彼は誰時、語られるもの   作:伊勢谷照

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第壱話
ただそこにあるもの 其の壱


 

 藤ヶ崎覚《ふじがさきさとる》は、莉緒が勤務する病院に後期研修にやってきた研修医だった。見上げるほどの長身に、注文仕立《ビスポーク》のシャツとスラックスを合わせた、如何にも良家の生まれといった雰囲気の青年だった。

 医学部では成績優秀、見立ても手技も優秀で、患者の評判も良い。しかし患者と話し込むせいで、診察も検査も、何をするにも時間がかかる。聞けば、彼は弥沼という人口数千人規模の小さな町の生まれらしい。実家は明治の時代から医師として開業し、現在も祖父、父が現役で医者を務めているそうだ。  

 莉緒からすれば、物語の登場人物のような生い立ちである。訛りが強い口調も、気安い雰囲気も、根気強さも、彼がこれから受け継ぐ場所では必要なものなのだろう。しかし莉緒が働くのは救急外来を備える総合病院の内科であり、深夜の緊急入院の際に「大変でしたねえ」などと家族と打ち解けていられては、時間がどれほどあっても足りない。

 人間的には好青年として評価できるが、早く研修を終えて故郷に戻ってほしい─それが多くの職員の総意だった。

 

 

「弥沼ってどんなところなんですか?」

 

 とはいえ、田舎から来た裕福な青年は常に注目の的だ。僅かに空いた時間に彼が語る故郷の話は、莉緒も思わず看護記録を書きながら聞き耳を立てるような内容だった。

 弥沼─宮城県民ならば知らぬ者のいない場所だ。山に囲まれた静かな町は、地図サイトのパノラマ写真においてすら、深い霧に覆われている。どこか排他的かつ神秘的な雰囲気を持った地から現れた彼もまた、異世界からの来訪者のように見る者の心を惹きつけたのだ。 

 

「うーん、とにかく田舎ですよ。コンビニもファミレスも無いし、家も古いのばり(ばかり)あって」

「なんであんな霧深いの?」

「あれは、座貴《くらき》のお山の息なんですよ」

「わー、民話っぽい」

 

 そう、彼の話は民話そのものだった。大昔、奥羽山脈の一角にそびえる山の頂上にひとりの男が倒れていた。麓に住まう人々は彼を介抱し、丁重にもてなした。すると男は己を天より足を滑らせてしまった神と名乗り、人々への礼として頂上の沼に身を沈め、付近一帯の守護神となることを約束した。以来貴き神が座す山として、そこは座貴山《くらきやま》と呼ばれるようになった─等々、挙げればキリがない。

 職員は勿論、それを「物語」として聞いていた。しかし莉緒がその認識に疑念を持つようになったのは、ある冬の日の夜だった。

 

「あの、鷹村さんおひとりですか?」

 

 夜勤帯─ふらりと病棟を訪れた藤ヶ崎が、そう尋ねてきた。もうひとりの看護師も、看護助手も、ナースコールの対応に向かったばかりで、ステーションには莉緒だけだった。

 それを伝えると、彼は「ふぅん」と蛍光灯の僅かな明かりに照らされた廊下の奥に目を向ける。

 

「外来は良いんですか、先生」

「一応休憩中ですし……多分、あと30分は誰も来ないんじゃないかな」

 

 藤ヶ崎が当直の日は夜間外来の患者が少ない。不思議なもので、医師によって「この人が当直のときは患者が多い、少ない」ということがあるのたが、彼はとくに顕著だった。

 

 

「鷹村さんは何をされてるんですか?」

「インシデントレポートですよ。個室の菊池さんが点滴を自己抜去してるのを見つけて……」

 

 それは、誤嚥性肺炎で入院した高齢男性患者だった。認知症を患っており、夜間になると「るい子〜」と女性の名前をしきりに叫ぶため、個室に移動になったばかりである。

 

「今日、菊池さんの担当でしたっけ?」

「いいえ。担当看護師が抑制帯を巻き直すのを忘れたんです。私はナースコール対応で来室して……いえ、忘れてください」

 

 インシデントレポートは、基本的に第一発見者が作成する。なぜミスをしていない自分が勤務時間に仕事を増やされなければならないのかと、口をついた不満をすぐに撤回した。

 

「別に言いふらしませんよ」

 

 藤ヶ崎は朗らかに笑って、ナースステーションに入ってくる。相方の看護師も、看護助手もまだ戻らない。病棟はしんと静まり返っていた。

 

「それで、どうかされたんですか?」

「んー、菊池さんの書類関係ってどこでしたっけ」

「先生は菊池さんの主治医じゃないでしょう。無断では見せられません」

 

