ネタ帳   作:タロットゼロ

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4月7日--対人屋内訓練-葉隠透編

一階から吹き抜けへ続く中央通路は、休日のショッピングモールを模しただけあって、無駄に広く、そして妙に静かだった。

本来なら買い物客の喧騒が満ちるはずの空間にあるのは、人工照明の白い光と、訓練用に配置された無人の店舗群だけ。

屋内訓練場――ショッピングモール区画。

開始前にヴィラン側へ与えられた五分間の準備時間。

その限られた猶予の中で、孫玄麗は慌てる様子もなく通路を歩いていた。

足音だけが、硬い床に小さく反響する。

「さて……」

爆弾の設置位置までは、まだ少し距離がある。

急ぐ必要はあるが、無駄に走れば気配を残す。

玄麗は視線だけで周囲を流しながら、利用できるものがないかを探していた。

そのときだった。

工事中を想定して置かれていた資材置き場の隅に、無造作に積まれた袋が目に入る。

灰色の厚手の袋。

表面には大きく印字された数字――二五kg。

「……生セメントか」

しゃがみ込み、袋の端を軽く叩く。

中身はしっかり詰まっている。

重量も十分。

持ち上げれば、ずしりと肩に重みが乗った。

普通の生徒なら顔をしかめる重さだが、玄麗は眉ひとつ動かさない。

むしろ、その黄金の瞳がわずかに細まった。

「これは良いね」

小さく呟く。

何か使い道を思いついたとき特有の、静かな声音だった。

そのまま袋を肩へ担ぎ直し、何事もないように再び歩き出す。

目指すのは、爆弾が設置されたエリア。

広い通路を抜けながら、黒い半纏の裾がわずかに揺れた。

その背中には、二十五キロの灰色の袋。

そして表情には、まだ誰にも読ませない算段が浮かんでいた。

爆弾の設置エリアは、モール中央のイベントスペースを模した吹き抜け脇だった。

広い床面にぽつんと置かれた訓練用爆弾は、無機質な金属光沢を放ちながら静かに存在している。

玄麗は肩に担いでいた生セメントの袋を足元へ降ろし、周囲を一度だけ見回した。

人影はない。

時計は静かに準備時間を削っていく。

「……二メートル――いや」

袋の口を裂きながら、小さく呟く。

「念のため、三メートルにしておくか」

灰色の粉がさらりと床へ落ちる。

彼女は袋を傾けながら、爆弾を中心にゆっくりと円を描くように歩いた。

薄く、均一に。

厚く盛れば不自然に目立つ。

だが薄すぎれば意味がない。

床に溶け込むぎりぎりの量を見極めながら、慎重に撒いていく。

半径三メートル。

灰色の輪が、白い床の上にうっすらと浮かび上がった。

遠目には、工事現場の粉塵が残っている程度にしか見えない。

最後に残った粉を軽く払うと、玄麗は袋を脇へ寄せた。

そして何事もなかったかのように爆弾へ背を預ける。

腕を組み、静かに目を細める。

広い訓練場は、息を潜めたように静まり返っていた。

まだ開始の合図はない。

だが、その沈黙の向こうに、やがて誰かが来る。

「さて……」

黄金の瞳が、通路の奥へ向けられる。

「どこから来るかな」

落ち着き払った声だけが、静かな空間に小さく落ちた。

 

(確か、葉隠――だったか)

爆弾に背を預けたまま、玄麗は視線だけを静かに巡らせる。

吹き抜けを渡る人工照明。無人の店舗。静まり返った通路。

一見すれば何も動いていない。

だが、相手が相手だ。

(あいつは必ず直接来る)

葉隠透。

透明化という厄介な個性を持つが、結局のところ爆弾を確保するにも、こちらを拘束するにも、最後は接触距離まで踏み込む必要がある。

遠距離で完結する手札はない。

ならば、来る。

必ず、この三メートル圏内へ足を踏み入れる。

(捕縛にしろ、爆弾確保にしろ、近づくしかないんだからね)

玄麗は表情を変えない。

ただ、時折わずかに首を動かし、周囲を確認する。

静かに、気配を探る。

そして――

左後方。

およそ百度。

灰色の床に、ほんのわずか。

足の爪先三本分ほどの浅い跡がついた。

撒かれたセメントの薄膜が、確かに乱れた。

(……いた)

