ミステリアス美少女(予定)のアーカイブ   作:むめい。

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9話 知らない天井だ(n回目)

 目を開けた瞬間、鼻に消毒液の匂いが入ってきて、あ、ここ保健室だって分かった。白い天井。薄いカーテン越しの光。ベッドのシーツの感触。どれも見慣れてるはずなのに、今日はやけに輪郭がはっきりして見える。

 

 俺は息を吸ってみる。胸が焼けない。喉の鉄の味がない。あれだけ痛かったはずなのに、身体の奥が静かだ。指を動かして、腕を曲げて、上半身を起こしても、痛みが追いかけてこない。

 

 ……回復、してる。

 

 おかしい。普通なら、ここまで戻るのに時間が要る。血だって。痛みだって。なのに、動ける。歩けるどころか、たぶん走れって言われても走れるくらいには。

 

 これは神秘のおかげかな。

 

 そう思った瞬間、また嫌なところに引っかかった。神秘が定着したのは黒服の言葉だ。でも、ヘイローは出てない。なら今の回復は何だ。神秘はあるのに、証明がない。そのズレが気持ち悪い。

 

 ベッドの横に置かれた椅子に、ホシノが座っていた。寝起きみたいな顔のまま、でも目だけはちゃんと起きてる。俺が起きたのを見ると、ほっとしたみたいに息を吐いた。

 

「良かったぁ……外で話しすぎちゃったね」

 

 軽い声で言うくせに、言葉の中身が重い。外で話しすぎた。つまり階段でのやり取り、全部この人の中では確定してるってことだ。俺が誤魔化そうとした部分も含めて。

 

「……すみません」

 

 とりあえず謝る。正解とかじゃなくて、反射だ。

 

 ホシノは笑って、首を振る。

 

「ううん。起きたからいいよぉ」

 

 そのまま、俺を上から下まで見る。顔。喉。胸。手。さっきと同じ確認の仕方。優しいのに、正確で、逃げ道がない。

 

「うん、大丈夫そうだね」

 

 言い切ってから、間を置かずに続ける。

 

「じゃあさっきの続き、お願いね? ……ここで。私の前で」

 

 来た。

 

 “みんなの前で”じゃないのに、“みんな”が見えてる言い方だ。ホシノの中では、アビドスの全員がいつも同じ方向を向いている。向かせなきゃいけないって思ってる。たぶん、先生がまだ来ていない時点でもう。

 

 それが分かるからこそ、俺は言葉に詰まる。

 

 黒服のことを話すのは危険だ。ホシノは勘がいい。動くと決めたら速い。しかも、自己犠牲を選びやすい。原作を見た俺は、それを知ってる。知ってるから止めたい。

 

 でもここで嘘をついたら、もっと面倒になるのも分かる。嘘を重ねた瞬間この人は余計に深く潜る。そういう人だ。

 

 俺は息を吐いて、視線を落とした。自分の手が、妙に落ち着いて見える。さっきまで死にかけてたのに。落ち着きすぎてるのも怖い。

 

「……ホシノさん」

 

 呼ぶと、ホシノが「ん?」と返事をする。急かさない。急かさないから逃げられない。

 

「先に確認していいですか」

 

 ホシノは小さく頷いた。

 

「俺、どのくらい寝てました?」

 

 ホシノは指でざっくり時間を測るみたいな仕草をして、眠そうに笑う。

 

「そんなに長くないよ? 。ちょっとだけ。ほんとに、ちょっと」

 

 ちょっと。信用できない単語だ。でも短いなら短いで、やっぱりおかしい。短時間でここまで回復してるなら、神秘が身体の中で勝手に仕事してるってことになる。

 

 ホシノは、もう一度だけ柔らかく言った。

 

「で、さっきの続き」

 

 逃げ道は閉じられた。

 

 俺は顔を上げて、ホシノの目を見る。ここで誤魔化すのは、もう無理だ……よし、正直に隠そう。

 

「……黒服に会いました、それ以上のことは話せません」

「……そっか」

 

 ホシノは否定もしなかった。驚きもしない。ただ、ゆっくり瞬きをしてから、まっすぐ俺を見る。

 

「アテナくんが、アビドスのために黒服に体を差し出したんだって。……私、そう思ってる」

 

 息が、喉の奥で止まる。

 

 軽い声だ。いつも通りの、眠たそうな調子。けれど言葉の芯は固い。冗談ではないし、探りでもない。彼女なりの結論だ。

 

 俺は視線を逸らさなかった。逸らしたら肯定になる気がしたからだ。かといって、正面から受け止める覚悟も足りていない。

 

 ホシノは続ける。

 

「でもね、理由がわからないんだ」

 

 小さく、首を傾げる。

 

「だってさ、私たち、まだ会って一日も経ってないよ? それなのに、そこまでする理由って、なんなのかなって」

 

 責める響きはない。ただ純粋な疑問。だからこそ鋭い。

 

 保健室の空気が、やけに澄んでいる。消毒液の匂いが鼻に残る。俺の回復したはずの身体が、今さらになって妙に重い。

 

 理由。

 

 そんなもの、説明できるはずがない。

 

 原作を知っているから? 

