『限界まで加速』
深夜のキヴォトス郊外。街灯もまばらな峠道の入り口で、私は愛車のアクセルを深く踏み込んだ。
乾いたエキゾーストノートが山に響き、背後に積まれたエンジンが猛烈なトルクを発揮する。スピードメーターの針はあっという間に『120km/h』を指した。
「ふふっ、夜のドライブというのも趣があって良いですね。……ん? えっと、先生?」
助手席に優雅に座っていたハスミが、窓の外を猛スピードで流れていく木々を見て、戸惑ったように瞬きをした。
「え? あの、少し景色が流れるのが速すぎませんか……? それにエンジンの音が……えっ、メーター、120キロ!? おかしいですよね? ここ、高速道路じゃなくて曲がりくねった山道ですよね!?」
ハスミはまだ事態を完全に把握しきれておらず、シートベルトを握りしめながら「えっ? えっ?」と首を傾げている。
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『ヘアピンでのドリフト』
「先生、前! カーブ! 急カーブです!! ブレーキを!!」
ハスミの悲鳴が響く中、私はコーナー進入の直前でフルブレーキング。強烈なノーズダイブで前輪に荷重を移し、ステアリングを鋭く切り込む。MR特有のピーキーな挙動をねじ伏せ、リアタイヤを意図的に横滑りさせた。
「ひゃああああっ!?」
スキール音が山中に響き渡る。車体は完全に横を向きながら、完璧な『アウト・イン・アウト』のラインをトレースしてクリッピングポイントを掠めていく。
横滑りしているにも関わらず、コーナー中の速度計は『時速90km』をキープしていた。
「な、なんで横を向いて進んでるんですかぁ!? それに速度が全然落ちてないっ!! ああっ、遠心力が!!」
凄まじい横Gによって、ハスミの豊かな胸がシートベルトに深く食い込む。
うーん絶景。
「きゃあっ!? せ、先生! 車体が左に傾いてるのって、ま、まさか私の体重が重いからですか!? 私のせいでバランスが崩れて……っ! ご、ごめんなさ……いやちがう! これ遠心力です!! 殺す気ですか!!」
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『追走者現る』
コーナーを抜け、ストレートで一息ついたハスミだったが、バックミラーに映る『二つの鋭いヘッドライト』に気づいて息を呑んだ。
「せ、先生……! 後ろから、ものすごいスピードで別の車が迫ってきています! 煽られているんじゃ……っ、道を譲りましょう! 早く左に寄せて!」
私はルームミラーをチラリと一瞥した。
低いシルエット。独特の重低音を響かせるエンジン。
ジャガーか……音からして普通の車じゃない。チューニングされている。というかたぶん
私はハスミの懇願を完全に無視し、無言のままシフトダウン。アクセルを床までベタ踏みして『バトル』の意思表示をした。
「えええええ!? なんで加速するんですか!? 売られた喧嘩を買わないでください!! 私、正義実現委員会ですよ!? 公道での違法なレースなんて絶対にダメぇぇ!!」
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『5連続ヘアピンカーブ』
目の前に迫るのは、この峠最大の難所である『5連続ヘアピンカーブ』。
私はステアリングを切り返し、イン側の側溝のフタが開いている「溝」に、内側のフロントタイヤを意図的に引っかけた。
「ひぃぃぃぃ!? 落ちる! タイヤが溝に落ち……えっ!? 引っかかってる!?」
遠心力を溝の縁で打ち消すことで、通常ではあり得ないオーバースピードのまま、車体は弾丸のようにコーナーをクリアしていく。右へ、左へ、凄まじいGの連続がハスミの全身を容赦なく揺さぶる。
「ああっ! 羽が! 私の羽がドアに押し潰されるぅぅ!! っていうか後ろのジャガーも同じことやってついてきてますよ!? この山の走り屋たちは全員頭のネジが吹き飛んでるんですか!?」
驚いた、まさか溝走りをコピーしてくるとは。
彼女もなかなかやるな。普段からここを走り込んでるのか、スキルが飛びぬけているのか……。
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『複合コーナーで差をつける』
バトルの決着は、出口のRがきつくなる複雑な複合コーナーだった。
後ろのジャガーは限界を超えた突っ込みを見せるが、重いフロントが外側に膨らむアンダーを生み出す。
対して私の愛車は、エンジンを車体中央に積むMRのトラクション性能を極限まで活かし、リアタイヤを路面に押し付けながらロケットのようにコーナーを脱出した。
圧倒的な立ち上がり加速で、ジャガーとの距離が一気に開く。
バックミラーの向こうで、敗北を悟ったジャガーがハザードランプを点滅させ、スゥーッと減速していくのが見えた。
「はぁっ、はぁっ……! う、後ろの車、見えなくなりました……! か、勝った……?」
息も絶え絶えのハスミが、無意識に勝利の安堵を漏らす。
「……ハッ!? い、いや、勝ったじゃありません! 私は何を喜んでいるんですか!」
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『手放しドリフト』
連続コーナー区間を抜け、山のふもとの街の明かりが見えてきた。
速度も落ち着き、ストレートを流す車内で、ハスミはシートに深く背中を預けて心底ホッとしたような深いため息をついた。
「はぁぁぁ……死ぬかと思いました……。やっと、やっとふもとに……。先生、二度と、二度と私をこんな車に乗せな──……」
最後の最後。ふもとの直前にある、見晴らしの良い緩やかなヘアピンカーブ。
私はブレーキングと共に車体を横に向けると、突然ステアリングから『両手』を完全に離し、実は最初からずっと置いてあった紙コップの中の紅茶を啜る。
正直私も最初なんでできたのか全く理解できない、究極の『手放しドリフト』。
ハンドルは私の手を離れ、シュルルルルッ! と勝手に猛烈な勢いで逆回転を始めている。
「……えっ?」
安心しきっていたハスミの視界に、優雅に紅茶を啜る私の姿と、勝手にグルグル回るハンドル、そして横を向いたまま迫り来るガードレールが飛び込んできた。
「せ……」
ハスミの顔から、一瞬にして全ての血の気が引いた。
「先生ぇぇぇ!? なんで手ぇ離してるんですかぁぁぁ!!? ハンドル!! ハンドル握って!! ギャアアアアアアアアアッ!!!!」
静かなふもとの街に、清楚で冷静な正義実現委員会の副委員長とは思えない、絶望に満ちた絶叫がこだまするのだった。
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「はぁ……先生の運転が荒すぎます」
「おや、ハスミ。どうしたんだい?」
「セイア様、いや……先生の運転が……」
「それは災難だったね。ぜひとも私の車に乗るといい。見たまえ、私の愛車だ」
「……ジャガー……?」
終わり