 菊池は、藤ヶ崎の指導医の担当患者だった。

 

「んだけどさー……あ、したっけさ、ファイルの中に変なのあったら寄越してくれませんか?」

「変なの?」

「具体的に何かは僕も分かんねんだけど、ね、とにかく、多分見たらすぐ分かりますから」

 

 院内の職員でも、業務と関係のない個人情報の閲覧は禁じられている。そして莉緒は、菊池という男性患者の、今晩の担当看護師だ。だから彼は、莉緒に頼んできたのだろう。

 莉緒はじろりと藤ヶ崎を見上げるが、彼は会議用の椅子に座って困ったように笑うばかりだ。

 意図はまったく理解できなかったが、ひょっとして別の患者の書類を誤って菊池用のクリアホルダーにしまったのだろうか。藤ヶ崎ならやりかねないと思いつつ、莉緒はデスクの引き出しを開け、菊池の名前が背表紙に貼られたクリアホルダーを引っ張り出した。

 しまわれているのは、入院同意書、検査同意書……そういった手書きの書類たちだ。特におかしいところはないもない。ぺらりぺらりとページをめくって数秒、目の前に飛び込んできた光景に莉緒はぎょっと仰け反った。

 

【さがしています!】

 

 目につくのは、青いゴシック体の文字。そして笑顔の若い女性が映る白と青の写真。それは1枚の古びた青焼きポスターだった。

 女性の名前や年齢、身長、居住地、そして捜索を呼びかける文言が綴られている。

 

「……ああ、これこれ」

 

 

 ぬっと頭の上に影が落ちる。藤ヶ崎がポスターを覗き込んでいた。

 

「先生、これなんですか?先生が入れたんですか?」

「違うよ。なんかさ、たまに病室のドア開いてっときに見かけてたから、他にもあんのかなって」

「い、意味わからないんですけど……菊池さんが貼ったんですか?」

 

 おっかなびっくり、ポスターに視線を戻す。女性の名は「菊池るい子」、年齢は17歳、行方不明になったのは昭和42年─60年ほど前の、今日この日だった。

 

「他にも見かけたらこっそり投げて(捨てて)あげて」

「いや、あの、説明してください」

「したら信じてくれんの?」

 

 黒目がちな視線に、どこか冷たい色が宿った。

 莉緒はその深い黒に息を呑み、やがて小さく頷く。

 

「ほんとぉ?」

「ほ、ほんとです。んだって、私さっき明日の検査の同意書確認したので……そのときはこんなの無かったです」

 

 藤ヶ崎の訛りに引っ張られつつ何とかそう訴えると、やがて彼は隣のデスクの椅子に座り、ポケットから私物のスマートフォンを取り出した。

 

「あれね、菊池さんの妹さんなんですよ」

「あの、るい子さんって方?」

「んだんだ(うんうん)、ほら」

 

 突き出されたディスプレイに映っていたのは、未解決事件を取り扱ったオカルト系の動画チャンネルだった。サムネイルのひとつに、ファイルの中にあるのとまったく同じデザインのポスターと、「◯◯市少女行方不明事件」「未解決の真相とは?」というおどろおどろしいフォントの文字が並ぶ。

 

「これは、あの人の心残りなんですよ」

 

 そのとき、コール対応に行っていた2人が戻ってきて、藤ヶ崎はさっと立ち上がってしまった。

 

「それ、処分してあげてください。ほかにも、見つけたらお願いします。見ても辛いだけですから」

 

 そうして彼は白衣を翻して暗い階段の方に去って行ってしまった。しかし手の中には、ざらついた感触のポスターがはっきりと残っていた。

 

 

 

 それ以来、例のポスターを病棟の廊下や菊池のベッドサイドボードの上、何気ない場所で見かけるようになったが、不思議と、他の看護師や看護助手の目には映っていないらしかった。

 そしてポスターを剥がすようになってから、菊池の精神は徐々に安定していった。妹の名を叫ぶことも減った。まるで、ポスターの形をした悲しみが剥がれていくように。

 

「鷹村さんは、分かる人なんですねえ」

 

 ポスターを剥がしながら、藤ヶ崎が言ったことがあった。

 

「みんな、やり方が分かれば見えるし聞こえるんですよ。んでも、分かる人は少ないんです」

「私には霊感があるってことですか?」

「みんなありますよ。使い方を知らないだけで」

 

 

 菊池はやがて、入院当初の様子が嘘のように、穏やかな様子で過ごし、転院先が見つかる前に息を引き取った。その頃には、ポスターが見つかることもなかった。

 

 

 

 

 そして秘密の共有は、2人の距離を縮めた。

 診療所を共に継いでほしいと彼に言われたのは、それから半年後のことだった。

 

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