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轟音が止やみ、奈落宮に静寂が戻った。
平坦に均ならされた地面には、白目を剥いて気絶した餓狼騎士団の5人が転がっていた。
彼らは何もできなかった。ウェンディが地形を変え、放った一撃の余波だけで、王国最強の処刑人たちは文字通り「掃除」されたのだ。
「……すげえ。一瞬かよ」
ナツが呆然と呟く。
ミラジェーンも、ルーシィも、言葉を失っていた。双竜戦で見せた対人戦の強さとはまた違う、地形そのものを支配する規格外の魔法。
「ば、化け物だ……」
アルカディオスが震える声で漏らす。味方であるはずの少女から感じる底知れぬ畏怖に、傷の痛みも忘れて後ずさった。
当のウェンディは、乱れたローブの裾をパンパンと払い、冷徹に告げた。
「障害排除完了。……行きましょう、出口はあちらです」
彼女は何事もなかったかのように先頭に立って歩き出す。
その背中は、以前よりも少しだけ遠く、冷たく見えた。
ウェンディの案内で、一行は奈落宮の出口と思われる巨大な扉の前までたどり着いた。
だが、そこには予期せぬ先客がいた。
「あそこに、誰か倒れてるよ!」
ハッピーが指差す。
扉の前でうずくまるように倒れていたのは、フードを被った女性だった。
ナツたちが駆け寄ると、女性はうっすらと目を開けた。その顔を見て、全員が息を呑む。
「え……嘘でしょ……?」
ルーシィが自分の顔を触りながら後ずさる。
そこにいたのは、ボロボロの服を着た、もう一人の「ルーシィ」だった。
「私が……二人……?」
混乱する一同に、未来から来たというルーシィは、涙ながらに真実を語り始めた。
エクリプスの扉は、400年前の世界と繋がり、そこから一万ものドラゴンがこの時代に押し寄せてくること。
そして、彼女のいた未来では、国も、ギルドも、大切な仲間たちも、全てがドラゴンの炎に焼き尽くされてしまったこと。
「みんな……死んじゃったの。ナツも、グレイも、エルザも……みんな……」
未来ルーシィの慟哭が、冷たい石壁に反響する。
あまりに絶望的な未来に、ナツたちは言葉を失い、拳を握りしめるしかできない。
その話を聞いていたウェンディは、一歩引いた場所で、フードを目深に被ったまま壁に寄りかかっていた。
表情は見えない。だが、その内側では、凍てついた心が激しい音を立ててひび割れていた。
(全部、焼かれる……?)
脳裏にフラッシュバックする、天狼島の記憶。
空を覆い尽くす黒い翼。何もできずに吹き飛ばされた無力感。
そして、この7年間、西の大陸で見てきた数多の戦場と死。
(させない)
ウェンディの中で、冷たい怒りの炎が青白く燃え上がる。
師匠アイリーンは言った。「感情はノイズだ」と。
だが、今のこの感情はノイズではない。戦うための、殺すための燃料だ。
(もう二度と、私の前で家族(ファミリー)を奪わせたりしない)
その時だった。
地下空間の影が、不気味に蠢(うごめ)いた。
「――やはり、ここに来ていたか」
足元の影から音もなく現れた男。
未来から来たもう一人のドラゴンスレイヤー、ローグ・チェーニ。
彼の半身は影に染まり、その瞳は冷酷な光を宿していた。
「貴様だな、ルーシィ・ハートフィリア。貴様がエクリプスの扉を閉めたせいで、未来は変わらなかった」
「え……?」
「貴様が存在する限り、歴史は修正される。――死ね」
未来ローグは問答無用で腕を振るった。
生成された鋭利な影の刃が、現代のルーシィの心臓めがけて射出される。
殺意の刃が飛ぶ。
反応できたのは、ナツでも、アルカディオスでもない。
未来を知る、未来ルーシィだけだった。
「だめぇぇぇっ!!」
彼女は現代の自分を守るため、その刃の前に飛び出した。
本来ならば、ここで彼女は胸を貫かれ、命を落とすはずだった。
――しかし。
この世界には、歴史の特異点たる「緋色の風」が吹いていた。
ガィィィンッ!!!!
