さあ?けれど、少しくらいは分かり合えるかも」

 

 

 

 

 

 




内容メモ
豊川祥子
「Ave Mujicaやりますわよ」

湊友希那
Roseliaバッドエンドルート
FWFへ直進したソロボーカリスト
Roseliaを経由しなかったことで、父親と同じく「売れる音楽」に染まっていく

若葉睦

原作通り。
元子役、という捏造あり。
モは千聖おねえさんに懐き気味

白鷺千聖
Pastel*Palettesがファーストライブでずっこけた世界線
細々と女優業とタレント業を続けているものの冷め気味

大和麻弥
スタジオドラマー続行中
アイドルにトラウマ気味
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