視線は向けない。

悟らせれば意味がない。

むしろ、ここで必要なのは――

一瞬の迷い。

一瞬の硬直。

それが欲しかった。

玄麗は唐突に声を張り上げた。

「見つけた!!」

同時に、爆弾から背を離し、両腕を大きく広げて足跡の方向へ一気に踏み込む。

まるで確信を持って掴みにいくような勢いで。

広げた腕が空気を切る。

足元のセメントがわずかに舞い上がる。

目の前には何も見えない。

だが、その「何もない空間」に向かって、玄麗は迷いなく体ごと突っ込んだ。

 

次の瞬間、何もないはずの空間から、少女の悲鳴じみた声が弾けた。

「なんでわかったの!?」

同時に、床へ新たな足跡が刻まれる。

一歩、二歩。

驚いて後ずさったのだろう。

灰色の薄膜の上に、今度ははっきりと足跡のの輪郭が浮かんだ。

「やっぱりそこか」

玄麗の口元がわずかに緩む。

広げた腕をそのまま閉じるようにして、一歩踏み込む。

姿は見えない。

だが、足跡と声がある。

十分だった。

「驚くと、どうしても体は逃げる」

足元を見ながら静かに言う。

「そして逃げれば、痕跡は増える」

セメントの円の中に刻まれた複数の足跡は、もはや隠しようがない。

透明であっても、そこに「いる」と証明していた。

 

増えた足跡は、もはや迷う余地がなかった。

玄麗は踏み込みながら、わずかに体をひねる。

次の瞬間、何もない空間へ伸ばした腕が、確かな感触を捉えた。

「きゃっ!?」

細い腕。

逃げようとする力が咄嗟に加わるが、一瞬遅い。

そのまま体勢を崩させるように引き寄せ、足を払う。

軽い衝撃とともに床へ倒れる気配。

見えない相手でも、位置さえ掴めば変わらない。

玄麗は即座に拘束用テープを引き抜き、逃げる隙を与えず手首へ巻きつけた。

「確保」

訓練用テープが固定される。

透明な相手の姿は見えないままでも、そこに確かに葉隠透がいることだけは分かった。

「ううぅ〜……せっかく完璧だと思ったのに……」

悔しそうな声が床のあたりから漏れる。

玄麗は軽く息を吐き、足元の見えない相手へ視線を落とした。

「全部脱いできたのかい?」

ほんの少しだけ、口元に苦笑が浮かぶ。

「やるとは思ってたけど、ほんとにやるとはね。すごいじゃないか」

その声音には皮肉よりも、純粋な感心が混じっていた。

「そこまで徹底するなら、足元をしっかりと見るんだったね」

灰色のセメントの上には、くっきりと残された足跡。

透明であっても、それだけは隠せなかった。

 

玄麗の視線の先。

灰色の床に残る、くっきりとした足跡。

葉隠は拘束されたまま一瞬黙り込み、それから悔しそうな声を漏らした。

「……え?」

見えない顔が、床の方へ向けられる気配。

「うそ、これ……セメント?」

「そう」

玄麗は足元の薄い灰色の輪を軽くつま先でなぞった。

「透明でも、誤魔化せないものもある」

「そんなのアリ!?」

「なんでなしなんだい」

淡々と返す。

「真正面から来ると思っていたよ。君の個性なら、それが一番確実だから」

葉隠はしばらく沈黙したあと、

「うわ〜……やられたぁ……」

と、力なく肩を落とした気配を見せた。

「全部脱いでくれば完璧だと思ったのに……」

「その発想自体は悪くないよ」

玄麗は少しだけ口元を緩めた。

「むしろ徹底していて良い。普通はそこまでやらない」

「褒められてるのか微妙なんだけど!」

「褒めてるよ。少なくとも、手を抜いてはいない」

そのとき、訓練終了を告げるアナウンスが訓練場へ響いた。

無機質な電子音が広い吹き抜けに反響する。

玄麗は拘束テープを確認しながら、小さく息を吐く。

「次は足元以外にも気を配るといい」

「……次は絶対引っかからないからね!」

悔しさを滲ませた声。

だが、その中には次への闘志もあった。

玄麗は爆弾へ背を預け直しながら、静かに目を細める。

「期待してるよ」

灰色の足跡だけが、訓練の痕跡として静かに床へ残っていた。

 




短編はここまでにして、まだまだ予定は未定ながら次は本編を書いていこうと思います。短い間でしたが。読んでくださりありがとう御座いました。
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