硬質な音が、地下に響き渡る。
血飛沫は上がらなかった。誰も死ななかった。
未来ルーシィの目の前、死の刃を「素手」で掴み止めている少女の姿があった。
「え……?」
未来ルーシィが呆然と呟く。
未来ローグが目を見開く。「何……!?」
ウェンディだった。
彼女は、アイリーン直伝の『物理耐性付加(エンチャント・アーマー)』と『強度強化』を多重掛けした左手で、必殺の影の刃を握り潰していた。
「……計算外の行動ですね」
ウェンディは、淡々と告げた。
「過去改変のために殺人を犯すなど、リスクが高すぎる。……非効率です」
パリン。
ウェンディが力を込めると、影の刃はガラス細工のように砕け散った。
「貴様……ウェンディ・マーベルか? 私の知っている歴史では、貴様はもっと脆弱な存在だったはずだが!」
「未来は変わるものです。……貴方が変えようとしなくても、私が変えます」
ウェンディはフードを払った。
露わになった瞳は、未来の絶望を知る男よりも深く、冷たく沈んでいた。
「一つ、教えてあげましょう」
彼女は一歩、踏み出す。
ズンッ、と空間が歪み、重力が軋む。
「私の目の前で、私の家族に手を出そうとしたこと。――それが、貴方の敗因です」
ウェンディは右手を掲げる。
莫大な魔力が収束し、地下空間の空気が全て彼女の掌(てのひら)に集まっていく。
(……弱い)
(この程度の敵に、未来の私たちは負けたのですか?)
「消えなさい」
放たれたのは、圧縮された暴風の塊。
未来ローグは防御の暇もなく吹き飛ばされ、遥か後方の壁に激突して瓦礫の中に埋もれた。
静寂が戻る。
誰もが言葉を失っていた。
未来ルーシィは、腰が抜けたように座り込んだ。
「助かった……の? 私……」
「はい。生存を確認」
ウェンディは振り返り、事務的に告げた。
だが、ローブの下で、その手が微かに震えているのを、彼女は必死に隠した。
(よかった……間に合った……!)
心の中では、安堵で泣き崩れそうだった。
あと一秒遅ければ、ルーシィさんは死んでいた。また、守れなかったかもしれない。恐怖と安堵がない交ぜになり、吐き気がするほどだった。
そんな彼女の肩を、温かい手が掴んだ。
「ウェンディ!」
未来ルーシィが、涙を流して抱きついてきた。
「ありがとう……! ありがとう……! 君が、運命を変えてくれたんだね!」
「……っ」
ウェンディの身体が強張る。
抱きしめ返したい。大丈夫ですよと言ってあげたい。
けれど、やはり身体は動かない。
「……離れてください。戦闘行動に支障が出ます」
冷たい言葉。
けれど、未来ルーシィは首を横に振った。
「ううん、わかるよ。……君も、辛かったんだね」
未来から来た彼女には、わかったのかもしれない。
過酷な時間を過ごした者の匂いが、自分と同じだから。
その時。
ズズズズズ……と、地響きと共に王宮全体が揺れた。
地上の方角から、禍々しい魔力の波動が伝わってくる。
「まさか……扉が、開いたのか!?」
アルカディオスが叫ぶ。
ウェンディは天井の彼方を見据えた。
ついに来た。
あの日、私から全てを奪った種族。
「……行きます」
ウェンディは誰に言うともなく呟いた。
「『竜の王(アクノロギア)』への手土産に、まずは7頭……狩り尽くしてきます」
その背中から立ち昇る魔力は、もはや妖精の輝きではない。
緋色の絶望すら飲み込む、復讐の風だった。
次回、「第10話:絶望の空、緋色の風」。