 未来を知っているから? 

 この場所が、あの結末に向かうことを知っているから? 

 

 言えるわけがない。言えば全部が壊れる。

 

 俺は、少し黙った。

 

 時間を稼ぐためじゃない。本当に、言葉を探している沈黙だ。

 

 ホシノは急かさない。視線だけが、静かにそこにある。逃げ道はないけれど、追い詰められている感じとも違う。ただ待たれている。

 

 胸の奥で、いくつかの選択肢が浮かんでは消える。

 本当を言うか。

 半分だけ言うか。

 また曖昧に逃げるか。

 

 どれも正解じゃない。

 

 俺はゆっくり息を吐いた。指先が、シーツをわずかに掴む。

 

 ……どう答える。

 

 喉の奥で言葉が形になる前に、もう一度だけ、ほんの一瞬だけ目を閉じた。

 

 まぶたの裏で一瞬だけ考える。正直に言う選択肢は、最初から除外だ。だって無理だろ。

「将来的に美少女になるために黒服の実験受けました」なんて、どういう顔で言えばいい。どういう理屈で納得させる。アビドスの危機より個人的欲望を優先しました、なんて告白、英雄譚どころか即退場だ。いや別に英雄目指してないけど。

 

 目を開ける。ホシノはまだ同じ顔で待っている。焦らない。責めない。ただ、逃がさない。

 

 ……はあ。

 

 こういうとき、人は便利な言葉に縋る。綺麗で、整っていて、聞こえのいいやつ。たぶん今から俺が言うのも、それだ。

 

「ありきたりな理由です」

 

 自分で言っててちょっと笑いそうになる。ほんとにありきたりだ。

 

「受けた恩は必ず返す。それが俺の信条なんで」

 

 口に出した瞬間、嘘ではないと気づく。全部じゃない。でも嘘でもない。ここに来てから、あいつらは俺を受け入れた。状況も知らないまま。名前も素性も曖昧な転校生みたいな奴を。

 

 借りはある。確かにある。

 

 ホシノは、少しだけ目を細めた。

 

「恩、かぁ」

 

 疑っているというより、測っている。重さを。温度を。

 

「それだけで、あそこまでやる?」

 

 やる。やってしまう。自分でも呆れるくらい、衝動で動くタイプだって自覚はある。でもそれをそのまま言うと子供っぽい。

 

 だから肩をすくめる。

 

「性分なんです」

 

 本当は違う。半分は未来を知っているからだ。半分は自分の欲望だ。半分はただムカついたからだ。計算が合わない。三つもある時点で理屈は破綻してる。

 

 けど、それでも。

 

「助けられるなら助けたい。借りっぱなしは気持ち悪い。それだけです」

 

 ホシノは、しばらく黙って俺を見ていた。眠そうな目の奥が、少しだけ揺れる。

 

「……ふぅん」

 

 長い吐息。考えている音。

 

「アテナくんってさ」

 

 唐突に、少しだけ柔らかい声になる。

 

「真面目だよねぇ。変な方向に」

 

 変な方向。否定できない。

 

「あと、ちょっとだけ自己評価が低い」

 

 ぐさっと来た。やめてくれ。そこは突かれると痛い。

 

「自分が傷つくのは計算に入ってない顔してるもん」

 

 その言葉に、胸の奥がわずかに軋む。計算に入ってないわけじゃない。ただ優先順位が低いだけだ。自分の体より、状況のほうが重いだけ。

 

 ……いや、違うな。

 

 ほんとは。

 

 美少女になるために実験受けるやつが、自己犠牲の精神を語るなって話だ。

 

 内心で自分にツッコミを入れながら、俺は視線を逸らさずに返す。

 

「買いかぶりすぎです」

 

 ホシノは小さく笑う。

 

「そっか」

 

 それ以上は踏み込まなかった。問い詰めない。暴かない。たぶん完全には納得していない。でも、今はここまででいいと判断した顔だ。

 

「でもね」

 

 椅子から立ち上がりながら、ぽつりと続ける。

 

「アビドスのためって言うなら、ちゃんとアビドスを頼ってよ?」

 

 振り向きざまに、眠そうな目がまっすぐ俺を射抜く。

 

「一人で背負うのは禁止。これは部長命令」

 

 軽い口調。だけど、逃げ道のない規則。

 

 ……やっぱりこの人、面倒くさい。優しくて、勘が良くて、諦めが悪い。

 

 だからこそ。

 

 守りたいと思ってしまう。

 

 いや、違うな。

 

 守りたいとかじゃない。

 

 勝手に終わらせたくないだけだ。あの未来を。

 

 俺はベッドから足を下ろす。床の冷たさが現実を教える。

 

 神秘がどうとか、黒服がどうとか、ヘイローがどうとか。全部後回しだ。

 

「分かりました、部長」

 

 とりあえず従順な顔をしておく。

 

 本音は隠したまま。欲望も隠したまま。未来も隠したまま。

 

 ……ここからが本番かな。

 

 まだ何も終わってない。

 むしろ、やっとスタート地点だ。

 

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